首筋に唇が触れているほどにヴァジアードが近づいているということは、洸もまたそれだけ彼に近づいているということ。それほど距離が縮まっていれば、目を瞑っていても感じる彼の気配と体温、そしてあのほんのりと甘い匂い。
 行場のない手はいつもだらりと垂れさがり、拳を握る。応えることも抵抗することもなく、ただされるがままになるしかなくて。心の中で早く終わればいいと膝を抱える自分と、この時が延々と続けばいいと願う自分とがいて、その矛盾が苦しい。
 触れる唇は優しい。服を剥ぐ手はいつだって丁寧だったし、洸の憎まれ口にもいつも楽しそうにしながら受け流してくれた。
 強引なところもあって、納得もできないこともあったが、でも憎むことができなくて。

「――馬鹿じゃないの。なんでそんなにおれに執着するんだよ。あんたなら血を分けてくれるやつくらい、いくらでもいるだろう。薄いとかまずいとかわがまま言うな。だったらいい人が見つかるまで探せよ。なにもおれじゃなくたっていいだろ……っ」

 優しくされて、甘やかされて、安心できる居場所をくれて。絆されない方が難しいというものだ。
 だからこそ洸はそれを受け入れられず、ヴァジアードを突き飛ばすよう引き剥がした。

「おれは、あんたみたいに気まぐれなやつはいやなんだよ!」

 まだアパートのすぐ脇だとか、朝早くて迷惑になるとか、そんなこと頭から抜け落ち洸は怒鳴るよう叫んだ。
 気づいたときには生みの親はいなくて、ただの人間たちに囲まれて、正体がばれないよう怯えて毎日を過ごした。
 大人になり一人で生きられるようになった洸は、子供の頃からそうであったようにずっと探し続けていたのだ。孤独でなくしてくれる人を、ずっと傍にいてくれる人を。
 生涯にただ一人の、自分のつがいを――。
 子供の頃、初めて会った同じ人狼族の男性がいた。もう老いた彼は洸と出会った数日後に静かに息を引き取ったが、その前にそうっと宝物を見せてくれるように教えてくれたのだ。
 先立った自分のつがいであった女性が、いかに素晴らしい人であったのかを。彼女と出会ってから人生が変わり、それまで飢えた獣のように尖っていた自分が少しずつ穏やかになっていくのを感じたという。彼は彼女のことを、〝運命のつがい〟と呼んでいた。
 どうしてそう思えたのか尋ねると、匂いがしたと、彼は言っていた。彼女は故郷の草原に駆け抜けた風のような匂いがしたのだと。そして気づいたら彼女のことを目で追うようになっていたのだという。
 自分以外の仲間も、そうして運命のつがいを見つけた者が何人もいると。そして彼らは皆一様に最期のそのときまで添い遂げたのだそうだ。同じ人狼である洸にもきっと、なにかを感じる、他人とはまったく違う匂いを嗅ぎとる相手がいつか見つかるだろうと彼は言っていた。
 ヴァジアードは吸血鬼であったし、満月の影響で前後不覚になっていたし、なにより同じ男であったし、色々あったし。すぐに気づくことはできなかったが、どうしようもなく彼に惹かれていく自分が、拒否しきれない自分がいて、ふとした瞬間に気がついた。
 ヴァジアードは自分のただ一人のひと、運命のつがいであるのだと。ずっと探し求めていた相手だったのだと。
 自分にも本当につがいがいたのだと気持ちを高ぶらせたが、洸はすぐにそれを萎ませた。何故なら相手はあの、吸血鬼であるヴァジアードだからだ。
 気を持たせるようなことを言って引き留めるのは、ただ洸の血がほしいだけ。あとは人付き合いの慣れていない洸をからかって楽しんでいるのだろう。この男は自分に向けられている好意にきっと気がついている。それを利用としているのだ。
 その手には乗るものか。そう毛を逆立てるように睨む洸に、けれどもヴァジアードは涼しい表情を崩さぬままに告げた。

「知っている? 吸血鬼は、吸血した後にその人の記憶を消すんだよ。自分たちの存在を広めないためなのはもちろん、追いかけられても大変だからさ」

 総じて類まれなる美貌を持ち、そして吸血行為は強烈な快感を生むともなれば、吸血鬼といえども関係なく言い寄る者もいることだろう。

「またその人から欲しくなれば、一から近づけばいい。別にまどろっこしい駆け引きをしなくても、強引に血を吸って記憶を消してしまえば問題ないしね。手間もなく欲しいときに欲しいだけ血を得るのは容易なことだ。でも、抵抗をされても罵倒されても、洸にはそれをしなかった。その理由がわかる?」

