三周年記念企画にて、李さまのリクエスト
・【Desire】の岳里視点
・岳里から見た真司、みんなについて
・とある一日
微かに聞こえたうなり声に、自然と瞼が上がった。
すっぽりと頭まで覆うように被っていた毛布を退け身体を起こすと、先程よりも鮮明に声が耳に届く。
自分の寝るベッドの隣に並ぶ、同じ種類のものに転がるあいつへ顔を向ければ、その声の元はもぞもぞと身体を動かしていた。
「――う、だめだって……それだけは、勘弁……」
あっ、卑劣だぞ、おまえぇ……とつぶやきながら、ごろりと寝返りを打ち、こちらに顔を向ける。その眉間にははっきりと皺が寄っていた。
どうやら、夢にうなされているようだ。おれが気づく前からごろごろと動き回っていたのか、寝る前にはきちんと胸元まで覆っていたはずの毛布は足元まで蹴散らされている。半分ほどはベッドの下へ垂れていた。
「ぐっ、今助けるからな……!」
何の夢を見ているのかはわからないが、自然とおれの頬は緩む。
窓の外に視線を向けてみれば夜色の空に若干の光が混じりつつあり、夜明けは近い。
ならばもう起きてしまおうと、ベッドから抜け立ち上がった。そのまま隣のベッドへ行き、今にも落ちてしまいそうな毛布を拾い上げて、本来の位置へ広げて戻してやる。
――だが、余程動きある夢を見ているのか、すぐに蹴って毛布をあらぬ方向へ押しやってしまう。動きに服も捲れ、腹が露わになった。あまり日に晒すことのないその肌は、白い。
「ぐぬぅ……おのれぇ……」
「…………」
つい、露わになったそこへじっと目を向けてしまったが、再びあがった寝言にようやく瞬いた。無意識のうちに溜息をつきながら服を正してやり、毛布も掛け直す。
本来そう寝相が悪いわけでない真司は、もう夢も落ち着いたのか、これ以上毛布が飛んでいくほど暴れることはなかった。
「うーん、なんか腹痛い気がする。冷えたのかなあ……」
腹を擦りながら、席に向かってくるあいつを一瞥し、おれは朝食の前に用意されていた水の入った杯を一気に煽る。そうだろうな、と言いたくなる口を塞いだ。
「そういや岳里、今日もヴィルのところで訓練だよな?」
「ああ。おまえはどうするんだ」
「ライミィのとこ。なんか今日はこの世界の童話を教えてくれるって」
「迷惑はかけるなよ」
「かけてないよ」
小さな笑みを浮かべながら、真司は席に座り頭にびょんと跳ねる大きな寝癖を撫でつけた。だが手を離した瞬間に再び跳ねる髪に、うなりながら格闘し始める。
自分にはそれ以上のもとがついていることなど知らないまま、おれがあいつのその姿を眺めていると朝食が運び込まれた。
食事中もまだ寝癖を気にする姿につい目を向けてしまいながら、用意されたそれを平らげる。なぜか、もっとよく噛んで食えとあいつに叱られた。
互いに食べ終わり、空になった食器が兵によって片付けられたのを合図に、おれは後ろ髪をひかれつつ部屋を後にした。
部屋を出る際に、必ずあいつからかけられる言葉がある。
“無理せず頑張れよ”。――どこか矛盾ある言葉だが、それを伝える声はいつでも訓練中におれの胸に繰り返される。
その言葉に、単純ではあるがなんでもできる気がした。
鍛錬場へと向かう途中、前方からコガネとその獣人であるヤマトが歩いてきた。
そのまますれ違い、通り過ぎようとしたおれを向こうが引き留める。
「昨日、ヴィルの部下と練習試合をしていたろう」
「ああ」
「ちょうどその時に顔を出していたんだ。それで試合を見せてもらったんだが、初め相手が右下に構えていたのは――」
何の用なのかと思えば、コガネは丁寧すぎるくらいに詳細広げながらおれへ剣術の指南をした。
呼び止められたときに多少煩わしく思わなかったわけではないが、やはり多くの部下を持つ隊長という立場であるからなのか。口頭と多少の身ぶりのみと言えどその教えはわかりやすく、思いかけず話に聞き入る。
ならばこうすればどう向こうは返してくる、とおれが尋ねれば、おれだったらこうするだろう。だが短剣だった場合は――と、相手によっての対処もコガネは話した。また、未だ経験の浅いおれではすぐには思いつかない反撃の仕方も、何も隠すことなく自分の手のうちまで安易に口にする。
