30

 

 ヨルドはチィが暴れ回った場面を目撃しているうちの一人で、黒豹の騎士の正体は承知している。噂を否定つつも声を大にしなかったのはノアたちのためだ。騎士団副長の謙遜か、それとも本当に別に副長よりもさらに強い騎士がいるというのか――情報を撹乱させつつ、牽制にもなるため噂を放置していた。

「ふはは! せいぜい王子を守れよ、大事な人質のつもりだろう!」
「なんだなんだあいつは!?」
「王子と取り戻しにきたんじゃないのか!」

 一人離れた場所でチィの下半身に守られながら高笑いをするノアに、王子を抱えながらチィから逃げる男たちが目を剥く。これではどちらが悪者かわかったものじゃない。

「はっ、そんなもの。久しぶりに暴れる口実となればなんだっていいさ」

 当然演技であるが、ノアの人嫌いの噂を身近で聞いてきた三人がいる。ノアなら本当に暴れたいだけで王子など二の次とするだろうと、思い込んでくれるのならそれでいい。
 いっそ王子を盾にしようがノアたちは止まらないと、人質としてその首に刃を立てても意味はないとでも考えて王子を放り出して逃げ出してくれれば万々歳だが、さすがにそううまくはいくまい。事を引き起こした以上、それをしくじれば彼らに残るのは死のみだ。言葉通り死ぬ気で遂行するしかない。
 初めはチィの巨体に手間取っていた男たちだが、王子誘拐を計画するほど精鋭たちだ。次第に立て直し、連携を取って応戦を始めているようだった。
 その精鋭七人を相手してでもチィのほうが遊んでいるだけゆとりはあるが、全員を逃がさず留めておくことは難しい。
 追いかけてきているはずの騎士団との合流ができれば状況も変わるだろうが、誘拐犯を追いかけるため全力で駆けたチィは馬よりもうんと早かった。城から出て男たちに追いつくまでの時間を考えると、騎士団はまだ懸命に馬を走らせている最中で森にさえ辿りついていないだろう。
 彼らをねじ伏せたとしても、たった一人でもチィから逃れて王子を連れ出せばノアたちの敗北を意味する。チィが暴れ回っている間に打開策を考えないといけないが、ノアが使える駒はチィだけだ。
 チィを巨大化させるために魔力を送り出すことを専念しなければならないので、今のノアは魔術を一切使うことができない。しかもチィを大きくする場合、使い魔契約の代償ともいえる魔術師に表れる身体的特徴が一時的にさらに強く出るようになる。
 ノアの場合は右目の視力が低下する程度だが、チィを巨大にさせた時には両目の視力がほとんど見えない状態になった。光は感じるがすべてがぼやけてしまい、目を近づけても輪郭をとらえられないほどで、今も走り回るチィの気配は感じるだけ。
 チィの下半身がノアを守るように傍に寄り添うのもそのためだ。
 ただでさえ剣も振るえない脆弱な身体であるのに、その上ろくに見えていないので逃げ出すどころか自身に迫った危機すら把握することすらできない。全体の動きも見えず、ひっそり逃げようとする男の姿もわからないので、声でチィを援護することもできない。
 すべては調子に乗って男たちを追いかけ回わしているチィに任せるしかなく、正直不安は大きかった。
 そしてそういう嫌な予感ほど当たるものである。
 やがて男たちに手応えが出てくるようになり、九年ぶりの大きな身体ということもあってすっかり興奮してしまったチィは、野生の本能が全開になってしまったようだ。
 ノアを守っていたはずの足がうずうずと腰を揺らすと、ついに地面を蹴って走り出してしまった。

「あっ、馬鹿……!」

 チィが走り去った後に風が巻き起こりノアの髪が舞う。
 ぼやけた視界には蒼い光を纏う大きな黒い塊がふたつ動き回っているのが見えた。
 参戦した下半身に男たちは蹴られ、そして尻尾が振られただけで投げ飛ばされていく。 

「にゃははっ!」

 楽しげな使い魔の笑い声に状況がわかっているのかと頭が痛くなりそうだが、いっそこのまま制圧してくれたほうがいいのかもしれない。

「はあ……」
「――このっ!」

 ノアが溜息をつくのとほぼ同時、背後から男の声がした。
 咄嗟に振り返っても何が起きているかはわからない。だがすぐ傍で動く何者かの気配があって、何かがひゅっと風を切る。
 それは剣を振り上げる音だ。