 あやすような、言い聞かせるような声音での問いかけに、洸は鼻を鳴らした。

「からかって楽しんでいただけだろう。おれがムキになって反応するから」
「んー……」

 図星を突いたつもりが、ヴァジアードは指先で頬を掻きながら、苦笑するよう曖昧に笑った。

「きみは獣の勘が働くこともあるのに、案外鈍いよねえ」

 馬鹿にされているかと思い、ヴァジアードを睨む。
 しかし彼は平然と続けた。

「人狼の一族は、生涯にただ一人のつがいを見つけるという。これまでの反応を見る限り、洸のつがいはぼくだと思うんだけれども、違うかな?」

 やはり彼は、なんとなく察していたのだ。そして人狼たちの間で語り継がれる運命のつがいのことも、洸がヴァジアードにその運命を感じていることも知っていたようだ。
 なんとなく気づいているだろうとは思っていた。しかし、実際本人の口から出されて事実を確定されるのはまた違う。
 触れられたくなかった確信に迫ったヴァジアードに、洸は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
 違う、と否定すればいい。洸の本能と気持ちで決めるものであって、ヴァジアードがつがいであるという証拠はどこにもないのだから。思い過ごしだと笑ってやればいい。しかし、それすらできないほどに頭が真っ白で、なんの言葉も浮かばない。
 真実に触れられ言葉を失うその姿は自ら証拠を差し出しているようなもので、ヴァジアードは問いに対する肯定と捉えた。

「やっぱりね。でも、それならなおさらわからない。なんでつがいの傍から離れようとする? きみら人狼にとって、見つけたつがいは死に分かたれるまで、生涯支え合って生きるというじゃないか。それなら洸はもっとぼくに甘えてもいいし、それができなくても、逃げようとするなんて」

 これまでヴァジアードは世界各国を巡り歩き、様々な人ならざる者たちと出会ってきたのだという話を聞いたことがある。洸と同じ人狼に会った、という話は聞いたことがなかったが、ここまで人狼とつがいの関係に詳しいということはそれを教えた人狼がいたのだろう。
 それも、運命のつがいに巡り会えた愛を知る者に。それでなければこんなにも確信を持って、つがいから逃げ出そうとしている洸を疑問に思うわけがない。
 ――何故、逃げようとするかって?
 そんなの単純だ。

「あんたは信用できない」
「なにが信用できない?」

 拒絶を露わにするかたい声音に、すべてを招き入れるようなヴァジアードの言葉が触れてくる。
 言っていいのだろうか。伝えてしまえば、女々しく弱い自分をすべて曝け出しそうで恐ろしい。
 けれどもこのまま素直に道を空けてくれるとも思えず、洸は迷いながらも心の奥で燻る想いをそうっと吐き出した。

「だって……だって、おれにはあんただけでも、あんたにはおれだけじゃない。おれは人狼だけど、あんたは吸血鬼だ」
「種族が違う、それだけ?」
「――他のやつの血を吸うことを、食事だって割り切れない。吸血鬼なんだから、どうせ他人の血を吸うだろう。自由気ままに生きているあんたを縛りつける」

 洸の血を吸った後、ヴァジアードは別の人の血を吸っていた。それを知ったのは二度目の再会のときだ。彼の吐息から他人の血の匂いがした。満月の日で獣の気が高まっているとき、嗅覚も狼のものにより近づくので気がついてしまった。
 そのときだってひどく憤ったのだ。洸の血をあれだけ吸っておきながら、他の者の血を吸い、その挙句に再び姿を現した。誰でもいいのにまた自分のもとにやってきた彼に、他の者の匂いを纏う彼に、無性に苛立った。
 その後もヴァジアードは他人の血を吸った残り香を纏っていることがあった。その度に香るのは別人のもので、同じ人物の匂いがしたことはなかった。

「ああ、気づいていたんだ……でもあれは、確認のためだったんだよ」
「確認?」
「一度吸った洸の血の味が忘れられなくて、月が肥えていくほどにきみを思い出した。だがそれは単に飢えていて、たまたま飲んだ洸の血が美味であったから忘れられないのかと思った。だから他の美味しそうな者から血をもらい、確かめてみた。けれどそれでもきみを忘れることはなかった。だから二度でも三度でも会いに行った。きみに嵌まってしまったんだよ。それをもう認めたから、最近は浮気をしていなかっただろう?」

