フェリクスの部屋に行き、二人は長椅子に腰を下ろした。
ここまでの道中はずっと無言で、気まずい沈黙を感じていた。フェリクスからはぴりぴりとした気配を感じていて、彼が神経質になっていることがよくわかる。
それだけ、突然姿を消した春一に思うところがあったのだろう。
「あの、フェリクス。アジール殿下のことちゃんと診てくれてありがとう。それとごめんな、心配かけて」
「――春一が悪かったわけではないとわかっています。ただ、次からは親切をする前にまず私との合流を先決してください」
心臓がいくつあっても足りません、と肩に頭を預けてくる。
労わるために頭を撫でてやると長い息をついた。それでようやく落ち着くことができたのか、寄りかかる身体の重みが増した。
「もっと説教しなくていいのか?」
「今回のことを知ったセオドアが、きっと私の分まで言ってくれるでしょうしね」
「う……」
今日はたまたま休みだった侍従の、口元に弧を描いただけでまるで目元が笑っていない表情がありありと思い浮かぶ。
今頃誰かから報告がいっているだろうか。もしそうなら休暇中に申し訳ないと思うが、せめて自分が無事だったことも伝わっているといい。
「ところで、来るのが早かったな。こんな時でもおれを見つけるのが得意だなんて思わなかったよ」
いくら即座に連絡がいったとしても、春一の位置を特定しナーシルの部屋に乗り込むまで、それほど時間はかかっていないはずだ。
「ああ、もとからナーシル殿下を警戒していたから?」
「――春一にはまだきちんと教えていませんでしたが、あなたは私の魔力を吸収するので、私の魔法が一切きかないんですよ」
「え、そうだったのか?」
確かに自分の体質を考えれば納得できる。これまで直接魔法がかけられる機会はなく、守護の魔道具もあくまで周囲に結界を張るものだったのでまったく知らなかった。
そういえばナーシルたちがフェリクスの魔力の圧に屈していた時も、春一だけが問題なく動けていた。あれも気がつかないうちに魔力を吸収していたせいなのだろう。
「それを利用して、城内全域に探知の魔法を使いました。私の魔力が無効化される、もしくは探知できないよう結界が張られている場所があればそこに春一がいるはずなので」
ナーシルたちは春一を隠すつもりがなかったので、結界は張っていなかったらしい。それですぐに居場所が判明したそうだ。
だがこれでフェリクスが春一を見つけ出すことを得意としていたからくりがわかった。地の果てにいたとしても見つけ出す自信があると言っていたこともあったが、冗談ではなく本当に見つけられる確信があったからだ。
かなり精密に特定できるらしく、ナーシルの部屋にいた時も奥にいることもわかっていたという。春一の身体に当たらないと知った上で、入り口を吹き飛ばしたそうだ。
異国の王子が滞在する部屋だ。中には来賓の目を楽しませるための高価な調度品があったはずだが――これ以上考えるのはよそう。
一応国王に事情を報告する遣いは出したが、本当ならすぐにでも自分たちが行くべきだ。だが春一もフェリクスもなんだかどっと疲れてしまったので、今はまず気力を回復させたい。
報告には当事者であるナーシルも呼んだほうがいいかと相談を持ち掛けたところで、フェリクスが言った。
「……彼らは春一に感謝しているでしょうね」
「結局おれは何もしてないんだけどね。いろいろと解決してくれたのはフェリクスのほうだし」
「春一だって第五王子が欠乏症であると気づいていたでしょう」
「そうだとしてもうまく説明できなかったよ」
「でも、そもそもナーシル殿下はあなたを気に入っているようですから。あちらの国に行きたいといえば、きっともてなしてくれると思います」
確かに、シャティフルへの来訪は喜ばれそうではある。
だが何故いきなり行きたいなどという話になったかわからず思わず手を止めると、フェリクスは頭を起こして春一と距離を取って向かい合った。
「春一。旅に出るというのは本気ですか」
どうしてそれを知っているか、問おうとしてすぐに思い当たった。
フェリクスがそれを知っている理由はひとつしかない。セオドアにしか話していないのだから、彼が話したのだ。
「言わないでって言ったのに……」
「それも聞きました。ですが、私の友人として教えてくれたのです」
思い返してみれば約束をしたわけではない。あくまでセオドアは友人として話を聞くとしか言っていなかった。
彼は春一の友人として話を聞き、そしてフェリクスの友人として明かすべきだと判断したのだろう。
それなら口外してしまったことを責める気にはなれない。
