三周年記念企画にて、アユミさまのリクエスト
【Desire】
・ジャンアフィスの怪しい薬によって真司に獣耳と尻尾が生えてくる
・プラス、周りの反応
一度深呼吸をしてから、おれは目の前の扉を恐る恐るノックした。
すると、何かがぶつかる音がして。何かが割れる音がして。悲痛な声が上がる。
しばらくしてのろりと扉が開いた。
「な、なんだろうか……」
「あ、ジャス。ミズキからお使い頼まれて。これ」
手にしていた資料の束を差し出すと、ありがとう、と弱々しく微笑んでからジャスはそれを受け取った。
少し前にミズキと廊下でばったり出会って、よければ頼まれてくれないかと半ば強引に押し付けられたジャスへ渡すための資料。無事役目を果たしたと、それじゃあ、と踵替えしたところですぐに呼び止められた。
「まあわざわざ来てくれたんだ。そう急ぐわけでもないのだろう? お茶でも一杯飲んでいくといい」
あまり淹れるのはうまくないが、飲めないわけではないからと、おれの答えを聞く前にずりずりと部屋の中に引きずり込まれる。
いつもよりは多少は片付かれた、けれど相変わらず足の踏み場が見当たらない部屋の中、おれはちらりと出口に目を向ける。
「あの、おれは暇でもジャスは忙しいだろうからさ、お茶はまた今度……」
「なに、ちょうど休憩しようと思っていたところだから気にしないでくれ」
先程の落ち込みようは既になく、人の良さげな笑顔を浮かべながらおれのためにお茶の準備をしてくれる。けれどおれはそれをありがたいと眺めているわけにいかなかった。
ジャスには、語弊があるかもしれないけど岳里に薬を盛った前科があるし、発明品についてあまりいい噂を聞かない。
ミズキは本当に猫の手も借りたいほど忙しかったらしく、仕方なしにおれに使いを頼んだだけで、絶対すぐにジャスのもとからは引き返すように言われていた。
けれどもう部屋に入っちゃったし、お茶の色やにおいにおかしなところがあればすぐに帰ろう。
腹をくくり、もうそれ以上長居はしないと決断した時、ジャスが振り返る。
「さあ、どうぞ。実はセイミアからわたしでもそこそこおいしく淹れることのできるお茶をもらってね。ぜひ誰かに飲んでもらいたかったんだよ」
そう言ってビーカーらしき透明な杯を手渡される。受け取ったおれは、まずビーカーだという時点で引け腰になりつつ、そのお茶の色をまじまじと見つめてみた。
茶色っぽい、澄んだ色のそれはよく出される紅茶とかの色に似ている。香りを嗅いでも少し甘く感じる至ってふつうのもので、おれはこれなら飲める単なるお茶だと判断した。
「い、いただきます……」
けれどやっぱり、ビーカーに入っている時点でそれなりに勇気がいる。
ジャスに見つめられながら、まず初めに含む程度、舌にのせるように一口飲んでみる。特別おいしいわけではないけど、ふんわり香りがある程度で飲みやすく、味もおかしくはない。
それにようやく安堵を覚えて、おれは淹れてもらったお茶をすんなり飲み終えた。
「ありがとう、ジャス」
「いや、どういたしまして。またいつでも来てくれ」
「あ、はは……その時はよろしく」
笑顔のジャスに、同じとまではいかないまでもぎこちないそれを返して、おれはようやく部屋を後にすることができた。
その後は本来の自室を出た目的であるネルのもとへ足を向けた。実は、ネルに今日は香茶をごちそうしてやる! って誘われてたんだ。そこでライミィも一緒に、今日は忙しいミズキを除いた三人飲む予定だったんだ。
ジャスの研究室からは少し離れた場所にある王さまの部屋に向かっていると、ふと頭がむず痒く感じた。一度ぼりぼりと掻いてみるけど治まらず、あまりひっかくわけにもいかず仕方なく我慢してそのまま歩いた。少しすると痒みは消え、一安心する。
けれど今度は、痛いほどの視線を感じた。
すれ違う兵の人が、なぜか驚いたようにおれを見てくるんだ。
……何かついてるのかも。