おれとコガネが話をしている間、ヤマトはコガネの後ろに控えていた。時折コガネが説明で言葉に迷った時は、主が何を伝えたいか、その考えを熟知しているように代わりに声に出す。
だが役割を終えればまたその後ろに戻り、うっすらとした笑顔を浮かべ控えていた。
「――おっと、すまない、つい長話してしまったな」
「……いや、ためになった。また気づいたことがあれば教えてくれ」
「ああ、任せろ。おまえは筋がいいし、覚えもいい。こちらとしても教え甲斐があるからな」
小さく笑むと、コガネはヤマトを連れ本来向かっていた道を再び歩み出した。
「すまないなヤマト、待たせてしまって」
「いえ、おれにもいい勉強になりました」
「よく言う、おまえはもう誰かに教わる必要などないだろう」
そんなことありませんよ、とコガネに言葉を返しながら、ふとヤマトがちらりとおれに振り返る。
目が合うと、いつも浮かべている笑みを顔に出して、それから再びコガネへと向き直った。
その姿に思わず小さく息を吐きながら、おれも足を進めた。
しばらく進むと、また見慣れた顔が道の先に現れる。
「あ、岳里! おまえ早くこいつ連れてってくれよ……!」
「むう、レードゥ、まだ挨拶が済んでおらんぞっ」
「だあうぜえ!」
そう騒々しく近寄ってきたのは、ヴィルハートをその身に纏わしたレードゥだった。
その口からは切実な本音がありのまま吐き出される。
騒がしくついそちらへ目を向けてしまったが、気にせずそのまま通り過ぎようとしたところで必死の形相をしたレードゥに肩を掴まれる。
「た、助けてくれよ!」
「断る」
「あとで真司の好きな果物用意するから……!」
「――……ヴィルハート、早く行くぞ」
「いやだ! わしはまだレードゥを堪能しておらんっ!」
駄々をこねる子供のように喚き、レードゥにしがみつくヴィルハートをはがさせようとするが、離れまいとさらに力を入れてしまう。
ヴィルハートも力がある分、力ずくで引き離すことは難しそうだ。
ならばと、旧約聖書の列王記上第三章を思い出し、さらに力を込め柱にしがみつき耐えるレードゥからヴィルハートを離させようとする。当然のようにヴィルハートは応じようとしなかったが、次第に限界を超えて痛みを感じ始めたレードゥに気づき、それからはあっさり手を離した。
おれを乱暴だと罵りながら、いかにも名残惜しげにレードゥへ手を伸ばすヴィルハートを引きずりながら、目的の場所へと再び歩みを進めた。
「もう少しおまえが落ち着きを持ち接すれば、騒がずとも済んだと思うが」
「ふん、それではつまらんだろう。レードゥがいやだいやだと嫌がる素振りを見せて、内心では――ごふっ」
「もう自分で歩け」
ヴィルハートの言葉の途中、掴んでいた襟首を離した。予想通りおれに身体を預け楽をしていたヴィルハートは床に頭を打ち付け呻く。
そんな姿を一瞥してからそのまま足を進めようとしたところで、また騒がしい声が聞こえてきた。
「朝っぱらからどこに連れ込もうとしてんだよ馬鹿鳥!」
「うるせえな。少しは黙れ」
「だまっ、黙れだあ!? だったら離せ!」
ぎゃいぎゃいと声を荒げるジィグンと一度目が合い、レードゥの時同様助けを求められる。一方その腕を取りどこかへ行こうとするハヤテはおれとヴィルハートを見て舌打ちをしていた。
「行くぞオヤジ」
「おれはいかねえっての! 助けてくれよ、岳里、ヴィル隊長っ!」
「さて岳里、今日の内容だがな、まず素振りから――」
すがるようにジィグンがこちらへ手を伸ばしたところで、立ち上がったヴィルハートが何事もないように歩き出した。おれもそれに倣い、後を歩く。
どこまで進んでも声はおれたちを呼び止めたが、最後には角を曲がったところで聞こえなくなった。
いくらあいつと仲がいいとはいえ、それだけで助ける義理はない。それに面倒なことになるのは避けたいからこそ、ヴィルハートもあえて目を向けなかったのだろう。
しばらくヴィルハートに口頭で、本日行う訓練内容を聞きながら歩いていると、またも騒がしい現場に当たってしまった。回避したくとも他に道はなく、仕方なくそのまま進むと、よく通る声がその場へまみえるよりも先におれに情報を寄越した。