どのみち、近いうちに話すつもりではいたのだ。なら今この機会にきちんと自分の口から説明すべきだろう。
「――本当はおれ、元の世界に帰りたくなくて。で、残るんだったらいっそ旅に出ようかなって思ってさ。ああ、もちろんオルデニアに困ったことがあればいつだって協力するよ。定期的にフェリクスの魔力を溜めるために顔を出すつもりでもあるし」
「魔力のこといいんです。本来、国のことは国がどうにかするべきことですから、春一は思うように動けばいい。ただ、どうしてそう言ってくれなかったのですか。この世界に残りたいのだと」
「……そりゃ、何度も言おうと思ったよ、素直に。でも言えなかった。これまでどれだけフェリクスが苦労してくれていたのかもわかっていたしさ。しかもいざ魔法が完成したら、すごく喜んでるし。絶対に帰すからって、約束のことも持ち出されるとさ」
言いづらかった気持ちを、少しはわかってもらいたい。
だがそれは春一の都合だ。
「頑張ってくれていたフェリクスにここにいさせてって言うのも申し訳ないから、それならいっそここを出て行こうかなって」
「なら、おれも連れて行ってください」
「それは……そんな。王弟が簡単に国を出ていいわけないだろ」
「出られます。陛下もすぐに許可してくださるはずです」
「――おまえと距離をおきたいんだよ!」
興奮するところなど、どこにもなかったはずだった。
それなのに急に感情が爆発して、気づいていたら声を荒げていた。
自分でも驚いたが、一度吐き出した言葉はもう止められない。
「おれ、最初はフェリクスからここに残ってほしいって言わせようとしてたんだぞ。そのほうがおれも残りやすいし、おまえがそう言ってくれるなら帰らない理由に大義名分ができるって。おまえの努力を足蹴りにしたって堂々とここにいられるって。そうやって――また、自分の居場所を作るのをおまえに押しつけようとしてた」
この世界に来た頃のことは不可抗力とも言えた。だが今回、ふたつに分かれた道を選んだのは自分自身だ。
自分で決めたのなら、責任をとるのも当然自分自身でないといけない。それなのに「フェリクスがそう言うのなら」とそれを押しつけて知らぬ顔でほくそ笑もうとしていた。
「近くにいたらまたそうやって甘える。おまえがしっかりしてるから、おまえならわかってくれるからって」
「……だから、私から離れるために旅に出ると?」
頷き、フェリクスの視線から逃げるように俯く。
そうして下がった視線の先に、とあるものを乗せた掌が差し出された。
黒銀の鎖に、親指と人差し指をくっつけて作った輪ほどの大きさの魔術石のついたペンダントのようだ。石にはびっしりと細かい術式が刻まれており、銀色に縁どられた文字が波のように連なっている。
「これは?」
「あなたが元の世界に帰る際に、渡そうと思っていたものです。私の命を救い、そしてこれまで尽くしてくれた、そのお礼として」
魔術石には詳しくないが、この大きさの魔石、刻まれる術式の多さと細かさから、非常に高価なものであることがわかった。
春一としてはその体質を利用しただけで、特段苦しい思いをしたわけではない。対価として生活の保障もあったし、わざわざお礼を用意されるようなものではなかったので、思わず顔をしかめてしまった。普段は表に出さないよう努めていたところだが、今は感情が高ぶりすぎている。
フェリクスがお礼をしたいという気持ちは、わからなくもない。彼の命を救い、国の危機にも力を貸したという事実は確かにある。またその立場は王族でもある。フェリクスの性格はもちろんのこと、国を担う一族の立場からしても、別れ際に何もないというのも義理や面子が立たないというのもあるのだろう。
それがわかっていても、まるで手切れの品のように用意された魔道具に気分はよくない。
「――でも、本当は違うのです。これは、春一と私を繋ぐための魔道具なんです」
「おれたちを繋ぐ……?」
「これの説明をするにあたり、私は春一に打ち明けなければならないことがあります」
そう告げたフェリクスはすぐには口を開かなかった。
一度唇を噛み、葛藤するように目を伏せる。
「――あなたを帰すための転移魔法は、三年前にすでに完成していたのです」
明かされた事実が理解できず、フェリクスの言葉を飲み込むのにひどく時間がかかった。
「……もう、魔法が完成していた?」
「はい」
言われた意味を理解したところで、なおのこと混乱は深まるばかりだ。
「は――な、なら、なんで? なんで今更? なんで黙ってたんだよっ?」
これまで完成を秘密にしていたという。それを何故今になって明かしたのか。