 確かに、初めの頃はよく感じていた他人の気配を、近頃は感じることはなかった。

「けど、匂いを消す方法だって探そうと思えばあるだろ。おれの鼻だって、普段は他より嗅覚が鋭い程度だし、誤魔化せる」
「はは……本当に信用されていないなあ」

 笑い声にはやや元気がないが、それでも落ち込んでいるようにはあまり見えない。そういうところが信用ならないというのだ。
 それに――そうであったとか、今はしていないとか。確認だとか、そんなことはもうどうでもいい。
 以前は、無節操な男だが、吸血鬼は皆こんなものなのだろうと思うことにしていた。しかし彼が運命のつがいであると気がつき、他人事にはできなくなった。感じていた憤りは先に気がついていた本能が嫉妬していたのだ。そして今度は自覚のある、心の嫉妬がこの身を焦がした。
 洸がヴァジアードを嫌って抵抗しても、本能が気づいていたように、運命というものから逃れられずに引き寄せられてしまった。しかしヴァジアードはそうではない。
 吸血鬼である彼に、運命のつがいなどない。だから他人の血を吸った後でも平気で洸のもとを訪れるし、血だって吸っていく。他人に突き立てたその牙で肌を裂き、他人に触れたその唇で優しく愛撫する。
 血を吸い興奮して、そして洸のように誰かを抱いたのだろうか。そう考えただけで、苦しくて、そんなことができてしまう彼に理不尽な怒りを覚えてしまう。自分のもとに来るくせに、どうして他に触れるのか、と。
 たとえ今はしなくても、いつかはするだろう。今は跳ねっ返りの洸を面白がっているだけ。もしかしたらこのまま自分だけを見てくれるかもしれないと淡い期待をしようとしたこともあったが、それ以上にいつ飽きられてしまうかわからない不安を思うと、それだけで疲れてしまった。
 だから離れることを心に決めたのだ。
 吸血という彼にとって当然の行為を、恋人でもなんでもない洸が制限する理由などなく、だからと言ってそれを黙認できるほど器量は大きくない。ただ一人と思うつがいに、自分がそうであるように相手にもそう思ってもらいたい。同じ人狼ならそれも望めたが、しかしどうしたってヴァジアードは吸血鬼だ。
 どんなに心が惹かれていっても、きっと離れても忘れることができないだろうと思えても、それでも。触れられるすぐ傍にいて、ままならない想いに苦しむよりはずっといい。

「もしかして、ぼくがきみに飽きると、そう思っている? 吸血鬼はつがいというものを持たないから、人狼のように運命を感じないから?」
「……」
「確かにぼくたち吸血鬼につがいという概念はないよ。伴侶というものはあるけれど、意見が合わなければ別れることもあるし、絶対的な関係とは言えない。でも、洸のことはきっとずっと好きでいられる。そんな自信がある」
「なんでそんなことがわかるんだよ」
「世界の創世より生きている者の経験、かな」
「そう、せい――」

 世界の創世より生きている――さらりと告げられた事実は衝撃的で、一瞬理解が遅れた。
 洸たち人ならざる者、人との混じり者たちは人間より長寿であることが多く、人狼は平均的に百三十才ほどまで生きるが、中には千年を超える者もいるという。
 しかし、ヴァジアードが語るそれは桁が違い過ぎる。とても冗談を言っているようには見えないし、事実なのだろうが、それでもやはり信じがたいほどの数字に眩暈がする。
 単なる自信など根拠がないと一蹴できるが、途方もない歳月に培われた感覚を切り捨てることができなかった。

「少なくともきみが生きているうちはきみ一筋でいられるよ。人間と違ってきみより早く死ぬことはないし、それどころか、いつかきみはぼくを置いて先にいなくなるだろう」

 ふと寂しげに笑ったヴァジアードに、洸は目を奪われる。
 これまで内に秘めるしなやかな芯があり、決して折れぬ強さを感じさせていた男が、とても儚げに見えたからだ。

「ぼくが浅い付き合いをしていることは否定しないよ。だって怖いんだ、親しくなるのが。いつかきみたちはぼくを置いて先に逝く。どんなに可愛がっても、愛しても、大切にしても、それだけは絶対に変わることはなかった」