「そうやって頭かたいからみんなに煙たがられるのよ。真面目は結構だけど、融通が利かないのは非常事態に弱いわよ」
「そ、そこは関係ないだろう! それにおれはちゃんと反応できるし対処だってできる!」
「あら、それはどうかしら? 現にできている? この前、あなたが怪我して帰ってきた理由をもう忘れたのかしら」
「あ、あれはっ……!」
言い争う二つの声の片方が言葉を詰まらせたところで、ようやくその場へ不本意ながら顔を出すことになる。
すると、予想通り対峙する二人の姿がそこにあった。獣人であるミズキとその主に当たる煩わしい男だ。だが口論に熱を出す二人とは別に、そのいさかいを諭すように間へ入ろうとするもう人物がもう二人いた。
「ま、まあその辺にしておきましょう。ここでは人目も付きますし、お部屋で、落ち着いて話されてはどうでしょう?」
「そうだよ、今の姿を部下に見られるのもバツが悪いだろう?」
戸惑いを露わにしつつも笑顔を出して場を落ち着かせようとしているのはセイミアで、もう一人はいたって冷静に溜息を吐くジャンアフィスだ。
「あら、わたしはどこだってかまわないし、落ち着いて話せるわよ」
「おれだってそうだ!」
「鼻息荒くして何言ってるのよ」
「誰が鼻息荒くしているだと!?」
「ふふっ、事実を挑発ととられても困るわ」
「ミズキ、おまえな……おれを主と思ってないだろ」
「そんなことないですわ。わたくしの主は決して声を荒げることなく真摯な対応をなさるアヴィルさまでございます。今、この場にはいらっしゃらないようですが」
「こ、このっ……!」
一方的に遊ばれるように掌で踊らされるアヴィルに、ミズキはにこりと愛想良い素振りを見せながらほくそ笑む。
その笑みは、単にからかうことを楽しんでいるのか、それとも心の底では静かな怒りを燃やしているのか、はかり知ることはできない。
そんなミズキに踊らされるのはもう一人、おそらく単にこの場に巻き込まれてしまっただけなのであろうセイミアだ。
怒りに言葉を詰まらせるアヴィルを宥めながら、救いを求めるように辺りを見回す。その姿に、おれとヴィルハートは顔を見合わせ頷き合い、柱の陰に隠れながら進み、潤む瞳から逃れた。
セイミアはおれたちには気づかず、隣に立ち相変わらず言い合うアヴィルとミズキを傍観するジャンアフィスに救いを求める。
それに応え、ジャンアフィスが一歩前に出て険悪な雰囲気が漂う二人の注目を浴びた。
「まあ、とにかく落ち着きたまえ。何、どうしてもお互い冷静に話し合えないと言うのなら、実はいい薬があってね。それを試してみたらどうだろう? 効果はとりあえず頭に上った血を下げるためにも血流の巡りを滞らせ――」
「ジャス!」
「ジャンアフィス!」
「ジャスさんっ!」
懐から小瓶を取り出したジャンアフィスに、三人の鋭い視線が突き刺さっていた。
――……不思議な男だ。
「次、こい!」
ヴィルハートの鋭い声に、またひとり、やつへ剣を向け突撃する。
しかし振り下した剣はあっさりと流され、体勢が崩れたところで容赦のない蹴りが土手腹に入りその身もろとも飛ばされた。
「次! まとめて来るがよい! ただし心してかかれよ!」
響く声に、これまでひとりひとりでヴィルハートへ向かっていた兵たちが、束になりやつへ襲いかかる。中にはヴィルハートの後ろへ飛ばされた者たちも含み、まさに四方八方からの刃。
しかしその状況にヴィルハートは微笑み、これまで手にしていた細身の剣を宝玉の姿へ戻し、代わりに別の武器を出す。それは二対の短剣だ。
まず一番早くにヴィルハートの元へたどり着いた兵士の腹をけり押し倒し、次にその繰り出した足を地に着けそこを軸にして回転し、今度は反対の足で隣にいた別の兵士の背を蹴り飛ばす。飛ばされた兵はその先にいた二人を巻き込み倒れた。
すかさず次の攻撃に転じたヴィルハートはまだ数多く残る部下へ、遠慮も手加減も知らぬように嬉々として次々になぎ倒していった。
それから一度休憩をはさみ、土にまみれた部下たちにヴィルハートは先程の手合せに対して口にする。
