忘れた約束

百万打御礼企画のアンケートで、十五×悟史で、記憶喪失の話



 ――本当にいいのか。
 そう、しつこく問いかけてくる声に堪らず顔を逸らした。けれど赤くなる頬が月明かりだけの夜でも答えを教えてしまう。彼だってもう、念を押しながらもわかっているだろう。それでも、おれ自身からの確かな返事を待っていた。
 顔を背けてから、少しの間。小さく頷けば、半ば強引に身体を引かれて抱きしめられる。
 重なった身体から、溢れてくる偽らざる心の声。
 嬉しい。ありがとう。幸せ。愛してる――
 喜びに満ちたそれらに、緊張に強張っていた身体がようやく溶けていく。

「待たせてごめんな。よろしく、十五」

 名を呼べば、おれの名を呼び返してくれる。おれだけにしか聞くことのできないその声で。
 狭い腕の中で身じろぎ、体勢を整える。振り返れば小さな笑みを口に浮かべた十五が、幸せを露わす唇をそっと降らせてきた。それを受け入れながら目を閉じる。
 ――明日からはきっと、大変な日々になるだろう。そう、確信を抱きながらも溢れる愛しさは抑えきれない。
 希望と不安が膨らむであろう明日に待つものが、二人が予想していたものとは違う大変さを見せるということを、幸福に満たされる今のおれたちは知る由もなかった。

 

 

 

 セイミアから連絡を受け、急いで教えられた医務室へと向かう。
 初めは早歩きで冷静を取り繕っていたがそれもすぐに耐え切れず走り出した。広い城の中では目的の場所は遠く、その距離は果てしなく思えるほどで、ようやく目指していた部屋の扉が見えた時にもまだ残る僅かな距離が長く感じた。
 ノックもしないまま扉を勢いよく開かせ、中に飛び込む。するとすぐに探していた姿を見つけ、思わず声を荒げた。

「十五っ! 大丈夫なのか!?」

 寝台に入り腰かける十五はそれまで見ていた窓から首を回して、駆け寄ったおれへと片目を向ける。その頭には包帯が巻かれていておれの動揺はさらに強まった。
 けれど、彼の“声”が聞こえ、それは大きな戸惑いへと姿を変える。

「――……」

 誰だ、この男は。
 そう、十五は偽りを許されない心の中で呟いていた。

 

 

 

 どうやらセイミアが連絡を回したらしく、ほどなくして弟たちが城へと現れた。あえて十五に会わせる前におれと話す場面を用意するよう、そこまで配慮し手配してたんだろう。それまでいた病室からわざわざ竜人の聴力が及ばない場所まで呼びだされれば、真司たちがそこで待っていた。
 真司は青い顔をし、岳里もいつもの無表情を被りながらもその瞳はどこか急いている。といってもおれの前では真司のものはわからないとして、岳里の心の声が聞こえてしまう。内でもその顔のように冷静を失わないまでも困惑しているさまが窺えた。
 そんな二人に改めておれから状況を説明する。十五が何故、頭を打ってしまったかということを。
 どうやら十五は“発作”を起こし暴走しかけた獣人に襲われた、その獣人の主を助けた結果そうなってしまったらしい。
 獣人や竜人は心血の契約、もしくは心血の盟約を人間と交わしている。そうすると彼らは生き続けるために定期的に人間側の身体の一部を食らわねばならないという制約が与えられるんだ。でももし、それを摂取しなければ。
 そうなれば獣人は理性を失い人の姿が保てなくなり、強まった本能の影響で獣化する。それだけでなく主にあたる人間の血肉を求めて暴走し、最悪の場合相手を殺してしまうこともある。
 そもそも人間は獣人には敵わないし、理性を失い狂った相手は普段は無意識に抑えているものも外され、予想外の強さを見せる。周りさえ巻き込まれる危険もあり、止めるのは非常に難しいという。
 それが今回の十五の怪我と関係していた。
 発作により暴れ出した獣人が主を求め、そして見つけ。危うく殺してしまいそうなところへちょうど騒ぎを聞きつけた十五が訪れ止めに入ったということだ。そこで弾き飛ばされ柱に頭を強く打ち付けたらしい。
 十五だけだったなら、怪我なんてすることはなかっただろう。けれど生憎場所が狭い廊下であり、さらには周りには騒ぎを聞きつけて集まった人たちもいて、満足に身動きの取れない状況だったらしい。その場にいたわけじゃないからわからないが、恐らく咄嗟に自分の身体を盾にして主である人を守ったんだろう。竜人は丈夫だからと、以前から時折無茶をすることもあったからそう考えてなんら不思議はない。
 今では騒ぎも無事収まり、他にけが人も出なかったそうだ。十五が守った主である人間は勿論のこと、発作を起こした獣人も疲れて気を失っているものの、次期目を覚ますだろうとセイミアから聞かされている。
 幸いにも十五はたんこぶを作ったくらいで他に外傷はなく、しばらくは頭を打ったこともあり様子を見る必要があるけれどそう心配はいらないだろうと言われている。本人も柱にぶつかった直後に気を失ったけれど今は目覚めているし、意識もはっきりしているし、セイミアの言葉通り大丈夫だろう。
 だが問題は、怪我よりも他の場所にあった。そこまで弟たちに説明してあらかた話すべきことを終わらせれば、不安げな表情は一度たりとも晴れないまま、真司が躊躇いがちに口を開く。

