ずーっと、いっしょ

百万打御礼企画のアンケートで、りゅう視点のほのぼの



 目の前に並んだ甘い匂いを放つ焼き菓子たちに、りゅうはきらきらとその金色の目を輝かした。思わずひくひくと鼻が動くと、それを見ていた周りの大人たちが笑みをこぼし合う。
 じっと菓子を見つめ、けれど手を出さず耐えるまだ幼い少年に特徴的な間延びする声がかけられた。

「たあんと食えよう。おまえたちが来てくれるってえからいっぱあい用意したんでえ」
「いいの?」
「おうともよ」

 もうすぐ五歳を迎えるりゅうだが、すでに遠慮というものを覚えてしまっている。そのために差し出されたものでも相手がいいよ、というまで決して手はださないのだ。
 それをよく知るネルは、山のように盛られた焼き菓子を皿ごとりゅうの手の届く場所へと机の上で滑らせる。その時豊かに伸びた黒髪が肩から落ちた。
 りゅうは小さな手を伸ばして、自分の掌ほどに薄く伸ばされたものをひとつとる。それを両脇に腰かける両親と、手前にいるネルに見守られながら、もう我慢できないと齧りついた。

「いただきますっ」

 さくっと軽い音がたち、口に程よい甘みと木の実の香りが広がる。たちまち幸せそうな笑みを浮かべたりゅうに、それぞれ大人たちは頬を緩めた。

「おいしい!」
「そおかあ、そりゃあよかったでえ。まだまだあっから遠慮せず食えよう。ほうら、真司も食った食った」
「ありがと、ネル。いただくな」

 もうひとつと手に取ったりゅうの隣から真司も山へと手を伸ばし、ひとつを摘まみ口に放りこむ。それをりゅうとそっくりな顔で満足げに味わった。

「さすがネル、やっぱりおいしいな」

 そう言いながら真司は淹れてもらった香茶を口に含む。その間にもりゅうはもうひとつ食べて、さらに手を伸ばす。けれどその小さな手が動くよりもさらに俊敏にお菓子を減らしていく手があった。真司の反対側に座る岳里だ。
 りゅうが生まれる以前なら、ネルが真司の分も残しておけとよく叱ったものだが、今ではりゅうが遠慮せず食べれるようにと渋々岳里の食べる勢いを許すようになっていた。
 竜人は総じて大食いであり、それはまだ子どもであるりゅうも同じだ。けれど性分なのか、岳里も十五も食べだせば遠慮などしないのに、りゅうは周りの顔色を窺っては食べる手を止めてしまう。そこで岳里たちに食べすぎるなと注意してしまえばなおさらのことだ。だからどれだけ食べられようが何も言わないのだ。
 まだそこまでは大人たちの気遣いを知らないりゅうは、隣の岳里に倣い好きなように食べていく。竜人が二人ともなればあっという間に皿は空になるが、そこは大食らいどもに慣れたネルだ。さっと後ろに置いておいた追加分の皿を取り出しては綺麗に食べつくされた皿を片付ける。
 しばらくは食べるのに夢中なりゅうたちを放ってネルと真司が話していたが、その会話がふと止まる。
 なんだろうとりゅうが口いっぱいに焼き菓子を頬張り子りすのようになりながら目を向ければ、忘れるところだったあ、と焦りは微塵も感じさせない口調でネルが手を打つ。それから自分に向けられた視線に、笑顔に小首を傾げた。

「りゅう、おまえのために用意したもんがあったんだあ」
「ようい、したもの?」
「そうでえ。お菓子なんだけどよう、食べてくれるかあ?」

 その言葉にもうすでに十分なほど焼き菓子を口にしたにも関わらず、ぱあっとりゅうの瞳が輝いた。一生懸命に強く頭を振るように頷けば、その勢いにネルの口元に浮かぶ笑みは濃くなる。
 ネルは後ろに振り返り椅子の裏へ手を伸ばすと、それまでそこから取り出していた菓子の山ができた大皿ではなく、手の平ほどの小皿を取り出す。
 それをりゅうの前に出してやれば、小さな金色の目は皿の上に乗せられたものへ釘つけになる。

「それなんだかわかるかあ?」
「――っどーなつ!」

 まあるくて、中心には穴が開いていて。それはりゅうの大好物のドーナツそのものだった。
 興奮に声を大きくし鼻息荒くしてネルに答えるりゅう。それは大人たちの心を和やかにさせる。

「せえかいだあよ! 前に真司に作り方教わって、道具ももらったからよう。りゅう、どーなつすきだあろ? だから作ってみたんだあ」
「ありがとう、ネルっ」

 間に机がなかったらきっと抱きついていただろう。それほどまでの喜びを全身で表しながらりゅうは真司に振り返る。

「しんちゃん、食べていい?」

 そんなきらきらとした眼差しを向けられて駄目だと言える者がいるだろうか。

「いいよ。折角ネルがりゅうのために作ってくれたんだし、食べな」

 苦笑しながらも真司が頷いてやれば、りゅうはすぐに前へと視線を戻す。皿の上に乗ったそれを両手で持ち上げ、じっと見つめる。その様子を周りに見守られながら、大きく口を開けてぱくりとドーナツにかじりついた。
 一口含んでもぐもぐとしっかりと噛めば、自然と緩む頬。それだけで味の答えを教えているが、飲み込み、りゅうは満面の笑みでネルへ告げる。

