はじめての手料理


三周年記念企画にて、水森都月さまのリクエスト
 ・【Desire】の岳里×真司
 ・初めて真司が岳里に手料理を振る舞う場面


 

 城の厨房を借りたこの場所で、おれは腕をまくってから組んだ。

「卵はあるし、牛乳も……米もオッケーだし、肉もあるし、ケチャップは……まあ、さすがにないようだから作るしかないか」

 目の前に並べた食材と、調味料と、そして調理器具を見つめ、おれは小さく溜息をついた。
 昔一度だけ、ケチャップを切らしていて、何とかあるもので代用できないかとネットでその作り方を調べたことがある。時間はそこそこかかるけど、あの料理を作るにはケチャップが必須だ。一度しか作ったことがないから記憶はあやふやな部分もあるけど、その辺は勘に頼ろう。
 米もまず炊くことからだし、ケチャップも自分で作らなくちゃいけないから、それなりに時間がかかりそうだ。面倒だな、と思いつつも、けれどおれの内心は静かに弾んでいた。
 久しぶりに触れる調理器具。使い慣れた自分の家のものでなくて、城の、よく調理師が手入れをしているものだけど、それでも。浮足立つ気持ちは地に足をつけようとはしない。
 この世界に来てからというもの、それまで毎日作っていた料理は一切してない。だからこそ余計にそうなるのかな。

「……さて、とりあえず作るとするか」

 ケチャップにどれだけの時間がかかるかわからないから、取り合えず米を炊くのは後回しにしよう。

「えっと、深めの鍋は……」

 きょろきょろと周りを見回し、適当な棚に手を伸ばしてはそこを開けて、中を確認する。次に開けたところにたくさんの種類の鍋が置いてあった。
 やっぱり、手伝い頼めばよかったかな。
 今更ながらにこの調理場に本来立つはずの、城に勤める調理人の申し出を断ったことを後悔した。どこに何があるかある程度教えてもらったし、最初に道具の場所や使い方は軽く説明を受けたけど、所詮うろ覚えでしかない。
 わからないからって適当に探し回ってベタベタ触りたくないし、かといって今更やっぱりお手伝いお願いします、だなんて言えない。
 深く考えず断ったおれが悪いんだけど、やっぱり自分の家で作りたい気持ちが強くなる。
 そんな気持ちを、内心で頭を振った。

「よし、やるか」

 おれはもう一度手洗いをしてから準備されたトマトの山からひとつを手にした。みずみずしくも赤く熟れたトマトは、表面におれの顔が見えそうなほどつやつやしていた。
 ――事の始まりは、岳里の一言。
 いつものように朝食を食べていて、ふとおれが、久しぶりに料理を作りたいな、とぼやいたんだ。他意はなく、本当にただなんとなくそう思ったから、岳里に言ったっていうよりも独り言に限りになく近い。
 けれどやつは聞き逃すことなく、そうつぶやいたおれの顔をじっと見つめてきた。
 てっきり岳里は、おれが料理できるのか怪しんでるんだと思って、これまでは家のことはおれがやってきたんだーだなんて話してやる。
 するとすぐに返ってきた言葉は、相変わらず素っ気ない一言。