さっきジャスの部屋に入ったときに変なものを付けてしまったかと顔をこすったり、服を眺めてみるが、何もない。けれど明らかな視線に、おれは不安になり、自然と足を速める。
早く部屋について、ネルたちに見てもらおうと視線から逃れることに意識を捕らわれる。だから注意散漫になり、曲がり角で人とぶつかった。
「うおっ」
「わわっ」
油断していたおれはあっさり弾かれ後ろに倒れそうになったところを、ぶつかった人物に助けられる。
前にもこんなことあったな、と思って前を見ればやっぱりそこにはレードゥがいた。
「ごめん、レードゥ。ちょっと考え事してて……」
すぐに自分の力で立ち直って、レードゥに恥ずかしさで少し口元を緩めながら謝る。
けれどレードゥは何故か何の反応もなく。ただおれの頭をガン見していた。
「しん、じ……?」
「え、うん? そうだけど……あ、やっぱり何かついてる? さっきから周りの目がなんだか痛くって……」
相変わらずおれを見ている兵士の人がいるから、レードゥに耳打ちをするようにひっそり声を出す。でもレードゥの反応は鈍く、そんなに凄いものがついてるのかと不安が強まった。
「あの、できればとってくれないか? あんま見られると、はずか――」
おれの言葉は途切れる。レードゥにがしりと腕を掴まれたからだ。
次の瞬間には、そこをしっかりつかまれたまま、レードゥはおれは引っ張り走り出した。
「ぎゃああああ!」
おれの悲鳴が城中に響き渡る。すぐに消えるも、次の瞬間にはまるでレードゥに迫るヴィルが鳴らしたような地響きして、おれがいる部屋の扉がばんと派手な音を立てて開いた。
半ば涙目になっていたおれは、吃驚してそこへ視線を向け、先にいたその姿を確認して目を見開く。
「真司!」
「が、岳里!?」
珍しく息を荒げさらには肩で息をする岳里の眼差しはあまりにも険しく、けれど今気が動転しているおれは感覚が鈍っているのか単純な疑問が浮かんだ。
「い、いま、稽古中じゃ……」
「いったい何が、あ、った……」
おれたちの言葉はほぼ同時に口から飛び出し、そして尻すぼみに消えていく。
岳里の視線がおれの頭に注がれていることに気が付いて、ようやくおれは自分の現状を思い出して、慌ててそこを手で隠した。
「あっ、あの、これは、だ、断じておれの趣味なんかじゃなくて! その、なんていうか……」
「にゃはーん! そんなのどうだっていいだあろ! 可愛いぞう、真司ィ」
懸命に言葉を探すおれを尻目に、部屋の中にいたネルがおれの背中に飛びつき、頭を隠す手をどけさせてしまう。
そこからぴょこっと出た獣の耳に、やはり岳里の視線が突き刺さる。
視線に耐えきれなくなったおれは、くるりと岳里から背を向けた。ネルが張り付く背中の下、腰の少し下あたりには、だらりと下がった少し長めの毛の尻尾があるが、正面から頭にある耳を見られるよりよっぽどいい。
背を向けてしまったおれの代わりに、おれを部屋まで案内してくれたレードゥと、そして部屋に突然飛び込んだ獣の耳と尻尾を生やしたおれを迎え入れてくれたライミィが岳里に説明してくれる。
レードゥが廊下でおれとばったり会った時にはすでに耳が……犬耳と、犬の尻尾が生えていたということ。そのままおれを拉致って、おれがもともと行く予定だった王さまの部屋まで連れていったこと。ネルに見てもらって、それが犬の種の耳と尻尾と判断されたこと。そしてようやく鏡を見て現状を知ったおれが叫んで、そして岳里がきたということ。
「……なぜ、犬耳が生えた」
真剣な岳里の声音。けれどどこか不思議な響きがある犬耳という単語にネルが噴出した。
それをじろりと岳里は睨み黙らせる。
レードゥが溜息ながらに、おれの代わりに答えた。
「なんでも、ジャスのとこで一杯茶をもらったらしい。それから起きた異変だ、間違いなくあの馬鹿眼鏡だろうよ」
「大丈夫、あとからおれがきつく、きつく言っておこう。だがとりあえずジャスに、薬の効果や副作用、持続時間を聞いた方がいい」