「おいしい!」
「そうか、おいしいかあ。そりゃあよかったあよう」

 その言葉通りに小さい口に二度三度とドーナツを頬張れば、すぐに半分ほどの大きさになる。

「本当ならもっと沢山作ってやっておきたかったんだけどよう、くっきーたあくさん作ってたら時間なくなっちまってな。今日はその一個しか用意できなかったんだあ。また今度作っといてやるからなあ」
「うん、ありがとうっ。たのしみにしてるね!」

 すまなそうにするネルにけれどりゅうは笑顔を崩さないままだ。そしてまたドーナツを食べようと大きく口を開いたところで、はたと気が付く。
 ひとつしかないドーナツ。もう半分は自分が食べてしまったが、果たして真司と岳里の分はどうなのだろう。

「どうした?」

 開けた口を閉じてじっと半分になったドーナツを見つめていれば真司が声をかけてくるが、それには応えず、りゅうは考える。そして、ひとつの案を思い浮かべた。
 残りの半分をふたつに割って、真司へ振り返る。

「しんちゃん、これ」
「……おれにくれるのか?」
「うん!」
「でもこれはネルがりゅうのために作ってくれたんだぞ。りゅうが食べちゃってもいいんだよ」
「わけっこしたほうがおいしいよ」

 だから、と真司の口元へ四分の一の大きさになったドーナツを小さな手で差し出す。

「あーんして、あーん」
「……あーん」

 自分も一緒に口を開きながら、真司の口へ手に持ったそれを入れてやる。

「おいしい?」
「……ん、んまいよ。ありがとうな、りゅう」

 照れくさげに頬を掻きながらも頭を撫でてくれた手に満足し、次だとりゅうは今度、真後ろへ振り返った。そこで真司とのやり取りを見守っていた岳里に、残った最後の部分を差し出す。

「がっくん、あーん」
「――あーん」

 低く声を出しながら開いた口にドーナツを入れてやる。岳里がそれをしっかり味わい飲み込んだところで先程と同じようにおいしい? と問いかけた。

「うまい」

 相変わらず岳里から返ってくる言葉は素っ気ないが、それに偽りがないと知るりゅうはやはり嬉しげに笑う。その姿に岳里もまた頭を撫でていると、真司に名前を呼ばれた。

「りゅう」
「なあに?」
「食べかすついてるぞ。とってやるからじっとしてな」

 顔を向ければすぐに手が伸びてきて、口元についていたらしいお菓子のかすを指先で摘まんで離れていく。そのままそれを真司が食べて綺麗にする。

「これでよし」
「しんちゃんありがと」

 歯を見せ笑った真司にお礼を言ってから、りゅうはまた反対側へと振り返る。じっと岳里の顔を見つめてからまた真司へ向き直り、袖を小さな手で掴み軽く引っ張った。

「しんちゃん、しんちゃん」
「ん?」
「がっくんにもついてるよ」

 そう愛息子が示した先には、つい先程までのりゅうと同じく口の端に菓子の食べかすをつけた岳里がいた。
 てっきりすぐに、しかたないなあとりゅうに言うように岳里のものをとってやると思ったのに。真司はものすごく変な顔をすると、岳里に取り出したハンカチを顔面に投げつけた。

「じ、自分で拭けっ」

 見事顔に命中し、剥がれるように落ちたそれをしっかりと手に収め、岳里は無言のまま言われた通り自分で汚れを拭う。そんな二人の姿にからから笑ったのはネルだった。
 真司は腕を組みふいと顔を背けてしまう。しかし、すっかり見慣れたその姿に心配性のりゅうの顔色が曇ることはない。

「相変わらずりゅうの父ちゃんたちは仲良しだなあ」
「うん! よくしんちゃんぷいってしちゃうけど、てれかくしなんでしょ? ジィグンが言ってた!」
「うん……? 照れかく、んん……ま、そういうこったあ」
「――ジィグンのやつ、後でシメる……」

 曖昧に笑うネルに気を取られ、真司がその後に呟いた言葉をうまく聞き取ることはできなかったりゅうは小首を傾げたが、誤魔化しで頭を撫でれればすぐに忘れた。
 たまに真司は岳里に素っ気ない。それがどうしてかはわからないが、だが二人が仲良しであることに変わりないことをちゃんとりゅうは知っている。そしてそんなやりとりができることもまた二人が仲がいいからこそなのだと、少し乱暴なそれでも見ているのが好きだった。
 愛息子がそんな風に思っているとはつゆ知らず。親子三人はまたそれぞれ菓子の山に手を伸ばした。

 

 

 

 用意された大量のお菓子を食べつくすという失礼にもあたる行為であるが、もはやネルとの間柄では常である。食べ終えたりゅうたちはまだ残る用を片付けに席を立った。
 遅れながらも三人に続こうと動こうとしたネルを、真司が制止する。

「いいよ、このままで」
「――あんがとうよう」

 その気遣いに照れくさげに笑ったネルは、言われた通りに腰を下したままに三人に謝罪した。

「悪いなあ、王もどうにか時間作ろうと思って頑張ってたんだけどよう」
「今は忙しいし仕方ないさ。それに、ネルの分も頑張ってくれてるんだろ? 王さまもはりきってるんだろ」
「働くって言ってあんだけどよう」