フェリクスなりの考えがそこにあることはわかるが、混乱する頭で必死に理由を考えたところで何も思い当たらない。
どうしたって真実を知るためにはフェリクスの言葉を待つしかないのに、彼はなお躊躇っているようだった。
余程言いにくいことなのか。けれどももう春一に明かしてしまった以上、沈黙を認めるわけにはいかない。
フェリクス、と呼びかけると、ついに覚悟したように重い口が開かれる。
「私が、あなたを手放すことができなかったせいです」
フェリクスは今まさに春一を転移させようとしている。一方通行で帰り道は用意されていない。あちらの世界に行けばこちらに戻ってくることはできないことは、異世界への転移魔法を完成させたフェリクスが一番よく知っているはずだ。
だから引き留めていたという。では、もう留めておかなくてもいいということはつまり――
その答えに思い当たりながら、震えそうになる声を抑えて尋ねる。
「なんで今になって……?」
「春一に代わる、魔力を蓄えられるものが必要だったのです。この間完成したのはその技術でした」
そしてその技術を施したのが、ペンダントになった黒い魔石だ。
「これは、アジール殿下がつけていた魔石と同種のものです。魔力を吸収する性質の他、他の魔石よりもはるかに魔力を溜めることができます。ですが留めておく力は弱くすぐに放出してしまうため、魔力の流出を防ぐ保護魔法が必要でした。ただし保護の魔法は定期的にかけ直すことができない前提にあり、一度魔法をかけたら何年――何十年も持たせなければならない。転移魔法の次は、そのための魔法を研究していました」
まるで知らない話ではあったが、振り返ってみて腑に落ちた部分もあった。
フェリクスが転移魔法の研究の傍らで生み出した結果が、ここ近年は魔力消費効率のよい魔道具の改良や、術式の改善や構築の見直しといった、魔力の消費量を抑えるものが多かったからだ。
転移魔法には莫大な魔力が必要となると聞いていたから、節約する方法を探しているのだとばかり思っていた。だが実際は魔石の保護のために使うものだった。
シャティフルとの技術交流もそのためだったという。彼らはその厳しい環境から結界魔法を得意としているため、何かいい知恵を借りることができないかと考えたという。
実際にシャティフルの使節団が来訪することが決まったものの、結局フェリクスは彼らから話を聞く前に自力で課題を解決してしまったらしいというのだから、その天才ぶりがよくわかる。
そこまで聞いて、春一は立ち上がった。
そのまま部屋から出ていこうとしたが、フェリクスに腕を掴まれ阻まれる。
「どこにいくんですか」
「放してくれ」
「話はまだ終わっていません」
「これ以上何を聞けっていうんだ? つまり、おれの代わりのものができたから、もう用なしになってことだろうが!」
春一の価値はフェリクスの魔力を溜められること。そのうえ上限がなく、一度入れてしまえばフェリクスが取り出さない限り目減りすることもない。
その力を使ってフェリクスは自分が持てる以上の魔力を扱うことができた。災害時には大いに必要となるもので、だからこそ春一は重宝されていたのだ。
大量の魔力を保存できる希少な能力を持つ春一を引き留めているうちに、その代替品の魔術石を作りあげた。目当てのものが完成して今度は帰っていいというのだから、これが用済みという以外になんとなるのか。
「違います!」
大きな声に、手を振り払おうと抵抗していたのを止めてフェリクスを見た。
「違います。……そうじゃ、ないんです……春一がいらないなんて、そんなわけが……っ」
冷静なフェリクスが、苦痛を感じているように顔を歪ませていた。
いや、深い後悔を懺悔しているのか。もしくは自らの罪が暴かれているかのように、そこには確かな不安が滲んでいる。
その表情の真意を考えて、ふと、フェリクスはペンダントを春一に渡すつもりだったと言っていたことを思い出した。
春一の代わりになるものなのに、この世界からいなくなる者に渡しては意味がない。しかもあちらの世界に魔法がないことはフェリクスも知っているはずだ。こちらの世界では価値のある魔道具だとしてもあちらとしてはただの石でしかない、もし春一の功績に対する謝礼品とするならもっと別のものを用意するのではないか。
なにより自分の知るフェリクスは、代わりのものができた途端に春一を放り出すような真似をするような人間だろうか。
――いいや、そんなはずがない。
「どうして、おれに代わるものが必要なんだ? なのに、そんな大事な魔術石をおれに渡そうとして、おまえは何がしたかったんだよ」
再び話を聞くため、春一はもう一度フェリクスと一緒に長椅子に腰を下ろした。