今きつくって二回言った。笑顔でしっかり二回言った。
けれど誰もそれには突っ込むことができず、なぜかみんな、おれも岳里も神妙な面持ちになって頷く。
「おれがついてってやるよ。あんの馬鹿には一言言ってやらねえと」
「おれからも続きがあると言っておいてくれよ。むろん、話の一番最後でいい」
「ああわかったよ。あ、ネル、なんか真司の頭巻くものないか?」
「おれがおさえんだあよう」
「ばっか、それじゃ不自然すぎるだろ」
当然の指摘をされたネルはしぶしぶおれから離れ、長い布を一枚用意してくれた。それを頭にぐるぐるターバンのように巻かれ耳を隠す。
「きつかったりしねえかあ?」
「いや、大丈夫。なんか感覚は本来の耳にあるみたいで、犬耳の方は触られてもわからないんだ。でも、声はそっちから聞こえる」
へーんなの、と素直に感想を言うネルとライミィと別れて、おれと岳里とレードゥの三人は、やや速足気味にジャスのもとへ向かった。
すぐについたジャスの部屋にノックもなしにレードゥが入りこみ、その後に岳里、おれと続く。
最後に入ったおれを見て、ジャスはあっと声を上げた。
「真司、もしかして、やっぱり……」
「何がもしかしてで、何がやっぱりなんだ、ジャス? ああ?」
「ちょ、レードゥ……なんだかガラが悪い気がするんだが……」
「そうなる心当たり、あんだろうが」
凄むレードゥに押され気味のまま、ジャスはちらりとおれに目を向ける。そこには救いいを求める色はなく、ただ申し訳なさそうに眉を垂らしていた。
不意におれの目の前に立っていた岳里が動いた。つかつかといつものように姿勢のいい歩きでジャスに近づくと、突然その胸ぐらをつかんだ。
「何を飲ませた」
まさに、地を這うような低く唸りを上げるような凄みある声に、ジャスは小さな悲鳴を上げた。
少しかわいそうに思うけど、でも口を挟むと余計岳里の行為がエスカレートしそうな気がして、ただ様子を見守る。
ジャスが、気圧されながらこわごわと口を開いた。
「お、お茶のように飲みやすい薬を作ってしまったため、間違えて真司に出そうとした単なる茶と取り違えてしまった、すまない! 薬は、ヴィルから依頼があったんだ! は、半獣人化の、薬がほしいと……こ、これは完成しているものだから、安全は確かだっ。副作用もなく、効果は半日、半日ですぐ解ける!」
そこまで聞いた岳里は、ようやくジャスを離した。
だけど、ジャスが安心したのもつかの間。今度はレードゥが岳里に代わるように詰め寄る。
「ヴィルが、依頼した? ヴィルって、ヴィルハートか?」
岳里の勢いを浴びた名残りか、それでなくても怖いレードゥについには涙目になりながらもジャスは何度も頷いた。
「そ、そうだよ、君がよく知るあの十三番隊隊長のヴィルハートだ。なんでも、赤毛の猫をかわいがりたいと言う話で……」
「っ、あんにゃろう! 岳里、真司、今日は部屋で大人しくしてろ! おれは今からちょっと、ヴィルの野郎と話してくる」
恐ろしい形相をしながら、レードゥはおれたちの返事も聞かずして風のように走って行ってしまった。
「が、がんばって……」
すでに遠くへ行ってしまい見えなくなったレードゥへ送ったエールが届いたかは、わからない。
話が終わったんなら早く帰ろうと決めたおれと岳里は、レードゥが出て行った時そのままに開けっ放しにした扉から足を踏み出す。
けれど先を歩いていた岳里が突然止まり、おれは目の前の壁に鼻をぶつけた。
おれが痛みに悶えていると、振り返った岳里が未だ震えている哀れなジャスへ一言。
「ライミィがあとでおまえにきつく、きつく話をしてくれるそうだ。楽しみにしておくといい」
「ひぃいいっ」
想像してしまったのか。ジャスは悲鳴を上げながら物陰に隠れてしまった。
おれはもう一度、今度はジャスにむかってがんばって、と呟き、岳里と一緒に部屋をあとにした。
自室に戻ると、扉の前でユユさんと目が合う。