「ノアさまっ!」

 ノアの状況に気がついたチィが悲鳴のように呼ぶが、調子に乗って獲物を追いかけすぎたのか声が遠かった。
 もしかしたら、この時を狙っていた者がいたのかもしれない。
 身体も大きく剣も弓も弾くチィは確かに厄介ではあるが、しかしそれを強化している魔術師を潰してしまえば使い魔もその力を失う。チィを倒そうと躍起になるよりも、その元であるノアを叩くのは合理的な判断だ。
 いくらチィの下半身が守っていたとしても、主従の意識は完全に前に向いていた。不意を突かれればひとたまりもなかったし、そうでなくても都合よく下半身が離れて行ったのなら、敵からすればまさに千載一遇のチャンス。この機を逃す手はないだろう。
 ――だから、ノアはチィを戦場に出したくなかった。
 何年生きようとも精神的に幼く、知恵を得ても所詮は獣。本能が疼けば平気で流されてしまう。不注意も多いこの使い魔が安全に立ち振る舞えるはずがない。
 ただでさえ調子に乗りやすいのに、巨大になると気まで大きくなるのかいつも以上に周りが見えなくなるきらいがあるこの使い魔は、この姿になればノアを守れるのだと思っている。
 そういうところが子供なのだと、そうと考えるのは状況が見えてないせいだろうか。
 振り下ろされる剣の唸りが聞こえた時、咄嗟に顔を覆った腕が熱くなった。

(……まさか)

 熱のもとは手首にある、あの金の腕輪だった。
 一度は外したそれをノアは再び身に着けていたが、それが肌を焼くかと思うほどの熱を上げた瞬間、目の前に眩むほどの強い光が走った。

「ぐっ……なんだこれっ!?」

 ノアに襲いかかっていた男も突然の閃光に目を押さえよろける。それでも長年培った勘で剣を振るったが、それはノアに届く前に高い金属音を上げて阻まれた。

「なんだっ!? くそ、こんなもの!」
(まさか、これは……そんなはずは……っ)

 目が眩んでいるうえに、ぼやける視界に映るのは、ノアを守る巨大な金の輪。
 それは婚約腕輪だったものが姿を変えた盾なのだから、そうなるように作ったノアには見えなくても状況はわかった。だからこそ何故こんなことになっているのか激しく混乱する。
 輪の中には透明な魔術の膜が張っており、男が剣を払っても体当たりをしてもすべてを跳ねのける盾となっていた。
 それを知るチィはノアの無事に安堵し、男たちは突如光を放って登場した魔術の盾に呆ける。しかしすぐに我に返った隊長格の髭の男は懐に手を入れると、隠し持っていたナイフをノアに向かって投げつけた。
 それに気づいたチィが男を踏み潰すがもう遅い。
 腕輪の盾は襲いかかる男からノアを守ることに使われ反応できず、一直線に飛ぶナイフが無防備な身体に迫った。
 今度こそノアを守るものは何もない。そして身の危険に気づけていないノアが未だに受け入れがたい状況にただ戸惑っていたそのとき、何かに腕をとられて引き寄せられた。

「なっ!?」

 驚いて目を開けるが、視界はぼやけてよくわからない。何もわからないままぎゅうっと抱きしめられるが、ノアは抵抗をしなかった。
 だって自分は知っている。
 この腕の強さを。この安堵できる胸の中を――。

「おまえは……」

 投げられたナイフが何かにぶつかったのか、キンと高い音を上げて軌道を変える。それはノアだけを守る腕輪の盾を通り抜け、剣を振っていた男の腹に突き刺さり倒れ込んだ。
 仲間の野太い悲鳴を聞き、自分の攻撃をいなされるどころか利用された髭の男は、苛立たしげに舌を打ち、またチィは喜びに声を震わせるようノアを抱き止める者の名を叫んだ。

「ヨルドさま!」
「よくやったね、チィ。足止めしてくれてありがとう」

 ヨルドは優しくチィを労う言葉をかけるが、それを掻き消すように若い男が叫んだ。

「あ、あんたは城を出たんじゃなかったじゃなかったのか!?」
「そうだ、なんで副長がこんなところにいるんだ!?」

 朝早くに使者に付き添い城を後にしたのだ。いくらゆっくりとした行程だったとしても、彼らが向かった先は東側のモロフであり、ノアたちが今いる森は北側である。何らかの方法で王子誘拐の報せを受けたとしても、ノアの後を追いかけている騎士団よりも早く着くはずがない。
 男たちの反応から、誘拐を実行したのは騎士団の中でも実力者の一人であるヨルドの不在もあったのだろう。しかしここにいるはずのないヨルドが姿を見せたことに動揺が走っていた。
 疑問を投げかけた彼らには応えず、ヨルドは抱きしめるノアに顔を寄せる。

