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 モロフに向かっているとされていたヨルドたちだったが、実は秘密裡にゾアルとラルティアナの国境付近に足を運んでいた。モロフに行くことは本当だったが、その前にゾアルの動向を辺境を警備する部隊に直接相談して、それをもとにモロフと対策を講じるつもりだったようだ。
 そしてヨルドが護衛をしていた使者だが、公にされていた人は実は本当の使者の隠れ蓑であり、真の使者として出ていたのはなんとルーン王子だったらしい。
 国境近辺を目指し順調に北に向かっていた一行だったが、ヨルドが身に着けたままでいた婚約腕輪が突如として熱を帯びた。
 腕輪には対がある。片方の腕輪が熱くなったということは、魔力で繋がるもう一方の腕輪に何事かが起こったのかもしれないと勘が働いたヨルドは、ただちに引き返せないかルーンに打診した。
 決定的な確信を得られる事実がなければ、ただの勘程度で行程を変更することない。これが国命で動く使者であるなら使命が優先され、決して受け入れられなかっただろう。
 だが幸いにして同行しているのは、秘密裡にとはいえ王の名代で動いていたルーンだ。一行の行動の決定権はルーンに一任されている。
 おしめをつけている頃からの仲であるヨルドに全幅の信頼を置いている彼はすぐに頷き、馬車を引き返すことを決断した。
 雑談混じりのゆったりとした行きとは違い、急いて来た道を駆け戻っていた途中、森の傍を通り過ぎようとした時に入り口で空を旋回する魔術師団長の使い魔を見つけた。
 鷲の使い魔から事情を聞き、ライルが誘拐されたことと、先行してそれをノアが追いかけたことを知ったルーンとヨルドは、追いかけてきているはずの騎士団を待つことなく森に入ることを決断した。
 ルーンの護衛隊として同行する騎士たちは少数ではあるが精鋭揃いだ。そして守られる立場の王族であるルーンもまた、その剣の腕前は現役の騎士に劣らない実力を持っている。
 本人は騎士団の入団を希望していたが、王太子の長子、二代先の国王となるべく立場では許されず泣く泣く諦めた経緯がある。それでも剣の腕を落としたくないからと、今でも定期的にヨルドを相手に打ち合っているので、自分の身は自分で守るだけの力はあった。
 凶悪な犯人たちのもと要人を連れて行くことはありえないが、息子が誘拐されて荒れ狂っているし、本人の実力も確か。それに彼を置いていくために戦力を裂くのも合理的ではないと判断してルーンも連れて行くことになった。
 すぐに目当ての誘拐犯とノアは見つかり、円となって彼らを包囲し奇襲をかける作戦を立てた。
 しかし巨大な金の輪が見えた瞬間にヨルドは先に飛び出してしまうし、それだけならまだしも事が片付くまで隠れているはずのルーンまでも敵に蹴りをかまして王子を奪還するしでてんやわんやな事態となってしまったが、結果としてはライルは軽症で済み、ルーンもまた無傷で終わった。王子を誘拐した犯人も交戦の末に三人死んでしまったが四人はその身柄を捕え、今は騎士団による尋問の最中だという。
 まだ口を割ってはいないが、髭の男がノアに投げたあのナイフからは特徴的な加工が見つかり、それがゾアル特有のものであったので、かの国の手のもので間違いはないだろう。
 何故あの場にヨルドとルーンが姿を現したのか、そのいきさつを聞いたノアはなるほど運のいいことだと思ったものだ。
 使者がルーンでなかったら、その護衛がヨルドでなかったら。ノアは殺されていたかもしれないし、王子は連れ去らわれて事態は最悪の展開を迎えていたかもしれない。
 そうならずに済んでよかったと思いながら、何事もなかったかのように仕事の続きに戻ろうとしたノアだったが、それは魔術師団長が認めなかった。
 チィに流した魔力が大量に消費されるので身体が疲労状態になっているためだ。それでもノアは気にしなかったが、いつの間にか倒れられては困ると判断したらしい。
 そして王からは、王子が誘拐されて、しかもそれが内部に潜んでいた間者の仕業だと判明したばかりで警備に不安があるから、いざというときのために宿舎には戻らずに一時的に城内に待機していてほしいとまで言われてしまった。
 それが功労者のノアを労う意図が含まれていることぐらい、長い付き合いなのでわかっている。素直に受け取りはしないから、もっともらしい言い訳をつけているのだ。もちろんその言い分もすべてが嘘というわけではないので、ノアは仕方なく王の頼みを受け入れた。
 だが用意されたその部屋というのが、ヨルドと夜を過ごしたあの部屋だと知ったら、強引にでも自分の部屋に戻っていたのに。
 兵士に案内されている最中もまさかと思っていたが、部屋に到着してしまって今更やっぱり止めるなどと言えるわけもなく、諦めて使い慣れた扉を開ける。
 まずは腕に抱えていた籠を机の上にそっと置いた。
 籠の中ではチィが丸くなってぐっすりと眠っている。
 久しぶりに大暴れしてさすがに疲れたのだろう。大嫌いな風呂で洗われている最中にことんと眠りに落ちてしまった。
 こうなればどんなに周囲で騒いでも朝まで眠り続ける。前回の戦争の時もそうだった。
 ゆっくりと背中を撫でながら、身体に怪我がないか確認をする。風呂場でも一度調べていたが、寝ていて大人しいことをいいことに今度は念入りに手と目で診て、怪我がないことを認めた。
 そういえば、チィが腹巻を燃やしてしまったことを悲しんでいたことを思い出す。その日の気分によってつけるものを変えるので他にもいくつも用意はあるが、それでも失ってしまったたった一枚に落ち込んでいた。
 仕方ないからまた作ってやらないといけないだろう。少々手間だが、まあ今回は頑張ったし、たまには褒美も与えてやらないと。
 剥き出しの皮膚が引きつったような傷痕を一撫でして、その上から毛布をかけてやる。
 振り返ると、ふたつ並んだ寝台が目に入った。
 お互いの荷物は残っていない。もともと少なかったヨルドの私物はすべて消えていて、シーツも綺麗に整えられている。
 もう同居人はいない。それでも窓際のベッドを使う気にはなれず、ノアは反対側のベッドに腰を下ろした。
 チィを風呂に入れるついでに自分も汚れを洗い流したので、まだ髪がしっとりと湿っている。
 乾かすのは面倒だったが、このまま寝て寝癖がひどいことになってしまってもまた手間だ。
 いつものように髪を手櫛で撫でて魔術で乾かしていると、ふとノックの音が聞こえた。
 聞こえない振りをしてしまいたかったが、昼間の件の話なら無視をするわけにもいかない。
 居留守は諦めて短く返事をすると、すぐに扉は開いた。