「――本当に、十五さん記憶がないのか?」
「ああ。でもそれ以外に異常は見当たらないし、頭を打ったのに瘤だけだし。それだけで済んだんだから不幸中の幸いだな」
「それだけって……でも、記憶はないじゃないか。戻る保証は?」
「いつになるかはわからないし、戻るかもわからないそうだ」

 返答に沈黙した真司を見つめながら、弟たちに今の十五を合わせるべきかを悩む。
 ――十五は、頭を打ち付けた影響で記憶をなくしていた。とはいっても一部であり、それはちょうどおれと出会う前、真司が選択者としてこの世界に来る少し前までさかのぼるそうだ。その後過ごした日々が欠落してしまっているらしい。それは、十五の心を読んで教えてもらった。記憶喪失が嘘じゃないという事実とともに。
 当然おれのことなんて知らないし、そもそも盟約を交わしていることも、この世界で起きたエイリアスとのことも、何も覚えてはいない。そこには真司のことも、再会を果たした実弟の岳里のことも残ってはいない。
 本人にしてみれば自身は竜人カマルドラであり、おれが与えた十五という名ではないんだ。 
 真司の表情が晴れない理由はここにある。十五の記憶が、自分たちとの思い出がないんだから、動揺するのは当然だろう。だがその傍らに佇む岳里は冷静を崩さないまま、薄く無表情で口を開く。

「会える状況か」
「ああ。本人には記憶喪失のことは話してあるけれど、落ち着いてるし。むしろおまえたちが顔あわせた方が記憶も戻るかもしれないし、よかったら会ってやってくれないか」

 会わせるべきか否か。悩んでいたはずなのに、いざ出てきたのはそんな答えだった。
 返事を聞くとすぐに岳里は行動した。青い顔をする真司の手を掴むと、そのまま十五がいる部屋へと向かう。おれもその後に続き、すぐに目的とする扉は見える。
 岳里という男は基本的に戸を叩くことをしない。だが今回ばかりは兄を気遣ってなのか、初めに一度ノックをする。けれど返事がくることはないから、そのまま扉を開けて中に入っていった。
 部屋の中には、おれが出てきたときと同じ姿で十五が寝台の上で大人しく横になっていた。頭には包帯を巻かれているものの顔色は悪くないし、本人も平然とした顔をしているから、ようやく真司の顔に僅かばかりの安堵が浮かぶ。けれど痛ましそうな眼差しはあまり緩むことはなかった。
 岳里の方は内心では元気そうなその姿に安堵しつつも顔は無表情のまま、迷わぬ足取りで傍らへと向かう。
 自分に大股に近づいてきた二人を、特に先を歩く岳里を見て十五は一瞬、珍しく驚きに瞠目した。それもそうだろう。今の十五にとって岳里は、数年ぶりに再会した弟のカルディドラなんだから。けれど自分が記憶障害であることを知っているからこそ、岳里の存在をすぐに受け入たようだ。
 笑みの代わりに目を細める。横たえていた身体を上半身だけ起こし、座り直した。

「――本当に、忘れているのか」

 居ずまいを正す十五を見下げながら問われた岳里の言葉に、彼は心の中ですべてではないがと否定しながらも、頷く。
 すべてを忘れたわけじゃない。ただ、おれたちと出会う以前のものしか残っていないだけで。
 岳里はしばし沈黙すると、それから身体を逸らして、後ろに隠れるように十五の様子を窺っていた真司を示した。

「盟約者の真司だ。前回の、六度目の選択者でもあった。今はこいつから岳人の名を与えられている」

 真司を見た十五はただ目じりを少し下げて顔を和らげるだけだった。真司が頭を下げても反応は変わらない。
 いつもであればそこに笑顔はないものの、声が出せない代わりに挨拶をと頭をくしゃくしゃに撫でるのが常だったのに。それがなかったことで、真司も、岳里も。より一層真実味が増したんだろう。
 岳里はおれに振り返った。

「おまえのことは知っているのか」
「ああ。一応ざっとだけど話してあるよ。それにもともと十五とは初対面で盟約を交わしていたぐらいだし、その時に戻ったみたいなようだけど然程問題はない。記憶はないけれど、十五はちゃんとおれを盟約者だと思ってくれているしな」

 ちらりと十五へ目を配らせれば、すっと掌が差し出される。彼の心が伝えてくれるものを聞きながら、歩み寄り、その手の上に自分の掌を乗せた。
 そこに、この世界の文字が十五の指先で書かれていく。弟たちの視線や、岳里の心の声を聞いて思わず内心で苦笑してしまった。
 全てが終わり、そこに書かれたものを十五の代わりに言葉にする。

「“悟史がおれの盟約者であるのは疑っていない”――だってさ」

 改めて二人に振り返れば、真司は何か言いたげな目を向けていた。岳里も表情こそ代わりはしないけれど、その心で訴えている。
 ちょっといいか、と声をかけられ、十五に断りを入れてからおれと弟たちは再びさっき事情を説明した場所まで離れる。それはつまり、十五に聞かせたくない内容を話すからだ。

「どういうことだ」

 足を止め振り返った岳里は、余計なことは一切省きそう率直に問いかけてきた。

「どういうことだって?」
「とぼけるな。おまえの力のことだ。言ってないのか」
「そりゃ言ってないさ。心の声が聞こえる、だなんてな」
「なんで言ってないんだよ……?」

 戸惑う真司の声には無意識に安心させようと笑みを浮かべてしまった。
 ただでさえ十五の怪我と記憶喪失の件で動揺しているのに、その上おれのことまでそこに入ってしまって、少し申し訳なくも思う。