「おかえりなさいませ、真司さま。あの、その頭……どうかなさったのですか?」
すぐにおれが普段身に着けていない頭のぐるぐるの布に気づいたのか、ユユさんの顔色が変わる。
「あー……その、ジャスの薬の効果と言いますか……大したことなくて、半日ほどで効果が切れるそうなので、ご心配なく。ユユさんもジャスの出すお茶には十分気をつけてくださいね」
「お、茶……?」
何故かそこだけを、ユユさんは確認するように口にした。それに疑問を残しつつ、おれは笑う。
「そうなんです。おれ、ミズキにちょっとしたお使いを頼まれてジャスへ資料を渡しに行ったんです。そのあとお茶を一杯もらったんですけど、それがどうやらお茶に似せた薬だったらしくて……で、この通りです」
するりとネルが頭に巻いてくれた布を解くと、そこから現れる犬耳。その瞬間、ぴん! とユユさんの短い髪からも飛び出す獣耳。しかも長いそれは、うさみみというやつで。
「…………」
「…………」
おれはそれを見つめながら、ユユさんに尋ねる。
「あの……もしかして、ジャスのところでお茶を……?」
「……つ、つい先程頼まれていた資料を運んだ際、是非と言われて……」
見つめるぴんと立つ耳が、見る間に垂れていく。
おれは、手に持っていたさっきまでおれの頭を隠してくれていた布をユユさんに手渡した。
ユユさんは断ることなくそれを受け取りおれにお礼を言うと、さっそく頭に巻き出す。
気まずいままおれと岳里は部屋に戻った。
「なんか、他にも被害者がいそうだな……」
ベッドに腰掛けて早々、おれの口から出た言葉に岳里は頷かなかった。
「おまえと、ユユぐらいだ。恐らくみな、ジャスに出すすべてのものを警戒しているはずだ」
暗におれとユユさんは警戒が足りなかったと言われているようで、むっと唇を尖らした。
「だって、本当に普通のお茶に見えたんだ。香りだって味だっておかしくなかった」
「〈毒〉にさえ無味無臭のものがあるんだぞ。ジャスは間抜けだがその実力は確かだ、侮るな」
珍しく、厳しい岳里の声に、おれは口を閉じるしかなかった。
今回は半獣化程度で、しかも副作用もなかったからよかったけど、もしも、という時がある。もしジャスが作っていたのが半獣化の薬でなくもっと危険なものだったら。
おれはまた、岳里に心配かけてしまうところだった。
今のはおれが悪かったと、謝ろうと口を開いたところで、扉がノックされる。
「おう、真司。おれだおれ」
思わず誰だと聞き返したくなるような言葉だけど、その声には確かに聞き覚えがある。ちらりと岳里の方を窺えば溜息混じりに頷いたので、どうぞ、と返事をした。
扉から入ってきたのは予想通りおれと名乗ったジィグンと、そしてもう一人、アロゥさんだった。
部屋に入ってくるなり、おれの頭を見たジィグンが声を出して笑う。
「はは、本当に耳生えてんな!」
「なんだよ、茶化しにきたのか?」
「おう、まあそんなところだよ。すげえ勢いで噂になってんぞ」
すでに耳が生えた姿を何人かの兵に見られてしまっていたのはわかっていたけど、もうジィグンたちの耳に入るほどとは思ってもいなかった。
無意識に顔をしかめるけど、そんなの気にする様子もなくジィグンとアロゥさんはふたりそろっておれに近づく。
まじまじと現れた耳を見つめられた。
「ふうむ、精巧だな。本物なのかね?」
「うーん……一応、本物かと。でも触られても何も感じないです。けど聴覚は本来の耳じゃなくて上に移っているみたいで」
「へー、じゃあよく聞こえるようになったか?」
「いや、それは人間の耳とかわらないかな」
アロゥさんに、少し触ってみてもいいかと聞かれ、断る理由もなく頷く。
失礼、と言われ、頭に生える耳を触られた。とはいってもおれには感触は一切なく、いつ触れられたのかもわからない。
熱は通っているが感覚はないのか、だとか、これは魔力を具現しなおかつ……だの、アロゥさんが何やらぶつぶつと呟いていて、次第にそれは小難しい専門用語を織りなしたものに代わっていく。