「ああ、よかった。ちゃんといてくれた」
「……ヨルド」

 穏やかな笑みをともに部屋に入ってきた男に、ノアは髪を撫でる手を止めてぎゅっと拳を握った。

「……何故ここにいる」
「聞いてない?」
「何を」
「おれもこの部屋で休むようにって指示があったんだよ。だから今夜は同室だ」

 そんなこと、王からは一言も言われていない。
 この部屋を宛がわれたのは使い慣れていると判断されてのことだと思ったが、ヨルドも一緒だから選ばれたのだろう。

「――出て行く」

 もう腕輪による制限はない。夜であっても二人は離れられないわけではないのだから、どこにいても自由だ。
 立ち上がったノアはチィが収まる籠を取ろうと手を伸ばすが、触れる前にヨルドに腕を掴まれた。

「ごめん。指示なんて言うのは嘘だ。おれがルーンに頼んで、きみと同じ部屋にいられるように頼んだんだ」

 あっさりと白状したヨルドは、ノアの顔を覗き込み口元をわずかに歪める。

「なんでって、顔に書いてあるね。そうでもしなきゃノアは逃げると思ったからだ。わかるだろう」

 今だって逃げようとしているんだから――そう、言外に言われた気がした。
 実際に出て行こうとしたのだから、逃げ出すと捉えられても仕方がない。ただ一緒にいたくなかったせいだが、それだけで臆したとみられるのも癪で、ノアはヨルドを睨みつけた。

