16

 

 口を離すと、溢れた薬湯で濡れた口もとを拭いながら直人は真っ直ぐにガルディアスを睨みつける。

「なにすんだよっ……!」
「薬湯をのませてやっただけだ。このまま水分すらろくにとらず死ぬ気か? セオリが悲しむぞ」

 人は食わなければ飢えて死ぬが、水さえ飲まなくては先に干からびて死んでしまう。強引に食わせても戻してしまうなら、せめて水分だけでもとらせなければならないだろう。たとえそれが力ずくになろうとも、ただ衰弱していくよりよほどいいーーたとえ生かすためにとった行動で恨まれようとも。
 一瞬にして怒りに燃え上がった瞳。しかしすぐにそれを大きく見開かせて、直人は信じられないものを見るようにガルディアスに目を向ける。ガルディアスもまた、小さく開いたままになる直人の口元に注目した。

「おまえ、今……」
「あんたの言葉が……」

 声を発したのはほぼ同時だった。互いの言葉を重ね合わせて、再び驚きに目を瞠る。

「わたしの言葉がわかるのか?」
「わ、わかる、けど……なんで、いきなり……」

 これまで直人の口から出るのはいつだって誰も聞いたことがない言語だった。しかし今、動揺で震えてはいるが直人の口から返された言葉の意味がはっきりと理解できて、それは彼も同じらしくひどく戸惑っている。

「ロウェル! おまえもわかるか?」
「はい。ナオトの言葉が、確かに今しっかりと理解できました」

 ロウェルもまた、この急な事態に困惑しているようだ。
 ガルディアスも何故これまでまったく通じずにいた相手の言葉が突然理解できるようになり、こちらのものも伝わるようになったのか、脈絡もない事態に混乱した。
 直人も同じく理解が追いつかないのか呆然と二人の会話を聞いていたが、ガルディアスがロウェルから直人へ顔を戻すと、我に返ったように腕の中から逃げようとした。
 咄嗟に腰に回していた力を強めて引き留める。
 疑問は強く渦巻いているが、今は答えが出ない謎よりも大事なものがある。
 今のこの瞬間を逃してはならない。そんな直感を覚えたからだ。
 疑問は身のうちに強く渦巻いているが、なんの奇跡か言葉が通じるようになったのならば伝えなければならないことがある。
 だからガルディアスは、暴れる直人を自らの身体を使って拘束した。ただし押さえる腰が痛くならないように、けれども逃げられないように慎重に全身に力を入れて。

「放せよっ」

 力任せに暴れる直人を完全に押さえつけるのは容易なことだ。腕力はガルディアスのほうが強いし、どこを押さえれば行動を封じられるか心得ている。
 だが、今はあえてそれをせず直人の好きにさせた。
 振れた手の甲が顎を殴った。直人は一瞬びくりと動きを止めてガルディアスに見開いた目を向けたが、黙って自分を見下ろす瞳に激情が灯らないことを悟ると、視線から逃れるよう顎を突っぱねる。首筋に爪が掠り肌に赤い筋を作った。髪を引っ張られて、胸を殴るように押されて、足を踏みつけられて。つま先に蹴り上げられた脛の痛みにはわずかに顔をゆがませたが、それでもガルディアスは抱きしめる以外の拘束はしない。
 傍らに控えるロウェルが直人を止める指示を求め今にも飛び掛かりそうにしていたが、それを目線だけで制してただ好きにさせてやる。