「やっぱりさ、本当だったら心の声なんて聞こえてないのが当然だろ。十五だってまさか聞こえるもんだとはおもってないだろうし。だから隠すべきと思ったんだ」

 本当なら、十五と初めて会った時から隠すべきだった。でもその時は色々あってすぐに心読みの力はバレてしまったし、その直後にはろくに話もできない状況になっちゃったし。今では、おれが十五の心を覗けることは当然のことになっている。
 たまたまそれができなかっただけで。もし初めからやり直せるとするならば。それなら本来あるべきおれたちの姿になるべきなんだろう。
 ――そう、以前から考えていた。それが今回実現できるとするならばやはりすべきだろう。

「本人が気にしないって言っても、実際その心が読まれていることを拒絶も嫌悪もしなくても。覗いているのを知られてるのと知られてないのじゃおれの方が変わってくるんだよ。――知らない振りはなれているし、多少の不便はあってもこっちの方がいいと思うんだ」

 十五は強い男で、自分の心が筒抜けであることに対して嫌だと言う言葉を使ったことがない。それどころか困っただとか、そんなことまで。心の底からおれに心を読まれることを受け入れ、すべてを自ら明け透けにしてしまっている。でもそれに耐えられないのはおれの方だ。
 いつも負い目を感じていた。隠し事も許されない。嘘もつけない。誰しも他人に言いたくないことのひとつやふたつ抱えているものなのに、おれの前でそれは許されない。
 聞きたくないのに聞こえてしまう。それなのにおれだけが、許されてしまっている。
 対等な関係にはなれないだろう。でもせめて、そんな振りができるなら。それを望んで悪いことなんてないだろう?
 おれが口にした考えに、岳里が動いた。距離を一気に詰めると、胸ぐらをつかまれ引き寄せられる。

「おまえは、そう考えたのか」

 低い声音だった。そして心の中もまた、珍しく表で判断できる感情で煮え立っていた。
 彼の言葉に答えようとしたところで真司が間に割り入る。 

「岳里、手を離せよ」
「――――……」

 おれを睨んだまま、しばらくその手を離すことはなかった。けれど真司も食い下がらないのを理解しているんだろう、諦めたように溜息をひとつつくと、ぱっと掴んでいたおれの服を手放す。
 少し乱暴にされたものの、しっかりおれのことは考えてあったらしい。首が締まっていたということもなく、ただ乱れた襟を直す。その間にも聞こえてくるのは、隠せない岳里の本音。
 冷静を努めながらも、十五のことで岳里も少なからず動揺しているようだ。この二人の間にも見えづらいながらも強固な兄弟の絆があるんだから当然だ。

「とにかく。まだ記憶が戻らないと決まったわけじゃない。だからおまえたちも色々、ここであったこととか話してやってくれ。おれの力のことは除いてな」

 おれにはまだ竜族の使者としての仕事が残っているし、十五の代わりも務めなければならない。だから二人には、しばらくの間十五の世話を任せた。
 真司は快諾してくれて、任せろと言ってくれた。さっきまで荒れていた岳里の方もさすがといったところで、もう落ち着きを見せ始めている。それでもおれとの気まずさは感じているようだ。目は合わせようとはせず、ただ頷きだけが返ってくる。

「じゃあ、何かあったら呼んでくれ。あと明日の夜までには仕事を終わらせておくから。十五にはもう伝えてある」
「わかった。それじゃあおれたちもう行くな。兄ちゃんも仕事頑張って」
「ああ」

 真司と岳里に背を向け、二人に見送られながら廊下を歩く。しばらく進み、弟たちの気配が完全に感じられなくなったところでそっと足を止めた。
 壁に寄りかかり、深く息を吐く。
 出した自分の掌へと目を落とす。拳を握り、もう片方の手で手首を掴む。どこも、ひどく冷えていて。
 もう一度、震えそうになる息をそろりと吐きだし、拳を解きまた前を向いて歩き出した。

 

 

 