「そんなつもりはない」
「そう? じゃあ立っていないで座りなよ」

 掴まれていた腕が解放され、先にヨルドが歩き出した。
 ふたつ並ぶ寝台のうち、窓側のほうに腰を下ろして、ノアには向かい合う位置になる反対側の寝台を示す。
 言う通りにするのは抵抗があったが、ノアは渋々元いた場所に腰を下ろした。

「……おまえはモロフに行くんじゃなかったのか」

 騒動に気がつき戻ってきたが、本来は重要な使命で動いていたはずだ。すぐにでも再出立するかと思っていたので、ヨルドはすでに城にいないと思い込んでいた。まさか部屋を訪れるとは思っておらず、完全に油断していた。

「それは日をずらすことにしたよ。ライル殿下も怯えていて不安定だし、まだ城内も落ち着いていないから」
「そうか」

 ノアが見つけたときにはすでに気絶していたが、ライルは攫われる直前に護衛たちが殺されるのを見てしまっているという。さらに暴力を受け、誰からも大事に育てられてきた幼児に恐怖を与えるには十分すぎる出来事だった。
 大人でさえ深い傷を心に負うような事件だ。国の大事があった最中に離れるわけにはいかないしとしても、息子のためにも父親として傍にいてやりたいという気持ちもあるに違いない。
 今はルーンに抱かれて眠っていることだろうと言ったヨルドに、ノアは再び、そうか、とだけ返した。

「今回の事情はあらかた聞いた?」
「ああ」
「そう。じゃあ次はおれの番だ」
「――私から話すようなことはない。すべき報告はすべて上にあげている」
「おれはある。それに、話をしようと言っただろう。大分予定は早まったけれどね」

 それがこの部屋から出て行こうとした時の話だということはすぐにわかった。
 ノアの突然の変化に納得しきれていなかったヨルドはまだ諦めずにいたらしい。
 だがやはり、ノアから話すようなことは何もなかった。解呪をしてそれで二人の歪な関係が終わりを迎えただけのことで、遅かれ早かれそうなっていた。それだけだ。
 ヨルドは話をしようと言うが、何を話すべきなのかさえも本当にわからなかった。
 何も言えずにいるノアに、ヨルドは目を伏せた。

「――腕輪、まだつけてくれていたんだな」
「っこれは……!」

 ヨルドがすでに城を出たと思い込んで外さずにいたそれの存在を指摘され、慌てて手で隠すがもう遅い。
 長く身につけていたせいか、すっかり腕に馴染んでしまっていたせいで着けていたことを失念していた。
 ――ヨルドに放り出したように、一度は外したのだ。もう自分のものではないし、ちゃんと王に返さなければならないと思って。でもどうしても手放せなくて、どうしてもヨルドのことを考えてしまうから。だからノアはあえて再び腕輪を身に着けた。
 しばらくヨルドの顔を見ることはない。その間にしっかりと気持ちの整理をつけるため、いっそ思い切りヨルドのことを思い抜いてしまおうと考えたからだ。
 もちろんそれをヨルド本人に報せるつもりはなかったし、帰ってくる前には外して、きちんと王に返上しておくつもりだった。
 けれどそれを知られてしまった。あれだけいらないと言ったものを、忌まわしいものだとまで口にしたものを身に着けているノアをヨルドはどう思うのだろう。
 それを知るのが怖くて、膝の上で自ら押さえつけている手首を見下ろした。

「ノア」

 顔を上げずにいると、また名を呼ばれる。
 躊躇いながら顔を向けると、ヨルドは自分の腕を捲り、その手首ある金の腕輪をノアに見せた。

「これのおかげできみの危険を知ることができた。ありがとう」

 ヨルドの言葉に、彼が腕輪の秘密を知っている確信した。
 何も知らなければ、互いに腕輪を着けているだけで相手の危険を知ることなんてできるとは思わない。けれどもヨルドは腕輪に熱を感じて、それを理由に道を引き返している。