 唇を尖らしたネルに真司は苦笑した。
 今回ネルに会いに来ると言うのは二週間ほど前から告げてあり、本来であれば王も同席し談話にも参加する予定ではあった。しかし多忙を極め机から離れられないとのことで、今日は顔を合わすことが叶わなかったのだ。
 その多忙の理由は真司だけでなく岳里も、そしてりゅうも知るところで、会えないことに寂しい顔をするどころかみな柔らかい表情になる。

「ネルに働いてもらって仕事が楽になっても、王さまだって気が気じゃないだろ。それにもう少しでネルもとんでもなく忙しくなるわけだし、今のうちゆっくりしてろよ」
「それもそうだなあ」

 不意にりゅうは歩きだし、ネルを隔てる机を避けて彼女と傍らへと移動する。そして、じっとその身体を見つめた。大きく膨らむ、その腹を。

「ネル、その……さわっても、いい?」
「おう。どうぞう」

 初めは目をぱちくりと瞬かせたネルだが、すぐに笑って快諾し、ほらようとそれまでそこを守るように、慈しむように置いていた手を退ける。
 今ではすっかり力加減を覚えた手で、けれど絶対に傷つけないよう最大限の注意を払いながら、そうっと大きくなったネルの腹に掌を当てた。
 温かいそこをじっと感じてから、そろりと撫でる。

「でてきたら、いっぱいあそぼうね」
「――りゅう、こいつと仲良くしてくれなあ」
「うん!」

 ネルはいつかの少女の姿から大人の女性へと成長姿で、すっかり母としての表情でりゅうへと微笑かけた。
 本来であれば獣人は不老であり、成長はしないはずだった。しかしながら真司たちのもたらした竜族が守り続けていた知識を王に授けたことにより、それは覆ったのだ。そのため彼女は盟約者である王の望みで変わらずの幼い姿から、今の姿にまで成長をした。そして懐妊まで果たしている。あとは新たな命が母の腹から生まれてくるのを待つばかりだ。
 今日真司たちが訪れた第一の目標が、ネルへ薬草を届けることだった。
 ネルの妊娠が判明してから王に頼まれ、竜人でなければ採取の難しい栄養面を支える薬草をよく届けていた。今回は予定日よりも出産が遅れているため、用意した数では足りなそうだからと追加分を持ってきたのだ。
 今回渡したものはりゅうも手伝ったのだと告げれば、ネルは嬉しそうにお礼を言った。
 必要な薬草というものがとある山の山腹にあり、そこへは飛ばなくてはならなかった。りゅうにはまだ早いのではないかと十五は心配し、初めはついていくと言った甥の申し出に首を振った。けれど自分もネルの役に立ちたいと、いつもくれるお菓子のお礼がしたいと熱心に頼み込み同行の許可を得たのだ。
 十五の言った通り幼いりゅうには少々辛い道のりではあったが、優しいネルを思えば、会える赤ん坊を思えば苦などどこにもなかった。
 はやくあいたいなあ――
 最後にもう一度だけ神秘を感じるほどに張ったネルの腹を撫で、別れの挨拶を済まして親子は王の部屋を後にした。

 

 

 

 ネルのもとを去ったりゅうたちは、その後他の者たちに頼まれていたものを届けに城の中を歩いて回った。
 道の途中ではレードゥとヴィルハートの恒例の追いかけっこに遭遇し、その後には二人を探しているらしいヤマトやコガネにも会った。それぞれ急いでいるようであまり話してはいられず、また近いうちにゆっくりと約束を交わし合う。不思議なことに四人からそれぞれりゅうは棒の先に動物の形を作った飴細工をひとつずつもらった。どうやら子どもたちに今人気らしい。
 彼らの後には頼まれものを届けにミズキのもとへ行く。部屋へ言ったのだがどうやらアヴィルが在室していたらしく、扉を開けたのは彼だった。
 アヴィルはあまりりゅうと顔を合わせてはくれないが挨拶はしてくれる。嫌われているのではと幼心に不安に思ったこともあったが、真司やミズキからはあれは恥ずかしがっているだけだからと、どう接すればいいのかわからないだけだからゆっくり仲良くしてやってくれと言われている。
 だから安心して笑顔を見せていれば、アヴィルからは戸惑った表情をされながらも綺麗な硝子玉をもらった。中にはゆらゆらとした炎のようなものがあり、一定間隔で色を変える代物だ。どうやら町で流行っているらしい。
 その後ライミィに頼まれていたものを六番隊に与えられた執務室に届けに行けば、椅子に縄で固定されながらもいつもの笑みで迎えてくれた。なんでも仕事を溜めこんでいたらしく、副隊長にしばりつけられたそうだ。
 ライミィはいつも会えばりゅうを上に投げてくれるのだが、今日は暇がなく外に行けないからまた今度と言われ、内心ではしょんぼりとしてしまった。
 彼女がしてくれる高い高いは豪快すぎて、天井があるとそこに激突してしまうから限りのない外でしかできないのだ。そのことで危ないことはするなといつも傍らの副隊長が叱っているが、それでもりゅうはライミィの高い高いが好きだった。
 忙しそうにするライミィのもとを離れ、真司たちは来たついでにと神ディザイアのもとへ寄ることにした。
 歩いている途中、おいしいネル手製のお菓子を食べすぎてしまったりゅうは少しお腹を痛くしたため、岳里が肩車してやる。そうして廊下を進んでいくと、前方から見慣れた顔が現れる。