『作ればいい』
『えっ』
『この世界の食材は基本的にむこうと同じ。作ろうと思えばいくらでもできるだろう。作りたいのなら作ればいい。おれが食べる』

 “作りたいのならば作ればいい”と、岳里はなんてことないように言い放って食べ掛けだった朝食を再び口に運びだした。
 その時はおれも確かに、と岳里の考えに賛同して、今度おいしいの作ってやるよ、なんて返したわけだけど……岳里の行動力を、大いに侮っていた。
 朝食を食べ終えたおれたちのもとに、皿の回収に来たユユさんに厨房を貸すよう言って。それが王さまの耳に言って好きなだけ使えばいい、材料も提供しようとなってあっという間に今の状態だ。
 確かにおれも作れたらいいな、とは思ってたけど、まさか城の厨房を借りられるとは思ってなかったし、何より今日作るとも想定しなかった。
 けど――ぷつぷつと多少岳里に文句を言いつつ、トマトのへたを切りながら、内心で浮つく心は確かに岳里に感謝していた。きっと岳里が言ってくれなければ、おれは何も行動を起こさずそのままだったろうから。
 料理をしてもいいと決まったとき。何を作ろうか、凄く悩んだ。
 せっかくだからおれの腕前……城に勤める本物の料理人たちには到底かなわないけど、小学生の頃から作っているんだから、それなりのものを作れると自負してる。だから折角だからおれの力量を味わってもらおうかとも思ったけど、さまざまな料理を頭の中で巡らせ、ふと出てきたのはあの料理。
 結局、散々迷った挙句、おれはその料理を作ることにした。
 ――で、今に至るわけだけど。
 今更ながらに本当にそれにしてよかったのか、少し迷ってる。もう材料も用意してもらったし作り始めたから変えることはできないけど、それでも心の片隅にはほんの少しの不安と、それとこの料理を作るときにいつも感じるひとかけらの感傷。
 でも、はじめて岳里におれの料理を食わすわけだし。やっぱり、“はじめての手料理”を作りたい。
 もう何度も何度も作ったことのあるそれを思い浮かべながら、おれはケチャップ作りに精を出した。

 

 

『おかあさん! これ、ちがう……』
『え、そんなことないわよ。真司が作ってほしいって言ったからちゃんと作ったじゃない』
『だって……たまごでくるまってないよ。あーちゃんちのおかあさんのは、おみせみたいにくるってなってたよ?』
『ああ、あーちゃんちのママはお料理がとっても上手だものね。おいしかった?』
『うん!』
『そう、それはよかった。だからママに作ってって言ってきたのね』
『そうなんだけど……ぜんぜんちがうよ』
『だってママ料理下手なんだもん。それに不器用だから、できなかったの。でも見た目はダメダメでも、頑張って愛情込めておいしくなーれって作ってたから、きっと味はおいしいわよ』
『でも……』
『真司はくるっと巻かれたの食べたかった?』
『うん』
『そうなの。ごめんね。でもそれが真司のママが作ったものだから。あーちゃんちのママみたいに作れなかったけど、許してくれる?』
『……ううん、ぼくこれでいいよ。おかあさん作ってくれたんだもん、これがいいな』
『真司は優しいね。真司がおっきくなったら、ママに綺麗にくるんだやつ作ってくれない?』
『ぼくが?』
『うん。真司はパパに似てお料理上手だものね。きっと真司になら作れるはずだから、将来、パパとママとお兄ちゃんに、おいしいの食べさせてね』
『うん! がんばる! ……でも、きれいにできなくても、あいじょういっぱいだったらゆるしてくれる?』
『勿論。だって、真司が作ってくれるものだもん。多少見た目が悪くてもそんなの関係ないよ――』

 

 

 結局、両親にその料理を食べさせてあげることはできなかった。
 そんな会話をした日からそれを母さんは料理下手なりに精一杯作ってくれて。おれにとっての母の味になったんだ。
 久しぶりに作り完成したそれを眺めながら、おれは懐かしい記憶をたくさん思い起こす。料理をしたからなのか、特にあまり料理を得意としなかった母さんの失敗作の数々を浮かべては、人知れず口元を緩ませた。

「真司さま、岳里さまが湯浴みを終えてお部屋に戻られるそうです」
「あ、はい。今行きます」

 思わず目の前の自分の料理をじっと眺めていたら、ふいに厨房の入り口から声をかけられる。
 おれはそこから目を離して、返事した。置いていた料理にふたをし、それを持って自分の部屋へと向かった。

 

 

 

「……これは」

 部屋に入ってきての、岳里の第一声。それはテーブルに置かれた、おれの作った料理に注がれていた。

「ケチャップって、さすがにこの世界にはなかったから一から作ったんだけど、やっぱ多少味がちがくてさ……その辺は許してくれよな」
「別にかまわない」
「ん、あんがと。ほら、立ってないで座れよ」