 ふと遠くを見るように、懐かしむように記憶を眺めるヴァジアードは、どれだけの出会いと別れを繰り返してきたのだろうか。洸が経験してきたものでは、きっと足元にも及ばないのだろう。

「長生きをしていたとしても、別れを繰り返しても、慣れることってないよ。きっとこれからもそう――それでも、きみに傍にいてほしいと思ったんだ。逃げ出そうとするのを追いかけるくらいには執着しているし、一途に向けられるきみの愛を堂々と受け入れたいし、ぼくもそれを返したいと思う。それだけ洸のことが好きだからね」

 これまで一度たりとも、洸をどう思っているか断言することのなかった男は、なんの気概もなくさらりと告げた。

「そりゃ今までふらふらしていたけれど、特定の相手がいなければそんなものだろう? でもぼくだけの相手がいるのなら浮気なんてしない。信用してよ。一度こうと決めれば、そのままだから」

 かさついた喉で、それでも信用できない、と告げようとした洸に、それを見越したヴァジアードが言葉を重ねる。

「ぼくは一度好きになったものを自分から嫌ったことはないんだ。だから、洸がぼくを嫌いにならない限り大丈夫だよ。ううん――洸が嫌いになっても、ぼくはきみを好きでいる。信用ができないというのなら、できるまで傍にいて。それかせめて、ぼくのことが心底嫌になって、きみが心から望んで離れたいと願ってからにしてくれ。でないと納得できそうにない」

 人狼は、ただ一人の運命のつがいを生涯傍におく――それはつまり、嫌いになるということはないということ。そしてそれを知るはずのヴァジアードが、洸が求める限り傍にいてほしいと願うのは、二人が離れることはないと言外に伝えているようなもので。
 ずるい男だ。彼を心底嫌うだなんてできそうにない。今までだって、強引にされたってヴァジアードを嫌いにはなれなかったのだから。それでも離れるとしても、納得できるほどの理由を提示できそうにもない。
 離れたいと思う理由は、自分に自信がなかったから。彼を信じきるという覚悟ができなかったから。傷ついてもいいなどと言えなかったから。離れられるのが恐ろしかったから。
 ヴァジアードが、最後に自分が傷つくことになっても、それでも洸を傍に置きたいと願ってくれた。洸がこれから抱えることになる憂いは決して消えることはないだろうが、彼も持つ憂いと天秤に賭けたら、案外つり合いが取れるのかもしれない。
 そんなことを考える自分は酷なのだろうが、それでも、心に纏わりついた黒く重たげな靄が少しだけ軽くなる。

「……人狼は執念深いんだぞ。浮気は絶対に許さないし、おれがいる間は他の人の血を吸うのだってもう認められないからな」
「しないよ。きみの血ばかりを飲み続けていたら、他では満足できなくなった。言っておくけれど、きみの血は特別美味しいといわけではないんだ。それどころか、ちょっと癖があるほうでさ。でもだからこそ、代わりはいない。今では少々獣臭い血でなければ満足できないんだ」

 癖のある血に嵌まってしまうのは大変だと思い知らされた、他の人のものは淡白なわりに甘すぎる、などと語られても、血を飲まない洸には理解のできない話だ。
 不可解だというのが表情に出ていたのだろうか、洸は吸血しないものねえ、とヴァジアードはのほほんと笑う。

「二度目は絶対にないからな。匂いでわかるから」
「しないって。きみ一人で十分満足だ。言葉が不安なら、お腹がいっぱいで動きたくないくらい洸をちょうだい」
「死なない程度に、血だけなら」
「えー……それだけじゃ満足感が、ねえ」

 ヴァジアードが洸を丸ごと要求しているのはわかったが、そこで素直に頷けるほどまだあの行為に慣れていないし、強い羞恥も残っている。
 今だって互いに明言を避けたのに、洸の耳は真っ赤に染まった。
 そこにちゅっとわざと音を立ててキスをしたヴァジアードは、耳を押さえて後ずさった洸を笑いながら、手放された荷物に手をかける。

「とりあえず、この荷物はぼくの家に運ぼうか。家は解約したんだろう。ならこのままおいで」

 普段は荷物の詰まったスーツケースなどダンベル代わりにできるほどの怪力だが、新月の影響で筋力も落ちているせいで、重たい、と文句を呟く。

「……おれの返事は聞かなくていいのかよ」

 決定事項のように荷物を奪われてしまったが、洸はまだ自身の想いを完全には打ち明けてはいない。
 すでに知られていたが、聞くほどでもないほどわかりやすかったのだろうか。
 もしかしたらこれまで悩んでいた姿を見て楽しまれていたのではないだろうかとまで考えて、勝手に機嫌を悪くしようとしているのに気がついたのか、やはりそんな様子も面白がっているのか。
 ヴァジアードは実に愉快そうに目を細めた。