「やあ、選択者たちよ」
「お久しぶりです、みなさま」

 それは向かっていたはずの神と、三番隊隊長と神の付き人を兼任するユユだった。

「かみさまっ、ユユ!」

 出会った二人を見るなり肩車されていることも忘れ手を伸ばしたりゅうは、均等を崩し岳里の上から落ちそうになる。しかしそこは父がそれとなく支えて事なきを得た。
 そんな、賑やかなやり取りを見ていた神は常に口元にたたえるその笑みを濃くしながら、手を伸ばし、高いところにいるりゅうの頬を撫でる。

「元気そうで何よりだ、竜人の子よ」
「また大きくなられましたね」
「より一層選択者に顔が似るようになってきているな」
「本当?」

 嬉しそうに首を傾げるりゅうに、真司はよく言われると、あえてそっくりなその顔で同じように首を傾げて見せた。
 その様子をほほえましげに眺めていた神は、ふと岳里と、そして真司の顔をそれぞれ交互に閉じた瞼の下の瞳でじいっと見つめる。それまで笑っていた真司は不思議そうに神を見返し、また岳里もいつものを無表情な顔で目を向ける。ユユもまたきょとんとしており、りゅうは高みから見える顔を眺めてはまたも小首を傾げる。

「ディさま……?」
「――ふむ、なるほど」

 ユユが声をかけてしばらく、ようやく口を開いた神はにやりとその偉大なる存在とも思えぬように口元を歪める。

「ようやく、時が来たのだな。めでたきことだ」

 その言葉にようやく理解したらしいりゅうを除いた大人たちはそれぞれの表情を浮かべる。
 ユユは悟ったことにはっと涙ぐみ、真司は照れ臭げに頬を掻く。そして岳里もまた珍しく表情を変えていたのだが、それは肩に乗るりゅうには見えない。だからこそそれを見ようと身を乗り出せば、その時ずるりと身体が滑った。

「わわっ!」

 小さな悲鳴を上げながら身体は前に引っ張られるように落ちていく。その時咄嗟に岳里の頭を掴んでしまい首が嫌な音を立てた。

「――っ」
「ご、ごめんがっくんっ」

 咄嗟に手を離したりゅうを、首の痛みに堪えながら岳里は落ちてきた小さな身体を腕に受け取る。すぐに真司が岳里の顔に手を伸ばし、心配する言葉をかけた。
 その傍ら、彼らを眺め愉快そうに一人神は笑う。

「ユユ、見てみろ。あの男がああも動揺しているとは、やはり内心では喜びを隠せてはいないようだな。浮かれているんだろう」
「ディさま、からかってはなりません!」

 普段の岳里であれば。少し前にりゅうが落ちそうになった時のように、実際に転げる前にその身体を支えただろう。しかし今は先程の神の言葉に珍しく動揺していたらしい彼は息子の危険に反応が遅れ、落ちてからそれを受け止めるということになってしまったのだ。
 痛みに鈍い身体であるはずだが、さすがに愛息子の体重には耐えられなかったらしい。いつもの無表情に戻り、りゅうを片腕に抱え直しながらも、首を擦っていた。その様子を涙目でりゅうは見上げる。

「ごめんね、がっくん……」
「大事ない。それよりもおまえは無事か」
「うん」
「それならいい」

 怒っていないという意志を伝えるべきか、いつもの素っ気ない声とは違いどこか優しいそれに。けれどしゅんと小さな肩を落とせば、脇から真司が手を伸ばし、落ち込む背をそっと撫でる。そして遠慮がちに行き場なくさまよう小さな手を、しっかり岳里の首元を掴むよう促してやる。
 迷惑をかけてしまったことに落胆し、落ちそうになったことに怯えるわけでもないのはさすが竜人、さすが岳里の子と真司がその内心で考えているとも知らず、りゅうは振り返りありがとう、と伝えた。

「いやあ、珍しいものが見られたな、ユユ。今の指摘だけでこの反応だ。実際伝える時には――」
「ちょ、ちょっと黙ってましょう、ディさま! まだりゅうくんはわかってないようですし……あっ、いや、なんでもないですよ! な、何も言ってませんっ」
「……それで誤魔化したつもりか?」

 珍しく呆れ声の神は、けれど苦笑し慌てて口を押えたユユから顔を逸らして、落ち込むりゅうを励ます二人へ目を向けた。

「まあ念のためだ、治癒術師のもとを訪れるといい。今なら彼は医務室にいるだろう」
「確かにそれがいいですね。本日はさほど忙しくないともお聞きしていますし、きっとすぐにみてもらえますよ」