聴力は獣耳の方にあるからその声はよく届いたけど、内容が理解出なかったから早々にジィグンへ話しかけた。
「あの、ユユさんもおれと同じ状態になっちゃったらしいんだよね。もしかしたら他にも、ジャスのお茶を間違えて飲んだ人がいるかもしれないから、その人たち困ってるかも」
「ユユが? ――ああ、だからさっき頭に変なの巻いてたんだな」
「ああ、兎の耳がぴょんと。おれの耳はまだ短いからいいけど、あれだけ長いと押さえつけるのもいただろうし、何より聞こえづらいかなと思うんだ。ほら、聞こえるのは獣耳の方だから。できれば今の警護の仕事、誰かに代わってもらうとかしてあげたほうがいいと思うんだよ」
おれの言葉に頷いたジィグンは、未だおれの耳を観察するアロゥに部屋から出ようと言った。
「これ以上真司の耳見てて、そこにいる怖いあんちゃんに襲い掛かられるのも嫌だからな。ユユがおんなじく耳生やしてるっていうし、そっちを存分に観察すればいいだろ」
「ああ、そうだな。遠慮もいらぬだろうし、彼から見せてもらうとしよう」
決まったのならすぐにでもというように、アロゥさんとジィグンは挨拶もそこそこにさっさと立ち去る。扉の方からは何か話し声が聞こえて、抵抗するユユさんの声が聞こえた気がした。
「ま、魔術は反則ですアロゥさまっ、ど、どうかご勘弁……」
「痛覚すらないというが、寒暖にすら反応はないか調べる必要があるな。それと――」
「ははっ、アロゥ、あんまいじめんなよ」
泣きたそうに怯えるユユさん、なにかぶつぶつと呟くアロゥさん、呑気に笑うジィグン。
嫌な予感しかしないけど、おれはあえて扉を開けて止めに入ることはなかった。というか、できない。
だんだん遠ざかる声に合掌していると、ふと背後に気配を感じる。ばっと振り向くとそこには視界いっぱいの壁――岳里の身体があって、驚きにおれは飛びずさった。
「なっ、背後に立つなっての!」
咄嗟に声をあげるおれを気にする素振りすら見せず、岳里の視線はおれの頭、飛び出す耳に向けられていた。
「触っていいか」
「……いい、けど」
おれが喚く理由なんて耳にすら入らない様子にため息交じりで諦めて、とりあえずおれは岳里を立たせたまま、さあ好きにしろと腕を組む。
岳里からは触るぞ、という一言も一切ないけど、もう手をつけただろうか。感覚がないから、よくわからない。
「……岳里、触ってる?」
「ああ。動いているぞ」
動いている、と言われてもそれすらもわからない。無意識に反応してるのかと思っていたら、不意に全身に鳥肌が立つのが分かった。
なんだと疑問が浮かぶよりも先に、おれは突然襲う感覚に耐える暇もなく声を出した。
「ひあッ」
口から飛び出した高い声に慌てて口を塞ぎ、ぎっと岳里を睨んだ。
「耳に指突っ込むな!」
「……感覚が、あるのか?」
返ってきた問いかけに、おれは当たり前だろ、と言いかけて口を閉じた。
もしかして、と思ってゆっくり自分の頭に手を伸ばして、生えている異物にそっと触れてみる。ふさふさと短くも柔らかな毛に触れると同時に、その耳のある場所からは手に触れられる感触が伝わってきた。
軽く引っ張ってみると、飾り物じゃない獣耳は痛んだ。
おれの様子を見て岳里はすぐに何が起こったか悟ったらしい。
「時間が経つにつれ、感覚はすべて獣耳の方へ行くということか」
その言葉を聞き、今度は本来ある自前の耳に触れてみると、何も感じなかった。音もやっぱり聞こえない。
「うう、なんか変な感じ……」
「また触れてもいいか」
呻くおれの言葉すらも気にしない様子の岳里は、再びそう申し出る。指を突っ込まなければいいという条件を出して、また自由にさせてやることにした。
岳里も感覚があると知れば多少丁寧に扱ってくれているのか、さっきみたいに知らない間にと指を突っ込もうとする気配はない。
耳の毛並みに合わせて指で撫でられたり、根本を掻かれたり。三角耳の先端をつまんだり、岳里はおれが嫌がらないであろう範囲で色々と楽しんでいるようだ。