 テーブルから視線を移すことなく、そこをじいっと見つめたまま岳里は席に座る。
 座ってから一拍おいて、ゆっくりと口を開いた。

「オムライス、か」
「そう、当たり」

 すでに腰を下ろしていたおれは、岳里の一連の動作を眺めながら僅かに小首を傾げたその姿に思わず小さく笑ってしまった。
 けれど岳里はそれを気にする様子もなく、ただ熱心におれの作ったオムライスを眺める。
 岳里の目の前にあるオムライスは、よくあるくるんである定食屋のようなきれいなオムライスでなく、かといってレストランのようなふわふわの卵がそっとのせられたものでもなくて。
 ただ炒りすぎてぼろぼろに崩れた卵が、同じく形を整えられていないただ盛られただけのチキンライスの上に乗っているだけの、見た目が悪いものだ。赤く染まった米の上に卵が乗っているだけでなんとなくそれらしいと認識できるくらいの、子供の夢を壊すかもしれないオムライス。

「ま、形は悪いだろうけど味は確かだからさ。おいしいとは思う」

 おれの言葉に、岳里はオムライスののった皿の隣に置かれた匙を手に取った。
 そしてそのままおれ特製の、不格好なオムライスの端を救い上げ、チキンライスと卵をそれぞれ口に運ぶ。
 僅かな咀嚼し、飲み込んだあと、すぐにもう一口とって口に運ぶ。
 もっくもくといつものように、けれどいつもより皿の中を凝視しながら食べる岳里におれは尋ねる。

「うまいか?」
「……ああ。うまい」

 返ってきた言葉に満足して、おれも自分の分を食べ始めた。
 やっぱりいつも市販のケチャップを使ってたから、どうしても味が少し違う。トマトそのものの味が強い。けれどそれに合わせて味付けも変えたし、満足できる出来に仕上がっていた。
 火の通りすぎた卵が多少パサつくけれど、でもそれがひどく懐かしい。
 一口、また一口と運ぶたびに、その分胸に仕舞っていた思い出がよみがえってきて、おれはそれまでもそもそと動かしていた口を止める。
 それに気が付いたのか、すでに半分近く食べてしまった岳里が顔を上げる。
 でも、普段なら岳里の食べるペースはもっと早い。おれの料理だからって、いつもよりも少し味わってくれてるんだろうか。
 そう考えると何となく嬉しくて、思わず口元を僅かに緩める。けれど岳里に見られていることを思い出して、すぐにそれをごまかす笑いに変えた。
 岳里が口を開いたのはそれからだった。

「どうかしたのか」
「ん? いや、我ながらうまくできたなーなんて……」
「それだけか」

 岳里の様子を見てなんだか嬉しくなった、とは言えず、適当なことで答える。けれど返ってきたのは別を求める言葉で。
 岳里には隠せないな、だなんて思いながら、おれは自分の皿の、何度見ても不格好なオムライスを見つめた。