 先程の失態を取り繕うように同調したユユは、別れ際、未だ落ち込むりゅうへ自分が作ったのだと言う生菓子、真司たちの世界でいう所謂カップケーキに近しいものを与えてくれた。
 何やらそれは今日の神のおやつだったらしく小袋に入れ持ち歩いていたらしい。
 神はおやつを譲らないことで有名だったが、さすがにへこむりゅう相手に大人げない態度はとれないのだろう。寛大に譲る様子を見せながらもユユにすり寄り、自分の分は新しく用意することを約束させていた。
 そんな楽しげな様子を見つめ、少しだけりゅうの気持ちは晴れる。
 もらった生菓子は岳里にあげようとこっそり心の中で決めながら、肩に乗るではなく腕に抱えられたまま、医務室へと向かった。

 

 

 

 大丈夫だと、問題ないと言う岳里を引きずりりゅうたちは医務室へとやってきた。扉を叩き返ってきた声に促されるまま中へ入れば、そこには目的のセイミアと、彼にみてもらっている先客がいた。

「やあ、真司、岳里。りゅうもいるのか」
「ジャス! ……またしっぱいしたの?」
「今度は何やらかしたんだよ?」
「はは……いやね、髪の色を変える薬の調合をちょっと間違えちゃって」

 そう煤だらけの頬を掻けば、どうやら乱れたその濃緑の髪を整えている途中だったらしいセイミアが溜息をついてみせた。

「真司さんたちからも言ってやってください。失敗した理由が寝不足で、眠気に負けてついうとうとしていたってことなんですよ」
「相変わらずだな」
「ははは……」

 理由を聞いた真司と岳里は呆れ顔で罰悪げに苦笑いするジャンアフィスを一瞥した。
 りゅうは岳里から下してもらうと、とてとてと歩きジャンアフィスの傍らへと向かい、煤だらけの頬だというのにためらわず手を伸ばした。
 どうやら研究が詰まっているらしくいつもの不摂生をしているようで、ろくに食べてもいないのだろう。頬が若干こけている。顔の汚れがなければ酷い隈も見えたことだろう。

「おけが、したの?」
「ん? いいや、ただ煙を被っただけだから大丈夫だよ。ちょっと汚れただけで痛いところはどこにもないさ」

 にこりといつもの様子で笑って見せたジャンアフィスに安心し、ほっと胸を撫で下ろす。そんな様子を手に持つ緑の髪を櫛で梳きほほえましげに眺めながら、セイミアはその表情のままジャンアフィスへと告げる。

「とりあえずこれが終わって顔を洗ったら、隣のぼくの部屋、使ってくださいね。寝台は用意してありますから」
「さすがセイミア、準備がいいね」
「もうそろそろ何かしらの理由で医務室へ来ることはわかっていましたからね……」
「はははは……」
「――というより、もう少ししたら強硬手段に出るつもりだったんです。あなたを部屋から抱えて連れだしてでも寝かすつもりでした」

 さすがにその言葉には乾いた笑みも引っ込み、真っ黒な顔でもわかるくらいに顔を青くさせる。
 昔でこそ古の魔術の影響で成長が止められ小柄だったセイミアだが、今ではもうすっかり凛々しい青年の姿へと変貌している。以前は天使のように愛らしいと言われていたが、現在では柔和な雰囲気はそのままにどこか精悍な面差しとなった。それは背にも比例しており、今ではジャンアフィスとほぼ同じ高さになっていた。まだ若干セイミアの方が低いが、いずれは抜かされてしまうかもしれない。
 背はほとんど等しいと言っても、しかし力の差は歴然としていた。研究者としてこもりきりなジャンアフィスとてそう非力なわけではないが、成長が止まった原因を知る以前より己の男らしさのない身体に落胆し、鍛えていたセイミアだ。今では本来の成長を果たしたこともあり、その力は剣の腕前こそないものの周りの兵と引けをとらないほどになっている。不摂生が多く細いジャンアフィスの身体を抱え上げるなど、今のセイミアにとっては造作もないことだ。
 つまり、セイミアさえその気になれば先程の言葉は冗談ではなく、本当に実行できることである。
 あえて笑顔で言われた台詞に頬をひきつらせながらも、ジャンアフィスは立ち上がり扉の方へ向かう。

「その……大人しく、寝ていることにするよ。すまないが部屋を借りるね」
「顔、洗い忘れないでくださいね。あとで食事をお持ちするので、その時一度起こします。いいですか、絶対に部屋にいてください」
「う、うぅ。わかっているよ……それじゃあみんな、ゆっくりしていってくれ」
「おやすみなさい!」

 大きく腕を振り眠りにつく予定であるジャンアフィスに挨拶をすれば、力なく笑いながら彼もまたりゅうに小さく手を振り返し、部屋から出ていった。
 音を立て扉が閉まったと同時に、セイミアは真司と岳里へ顔を向ける。

「ところで、真司さんたちはどうなさったんですか?」

 その言葉に真司が事情を説明する。セイミアはすぐにそれまでジャンアフィスが腰かけていた椅子に岳里を座らすと、心配に傍らからりゅうが見つめる中、触診を開始した。そして二三言質問をした後、念のためにと治癒術を首にかけることになった。
 痛めた首にセイミアの手が当てられ、光が溢れる。その様子をじっと見つめながら、りゅうは岳里の膝をきゅうっと掴む。すると向けられた目は細まり、どうした、と落ち着いた声で尋ねる。