 仕事は早くに終わったけれど、おれと十五は少しの間ルカ国に滞在することを決めた。記憶を失った部分では里以外で過ごした日々の方が多く、その方が記憶を戻しやすいのではないか、というセイミアからの助言によるものだ。ネルに話を持ちかければ快諾してくれたから助かった。
 仕事を片付けたあと、おれは十五にたくさん話をした。記憶がない、おれと出会った後の話だ。真司たちも話しただろうが、おれから話すことはまた違うだろうから。
 初めは十五が盟約をどういうものかも教えないまま、半ば強引に誓いを交わしたこと。その後エイリアスがおれの身体を乗っ取り、してきたこと。そして岳里と真司との再会に、最後の決戦。もとの世界に戻り、そしてつながった世界の扉から再びこの世界へ戻ってきたときのこと――
 すべてを話し終えても十五は何も思い出すことはなかった。城のみんなに顔を出してもらっても駄目で。
 みんなはそれに落胆していた。十五自身もひどく落ち込んでいる様子はないけれど、やっぱり戸惑いは拭いきれないみたいだ。そうして周りが晴れない顔をする中、ただきっとおれだけが一人、今の状況にどこか安堵のようなものを感じていた。
 記憶が戻らないことはやっぱり不安だけれど、でも面倒な思い出がない分、まるで初めて出会ったあの時から本来歩むべきだった平和な時間を過ごしているような気持ちになれたんだ。
 この世界にきてすぐに十五と出会い、そしてその直後にエイリアスに身体を奪われた。それから真司たちに助け出してもらうまでの日々は正直辛い記憶でしかない。おれ自身の手で、自分の意志に反し何人の命を奪ったことか。十五だっておれを人質にとられ、したくないことをさせれられ続けた。
 ――そういった意味でもやっぱり、記憶はなくなったままの方がいいのかもしれない。
 今の十五の中にはおれが操られていた時のことも、エイリアスの命に従わざるをえなかったこともない。岳里たっての希望でそれらを話すようしていたけれど、聞かされているのと実体験とじゃ違うしな。
 十五は初めて会ったその時から、いわゆる運命というものを感じておれに惚れたらしい。初対面にも関わらずおれこそが探し続けていた自身の番であると感じ取ったのだと、前に聞いたことがある。それは過ごした日々が帳消しになった今もだ。
 おれを唯一無二の番と思いっているし、実際に盟約も交わしている。だからある意味おれたちの関係に大きな変化はなかった。おれたちの間に、あるべきものはある。
 十五に記憶がないだけで。辛く悲しい思い出がないだけで。ただ、その心の声を直接おれが聞けることを知らないだけで。一番大切なものは残っているんだ。
 今はまだ多少のぎこちなさがお互いに残っているけれど、それもたった数日間で大分緩和されているし、もとは仲良くやってたんだから時期前のようになれるだろう。完全に同じにはなれないけれど、また一から新しい記憶を重ねていくのも悪くないはずだ。
 なくなってしまった時はまた一緒に過ごしていけばいい。それだけのことで焦る必要なんてない。勿論その中にはとても大切なものがあったけれど、十五だって忘れたくて忘れたわけでもない仕方ない。それに、記憶が欠落したとはいえあとは瘤ができたくらいで健康体なんだからよかった。
 ――あとはまた、あの“約束”まで。それまで仲を深めればいい。
 十五は十五だ。何年か前の状態に戻っただけで人が変わったわけでもないし、おれへの接し方も冷たくなったわけじゃない。
 記憶が戻らないのは仕方ない。むしろおれたちにとってよかったことかもしれない。だから、このままだとしても一緒に過ごしていければ、それでもういいんだ。
 だから今のままでいいのだと何度も自分に言い聞かせる。でも何故か、おれの心は満たされずにいた。  
 十五の心の声を聞きながら、手の平に書かれた文字を見つめる。その行為を繰り返す度に、息苦しかった。

 

 

 

 十五のことがあってから、六日が経った。
 城に居ても記憶も戻る気配はないし、とりあえず一度里に帰ってみようかと部屋で二人で話し合っていたある時、ぽつりと十五の心が呟いた。大切なことを忘れている気がする、と。
 思わずそれに、ぴくりと指先が動いてしまった。いつもの十五であれば目ざとくそれに気づき、どうかしたのかと心配してきただろう。けれど今は深く考えこんでいるようで、じっと床を見つめる。
 嬉しいことだった。今すぐ悟史を抱え飛び立ちたいほどの震え上がる喜びだった。
 おれは何を忘れているのだろう――そこまで呟いた十五の思考を阻むよう、部屋の扉が叩かれた。

「兄ちゃん、おれだよ。入っていい?」

 それは真司の声だった。岳里もいる、という十五の心の声を聞きながら返事をすれば、すぐに扉が開かれる。僅かに空いた隙間から勢いよく小さな影が飛び出す。それはそのまま真っ直ぐに駆け、十五のもとへと向かった。

「とーくん!」

 珍しく大きな声を上げながら椅子に腰かける十五へと駆け寄ったのは、りゅうだった。その顔は不安げで、もう真司たちから事情を説明されていることを周りに教える。その心も、十五を心配する声に溢れていた。
 その一方で十五の方はといえば、記憶を失ってから初めて会うりゅうに戸惑っていた。さっきまでの悩みも吹き飛び、この子どもは誰なのだろうと内心では頭を捻る。
 筒抜けの二人の声を聞きながら、思わず笑ってしまった。りゅうの後に続いて中に入ってきた岳里は相変わらずの表情だが、真司は同じように頬を緩めている。けれど、どこか寂しげだ。

「この子がりゅうだよ。真司と岳里の子で、おれたちの甥っ子。話したの、覚えているよな?」

 説明されてようやく合点が言ったらしい。十五はすぐに戸惑いも落ち着かせると、傍らで不安げな瞳で見つめるりゅうを抱え上げ、自分の膝に乗せてやる。
 それは、いつもりゅうにしてやっていることだった。自然とそうしたのは、記憶がなくても身体が覚えていたのか。それとも、もともとの十五の性質なのかはわかりかねた。
 十五の膝に乗りながら、けれどりゅうの顔は浮かない。

「とーくん、おけがだいじょうぶ?」

 こくんと十五が頷けば、僅かな安堵が幼い顔を和らげた。ほっと一息つく姿を眺めていると、不意にりゅうはおれに振り返る。

「……さっちゃんは、だいじょうぶ?」
「――……うん、大丈夫だよ」

 少しの間を置いてしまったのは、許してほしい。まさかおれの方までそう言葉をかけられるとは思ってもなかったから。
 でもりゅうは訝しむ様子もなく、よかった、と笑って再び十五へ振りかえる。心配したんだよ、と言ってぎゅうと首に抱きついていた。
 りゅうは実の両親である真司たちと暮らせるようになるまでのしばらくの間、十五に育てられたといっても過言ではない。だからこそ、りゅうにとって十五は肉親の次に大事な相手だ。ここまで心配するのは当然のことだろう。
 そのことはもとから話してもあったし、自分を慕う子どもを目の前にして無下にするような男じゃない。十五は目尻を僅かに和らげ、自分に抱きつく小さな身体を抱えて頭を撫でてやる。
 平和な風景だった。穏やかで、温かくて。でも、それを造りだしたはずの十五の心はせめぎ合っていた。それは、忘れたものと思い出すもの。
 子ども。竜族の、子――