「ああ、暴れろ暴れろ」

 ガルディアスからすれば今の直人の抵抗など、ただ少しばかり身体の大きな子供が駄々をこねている程度のものだ。殴られた頬の痛みは腫れるほどでないし、一日もあれば消えてしまう傷はささやかすぎるくらいで、子猫に引っかかれた時にできた傷のほうがよほど鋭利で痛かった。
 自分が暴れたところでガルディアスにはなんの影響もないと直人もわかっているはずだ。それは力では敵わないということだけではない。直人が意図的か、はたまた無意識かはわからないが本気で抵抗をしているわけではないからだ。
 本当に逃げ出したければ自分の骨に響くほど強く殴ればいい。無抵抗に晒された喉に食らいつけばいい。これだけ密着しているのだ、目を潰すでも、急所を狙うでもやりようはいくらでもある。だが直人は唯一の拘束であるガルディアスの腕を力づくで剥がそうとしても、爪さえ立てようとしないのだ。
 それは直人の持つ優しさなのだろう。そして弱さでもある。意にそぐわない状態を強いられ、逃げ出したいのに相手を傷つけることができない。自分の望みを押し通すだけの気概がない。
 それでも無意味な抵抗を続けるのは、彼の心を抉る傷の痛み。その生々しい傷跡から血が噴き出るように、拒絶を叫び、怯えているのだ。自分を傷つけようとする者を、理解のできぬ相手を。
 そして求めている。孤独なこの場所で、信じてもいい、縋ってもいい相手を。

「好きなだけ抵抗すればいい。だがな、おまえがどれだけ暴れようが、おれはおまえを傷つけない」

 抵抗する直人の力が緩まった。その瞳を動揺に揺らしながらも、信じるものかとガルディアスを睨みつけた。

「だ、だったら放せよ!」
「おれはおまえと話がしたい。だからそのためにまず落ち着け。そしたら望み通りにしてやる」
「なに、言って……」
「おまえを傷つけることなどしない」

 不意に、直人が言葉を詰まらせ首元を押さえる。手の下で喉がひゅっと苦しげな音を立て、苦しげに呻いた。

「い、息……っ」

 浅い呼吸を繰り返し顔を青くしていく様子に、過呼吸を起こしていることに気がついた。本人はその意識がないのか混乱を深めてさらに呼吸が乱れていく。
 喉を押さえる手を取り、ガルディアスは直人に顔を寄せた。

「ゆっくりと深呼吸をするんだ。おれの呼吸に合わせてみろ」

 彼の耳元で大きく息を吸い、ゆっくり吐き出す。初めはガルディアスの言葉が届いていないようだったが、腹に手を添えて、ここに空気を溜めるんだ、と語りかけてやるうちに呼吸を合わせるようになった。
 何度か深呼吸を繰り返し、一人でも落ち着いて呼吸ができるようになったところでガルディアスはそっと耳元で告げた。

「――いいか、おれにおまえを傷つける意思はない。理解できたか?」

 言葉はなかったが、間を置いて小さな頷きが応えた。
 寄り添っていた身体は起こしたが、繋げた手はそのままにする。直人はもう放せとは言わなかったし、暴れることもなく、ただ疲れたように力なく項垂れるだけだった。だが虚勢の消えた瞳は虚ろとなってまだ直人の信頼を得られていない事実をガルディアスに知らしめる。
 まだ固く閉ざされた心に寄り添うために、慎重に言葉を選んでいく。

「問題は山のようにあるが――ひとつずつ処理をしていこう。まず言葉だが、何故突然通じるようになったのか。とても気になるところではあるがおれは答えを持っていない。おまえもわからないのだろう?」

 無理矢理口移しをした直後、これまでまったく理解できなかったはずの互いの言葉がわかるようになった。それはガルディアスと直人の間だけのものでなく、傍に控えていたロウェルもまた直人の言葉を理解できるようだ。それならば直人自身に変化があったと考えるべきだが、本人が一番驚いた顔をしていた。つまり直人としても想定外のことであったのだろう。
 ガルディアスの予想通り、直人は神妙な面持ちで頷く。そんなことは自分が一番知りたい、とでも言いたそうだが、先んじてガルディアスたちも状況がわからないことを伝えたためか唇を引き結んでいる。

「少なくとも、今は齟齬なく会話がなりたっているようだな。それだけでも大きな前進だ。――まず、改めて名を聞くところかいくか」
「……直人。守屋、直人」

 ”モリヤナオト”。それが彼の正式な名なのだ。どうにか聞き出していた名だと思っていたものに間違いはなかったらしい。

「では次に――」
「あんたは? ……名前、おれだけに名乗らせるのはおかしいだろ」

 聞き返した直人だが、ガルディアスから目をそらしぼそぼそと呟くように言った。まだ気力は戻ってきていないようだが、少しは調子が出てきたらしいことにガルディアスはふっと口の端を持ち上げる。