「きみ、狼の姿になったらぼくのこと押し倒して顔中舐めまわすの知っていた?」
「――え」
「初めは警戒して唸っていたんだけれどね、ぼくの匂いを嗅いだらすぐにそれもやめて、こっちを気にしながら家で楽しそうに暴れ始めたんだよ。それでも近づいてこなかったけれども、だんだん距離を縮めていってさ。最近ではずっと傍を離れないし、毛並みを整えようとして髪の毛を舐めてくれるし。きみはわかりやすくてとても嬉しいよ。そんなに全身で好き好きされると、当然悪い気はしないだろう。そうやって可愛がっているうちにすっかりほだされちゃったよ」

 わかりやすいどころか、もうしっかりと行動してしまっていたらしい。それにグルーミングもしていたというし、狼である自分は素直で、とっくにヴァジアードをつがいとして扱っていたようだ。
 こんなとき、いかに人間の思考というものが面倒であるかを思い知らされる。だからこそ身の置き場に困らされるし、もうひとつの姿というものに人生を振り回されているが、それでも自由で素直に生きる狼の自分をとても羨ましくも思うのだ。
 青くなればいいのか赤くなればいいのかわからず、なんとも言えない顔の洸を眺めてヴァジアードは言った。

「今度、満月で興奮したきみを抱くのも面白いかもね」
「……そんな趣味があったのか」

 洸は普段人であるし、狼になると意識も理性もなくなるせいか、狼である自分と人間である自分は別物のように思っている。そのため、そこらを歩いている犬や猫に発情することはないので、獣姦発言をかましたヴァジアードに若干引いてしまうが、当人はさして気にする様子はない。

「だってあの姿もきみだもの」

 どんな姿であっても、洸であれば受け入れられるなどと、どうやら思っている以上にヴァジアードの愛というものは深いのかもしれない。もしくは、もともとそういう意味で獣好きであったか。
 どうしてもそんな捻くれた考えをしてしまい、素直に嬉しいと顔には出せず反対に複雑そうにしてしまう洸を見抜くヴァジアードはほくそ笑む。

「こっち見て、構ってって、きゅんきゅん鳴いて甘えてくるのは本当に可愛いんだよ。そんなに全身全力で好きだと訴えられたら、離れがたくなるのも当然だろう? もちろん、素直になりきれない普段のつんつんしているところも可愛いけれどね」

 立て続けに淀みなく語られる自分の本性とヴァジアードの想いに、捻くれる余裕すらなくただただ押し黙って顔を赤くするしかない。
 ヴァジアードの視線から逃れて俯く洸の顎が取られて、上を向かせられる。その先にあるヴァジアードの琥珀色の瞳に吸い寄せられた。

「――もちろん、洸の口から聞きたい言葉は沢山あるよ。でもきみが素直でないのも知っている。だから、家に帰ったら言わせてあげるよ」

 ぼくから逃げ出そうとしたお仕置き、ってのもやっておこうかな、なんて呟かれて、そっと逃げだそうとする洸に、先手を打ったヴァジアードが腰を引き寄せ密着する。

「今日は新月だから吸血はできないけれど、なくったって気持ちのいいことはできるからね。力を使ったいかさまなんてしなくても、ぼくの実力でとろとろにさせてあげるから」

 腰を撫でられ、顎に添えられた指が優しく唇をなぞった。
 やっぱり逃げ出したいような気持もするが、目の前で幸せそうに触れてくるヴァジアードを見ていると、一度くらいは我慢すべきだろう、と思えてくる。どうせ今を逃れたとしても、力が戻ればすぐにでも捕まってしまうだろうし、そうなれば今度こそ抵抗など意味を成さなくなる。
 きっと、結局は逃げ出せばよかっただろうと後悔することにはなるのだろうけれども。
 それでも今は、どうしようもなくこの男に触れたい。触って、熱を感じて、彼が放つあの匂いを嗅いで、少しだけ甘えて――もうおれのものなのだと、自分の匂いもつけてやりたい。
 ささやかな悪戯する指先に甘く齧りつき、洸は自らヴァジアードに手を伸ばした。

 おしまい 

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2017.3.5