「おれ、お茶の用意でもしてくるよ。折角りゅうたちが来てくれたんだし」
「あ、手伝うよ。兄ちゃんだけじゃできないだろうからさ」
「あのなあ、おれだってお茶くらいもう一人で……」
「いいからいいから。どうせ岳里もりゅうも十五さんも一杯だべるんだから、おれも行くって」

 椅子から立ち上がり扉へ向かえば、その後を真司がついてくる。折角だからゆっくりしてもらいたいけれど、これは言っても聞かないだろう。

「じゃありゅう、言ってくるから岳里と十五さんと待っててくれな」
「はあい。いってらっしゃい、しんちゃん、さっちゃん」
「いってきます」

 小さな手を笑顔で振ってくれるりゅうに手を振り返し、おれたちは部屋を後にした。

 

 

 
 明日も来るからと真司たちが帰った後、おれも用があると言って十五のもとから離れた。
 真司たちがいて騒がしかった分、二人だけになると途端に静かになって、それに耐えられなかったんだ。いつもならなんてことなかったのに、会話なんて特になくても不安なんてなかったのに、何故かひどく居心地悪く感じて。だから部屋を出た。
 どこへ向かうでもなく、城をぶらつく。そうしているうちに気づけば十二隊長へ与えられた研究室の前へと来ていて、そこを目にした時、無意識に戸を叩いていた。
 すぐに声が返ってきて、開けられる扉。そこから顔を出したジャスはおれを見るなり笑うと、部屋の中へと招き入れてくれた。
 中は相変わらずの汚さだったけれど、どうやら今は研究の進行状況は穏やからしい。まだ座る場所にと椅子が確保され、床にも机にも積み上げられた資料の山がいくらか少ない。ジャス自身も白衣がそう汚れてないし、本人も元気そうだ。
 おれを気遣ってか、それまで閉じきりだった窓を空ける。空気が流れ込んできて部屋の匂いを循環させ始めた。
 促されるままに席へ腰かければ、向かいにジャスも腰を下す。
 今では彼とは、気心の知れた友人である。初めはただ十五が研究の材料集めの手伝いをしたことが始まりだったけれど、意外と話が合って、それからは個人的な付き合いがある。勿論、手伝いも変わらずしているけれど。
 ジャスのこの研究室にも何度も足を踏み入れてきた。けれど、今までこんな重たい気持ちを抱えてはなかっただろう。穏やかな表情を浮かべながらも目ざとくおれに気づいた彼は、笑みを浮かべた。

「さて、今日はどうしたんだい?」

 そう口ではいいながらも、心では悩んでるって顔をしているよ、とおれに語りかけた。
 隊長たちや国の要人なんかはおれが城へきている間、一時的におれの持つ読心の力を遮断する魔導具を身につけるようにそれぞれがしている。それは心を読まれ国の機密事項が漏れ出ることを防いだりと、様々な理由でそうなっていて、強制ではないものの魔導具の使用は半ば決まりごとのようだった。けれど、ジャスはそれをしない。だからこそ今もその心の声が筒抜けになっている。 
 思わず苦笑いがこぼれたが、それもつかの間。すぐに笑みは消えてしまい、目を伏せた。
 一度躊躇い、それから口を開く。

「――なあ、忘れたままの方がいいってこと、あるだろう?」
「そうだね」

 突然振った話に、ジャスはすぐに理解したようだ。心の中で十五のことかと呟きながらも頷いてみせる。その声が聞こえてるからこそ話を続けた。

「それをおれが決めるのはいけないことなのかな。忘れたならそれがいいと、黙っているのはただの独りよがりなんだろうか」

 おれは、十五のことを思ってそう考えた。何度も、何度でも悩みそう結論付けた。けど――必死に忘れたものを思い出そうとしている十五自身に、果たしてそうであっていいのかとわからなくなってきたんだ。
 おれは今のままでいいと思っている。穏やかにこれからを過ごしていければと。例えこれまでに起きた楽しいことも嬉しかったことも、過ごした日々を忘れたとて。良かったことと悪かったことを天秤にかけ、選んだ。でもそれでも悩んでいるのはきっと、おれ自身がその判断に自信がないからだ。
 だからきっと無意識にでもジャスのもとへ訪れていたのだろう。物事を一切私情を挟まず客観的に決断できる、この男のもとへ。
 俯いていた顔を上げ縋るようにジャスを見る。変わらない笑みが、ただ静かにおれを見守っていた。

「辛くとも忘れたくない記憶は誰にでもあるはずだ。そしてそれを決めるのはその人自身だよ。他人が決めるのはその人のことを思っていたとしてもすべきではないだろうね」

 おれが出した答えを言いづらそうにするでもなく、事もなし気に否定した。けれどやはり、その口元に浮かぶのは笑みで。

「十五は勿論だが、誰しも辛い記憶のひとつやふたつは少なくとも持っているものだろう。わたしや悟史だってそうだ。そしてそれを経て、今の己が在る。わたしは今まで起きたことをすべて否定するつもりはないし、忘れたいとも思わないよ。そりゃ、そうまったく思わなかったともいえないが」