「ガルディアスだ。ガルディアス・オルロス・ム・ロノデキア。これまでのように、ガルとでも呼べばいい」
「ガル……」

 ちらりと向けられた黒い瞳がガルディアスの反応を窺う。浅く頷けば、安堵したように陰っていた瞳にわずかに光が戻った気がした。
 一方の背後ではロウェルがいやいやそれは、と反応しかけて呆れている気配がするが、今は立場など二の次だ。

「おまえの出自についても知りたいものだが、まずそれよりも。つらいことを思い出させるが、大事なことだ。いいか?」

 何を聞き出そうとしているのか察したのか、顔が強張るものの、小さく頷く様子に怯えはあっても混乱は見えない。
 ガルディアスが深呼吸をすると、それに気づいたか、それとも無意識か、直人も真似をするように合わせて大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出していく。
 直人が落ち着いたのを見計らい、ガルディアスはあの惨状を脳裏に描きながら問いかけた。

「あの時、おまえの身に何があった? あの場にあれほどの強力な呪いが渦巻いていた理由がわかるか?」
「呪い……?」
「呪術のことだ。わからないか?」

 初めて聞く言葉だと言いたげに目を瞬かせた直人は首を振った。
 一昔前ならば、呪術の存在はある程度権力と地位がある者の中では常識であるが、一般的に広まっているものではなかった。しかし王族から赤月の民の血を引くガルディアスが生まれたことにより呪いというものが誤った知識とともに知れ渡るようになり、詳しいことはわからないけれども恐ろしいものであるとは知っている、という曖昧な認識で広く浸透していた。王族に赤髪が生まれたというのは当時世界中に衝撃を与えたというが、それでも全土の人間に知れ渡っているわけではない。余程田舎から来ているのではないかと推測されている直人が呪術を知らなくても不自然はなかった。
 しかし呪術を知らないとなると、あの強力な呪いは直人が作ったわけではないのだろうか。そもそも直人は呪術を唯一扱える赤月の民でもないのだから。だがガルディアスが首に下げているような呪術を帯びた道具を使用したとも考えられる。直人に心当たりがないとするならば、彼の身に危険が訪れた時に自動的に発動するものであるならば、知識がなくとも扱える。
 推測はいくらでも立つ。それを絞り込むためにも、まずは状況を整理が必要だ。

「なら、あの時おまえの身に起こったことを順に話してくれて」
「……あの、時は……セオリたちがおれをどこかに連れて行こうとしてくれて、コウェロってやつが先導になって歩き始めて……」

 小さい声ながらも、ぽつりぽつりと直人は話し始めた。
 進んでいった先で突如闖入者が現れたことにより、タギとセオリが直人を庇った。その二人を攻撃したのは味方であるはずのコウェロで、彼は倒れた二人を置いて直人を連れ出したのだ。
 隠れていたもう一人の男に袋を被されて拘束された。その際に抵抗をして、足を刺されたのだという。直人を担ぎどこかに運んでいる途中で三人は仲間割れを起こしたのか、コウェロは殺され、そして直人は残る二人に服を剥かれた。
 そして足を開かされて。

「す、すごく、いたくて……こ、こわく、て……急に目の前が真っ赤になって……気がついたら、ここにいたんだ」

 身体を震わしながら明かされた事実は、ガルディアスの予想の範疇であった。しかし肝心なところが解明されずに残る。
 直人が気を失う直前までは、少なくとも二人は生きていたということだ。しかし直人の身体に残った凌辱の後を見るとじっくりと楽しんだ様子は見られなかった。つまりは直人が気を失った直後にあの二人の身に何かが起こり、彼らは散り散りに裂かれたということ。
 これでは苦々しい思い出を開かせてまで話を聞いただけで、ただ傷口を抉っただけにしかならない。それでは勇気を振り絞り語ってくれた直人に報いることはできない。