「的が一人に対し自分たちが多数で乱闘になった場合、一気に詰め寄れば密集し、刃が味方に当たる恐れから動きに制限ができてしまう。結果、実質攻撃に当たるのは数名となる上動きが鈍り、ひとり身の敵の方が自由に動けることもある。まとめてかかって来いと言われ素直に全員が突撃しては意味がないぞ」
「はいっ!」
部下の返事に頷き、それから、とヴィルハートは言葉を続けた。それを少し離れた木陰から眺めていると、おれの隣にひょいと小さな影が木から飛び降りてきた。
「なんでえ、岳里はさぼりかあよう?」
「違う、休憩だ」
顔を覗き込みにやりと笑うネルの後ろから、さらに三人歩み寄ってきた。
王、アロゥ、そしてアロゥの弟子であるフロゥだ。王とアロゥのふたりは相変わらず穏やかな笑みを浮かべているが、フロゥはしきりにヴィルハートとやつの話を熱心に聴く男どもに目を向ける。見慣れないのか、ひどく不安げに己を抱くアロゥのローブを握りしめていた。
「訓練は順調にいっているか?」
そう声をかけてきたのは王で、おれの代わりにネルが振り返りその元へ駆けていく。その様子を追うように目だけを向けると、ふとその先に居たアロゥが穏やかな笑みを浮かべた。
「存分に、ヴィルハートから学ぶとよい。力量はハヤテに劣るかもしれぬが、ヴィルハートには誰にも負けぬ経験の差がある。そこから知ることは多いぞ」
「――ああ、だからヴィルハートを選んだ」
剣術の指導者として、数多の猛者の中から。
ヴィルハートの中の、他に交わった振りをする“異質”に、興味があるだけなのかもしれない。だがその異質の生む、年齢に比例しない戦いの経験は確かなヴィルハートの力であり、他者からは学べぬ強さや知識を得ることができる。
そう、思えたからこそおれはヴィルハートを選んだ。
肉体で言えばおれについてこられるのは獣人どもでなければならない。知識で言えばおれに諭せるのは人間でなければならない。一方だけを得ているだけの者では、急くおれには時間がない。だから両方を得る、自分に似た人物が必要だった。それがヴィルハートだ。
まだこの男を信頼しているわけではないが、剣を学ぶのにそんなものはいらない。だから疑いを残そうが疑問を持とうが、おれは選んだ。
人の心を見抜くのがうまいアロゥは、分かりにくいとあいつから文句を言われるおれの中身さえ時に知りえる。それを不快と思ったことはないが、恐ろしいとは感じる。
じっと、にこやかな笑みを浮かべたままのアロゥを見た。だが表情は変わらず、若干白が混じる薄い茶色の瞳はただそこにおれを映しているということしか教えはしなかった。
「まあ、ヴィルハートの部隊は、形式に当てはめた訓練はしないからな。まさに実戦向けで鑑賞には向かないが、お前にはこれの方があっているのだろう」
「まあ、野蛮な野郎にゃぴったりだあ」
「……岳里さん、野蛮なんですか?」
王、ネル、フロゥと続き、不安げな色を見せながらもこちらに向く瞳を見つめ返すと、慌てたようにおれから目を逸らした。
そんな幼い感情を抱くフロゥを、さらにけしかける阿呆。
「そうでえ、気をつけろようフロゥ。こいつはおまえんとこのハヤテよりがさつでえ、乱暴でえ、肉なんか生だ!」
「えっ、ハヤテでも生では……」
「ネル、やめなさい」
そのけらけら笑う姿を見ればからかわれているとわかるだろうが、幼いフロゥはまだ区別がつかないのだろうか。
王がたしなめるも、ネルの表情が引き締まることはない。
さらに何か吹き込もうとするネルにたまらず息を吐いたところで、これまで指導に当たっていたヴィルハートがようやく来客に気が付き、張り上げた声を区切りこちらへ歩み寄ってきた。
「――王! いらしていたのか。もてなしもせず申し訳ない」
「いや、気にしないでくれ。ただ岳里の様子を来ただけで、もう少ししたら去るさ。それよりももっと励み精進してくれ」
「はっ。アロゥ殿も、ネルもフロゥもよくいらしたな。どうだネル、わしのところの腑抜けどもに活を入れてはくれんか」
「えぇー……やあだよう、おまえんとこって何でもありだあろう? 上司だろうが容赦ねえんだもんよう」