 苦笑を浮かべると、目を逸らし窓へと向ける。つられておれもそこへ顔を向ければ、いつの間にか空の果てに夜の色が溶けはじめていた。

「――わたしにもね、とある子の記憶を消してやりたいと思うことがあるんだ。今でも思い出し苦しんでいる姿を知っているからこそ、ね。けれど君と似た立場で選択ができるとして、それでもその子から記憶を奪うということはしないよ。さっきも言った通り、辛い記憶を経て今のあの子がある。でも何より、その子自身がそれを望んでいないからさ」

 言葉の裏に見える“その子”の顔を思い出せば、ジャスは愛おしそうに心の中でその名を伏せるわけでもなく呼んでいた。あえておれに聞かせているのかもしれない、と続く静かな声に感じる。

「聞いたことあるんだよ。もし記憶を消せたらどうするって。そうしたらその子は忘れたくないと答えたんだ。今でも答えの出ない苦しみを抱えたままでいいと。だから、わたしはあの子の意志を尊重する。どんなふうに自分が願おうともね。あの子の全部を受け止めるよ」
「…………」
「なあ、悟史。彼は辛いと、嫌だと言ったことはあるのかい?」

 自分の手を汚した記憶を。心の覗かれるということを。十五は受け入れず、君から目を逸らしたことがあるかい?
 ふたつの声に問われながらも、答えることはできない。ただ僅かに空いた窓の外を見つめ、口を閉ざす。
 だけれどそれを責めるでもなく、不快に思うでもなく、ジャスは柔和な顔を崩さないままに続けた。

「岳里や、それと記憶を失う以前の十五、他の竜人たち。多くの竜人を見てきたけれど、彼らは一様に嘘を好まない、素直な人たちだと思うよ。大抵が白黒はっきりしているし、案外単純とも言える。そんな一族の彼が、君になら心を見せてもいいと言っていたのであれば。以前の言葉であれそれを信じてもいいんじゃないだろうか。それに」

 不意に途切れた言葉。心の声も続かず、不思議に思って振り返る。するとそこには楽しげな表情でおれを見るジャスの姿があった。

「それに、唯一自分の声が届けられる相手が番である君であるのなら、彼は嬉しいんじゃないかなって、わたしはそう思うけれどね。つがい馬鹿な竜人のことだ、君と過ごした日々はどんなことがあったにしろ、一秒たりとも忘れたくなどないと願ってるんじゃないかな」
「――研究馬鹿につがい馬鹿だなんて言われるなんて、十五たちが聞いたらなんて言うかな」
「さあねえ。まあ、耳に入りさえしなければ問題はないだろう。ということで悟史、よろしく頼むよ」
「しかたないな」

 秘密ってことでね、と茶目っ気たっぷりに片目をつぶって見せた男に、思わず口元は緩んでしまう。してやったりと嬉しそうに笑うジャスに心でお礼を言いながら、椅子から立ち上った。
 ジャスも席を立ち、部屋への扉へ向かったおれを見送りに後ろへ続く。
 取っ手に手をかけたところで、最後の声がかけられる。

「――もし、改めて問いかけてみて記憶はいらないと答えたのであれば。またわたしのもとを訪ねてくれ。思い出すか思い出さないか曖昧な状態よりももっと確定した記憶を喪失させることができるから。実は、薬はもうあるんだ」

 あの子のために用意しそして使わずじまいだった記憶を奪う薬。そんなものがあったからこそ、ジャスも問いかけたことがあったんだろう。そして今それで、おれの背を押してくれた。

「ありがとう――それじゃあ、いってくるな」
「ああ。わたしはいつでもここで待っているよ」

 最後にもう一度だけ振り返り、彼の浮かべる表情を見てから研究室を後にした。

 

 

 

 部屋に戻ると、十五は窓辺に立ち、外を眺めていた。ここへ来るまでに日は落ちてしまい、光玉をつけていないせいで部屋は随分と暗い。
 今日は月明かりもさほどなく、それでは廊下の明かりで慣れていた目はすぐに部屋の暗さに対応できなかった。
 明かりをつけてもよかったんだけれど、何故かそれが憚れて。ただじっと、十五を見つめながら目が闇に馴染むのを待つ。
 十五はおれが来たことに気づいているはずなのに、外へ目を向けたまま振り返ることをしない。その心も何も語ってはおらず、何を思っているのかわからず。声を、かけられなかったっていうのもある。
 ようやく目が慣れてきた頃に、静かに十五が振り返った。暗闇の中でもその輝きを失わない竜の目をおれに向け、そっと心で語りかけてくる。
 悟史、すべてを思い出した――と。