「がっくん、いたくない?」
「大丈夫だ。もとより痛みはさほどない。それに、今治癒術をかけてもらっているから心配いらない」
「でも」
「りゅう、気にしなくていいだぞ。わざとじゃないし、これから気を付ければいい。それよりおまえに怪我がなくてよかったよ」

 表情の晴れないりゅうの隣に来た真司は目の高さが合うようしゃがみ込み、頭を撫でてやる。
 その間に治癒術はかけおわり、首から手が離れていく。
 岳里が立ち上がったのに合わせ真司も身体を起こした。

「ありがとうセイミア」
「いえいえ。これくらい大したことありませんよ。それよりもうみなさんはお帰りになるですか?」
「ああー……そう、だな。今日は兄ちゃん家に泊まるから色々手伝いしないと」

 何故か目を逸らし頬を掻いた真司を不思議に思いりゅうが見つめれば、ふと視線を下げた彼と目線が重なる。しかし、それは慌てたように不自然に逸らされ、ますますわからず首を傾げた。

「そうなんですか。なら次いらした時にでもゆっくりお話ししましょう。……うーん、折角りゅうくんが来ているのに、今何もなくて……すみません」
「あ、いいんだよ。むしろいつもいつももらってちゃ悪いって。それにもうみんなからいつものようにもらってるしさ。な、りゅう」
「うん! ネルはおかし、いっぱーいたべさせてくれたし、レードゥたちはあめくれたし、アヴィルはきれいなガラスくれたんだ。それにユユはケーキくれたの!」

 もらったものをひとつひとつ名を挙げてようやくまた笑顔を見せたりゅうに、セイミアも頬を緩ます。

「それはよかったね。まったく、人のこと言えませんけどみなさんも相変わらずですね。りゅうくんには甘いんですから」
「ありがたいことだよ。みんなりゅうのこと可愛がってくれてさ」
「もちろんですよ。みんな、りゅうくんのこと大好きだからね」
「ぼくもみんなのこと、だいすきっ」

 だからセイミアもだいすき! と抱きつく。りゅうに照れたように笑いながらも、セイミアはじゃれついてくる小さな身体を受け止め頭を撫でた。

 

 

 

 セイミアのもとへ訪れた後、頼まれていたものもすべて配り終えたのを確認し、りゅうたちは竜族の里へと戻った。すっかり夕暮れ時となってしまっていたが、そこでは悟史と十五が待ってくれていた。
 二人を見つけるなり、りゅうは真司とそれぞれ繋いでいた手を解いて二人に駆け寄った。

「ただいま、とーくん、さっちゃん!」
「おかえり、りゅう。真司たちも。頼みごとは終わらせてくれたか?」

 抱きついたりゅうの頭を十五がわしわしと挨拶代わりに撫でる。
 後にゆっくり続いた真司は悟史の言葉に頷いた。

「ああ、ちゃんと配ってきたよ。お礼の方は岳里が今持ってるものだ」

 そういって目線で示したのは、大袋を肩に担ぎ、さらにもう一袋同じ大きさのものを片腕に持つ岳里だ。その担いでいるほうにはさらもう一つ、小袋もまとめて握られていた。
 りゅうのもとから離れた十五がそれを受け取る。その後をついていったりゅうは、小袋は自分が持つからと受け取った。小袋の中身は城でみなからもらったものが入っているのだ。

「おれももう片方持とうか?」

 大袋はふたつある。そのうちの片方を悟史が手に取ろうとしたところで、十五は首を振り、代わりにじっと目を見つめる。
 りゅうはそれが、十五がみんなには聞こえない、悟史だけがわかる声で語りかけていることを知っていた。だからこそ大人しく待てば、彼の言葉を代弁するために口が開かれる。

「岳里は手伝えってさ」

 一度は離した荷物を再び肩に担ぎ、岳里と十五は肩を並べて倉庫の方へ向かっていった。それを、不思議に思いながらりゅうは見送った。
 あれほどの重さならば十五一人で十分であるし、今までは岳里に手伝わせずにやってきた。それなのになぜ、今日は荷物を持たせたのだろう。
 首を傾げながら遠ざかる背を見つめていれば、頭上でりゅうとともに残された二人が会話する。

「もう聞けたのか?」
「い、いや、まだ……なかなか、な」
「そっか。それじゃあ岳里が戻ってきてからだな。早く言ってやるべきだとは思うが、まあ、無理に急ぐ必要はないから」
「ん」

 今度は悟史が照れくさげに俯いた真司に笑いかける姿を、首を傾げ見る。

「どうしたの、しんちゃん」
「――なんでもないよ。それより家ん中行こう。早く飯作らないと。手伝ってくれるよな?」
「うん!」

 先程十五にかき乱された髪を整えるよう今度は真司に撫でられながら、りゅうは二人と手を繋ぎ、十五の家へと向かった。

 

 

 