「おれもそうだし、きみも聞きたいことはあるだろうけれど、詳しい話は後だ。ひとまずこの場をどうにかしよう」

 確かに聞きたいことはある。だがそれを堪えて頷くと、ろくに見えていない視界の先でヨルドが笑った気がした。

「さて――それじゃあ」

 ヨルドに抱きしめられたまま身体がぐるりと回る。何事かと思えば、近くで男の悲鳴が上がった。

「まずは一人」

 その言葉に、近くで腹にナイフを埋め込み倒れ込んでいた男の絶命を知った。確実に周辺の安全を確保してヨルドはようやくノアを放す。
 
「チィ、こっちへ」

 ヨルドに呼ばれるとチィは男たちにぶつかりながら、一直線にノアたちのもとまで戻ってきた。

「ここでノアを守っていてくれ」
「はいっ」

 つい先程まで楽しそうに跳ね回っていたチィは、ノアが害されかけたことがよほど怖かったのか、上半身と下半身どちらも行くことなくぎゅうぎゅうにノアを包み込んで丸くなる。

「おい、苦しいぞ!」
「今度こそちゃんとノアさまをお守りします~っ」

 ノアの苦情など一切聞いていないチィは、自分の声まで大きくなっていることを忘れて耳元で叫ぶ。
 その声量にノアが参っているうちに、ヨルドは残る六人の男たちと対峙した。

「――それ以上近づくな。王子がどうなってもいいのか」

 ノア相手には使えないと思った手でも、騎士のヨルドならば効果があると判断したのだろう。
 髭の男の腕にはいつのまにか袋から出された王子の姿があった。あれほどチィが騒いだというのに、薬で眠らせられている彼は未だ深い眠りの中にいるので目覚める気配はない。
 細く頼りないその喉元に剣が突き立てられる。

「どうなっても困るから、王子は返してもらおう」
「はっ! はいそうですかなんて言うわけないだろう。いいか、命があればちょっとくらい痛めつけてやったっていいんだ。まずはこの柔らかい頬に――」
「私の可愛い子になにするつもりだこのド悪党!」

 王子の喉元から剣が離れ、その切っ先がふっくらした頬に向かおうとしたその時、男の背後の茂みが突然揺れて、そこから人が飛び出した。
 その人物は飛び出した勢いのまま王子を捕まえている男の脇腹を蹴りつけ、よろけたところをすかさず王子を奪い返す。

「はっ……!?」

 髭の男が体勢を整え闖入者に剣を構えたところで、その顔を見て驚愕に目を見開く。
 そしてノアも、聞き覚えのある声に絶句した。

「よくもテメェら私の天使を攫ったな? ああ、怪我をしているじゃないか! なんということだ! ああ、ああ、私のライル。なんてかわいそうに……」
「ちょっとなに飛び出してるんですか!?」

 そう言って男が飛び出してきた茂みから続々と男たちが現れる。
 先陣を切って王子を救った人物を中心に円陣を組み、文句を言いながらも剣を構えた。

「これが飛び出さずにいられるか!? おまえたちこそ何故すぐに助けない!」
「王子、作戦って意味知っています?」

 やけに賑やかな声が聞こえるほうをノアは指差す。

「おいチィ、あそこにいるのは……」
「あっ、ルーンさまです! ……んにゃ? にゃんでルーンさまがこんにゃところにいるんです?」

 その名は現国王の孫でそしてライルの父でもある人の名。つまりは彼もまた王位継承権を持つ王族であり、ヨルド以上にこの場にいることが理解できない人だった。

「ヨルド、こいつら我が国の宝に傷をつけた! 全員死罪に値する蛮行だ! とっとやっちまえ!」
「おまえたち、その人の命令は聞くなよ。まずはこいつらを捕える。――自害も許すな」

 ヨルドはルーンの言葉を流し、部下に指示をして自らも剣を構える。
 状況もろくに見えず混乱するノアをよそに、背後からの奇襲によりライルを奪還したヨルドたちは、その後はあっという間に一味を制圧してしまった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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