「思い、出したって……ほ、本当か!? 記憶が戻ったのかっ?」

 その台詞に立ちすくんでいたはずの身体は勝手に動きだし、十五へと駆け寄る。
 堪らず腕に触れれば、冷静な心の声は続ける。その言葉に身体は凍りついた。

「やはりな、って……おまえ、まさか」

 まるで頷く代わりというように、僅かに細くなる金色の目。
 触れた腕から手を離し、一歩後ろに後ずさる。十五は窓の方へ向けていた身体をおれへと直した。
 ――やられた。まんまと、騙された。
 十五は何も思い出してなんていなかった。ただ心の中で故意に、おれに聞かせるためにそう呟いただけで。実際は何にも、思い出してなかった。
 おれには十五の心の声が聞こえる。心で考えたことはすべて声のように聞こえてしまうから。でもそれは心で呟いたものすべてであり、そこでの独り言も、語りかけてくる言葉もどれもが等しくて。
 十五は思い出したと心で呟きあえてそれを聞かせ、反応を見た。そしておれはそれにまんまとひっかかったというわけだ。
 読心術を持つということを、十五に見破られたんだ。
 気づいた素振りなんて全然見せなかったのに、ジャスのもとへ行っていたほんの僅かな時間の間にでも勘付いたんだろうか。
 考えたところでそれはわからない。もともと十五は敏い男であるし、おれの変化にはよく気づく。いずれは隠しているものに気づかれるんじゃないだろうか、とは常々思っていたから、張られた罠にかかったことに驚きはすれど、ばれたことに対してはそれほど思うところはなかった。
 それにもう知られてしまったのなら仕方ない。そもそもようやく打ち明ける覚悟を持ってここへ戻ってきたんだから問題もないだろう。
 どうにか自分に言い聞かせ、冷静を取り戻す。それでも冷える指先はどうにもできず、きつく拳を握った。

「……黙ってて、悪かった」

 十五は首を振る。その表情もいつものものとなんら変わらず、それが本心なのだと教える。けれど、それに続いた声は珍しく、少しだけおれを責めるように尖っていた。

「何故、黙ってたか、か」

 彼の言葉をおれが声に出す。それは、十五と会話する時の癖のようなものだった。
 いくら心の声が聞こえるとは言え、それを過信してるわけじゃない。だから十五が実際思ったことと齟齬がないかを確認するためにもしていたものだ。
 十五が記憶を失くしてからというものそれをやっていなかったから、こうして彼の言葉をおれが声に出すのは、なんだか懐かしい気がする。
 ゆっくりと歩みだし、窓辺に立つ十五の傍らで足を止める。顔を見る勇気は出ないから、そのまま僅かに開いた窓の外へ目を向けた。

「おまえが、いやだろうって思って。心の声を聞かれていることに気づいたらいい思いはしないだろう? 結局読心の力のことをおまえに話しても話さなくても結果として聞こえるものは聞こえてしまうけれど、でもお互いの心もちは違ってくるじゃないか」

 おれがそう言ったのか、と問いかけてくる“声”に首を振る。
 十五は一度として、いやだなんて言ったことはない。実際偽ることはできない心でもそう思ったことも、そうおれに感じさせることもなかった。
 むしろ、嬉しいと。そう言ったことはある。自分の声をおれに届けられてうれしいと。おれと会話できるのが幸せだと。
 ――でもそれでも、不安で仕方ないんだ。人の本心がどんなものかも知っているから、どんな些細なことで心変わりするのかも、大概の人が嘘が上手なことも、色々と知ってしまっているから。だから――おれ自身が十五の心を覗くことが、怖い。
 本当は里へ戻ったら、十五に魔導具を贈るつもりでいた。おれの読心を無効にするものだ。
 以前の十五はそれを頑なに受け取ろうとしなかったけれど、今の十五になら魔導具ということを伏せ、ただの贈り物として身に着けてもらうことは可能だろう。そうすればおれが十五に対し力を使うことはなくなる。本来あるべき、対等な立場にそれでようやくなれるんだ。
 時にこの力を利用してきた。いつでも聞こえるというのは厄介だったけれど、役立つときの方が多かった。少し前にようやくこの力とも向き合え、本当の意味で受け入れるようになれたと思う。
 でも、それでもやっぱり駄目なんだ。
 本当に、大切だから。かけがえのない存在だからこそ。本心から嫌われ拒絶たらきっと立ち直れない。もう嫌だ、なんて声聞きたくなんてない。
 穏やかな“声”に名前を呼ばれる。それでも振り返らずに窓辺に手をかけじっとしていると、不意に後ろから抱きしめられた。

「しん、じろ……?」
「――……」

 彼の言葉をおれの声で繰り返せば、回された腕の力が強まる。そして淡々と、けれど熱く伝えられる想い。
 それを聞いているうちに、不安に染まっていた心があてられたようにじんわりと熱を取り戻していく。本当なら聞こえないはずの声に温もりを与えられ、包まれていく。
 目を閉じ、自分から十五に寄りかかるように身を委ねた。

「――うん、うん……ごめん、おまえの言う通りだ。本当、弟ともどもおまえたちは馬鹿だよ……十五を信じる。もう悩んだりもしない。あの日々も、今が穏やかに過ごせているなら、それでいいんだよな」

 胸にひとつひとつ、おれにしか聞こえない声が降り重なる。それがまるで不安というひびが入ったそこを埋め、満たしてくれるように。恐ろしく思う気持ちが消されていく。そして、変わっていく。