「他になにか気づいたことはあったか? 違和感でも、些細なことでもいい。教えてくれ」

 背中をさすり宥めてやると、直人は自ら深呼吸をする。震えが止まるまで呼吸を繰り返した直人は一度考えるように俯いたが、迷いながら口を開いた。

「……その、襲ってきた二人の男が、一度だけ止まったんだ。それまで薬でもやってんのかってくらい不気味な感じだったのに、まともに戻ったみたいに。ぶつぶつ呟いていて怖い感じだったけど、まるで夢から醒めたみたいだった。それから、急に二人して頭を抱えて……そのとき、そいつらの頭の上に赤い靄が見えた」
「赤い靄?」
「それまではなかったと思う。よく、覚えてはないんだけど……それでその赤い靄が見えたと思ったら、二人が苦しみ出して……靄がふわっと広がって、一度頭をすっぽりと覆ってさ。それが消えると、やつら目の色変えて、またおれを――」

 口を噤んだ直人はそれ以上語ろうとはしなかった。だが十分だ。
 ひとつの収穫を得たガルディアスは、再びか細く震える肩を抱く代わりに、直人の手を握る力を強めた。

「……つらい思いをさせたな。すまなかった」

 否定も肯定もせず、ただ俯く。それは彼の中でまだ身に起こった事実を受け入れることも認めることもできない苦悩の表れだ。しかし取り乱す様子がないのは、必死に現実を受け止めようとしているから。
 溢れ出しそうになる感情を胸の中に押し込めるよう、そっと宥めてやるように息をついた直人は、ようやく顔を上げてガルディアスを見た。

「な、なあ……もういいだろ。もう十分だろ? おれを家に帰してくれよ。日本はここからどれくらいだ? 移動費はすぐには返せないかもしれないけど、ちゃんと返済するから。こっちの負担でいいから、だからすぐに帰してくれよ」

 努めて冷静に進めようとしたはずだろう直人の言葉は次第に早口になっていく。
 ガルディアスに救いを乞うような縋る瞳に、けれどもすぐに応えてやることができずに片眉が上がった。

「ニホン……? それがおまえの故郷か?」

 まったく聞き覚えのない名は、口に出してみてもしっくりとこない。ちらりとロウェルに視線を投げてみるが、彼も覚えがないらしく首を振った。
 二人の反応に急いた直人は、故郷の隣国の名だろうか、次々に国名らしい言葉を上げていくが、そのどれもが初めて聞く名ばかりだ。
 さらに続けようとする直人を止めて、ガルディアスが説明をする。

「ここは中央大陸東にあるロノデキア国だ。北にはタルル国、その先に帝国スノウテイル。西はミルティアナ国とサイディン国があり、東と南は海に面している。わかるか? 以前にセオリが地図を見せたはずだが」
「ロノデキア国……」

 並べられた国名すべてを聞いても、直人はどこかぼんやりとしていた。世界最大の帝国にも反応を示す様子はなかった。

「何故おまえは空から落ちてきた? ニホンとはどのあたりにある?」
「……わからない。穴から落ちて、気づいたらあんたの上に落っこちてたんだ。なんで空に出たのかおれのほうこそ聞きたいよ。なんでおれを軟禁するんだよ」
「それはおまえが代身たる資格があったからだ」
「かえみ……?」

 呪術よりも普及していない代身のことを直人は知らないのだろう。
 一から説明するには時間がかかるし、どこまでガルディアスから話していいか判断しかねた。ガルディアスはあの呪いの嵐は直人が起こしたものでないと判断したが、ゼルディアスや暁月の君たちの意見も聞く必要があるだろう。
 直人が暗殺者である可能性はないとも思っているが、独断ですべてを進めるわけにはいかない。だがすべてを語らないままであるのもこれまで不自由を強いられてきた直人に対して不誠実だろう。