「――おれの母さん、あんま料理とか得意な方じゃなくてさ。綺麗に卵でくるんだオムライス食べたいって言ったら、このオムライスが出てきたんだよ」

 せめて、薄く焼いた卵を、丸く整えたチキンライスの上に乗せるだけでもらしく見える。けど母さんは面倒くさがりなところもあって、フライパンから移したままの状態のライスの上に、もはや卵焼きを乗せるオムライスを作ってみせた。
 まだ幼かったおれは、前に友達のお母さんが作ってくれた綺麗なオムライスが食べたくて母さんにリクエストしたわけだけど、出てきたのはそんなので。
 正直言ってしまえばオムライスに見えないそれが、でもおれには嬉しかったんだ。食べれば味もまだらで卵も火を通しすぎて若干焦げが見えたし、切られた野菜も不揃いで鶏肉も大きすぎてなおかつかたくって。でも、母さんに見守られながら食べたそのオムライスはおいしかった。
 おれがオムライスを食べたいと言えば、必ずそのおいしそうにはみえない、でもおいしい母さん特製オムライスが出てきたんだ。
 その特製オムライスが嬉しくて、よくリクエストして、食べる機会が増えて。いつかそれが、おれの家庭の味で、おふくろの味になった。
 ――母さんと父さんが亡くなって、おれの気持ちが落ち着いた頃。忙しい兄ちゃんの代わりに家のことはおれがやろうって決めた。料理も、手伝い程度しかやったことないけどやらなくちゃと思った。
 一番初めに何を作ろうか考えた時、真っ先にうかんだのが母さん特製のオムライスだった。何度も作るのを見てきたし、母さんの作り方ならおれでも十分できるはず。そう思って、作ってみたんだ。
 意外にも失敗することなくオムライスはできて、おれはそれを食べてみた。けど、あまりおいしくなかった。卵はぱさついてるし、ケチャップの具合も偏っていて、味はよく母さんの作るものに似ていた。けれどおいしくない。
 二口目を食べてもやっぱりおいしくない。だからおれはもう一度作り直した。でもそれも味は同じなはずなのに何かが違くて。
 どうして違うのか、なにが違うのか、それが分からなくて途方に暮れていると、そこに兄ちゃんが帰ってきた。
 すぐにおれの様子を察したのか、おれの隣に座ると、おいしくないオムライスが乗った皿を自分の前に持っていった。
 おいしくないよ、とおれが忠告しても兄ちゃんは、真司が初めて作ってくれた料理だなって笑って、おいしくないはずのオムライスをおいしいおいしいと笑顔で食べてくれた。
 ――真司が作ったのか。大変だったろ? ありがとうな。すごくうまいよ。母さんの味と一緒だ。すごく、すごくうまい。
 兄ちゃんはそう言って、何度もうまいって。嘘だっておれが言っても返ってくる言葉は変わらない。
 お前も一度食べてみろって兄ちゃんに言われて、促されるままおれは気がすすまないけどオムライスをもう一度だけと口にする。
 やっぱり、おいしくない。そう思って、おれは兄ちゃんの方へ向き直る。
 けれど、な、うまいだろ? って聞いてくる兄ちゃんの笑顔を見てたら、ぽろっと涙が出た。
 突然のことに驚いた兄ちゃんを余所に、おれはもう一口運ぶ。
 何度食べてもおいしくなかったのに、今度はおいしかった。母さん特製のオムライスのように。だからなのか、久しぶりに食べれたからなのか、勝手に涙が溢れて。
 おれは泣きながら自分で作った母さんの味を、兄ちゃんに見守られながら食べたんだ。
 ――でもその日以来、母さんの味を真似て作るのだけはやめた。ただ、姿と卵だけ同じにして、チキンライスの味なんかはおれなりに工夫して味を直した。ひとりで食べてもおいしいと思えるように。
 おれが初めて作った料理が、オムライス。新しいことを始める日にそれを作っては食べて、自分を奮い立たせた。だからこの世界で初めて作る料理はこのオムライスがよかったんだ。
 そんな話を、色々かいつまみながら岳里に話した。話し終えて、おれは少しさめてしまったそれを口に運ぶ。岳里もまた、残る半分ほどを食べ始めた。

「――結局さ、やっぱり一人で食べる飯はおいしくないって話。悪いな、長々と話して」
「構わない」

 返ってきた言葉は、ただそれだけ。他に何一つなく、逆にその静けさがありがたく、心地よかった。
 本当はこんな話、する気はなかった。変に気遣わせたくないし、同情とか憐れみとか、そんなのもいらないから。それなのにどうしてだか岳里には話してしまった。
 ――たぶん、この話をしても岳里が、そうか、とかそんな一言で片づけてくれるってわかっていたからなのかもしれない。
 岳里が口を閉ざしてから、二人しかいない部屋には沈黙が訪れる。けれどそれが気にかかることもなくただ自然に受け入れられる。
 そのことに、おれの中には矛盾した戸惑いもあった。長く過ごしてお互いをよく知る家族や友達ならまだしも、岳里はこの世界に来てからようやく会話を始めたような仲。それなのに、その隣がすごく心地いいから。
 ふと、顔を皿から上げ岳里を見ると、いつの間にか食べ終わっていたらしくじっとおれの方を見ていた。

「……おかわりあるけど、食う?」
「食う」

 岳里の即答に思わず笑みをこぼしながら、おれはあえて隠しておいたおかわり分を用意してやることにした。

 

 

 

 岳里は用意していた大盛り三杯のオムライスだけではまだ足りなかったらしく。おかわりはもうないと言ったおれに珍しくわかりやすい無言の訴えをしてきた。
 けれどないものはない。
 大食いな岳里だからそれに合わせて大量に作っておいたし、いつも食べてる量よりすこし大目にしておいた。それに岳里は普段足りなかったとしてもそれならある分で我慢するのに、なんで今日に限って。