「……私じゃない。ライル殿下の危険だ」

 なんて言ったらいいかやはりわからず、散々迷った挙句、ノアは声を絞り出す。

「それもあるけれど、きみの危険でもあった。腕輪が教えてくれたんだからそういうことだろう」
「――チィか」 

 王にでさえ腕輪のすべては話してなかった。それを知るのは作り主であるノアとその助手をしていたチィだけ。もちろんノアからヨルドに話した記憶はないので、残るはお調子者の使い魔しかいない。
 腕輪に与えた祝福は複数ある。王やヨルドにも伝わっているものは従わなければ爆発という制限が設けられているから話していたが、実はその他にもふたつ隠れた魔術がかけられていた。
 そのうちのひとつが、婚約者が身体的な危機感を覚えた際に、腕輪を通じてヨルドに報せるというものだ。
 危機感とは誰かに襲われそうになる、もしくはその気配を感じる時に生じる恐怖などに反応するようにしていた。
 今回ヨルドが腕に熱を感じたのは、ノアが王子追跡の際に一瞬でも自分の身も危うくなる可能性を想定したからだ。敵の数も知れず、チィに魔力を注げばノア自身は無防備になるのでそこを狙われでもしたらひとたまりもない。いくらチィが強くなってもノアの実戦経験は乏しく、視界不良もあり、機転で切り抜ける策を講じることもできないのだから。
 それでも追いかけない選択肢はなかった。ノアはチィに乗って誘拐犯どもを追いかけたが、その時の恐れはヨルドに伝えられてしまっていたようだ。
 腕輪をそのまま大きくしたような盾もまた祝福のひとつだ。
 こちらは装着者の意図に関係なくその身に物理的な危険が迫れば自動発動するものになっていた。大きくなった輪の中の空洞に魔術の膜が張って、人の力による物理攻撃や中級程度の魔術ならなんなく防ぐことができる。
 ノアとしてはこれで防御が完璧と思っていたが、今回の件で一方の攻撃しか対応できないという課題が浮き彫りになった。もし危機が迫ってヨルドが駆けつけるとして、それが間に合うとは限らないための対応策なので、これが完全でないと意味がなくなってしまう。次の時のためにも手直しが必要だろう。
 確かにそれらによって今回は救われたのは事実だ。だがチィには決して口外するなときつく言い渡していたはずだった。

「いつの間にそんな話を」
「前にチィだけでおれのところに来てくれたことがあってね。その時に」

 そんな報告は受けていない。勿論ノアも指示していないので、独断でヨルドに会いに行ったということだ。
 行動は制限していないのでどこに行くのも構わないし、誰と仲良くなるでも、その相手がヨルドであっても口を挟むつもりはない。
 しかし主に内緒で約束を反故にしていた使い魔に苛立つと、ヨルドが声で宥める。

「きみのためを思って教えてくれたんだ。責めないでやってくれ」
「……全部聞いたのか?」
「ああ。だからもしかしてと思った。けど自信はなかったんだ。魔術は解呪されていたから、そっちの魔術だけ残っているかわからなかったし」

 ノアが今回解呪したのは厄介な罰が入るものだけだ。後からも使えそうな守護の魔術だけは残していたが、それを知らないヨルドが感じた腕輪の熱に従うのにはそれなりの葛藤があったはずだ。遊びに出ていたわけではなく、任務中であったのだから。

「それに、きみは腕輪を外していたからね。――でも、また着けてくれていた」

 魔術はまだ残されていたが、しかしそれらはすべて二人が腕輪を身に着けていなければ発動しないもの。一方が手首に装着しているだけでも、着けずに所持をしているだけでもだめだった。
 チィはそこまで話していたのだろう。
 ヨルドの目の前で腕輪をぞんざいに扱っていたノアを見ていたからこそ、なおのこと判断には迷ったはずだ。
 それでもヨルドは腕輪を信じて戻ってきた。もしかしたらノアに危機が迫っているかもしれないと思って。
 戻ってきた理由は他にもいくらでもつけられる。城から籠るノアが身の危険を感じたとすれば、城で何か起こっているとも判断できるし、それなら一個人のために戻ろうとするよりよほど納得ができた。もしくは、国元にいる想い人を守るためだとか。
 そう。きっとノアのためなんかじゃない。
 そうやって可能性を潰して身を守ろうとするのに、けれども彼の腕に輝くものを見てしまうと知りたくなってしまう。
 

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