「おまえにとっては不本意だっただろう。しかし、おれにはおまえを保護する必要があった。説明ができないから閉じ込める形になってしまったのはすまないと思っているが、消えられると困る事情があったんだ」
「その事情って?」
「……そこまではまだ言えない」
「――おれがあんたらを信用できないように、あんたらも空から落っこちてきたおれのことなんて信用できないよな」
「だが、言葉が交わせるのならこれから互いを知っていけるだろう」

 直人は同意しなかった。ただ無言で半歩分ガルディアスから距離を空ける。
 それまで密着していた身体が離れていき、二人の間に空いた隙間に冷えた空気が入り込む。
 未だ繋いでいる直人の手からはすっかり力が抜けていた。ガルディアスが手放せば、直人の腕はそのままだらりと垂れるだけだろう。その力のなさを隠すことなく、直人は小さく、長く息を吐いた。

「なんか……色々ありすぎて。ちょっと、一人で考えさせてくれないか」
「そうだな。こちらにも情報を整理する時間が必要だ。何故急に言葉が通じるようになったのかわからないが、話せるのなら少しは前進するだろう」
「あ……」
「どうした?」

 励ますためにも前向きに話を締めくくろうとしたガルディアスに、直人は再び瞳を陰らせる。
 俯きがちになる顔を覗き込めば、躊躇いがちにその不安を呟いた。

「また、通じなくなったりするのかなって……」

 急に互いの言語が統一された理由がわからない以上、また理解ができなくなることも十分にあり得るだろう。
 直人からすれば周りすべての言葉がわからない事態に再び晒される不安を抱くのも無理はないことだ。

「おまえの故郷はわかったんだ。もしまた言葉が通じなくなったとしても、わかるやつを見つけて連れてきてやる」
「……わかればいいけどな」

 これまでは場所の特定すらもできなかったのが、名前がわかっただけでも十分場所の特定は可能だろう。ガルディアスはニホンを知らないが、学者たちなら調べがつくはずだ。
 出会ってからそれなりに時間は経っているが、互いにずっとにらみ合ったまま足を止めてしまっていた。だがようやくここから、ガルディアスの直人はともに一歩を踏み出せる。
 少しは開けたように思える未来に期待するガルディアスであるが、しかし直人の顔は晴れない。思い詰めたように考え込み、眉間に皺を寄せていた。
 それがあまりにも苦しげで、寂しそうで、なにより悲しげで。
 気づけばガルディアスは直人の頭に手を回し、胸に引き寄せていた。
 抵抗もなくすっぽりと収まった直人の顔を胸に押し付けながら、握ったままの手に力を込める。

「――我々はおまえを歓迎する。だからもう、安心していい」
「…………っ!」

 直人はガルディアスに縋りつくことはなかった。繋がった手をただ強く握りしめ、堪えようとした。それでもこぼれ出す涙がやがてガルディアスの胸を濡らし、静かな部屋に苦しそうな嗚咽が小さく響く。
 いっそ声を上げて泣き叫べば楽になれるだろうに、ガルディアスの胸に顔を押しつけながらもまるで一人ぼっちでいるように直人は歯を食いしばり涙する。
 ――謎はまだなにも解決していない。
 何故、直人は空から落ちてきたのか。ニホンとはどこにある国なのか。
 直人が襲われた場に残された呪いは誰の手によるものか。直人が見たという赤い靄とは一体なんなのか。
 どうして言葉が通じるようになったのか。
 ただひとつ確かになったのは、この少年があまりにも無垢で穢れを知らない、守られるべき者であるということだけだ。

(おれはこれを……ナオを大事にしなければならない)

 未だよく知らない相手だとか、代身になりえた資格を持つ者であるからとか、そんなことはどうでもいい。
 自分の胸で声を殺して泣くこの無力な男を、彼を慈しみたいという想いが胸の奥底から滲み出てくるのだ。
 謎はまだなにも解決していない。 考えなければいけないことも、調べが必要なことも山のように積み上がっている。直人に対する警戒も完全に解くわけにもいかない。
 頭を悩ませる現状が続くとわかってはいるが、それでも彼が泣ける場所がここにあることにガルディアスは安堵した。

 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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