王の言った型にはまらない、とはつまりルール無用のこと。反則に値するものがなく、砂を飛ばして目をつぶそうが、軸足を狙おうが、相手の体制が崩れたところへ容赦のない攻撃をしかけたりと、再起不能の大けがさえ追わせなければ十三番隊の訓練中では許される。そして上下関係などの身分さえも関係なく打ち合うため、たとえ相手が格上だろうと自分が倒れるまで食らいつくものも多い。
本来正面きっての正々堂々を得意としないネルとしては有利な条件が多くあるが、それでも粘る者の多い十三番隊の相手は気が乗らないようだ。
「それより今から真司のとこ行くんだあ、そんな暇ねえよう」
「――……ネル、ぜひとも相手願いたいのだが」
「げっ、だったらまだヴィルんとこの相手するよう!」
思わず聞き逃すことのできない名前がネルの口から挙がり、おれは腰に携えていた木刀に手をかける。すぐにでもネルにも抜刀させようとそこから引き抜く前に、すぐさまおれの考えを悟ったネルは上へ飛び上がった。
その先の木の影に隠れ、茂る葉にその身を混ぜて姿を消してしまう。
その早業に初めに反応を見せたのは、彼女の主である。
「はは、相変わらず逃げ足が速い奴だ。すまないな、岳里。あいつも真司が好きなものだから、許してやってくれ」
「――別に、真司が心許した者であるなら構わない」
おれが傍におらずともあいつに近づいていいのは、あいつが心許したものであり、信用するに足りる者であれば黙認する。ネルは、十分それに適う人物だ。
その言葉を最後に、おれは王から離れヴィルハートのもとへ行く。
「次はおれの番だ」
「わしに休憩は与えてくれぬのか」
「息ひとつ乱してないやつに休憩などいるか」
頬を膨らまし責めるようにおれを見るヴィルハートに言葉を返せば、今度は唇を尖らせた。
「むう……まったく、仕方のない男よ。それでは王、アロゥ殿、フロゥ、失礼致す。時の許す限り、ごゆるりとご覧くだされ」
「ああ、そうさせてもらおう」
「フロゥも、多少目を養わねばならぬからな。しっかり見ておくのだぞ」
「はいっ」
師弟のやり取りを穏やかに見る王を最後に視界に入れ、おれは先に歩き出したヴィルハートの後を追う。一度、城の方へ目を向けるが、ここから見えるものは城壁ばかりだった。
あの後王たちの来訪によりやる気を増したらしいヴィルハートにしごかれ、その様を表すように汚れた姿のまま廊下を闊歩する。
訓練開始当初はおれの姿にすれ違う者みな振り返るほどだったが、すでに慣れたのだろう。今や目線は寄越すものの、そこに驚いた様子はない。それに初めこそおれを眺めるだけの者ばかりだったが、最近では、城に入る前に土を多少なりとも落としてくださいと注意されることが多くなった。とはいっても、よく顔を合わせることのあるヴィルハートの配下である十三番隊の者ばかりだが。
しばらく歩きようやく、目的である自室が見えてきた。だがその前に、警備の者とは別の人物が立っていた。
淡い色合いの長いその髪には、覚えがある。
おれの存在に気付いたのか、その人物と、部屋の警備に当たる兵がこちらに振り返った。
「ああ、岳里」
「おかえりなさいませ、岳里さま」
「――どうかしたのか」
柔らかい雰囲気ではあるが、そこには凛と澄まされた芯があるその人物は、ライミィだ。
つい先日まで寝たきりの重傷であったが、今部屋の前に立っている姿を見ると狭い範囲ではあろうが歩ける程度までには回復したようだ。だがまだベッド中心の生活は変わらないらしく、寝着に薄手のケープを羽織った状態である。
本来ならこの時間、真司は部屋に帰りおれが戻るのを待っている。――それにライミィが付き添ったことはない。
「実は、真司のやつなんだが――」
おれの不安を感じ取ったかのようにライミィの口から出た名に、無意識のうちに目が鋭くなった。
それに、ライミィの後ろに立つ兵が顔をこわばらせるも、その前に立つ女騎士は反対に頬を緩ます。
「そう怖い顔をするな。悪い事ではないから。真司のやつ、おれの部屋で居眠りをしたまま目を覚まさなくてな。いつまでもおれの部屋にいさせるわけにもいかないし、かといってぐっすり眠っているところを起こすのも忍びないから、今ユユに運んでもらおうとしていたところだ」
事情を説明するライミィの言葉を聞きながら、一瞬にしてざわついた胸中がゆっくりと静まっていく。それに比例するように、よく部屋の警護を任される兵、ユユの顔も生気を取り戻していった。