「こ、今度また、別のもの作ってやるからさ。もっとたくさん、作っとくし」

 おれがそういうと、岳里も了承したのか、無言のままゆっくりと、けれど大きく頷く。
 食べ終えた皿を重ね整理していると、ふいに岳里が背を向け、ベッドの方へ向かった。それをなんとなく視界の端でとらえていると、岳里はベッドの下に手を突っ込み、手の平ほどの大きさをした、布に包まれたものを取り出す。
 その間にとりあえず皿を端に寄せ終えたおれは岳里のもとへいく。

「なんだそれ?」

 覗き込む前に、岳里がそれをおれに差し出した。

「料理を、作ってくれた礼だ」
「そんな、お礼されるほど大したものは作ってないけど……ん、でもあんがと」

 素直にそれを受け取り、手に収まったそれを一度見て、それからちらりと岳里に視線を投げる。
 岳里が小さく頷いたのを見て、おれはそっと中身を包む布の結び目を解いた。
 そこから現れた懐かしいものに、思わず声を上げそれをまじまじと見てしまう。

「これって……りん、ご?」

 程よい赤みの肌が光玉の明かりに照り輝いている。鼻を寄せて匂いを嗅いでみてもやっぱりそれは、見た目通りの林檎の香りで。
 でもこの世界の果物はおれたちの世界と姿形、味と名前と違うはず。これまで一致したものはなかったはずなのに。
 けど今おれの手にあるのはまさしく林檎だった。
 戸惑いに岳里を見れば剥がした布をとられる。

「この世界の果物で唯一、もとの世界とほぼ一致する果物を見つけた。多少の差異はあるが気にはならないだろう。――おまえが好きな林檎だから、王に頼み取り寄せてもらった」

 おれが前に一度だけ林檎が好きだ、と話したのを覚えていたことに驚きつつ、おれはもう一度手に乗るそれを見た。

「これ、本当に林檎なんだ……?」
「ああ、名はリッシュだがな。それと林檎よりも皮が柔らかく、そのまま齧るのが主流らしい。洗っておいたから今食べることができる」

 林檎、もといリッシュを掌に置いた状態から掴んでみると、確かに皮の質が少し柔らかい。けれど中身は林檎のようにがっしり入っているみたいで、肌触りが多少違うだけだ。
 岳里に見守られながら、おれはもう一度お礼を言ってから一口かじってみる。
 爽やかな酸味と、ほのかな甘み。鼻を抜ける香りの良さや、その歯ごたえはまさに林檎そのもので。

「ん、うまいっ」

 懐かしい味と見た目に、思わず声がはじける。すぐ二口目に行こうとしたところで、すぐ隣にいる岳里がじっとおれを見ていることに気づいた、
 岳里が同じものを食べていない様子を見ると、たぶんこのリッシュはおれの分しかないんだろう。
 もう一口かじりそれを噛み砕きながら少し思案した後、おれは二口分凹んだそれを差し出した。

「食べかけで悪いけど、それでもよければ食うか?」

 岳里は一拍置いてから、ゆっくりとリッシュに手を伸ばして受け取り、一口かじった。すぐに返ってきたそれをおれは持ち直し、また一口と歯を立てる。
 ふたりでもぐもぐと口を動かし飲み込んだあと、なんとなく顔を見合わせる。
 すると、岳里の顔が珍しく微笑んでいて。おれの口元も同じく緩んでいて。

「誰かと一緒に食べるのは、うまい。おれもそう思う」
「……ああ、そうなんだよ。全然違うよな」

 さっきの二口もおいしかったけど、岳里と顔を見合わせながら食べたそれはもっと甘みが増した気がして。
 そっちの方がうんとおいしかったから。おれたちは、リッシュを二人で分け合って食べた。

 おしまい

赤月の夜 main 獅子には非ず


 

今回のタイトルは、「真司が岳里に初めての手料理を作る」と、「真司がひとりで初めて作った手料理」のふたつの意味があります。
彼の料理上手をアピールできる場を与えてもらったのですが、幼い子供一人でもできそうな料理という条件を作ったためにオムライスなんてものになってしまいました。
言い訳にしかならないかもしれませんが、真司は本当に料理は得意なんです……。
水森さまの望んだものに仕上がったかはわかりませんが、楽しんでいただけたのであるならば幸いです。
水森さま、今回は三周年記念企画にご参加くださりありがとうございました!
これからもどうか、当サイトをよろしくお願いいたします

2012/10/27