 料理は真司と十五の担当だ。その傍らで簡単な手伝いをりゅうがする。
 悟史と岳里は揃って壊滅的に料理が下手ということもあり、台所への立ち入りはそもそも禁止とされていた。手伝いなどされた日には仕事が増えるだけだ。
 もとよりあらかた十五が準備をしていたということもあり、五人は思いのほか早く夕食をとることができた。そしてみなで時を過ごし、そう遅くなる前に十五と悟史、そして真司と岳里とりゅうとそれぞれの寝床へと別れる。
 大きな布団の上では、真司と岳里に挟まれるよう、その間にりゅうが横になった。
 光玉の明かりは里のどこにもなく、みな寝静まる里の夜はとても静かだ。りゅうたちの部屋もまたただ小さく燃える火にほのかに照らされる。
 布団に入ってもしばらくはじゃれるように絡みつき遊んでいたりゅうだったが、ついに真司が火の方へ手を伸ばした。

「ほら、明日もあるんだから今日はもう寝るぞ」
「うん……ねえ、きょうはもう、おしまいなんだよね」

 それまでなかなか寝付けずきゃいきゃいと二人の間ではしゃいでいたりゅうだが、ぽつりと、そんなことを呟く。
 真司は一旦は伸ばした手を布団の中へと戻し、岳里とともに息子へ目を向けた。

「そうだ。寝て目覚めれば明日がくる」
「明日は特に用事もないし、久しぶりに隣の山に行って遊ぼうな」
「……うん」

 明らかに沈んだ声を出し、りゅうは俯く。真司たちはその頭上で互いに目を合わしながらまた目線を下げて、そっと声をかけた。

「どうした?」
「――――」
「遊ぶの、いやか?」

 穏やかな問いかけに首を振り、そうではないのだと応える。しかし口は閉ざしたまま沈黙し、それからしばらくしてりゅうは腕を伸ばし真司の首に抱きついた。

「きょうがおしまいして、あしたがきて、それで、またあしたがきたら……しんちゃんもがっくんも、かえっちゃうんでしょ?」
「――そうだな。向こうでの暮らしがあるし、帰らなくちゃな」
「うん。ぼくちゃんと、わかってるよ」

 真司たちはこの世界ディザイアではなく、別の世界で生活をしている。こうして時間ができれば泊まりに来てくれるが、それでも大半は向こうで過ごすのだ。
 何故なら向こうの世界での家があり、仕事があり、暮らしがあるから。
 それをりゅうは、しっかりと理解していた。

「わかってる、けどね……」

 真司の首にしがみつきながら、その金色の大きな瞳ははらはらと涙を零した。
 わかってはいる。だが、どうしても寂しいのだ。
 大好きな真司たちが向こうの世界に帰れば、すぐ傍に彼らはいなくなる。それは、決して長期で会えないというわけではない。
 簡単にこちらと向こうの世界とでは行き来もできるから毎日だって顔を合わすことはできる。現に、今までそうして親子は過ごしてきた。
 仕事のある日中は向こうで過ごし、夜になればりゅうの顔を見に会いに来てくれる。そして、休日が続く日には泊まりに来て家族としての時間を大切に過ごしてくれる。りゅうと一緒に、今のように間に挟んで眠ってくれる。
 だがそれでも、寂しさは募る一方だった。みんなで眠る温かさを知るからこそ一人眠る夜は寂しく、あまりに辛い時はこっそり十五の布団へもぐりこむこともある。しかし時には十五も夜にしかできない仕事で家を空けることも稀にあり、そういう時は一人ぼっちで音のない世界で時がくるのを待った。
 明日になればまた真司たちに会える。そうすれば僅かな時でも一緒に居られる。
 わかってはいる。わかってはいるが、それだけではたまらなく寂しいのだ。
 いつしか涙の粒を大きくしながら、それを真司の服に吸わせながら、りゅうは湿った鼻を啜った。

「ごめん、なさ、い……っ」

 自分がおかれた状況をりゅうは幼いながらにも悟り、納得さえしていた。だからこそ一緒にいられないことを恨んだり、それに関してわがままを言ったことは一度としてない。常に笑顔の下にひた隠し、堪えてきた。
 ――かえらないで。ずっといっしょにいて。
 何度そう、伝えたい言葉を飲み込んできたことか。何度そう寂しさを押しつぶしてきたことか。だがそれをこれからも続けていけば何も問題はないはずなのだ。しかし、幼い心は自身では気づかぬほどに限界を迎えていた。飲み込み続けたその言葉で、いつしか一杯になっていたのだ。
 それでもなお、伝えたい言葉を声には出さない。ただぼろぼろと泣き、声を殺すばかりだ。それだけでも十分大好きな両親を困らすことだと知っていても、押しつぶしてきたものは膨れ上がり続ける。
 嗚咽を殺し泣き続ける息子を抱え、真司は身体を起こして抱え直す。それに岳里も続き向かい合うように胡坐を掻いた。

「ごめんな、りゅう。いっぱい寂しい思いさせて」
「――っ、ううん。だい、じょうぶ、だよ? とーくんも、いたし。しんちゃんもがっくんも、さっちゃんも……まいにち、あいにきてくれるし。おしろのみんなも、さとのみんなも、いるもん……っ」

 嗚咽に阻まれながら、涙を堪えるか細い声で紡がれる言葉。

「だから、ぼくは、だいじょうぶだよ」

 わがままは言ってはいけない。今が続けばそれだけで幸福なことなのだ。
 これまでそうしてやってきた。自分がわがままを言わなければ、少し我慢すれば、それでまたうまくやっていけるはずなのだ。
 毎日のように会えるのだから、寂しくなどない。何もずっと別れているわけなのではないのだから。
 だから、だから――