「おれが運ぶ」
「ああ、それがいいだろう。頼むよ」
ライミィは頷くと、おれに道を空けた。ユユは先に歩き、ライミィの部屋を開けおれの行動を待つ。
部屋に着くと、机に突っ伏し眠るあいつの姿がそこにあった。ライミィが気遣ったのか、毛布が肩に掛けられていた。
今朝も十分すぎるほどの睡眠をとったのに、それでもまだ足りなかったようだ。深く眠っているのか、呼吸に肩が微かに動く以外、身体は微動だにしない。
あいつの座る椅子の横に立ち、なるべく身体を揺らさないようにおれが動き、毛布にくるむようにそれごと抱き上げる。
ライミィとユユに見守られながら、あいつをベッドへ運び、起こさないよう気を回しながらそっとくるんでいた毛布を剥がし転がした。そこへ、ライミィが普段から真司が使用している毛布を上からかける。
おれの身体についていた土に汚れてしまった毛布を適当に畳んでから、穏やかな表情であいつの寝顔を見つめるライミィへ差し出した。
「――悪かった」
二重の意味で謝罪するおれに、ライミィはくすりと笑う。
「いい、気にするな。それよりも真司を起こさず、上出来さ。――ユユ、すまないがこれを。新しいものを持ってきてくれ」
「承知致しました。岳里さま、しばし部屋から離れますので、申し訳ございませんが少しの間こちらでお待ちください」
「わかった」
汚れた毛布を手にしたユユは、おれとライミィにそれぞれ一礼し部屋を後にする。
その後ライミィも、おれにあいつへの言伝をひとつ頼み、それと一冊の真司の読みかけという本を手渡し部屋へと戻った。
部屋にはただ健やかな寝息が静かに聞こえ、おれは大きく息を吐いて傍らにあった椅子を引き寄せてそこへ座る。それから、この場から少し離れ見える顔をただ眺めた。
間もなく、瞼が動いた。それから眉間にわずかにしわが寄り、薄らと目が開く。二度ゆっくりと瞬くと、のそりと身体を起こしあたりを見回した。
おれと目を合わすと、また二度瞬き、そして驚いたように見開く。
「あれっ、岳里なんでいるんだ? ……って、あれ? ここってライミィの部屋じゃ……」
「おれたちの部屋だ」
「え、あれ……おれのベッド……もしかして、寝てたのかおれ?」
頷いて見せると、やってしまった、と言わんばかりに片手で顔を覆い、溜息を吐きながらうなだれた。
「あとでライミィに謝らないとな……ライミィが運んでくれたんだよな?」
「違う、運んだのはおれだ。ちょうど訓練帰りだった」
「そっか……ごめんな岳里。運んでくれてあんがと」
苦笑が混じったような笑みを浮かべながら、真司はベッドの上で腕を上げて身体を伸ばした。
その姿を眺め、手にしていた本に一度目を落とす。
「――……ライミィから、預かった」
腰を上げその本を真司の元へ持っていくと、それを目にした途端に顔色をわずかに変えた。けれど何もなかったかのように平然を取り繕って本を受け取ろうとする姿に、つい、考えてしまう。
「あ、あんがとな。この本読みかけでさー……あの、岳里?」
手を離してくれると嬉しいんだけど、と困ったようにおれを見上げる真司。だが、おれの手は真司の手が本をしっかり握っていても離すことはない。
「何を隠してる」
「えっ」
「この本が、なんだと言うんだ」
「い、いや、それは、別に……?」
あからさまに目線を泳がせおれと合わせようとしない。今ふたりで手にするこの本に何かがあるということは態度が証明しており、確信するおれはじっと顔を見つめる。
時折ちらりとおれを見てはすぐに目を逸らし、落ち着かないように身体を揺らす。けれど、その手は本を手放さない。
もう一度声を出そうとしたところで、扉がノックされた。いつもよりも控えめで、かけてくる声も小さく配慮されているものだ。
「岳里さま、ただいま戻りました。どうぞお身体をお清めください」
まだ、眠っていると考えてのことであろう小声で、それを聞いたあいつは助かったと言わんばかりにおれに隠れているつもりで息を吐いていた。
「ほら、言って来いよ。そのまんまじゃ落着けないだろ?」
「…………帰ってきたら、話の続きだ」