けど、少し困ったことがある。
おれが痛くならないように、あまり気にしないように優しく触ってくれるのはいいんだけど……ちょっと、むず痒い。声に出すほどではないし黙っていようと思っていたのに、勝手に耳がぴこぴこ動いてしまう。
「……いやか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
珍しい、はっきりした岳里の問いかけにおれは心からそうではないんだと思うけど、でも内側の根元に触れられた時もまた耳がぴょこっと動いてしまう。
「んっ……っ! ちょ、ちょーっとだけくすぐったい、かなって!」
思わず出た声に慌てて口を押えながら、ごまかすように声音を大きくして岳里に答えた。
でも岳里は気づいたのか、耳から手を離す。一度は誤魔化したけど、けど内心ではほっと胸を撫で下ろした。
けれど安心したのもつかの間。岳里は何故か背後から離れない。
振り返って、岳里の顔を見上げる。まだ触りたいのか、と聞こうとおれが口を開くより先に岳里の声がその意図を伝えた。
「尾も触ってみたい」
「尻尾? ああ、いいけど……」
尻尾を見せるのは構わない。けれど、問題は尻尾の生える場所だ。
下の服を少しずらさないと岳里に見せてやることはできない。幸い今日はゆったりしたものを履いていたから、今は服の下に隠れて左足と一緒に通している。太ももが毛にくすぐられ痒くて本当はさっさと出したかったけど、服を尻尾と下まで下げるには少しばかり羞恥心というものがあった。
でも、岳里なら笑わないだろうし……何も下全部下げるわけじゃないんだしいいかな。
そう思ったおれは内心でため息をつきながら、尻尾が見える程度まで下げて、後は自分で手を突っ込み尻尾を取り出した。
おれが手を離すとたらりと垂れる。言いようのない不思議な感覚に、おれは戸惑いを感じた。
「感覚はあるのか?」
「ああ、しっかりある。なんか変な感じ……」
そっと、岳里の手が尻尾に触れた。さっき自分で触れた時よりも違和感が強く、ぞわりと収まったはずの鳥肌がたった。
根本近くを岳里が撫でたからだ。すぐにそこら辺は触るな、と言おうと振り返ると、突然強く尻尾を握られた。
「きゃんっ!」
びんっと張った尻尾に走った痛みに、実際に犬があげるような悲鳴が、不意をつかれたおれの口から飛び出した。さすがにそれに驚いたのか、すぐに岳里は手放す。
「すまない、咄嗟に掴んだ」
どうやら岳里は、おれが動いた瞬間に手にしていた尻尾がその手から抜け出すように動いたのを反射的に握ってしまったらしい。
もう一度すまない、と言った岳里が十分反省している事を確認してから、おれは首を振った。
「もういいから。ちょっと痛かっただけで、丁寧に扱ってくれ……」
「ああ、気を付ける」
再び尻尾に触れた岳里は、左手の掌でそれを支えるように持って、右手は、ゆっくりと毛並みに沿って撫でた。
まるで頭を撫でられるような、懐かしい感触が心地いい。何度も繰り返し、強く押しすぎないで流れていく手に思わず目を細めていた。
「揺れているぞ」
「……! そ、そう触んの禁止!」
このまま、もっとそうしていてほしい。そう思っていたおれは寝耳に水の言葉に咄嗟に身体をくるりと回して、岳里と向かい合う形になり自分の尻尾へ手を回してそこを押さえた。
今度は逃げていく尾を掴むような真似はしなかったが、驚き僅かに目を見開く岳里と視界を混じあわせる。
けどすぐに平常に戻った岳里は、何事もなかったように平坦な声でおれに何故、と尋ねた。
「なんでもだよ、嫌なら触るなっ」
「――わかった」
尻尾を振るほど気持ちよさそうだったのに、なんで。岳里の目はそう訴えているような気がした。
でも納得はいなかなくてもまだ触っていたいらしい岳里は素直に頷いた。