「信じられないものはこの世にたくさんあるけれど、でも。おまえのその言葉だけは何があっても信じるよ」

 誰にも聞こえない声。それがおれを苦しめるばかりだった力で教えてくれる。
 どんなことがあろうとも、もしも世界中が敵にまわろうとも。唯一、おれを裏切らない男。傍にいて支え続けてくれる十五のことを、教えてくれる。
 もう大丈夫。
 もう、怖くない。
 十五の記憶が戻っても戻らなくてもおれたちは同じように歩むべき道を進むだけだ。一緒に歩いて、そして疲れた時は互いに“声”をかけあって支え合っていけばいい。
 前に回された十五の手を軽く叩けば、すぐに緩められる。腕の中にいるままくるりと振り返り、今度は自分から十五に抱きついた。
 頼ってもいい。甘えてもいい、唯一の存在。こいつの前でなら色々な声に怯えなくてもいい。だってこいつは、十五はおれの竜人だから。つがいなんだから。
 顔をあげれば、おれを見ていた金色の片目と視線が重なった。僅かに細くなり柔らかくなるそこを見つめながら、背を伸ばしてそっと顔を近づける。
 目を閉じ、唇を重ねて。すぐに離れようとしたとき、ふと十五の心の声が呟いた。
 思い出した、と。

「っ、ん……!?」

 どうしたんだろうと僅かに顔を離したところで目を開ければ、腰に回されていた手で頭の後ろを抑え付けられ、再び十五の唇が重ねられる。思わず開いた口から舌がねじ込まれた。

「――っふは……ん、っ」

 突然のことにただただ受け身になるしかない。どうにか呼吸することを精一杯にやっていれば、散々口の中を堪能した十五の舌はようやく離れていく。
 最後にちろりと下唇を舐めながら、おれの名を呼んだ。そして、言葉を続ける。

「え、記憶が、戻った? なんで、そんな急に……っは!? き、キスで!?」

 珍しく口元まで僅かに緩めて、おれの頬に口づけしながら十五はそうだと答える。その間にも服の下に入り込んだ手が背中の素肌を撫で、慌ててそれを抑え込んだ。

「や、やめっ――い、いや、確かにあの時おれからキス、したけど……っ約束も嘘じゃない! 嘘じゃ、ないけどっ」

 懸命に十五の手を止めようと抵抗するも、竜人の力に敵うわけもない。腰を撫でられ首筋を吸われ、どんどん服は崩れていく。強引なのに、それでも優しい手つきにおれも完全には拒否できない。
 十五は本当に記憶を取り戻したらしい。それも、さっきおれからした口づけで。
 きっと――“約束”を交わしあの時、初めておれから唇を重ねたから。その時の記憶に引きずられ、思い出すことになったんだろう。
 すべて思い出したということは、つまりあの夜に交わした“約束”も思い出したということで。

「約束は守る。おれだって望んでることなんだから。でも、今すぐここでやるわけにもいかないだろ! ――い、いや、今すぐ帰るのも駄目だ。……何故って、世話になったし、みんなにお礼とおまえのことをちゃんと」

 再び重ねられた唇に言葉は途切れる。ついばむようにもう一度口づけをし、顔は離れていく。間近で見るその片目の金色に、息を飲む。
 いつもの涼しい表情をしながらもその瞳に情熱を燃やしながら、十五は言った。
 これ以上は待てないと。はやく、ほしい。おまえとおれの子が――と。
 ――ずるい。そんな風に言われてしまえば、拒むことなんてできないだろう。
 ため息をひとつつき、目の前の男の頬に手を沿える。

「……おれだって、早くほしいよ。でもみんなに世話になったことをお礼言って、里に帰ってからじゃないと駄目だ。大丈夫、そしたら始めよう。急ぐことはないよ。おれたちの子は、すぐ近くで待ってくれているんだからさ」

 頬の方にまで伸びた左目を通る傷跡を撫で、もう一度自分から背を伸ばし、十五に口づけをした。
 ずっと、おれの覚悟が足りなくて。長い時間十五には待ってもらった。でもこの国へ訪れる前夜にようやく腹を決め十五と約束を交わしたんだ。
 帰ってきたら、子を作ろうって。おれとおまえの子を、この世に呼ぼうって。
 色々あって遅くなったけれど、でも焦る必要なんてない。宝種はまだおれの身体には入ってないけれど、でも確かに、おれたちの傍で待ってくれている子がいるはずだ。きっと、あの約束の時からずっと。――いや、もしかしたら十五と出会ったその時からかもしれないな。
 長い間ずっと待たせてしまったけど、でももう大丈夫。近い将来、必ず会えるんだから。
 頬に触れていた手を離せば、回された腕も静かに離れていく。乱された服を整えながら、十五に笑いかけた。

「行こう、十五」

 一度は忘れられた大切な約束を果たすため。取り戻した記憶をまた楽しい思いで積み重ねていくため。
 二人で声をかけあいながら、進んでいこう。
 
 おしまい


 ずーっと、いっしょ main 実家に帰らせていただきます



記憶喪失ということだったんですが、十五×悟史で書くと決めてしばらく経って気づきました。
やつら、そのネタでは書きづらかったんですよ……。もともと十五が一目見て運命感じちゃった、というやつなので、記憶まるっとなくてもやっぱり初めて見たことになる悟史に初めから惚れていると言いますか(笑)
なので今回は、“約束”というものを記憶喪失のほうにひっかけてみました。うまくネタを生かせたかわかりませんが、今回この二人をはじめて書かせていただけて楽しかったです。

十五の声はあくまで悟史にしか聞こえない、ということで、『』を使っての彼の言葉を表現するのはやめました。そのせいで読みづらかったと思いますが、少しでも楽しんでいただけたのであれば嬉しいです。

今回はシリアス風味でしたが、次は甘い二人を書いてみたいです! 十五も竜人なので、岳里並につがいには甘い予定です(笑)
是非、この二人のこともよろしくお願いいたします!

ご投票ありがとうございました!