「いいよ。それまでにはかんせ……は、話せると思うから! ああもうさっさと行け!」
明らかに何かを言いかけ、慌てて言葉を変えたことにさらなる疑問が浮かぶが、その言葉を信じ、気にはしながらもおれは部屋を後にした。
それからしばらく歩き、不覚にもライミィからの言伝を伝え忘れていたことに気が付く。
『明日、おれの部屋に来る前に書庫から【騎士道】という本を見つけ持ってくるよう伝えてくれ』
ネルだけでなく、あいつはこの世界の人間に随分可愛がられている。出会って日の浅いライミィもこうして使いと称し、城内の道を早く覚えられるようにと配慮してくれる。自身の体調のこともあろうが、部下に頼まずあえて真司に頼んでいるのだからおれの読みは合っているはずだ。
ありがたいことではある。だが――少し、仲が良すぎるのではないか。
人前で居眠りできるかは人それぞれであろうが、少なくとも真司は気を遣いすぎるところがある。特に、自身より歳が上である相手ならなおさら。レードゥのおかげで多少は改善されたが長年しみついたものはそう取れるわけもなく、時には無理している。
そんな真司がライミィの前で居眠りをした、という事実は、少なからず彼女を信頼しているから起きたことだ。気が抜けることも多いのだろう。余程疲れているということも考えられるが、そこまでのことをまだ床から離れることのできないライミィとともに身体を動かすとは思えないし、おれと顔を合わせているうちにしてもいない。
となればやはり、ライミィは真司にとって目の前で眠ってしまえるほどの安心を覚えているということになる。
自分でも気づかぬうちにおれは内心で口をへの字に曲げる。だがそれが表に出ることもなく、ましてや無意識のうちのこと。
ただ悶々と、おれは浴室への道を歩き、湯に浸かり汚れを落としてもそれは消えなかった。
だが、そんなものも部屋に帰ればすぐに吹き飛ぶことになる。
部屋に戻ると真司が中心に立ちおれを待っていた。その手には、四角におられた紙が握られており、顔を合わした瞬間にそれを押し付けるように渡してきた。
そしておれの問いかけを受ける前に、真司は早々と風呂に入ってくると部屋を出ていき、ひとり残される。
状況がわからず、とりあえず渡された紙を開いてみると、そこにはこの世界の文字が書かれていた。慣れないインクだからか時折文字が太く滲み、だがそれを抜かしても下手なこの字には見覚えがあった。
自然とその文字を目で追っていき、内容を把握していく。それに合わせるようにおれの胸にあった靄など散り、かわりにそこに、難しい顔をしながらこれを書くあいつの姿が浮かんだ。心が、浮足立つ。
真司から手渡されたもの、それは手紙だった。
不慣れなこの世界の文字と道具で、書かれている。どれほど苦労したのか安易に想像のつく様で、今おれに読まれている。
中身は単なるおれへの駄目出しだった。『しょくじはよくかめ』『もっとあいそよく』『えがおはだいじ』など、普段から真司からよく言われる言葉ばかり。そればかり。
それでもおれの口元は、誰も見ていないことをいいことに緩んでいく。
そして、最後に書かれた言葉につい小さく、けれど確かに声を上げて笑ってしまった。
手紙を何度も読み返しながら、その数だけ温かい気持ちを膨らませ。
真司が帰ってくる前にと、おれは返事を書くためにライミィへ道具を借りに行った。
『たべすぎは よくない。ばらんすを かんがえよう。
そもそも よく かむこと。それと あいそよく。
えがおは だいじ。あいてと よどみない ゆうこうかんけいに だいじ。
じぶんが きもちよく すごす ためにも。あいての ためにも。
がくりは ちょっと あいそが たりない。
わらえ。せっかく えがおも かっこいい だから。
あと、いつもありがとう。かんじゃ(※かんしゃ)してます』
おしまい
補足
まず真司の手紙の※のとこ。
・真司の書き間違い。最後の感謝の件は真司が岳里が風呂に行ってる間に書いたため、ライミィの推敲がなされていない。そのため手直しされなかった。(真司なりに見直ししてはある)
岳里がみんなをどう思っているか。
真司
・ご覧のとおり、溺愛です
レードゥ