おれはもう一度反転して、また同じように岳里に背を向ける。しまった、さっきそのまま終了にしとけばよかったな……なんて思っても、尻尾を流れに合わせるように撫でるのは禁止、と言った手前今更撤回なんてできそうにない。
諦めて早く終わるのを待つしかないな。
けれど今度こそ気を引き締めておこうと意気込むおれの心情を知る由もない岳里は、さっきのようにまた左手を下にして尾を持った。
そして今度は、素肌と尻尾の生え際という際どいところ撫でてきやがった。本当にくっついている事でも確認してるのか、素肌の方によく爪が当たる。
「ちょ、岳里っ。普通に、普通に触れよ」
「……普通にしているが」
「っん」
どこが普通なんだ!? と思うくらいに、なぜが執拗に根本を触られる。尾の先の方にあったはずの左手もいつの間か上ってきて、根元付近に支える手が来る。
「――っ、ふ……ぁ……」
「手触り、耳と尾の形を見て、犬種は――」
おれは全部を聞く前に、ぐるっと振り返って、岳里を強く睨んで思いっきり右手を振りかぶった。
どうやらおれ以外にも被害者は数十人いたそうで、被害が拡大した理由がセイミアだった。
なんでもお茶をもらったお礼に自分もおいしいと思ったお茶を返そうと、ジャスがセイミアに茶葉を渡したことが原因らしい。勿論、その茶葉が半獣化の薬だった。
セイミアは自分が飲むだけでなく折角だから周りにもと勧めた結果、その日医務室を訪れた人物の大半が獣耳と尻尾を生やした状況になってしまったというわけだ。
おれが知る中でジャスの薬の被害にあったのは、セイミアと、ヴィルと、アヴィルだった。ただヴィルだけは本当にセイミアのお茶をもらってそうなったかは怪しい。なぜ医務室に言ったかさえ、その理由がわかりそうだったけどあえて目をつむった。
他にも被害者がいたおかげで、まだ半獣化途中で出歩いてもそこまで注目されることはなかった。でも知り合いたち見つかれば一様に可愛いものつけてるな、とからかわれて。馬鹿にされたり気持ち悪がられなかっただけよかったけど内心複雑だ。
でもそれ以上に笑われたのは、左頬を赤くはらした岳里だった。どうしたんだと聞かれ素直に答えた岳里に、事情を知ったそれぞれがそれぞれの反応を見せたけど、ネルなんかには自業自得だばあかと、実際床を転げまわるように大笑いされた。
岳里の頬の原因であるおれは何も言えず。結局すぐに目的を果たして部屋に引き返した。
目的というのは、没収されネルの手元に集まったジャスの半獣化の薬。理由を話してひとり分だけ受け取った。
――ネルに行くほんの少し前。許してくれと頭を下げる扉の外の岳里に、おれの薬を飲んで半獣化して、尻尾と尾を好きに触らせてくれたら入れてやる、という条件を出したんだ。
おれが受けた羞恥を返してやる……! そう、意気込んだわけだ。
――けれど半獣化しおれと同じ犬の耳と尾を生やしたが岳里が、おれが触れている間終始尻尾を振りまくりだった事に困惑したのは、おれたちだけの話。
おしまい
多少の補足として、最後の真司が右手を振り上げた瞬間について少々。
あれは、羞恥に耐えかねた真司が思いっきり岳里の頬へばちーんといったからです。ぐーはあまりにもかわいそうだったので、平手です。
岳里は単に犬種を判断するために触りまくったらしいですが、真司の限界点突破させたことを記念し一発+部屋を閉め出てみました(笑)
また、岳里の半獣化についても少々お話させていただくと、本来獣である獣人たちは半獣化の影響は受けません。ですが岳里は多少彼らとは異なる人種なため影響を受けて真司と同じ犬耳が生えました。
真司に触れられるのが嬉しくて尻尾ぶんぶんです。
拍手にて岳里にも獣耳が生えたらどうなるんだろうとのご意見があったので、ちょっとだけ書かせていただきました^^
こんなものに仕上がりましたが、楽しんでいただけたのであれば幸いです。
アユミさま、今回は三周年記念企画にご参加くださりありがとうございました!
これからもどうか、当サイトをよろしくお願いいたします
2012/11/12