「りゅう」

 岳里が名を呼び、そっと背を撫でてくれる。大きくて、温かい手。真司が内緒で、その手に何度も救われたのだと教えてくれたことがある。だからこそりゅうもその手が大好きだった。

「――なあ、りゅう」

 首筋に埋まる顔の上から、今度は真司に名を呼ばれた。顔を上げられずにいれば、岳里とはまた違う、けれど優しい手が髪を梳くように撫でる。

「りゅう、おまえさえよければ、その。……向こうの世界で、一緒に暮らさないか?」
「……しんちゃんたちの、ほう……?」

 どこか恐れのような戸惑いと、そして僅かな期待と、照れくささと。そんなものを感じられる声音で、真司はそうりゅうに問いかけた。

「そう。やっとそうしてもいい準備が整ったんだよ。長からの許可もようやくもらえたんだ」

 その言葉にりゅうは涙を止めて、ようやく顔を上げる。ぐちゃぐちゃになった顔を真司と隣から覗き込んできた岳里に苦笑され、二人に拭われながらも首を傾げる。
 自分が、あちらの世界に。その言葉の意味がりゅうにはよくわからなかった。
 真司たちがこちらの世界に来てくれるように、りゅうも何度も向こうの世界には行ったことがある。しかし、竜人の長であるカランドラが許した時だけであり、向こうをよく知るほどではない。だがそれでも十分わかっていることもあった。

「おまえも、向こうとディザイアが全然違うの、知ってるだろ? だからおまえ自身に決めてもらおうと思って」

 それは、真司たちについていき向こうの世界で暮らすか。それとももしくは竜族の里に留まり、これまで通り両親が通いそれを待つ日々を続けるか、というもの。
 りゅうは一度口を閉ざし、しばらくしてようやく声を出した。だがそれは選択の答えではなく。

「――ずっと、いられる? これからはずっと、しんちゃんとがっくんと、いっしょ?」
「……うん。ずーっと、一緒だよ。毎日朝から会えるし、ご飯だって」
「寝る時も一緒だ」

 真司の言葉に重ねるように岳里が続き、あまり変わらない表情を柔らかくしてりゅうに微笑みかける。

「おまえが選んでいい。こちらの世界に留まったとしてもこれまでと変わらず十五が面倒をみてくれる。おれたちも今まで通り会いに来る。向こうに行くことは必ずしもおまえにとって幸福とも限らないから、だからおまえ自身が選ぶんだ」

 それはりゅうが“選択を下し者”と、“真を司りし者”とこの世界ディザイアの神から呼ばれた真司とその心血の盟約を交わした岳里の子であるから。だから両親は、りゅう自身に選択させようと決めていたのだ。
 ずっとその話を持ち出す機会をうかがっていた。それを神に気づかれもしたが、知らぬとは言え息子に背を押されようやく言いだせたことに、二人は内心で安堵していた。
 勿論決めた後、心変わりをすればその答えを変えていい。暮らしが変わるのだからそう簡単に決めていいことでないからと、そう岳里が続けようとした時だった。
 ぴたりと止まったはずの涙が、並ぶ両親の顔を見つめるりゅうの瞳からまた溢れ出した。小さな手をいっぱいに伸ばし、真司と、そして岳里の首に回しで抱き寄せる。

「ずーっと、いっしょがいい。しんちゃんと、がっくんと、いっしょが……いっしょが、いいよぉ……っ」

 今度こそ声をあげて泣き出した息子を、両親は間に挟むように抱きしめた。

「うん、一緒に暮らそう、りゅう」
「待たせてすまなかったな」
「っ、うう、ひっ、く……」

 りゅうはしばらく、溜めてきたものを解放させるように泣き続けた。やがて二人の温もりに包まれながら、感情の高ぶりに疲れ静かに眠りについた。
 まだまだ幼いわが子の寝顔を見つめながら、真司たちは微笑む。涙の痕を拭い、前髪を掻き分ける。
 そんな中で、りゅうは幸福な夢を見た。
 それはきっと、少しだけ先の未来のこと。
 明日から大変な日々になるだろう。だが、不安はなかった。
 真司と岳里とともにいられるのであれば、きっとなんとか乗り越えられる。
 何故ならこれからは、ずーっと、いっしょ。家族はともに、在れるのだから。

 おしまい

 main 忘れた約束

 


今回はりゅうと真司たちが一緒に暮らすことを決めるという、そんな一場面を書かせてもらうと同時に、少しだけ未来のDesireの様子を書かせていただきました。

ネルは子を成し、レードゥたちは相変わらず。
セイミアとジャスは少しだけ違う関係になっていたり。(ハヤテたちはどう組み込むか決められず入れませんでした)

ちなみに最後まで決めかねていたので具体的な表記が本作中できなかったのですが、一応りゅうは五歳ほどの予定で書きました。
近くに幼い子がいないので、五歳児ってどんな感じだろう…と思いつつ書かせていただきましたが、変ではないことを祈ります。一応使う言葉など調べたので、それほどおかしな点はないと思いますが、明らかに変なところがあれば岳里の子だからと見逃してください(笑)

沢山のご投票、ありがとうございました!

また企画等の機会がございましたら、どうぞお付き合いしてやってください。