・真司と仲がいい奴と認識。真司に害がないし、懐いてもいるから放置。
・嫌いではない。
ヴィルハート
・剣の腕は認めている。レードゥ馬鹿で真司に害はないから放置。
・得体のしれない何かを感じ警戒はしているが、嫌いではない。
コガネ
・その教えの上手さは評価している。真司に害はないし、懐いてもいるから放置。
・嫌いではないが、ヤマトに嫉妬されるのが面倒なためあまり近づきたくはない。
ヤマト
・嫉妬深い奴だがその分コガネに一直線のため、真司に害がないと判断し放置。
・嗅覚がいいため、あまり近づきたくないと思っている(別に岳里の身体がくさいってわけじゃない……はず)
・嫌いではない。
ミズキ
・口の上手さは評価している。真司に害はないし、懐いているから放置。
・嫌いではない。
アヴィル
・自分と真司が国に留まることをよく思っていないことと、怒りの沸点が低いため、現時点で真司に近づかないよう警戒している。
・嫌い。
ジャンアフィス
・その天才的な頭脳は認めている。だが、変態なのであまり真司を近づけさせないようにしている。
・ちょっとだけ興味がある(発明する薬とか)
セイミア
・その治癒術の腕前や、年齢の割にしっかりしているところなど高く評価している。
・真司のことでよく世話になっているため、部屋に訪れた際はどちらかと言えば歓迎できる人物。
ハヤテ
・その実力は認めている。ハヤテから真司に近づくこともないし、真司も怖がり近づくことがないから放置。
・嫌いではない。
ジィグン
・若干騒がしいと思っている。だが周りを気遣う等のフォローに関する実力は認めている。真司に害はないし、懐いてもいるため放置。
・嫌いではない。だが何かあれば迷わずハヤテに差し出すことを選べる。
シュヴァル(王さま)
・王としての素質は認めている。
・色々と何をしてかすかわからないから警戒中(本編五章、『錯誤する伝え』あたり参照)。だが、嫌いではない。
ネル
・真司に必要以上に引っ付く姿に時々嫉妬するが、真司むしろ友好的で、害はなく真司自身もネルを受け入れてるため放置。
・あまり好きではないが、嫌いと言うわけでもない。(はっきりしない態度が、苦手?)
アロゥ
・魔術師としても、人間性をみても認めている。どこまで知っているかわからないため今は観察中。
・岳里が唯一、自ら頭を下げる人物。
フロゥ
・ハヤテの主、程度しか思っていない。真司に害はないため放置。
・ハヤテ捌きに関しては信頼している。
ライミィ
・(実は岳里を言いくるめようと思えばできてしまう人)
・ともにいるとどうも調子がでないため、あまり近づきたくはないと思っている。だが真司に対し様々な知恵を与えてくれるところやその人間性は認めている。真司に害もなく懐いているが、あまり近づけたくはない。
・嫌いではないが、若干苦手。
ユユ
・ただの兵士と思っている
・(その相手を気遣う優しさはまあまあ評価している)
ご覧のとおり、岳里の基準は真司に害があるかないか。
害がない=放置
害ある、もしくはのちにあるかもしれない=警戒、近づけない
なんて感じです。基本真司以外どうでもいいお方なので……でも、岳里はそれぞれのいいところはいいところで惜しげもなく評価できる人物なので、周りのみんなを認めてはいます。
とりあえず、本編五章付近だとこんな感じになります。
・真司が朝も爆睡、夕方も居眠り裏事情。
あれは、単にあの最後に登場した手紙を書いていたから寝不足だったんです。
夜岳里は部屋を抜け出す時間があるので(本編四章『経験談』参照)その時間にこっそり……ライミィの部屋でも書いて、慣れないことに疲れてついつい手紙が未完のまま居眠り。
書きかけの手紙を本に挟んであったので、真司は焦っていたというわけです。
それで、岳里が風呂に行ってる間にどうにか完成させたのです。
ちなみに何度も書き直していたから(一文字間違えれば最初から書き直し)のため時間がかかっていたわけです。
補足なしじゃわかり辛く申し訳ないです。
今回は三周年記念企画にご参加くださりありがとうございました!
これからもどうか、当サイトをよろしくお願いいたします
2012/08/30