97979797番 並召喚師と、酒と獣と

無月刹那さまよりキリ番、979797番リクエスト。
人外×人間(黒豹もしくは虎のクール×平凡)※今回は黒豹です。

お題『甘い話』
というわけで、高位の召喚獣×並召喚師のファンタジーを書かせていただきました! 人化はできてもできなくてもいいとのことで、今回はできないことにしました。
さらには攻の人外が受にだけ優しいという設定付きです!



 家中を見て回り、その黒い姿を探してあちこちに目を向ける。
 それでも見当たらなくて、首を傾げながらも次々部屋を覗いていった。

「おっかしいなあ、どこにもいない。どこいったんだよー」

 ため息をついてふと、今日は天気がいいことを思い出した。
 冷え込むことが多かった最近に比べると日差しが温かくて、少しぐらいならそとにいてもそこそこ心地いい明かりに照らされる。雲もない快晴で突然雨雲が立ち込める心配もなさそうだった。
 もしかして、と思って庭の方へ足を向け、そこに顔を出してみる。するとそこには探していた黒い塊が、どてんと芝生の上に伸びている姿があった。
 心地よさげに日を浴びて、寝転がり目を閉じる、その猫――というにはあまりにも可愛げがないでかい図体をした、いわゆる黒豹と呼ばれるそんなやつへと声を出す。

「なあ、グラバル、今から買い物行くんだけどおまえも行く?」

 言葉をかければ蒼い片目がすいと持ち上げられ、視線だけを寄越した。
 小さく口を開け鋭い牙をそこから覗かしながら、欠伸混じりに答える。

「いかん、面倒だ」
「またたび酒買ってやるって言っても?」
「どうせ行かずとも買ってくるのだろう。寒いから動きたくない」

 言い終えてごろりと寝返りを打ち背を向けるグラバルに。
 無駄な肉は一切ないしなやかで綺麗なその後ろ姿を眺めながら、見ていないのをわかっていて 口をとがらせた。

「まったく、ぐーたらなやつめ。いいよおれ一人で行ってくるから。酒だって買ってきてやんねーもん」

 向けられた背にべーっと舌を出してから、すぐにでも移動しようとした時。
 ただの大きな猫のように、好きな場所で好きなようにだらけるあいつの方から声があがる。

「街に行くなら気をつけろ。最近治安が悪いと聞いている。何かあればすぐにおれを“呼べ”」
「荷物多くても?」
「それくらいは自分でどうにかしろ」

 素っ気なく答え、グラバルは尾でぺしりと地面を叩いた。

 

 

 

 街に下りて着々と、お師匠さまに頼まれた買い物を済ませていく。
 並の召喚師見習いのおれの師匠らしく、歳は食っていてもやっぱり並の召喚師のお師匠さまだけど。一応は一人前の“召喚師”であり、“召喚し見習い”とは地位が違う。
 だからたとえそうすごくない一般的な召喚師といえどもお師匠さまのことは尊敬しているし、たとえ平凡的であってもお師匠さまの言うことはなんだって聞く。だっておれは弟子であり、召喚師見習い。
 だからこそ、お師匠さまからの頼まれごとをこうして真面目に遂行していっているわけだけど。

「う、うう……重い」

 いかんせん、頼まれたものの量が多い。これならいくら並の召喚師で、おれのお師匠さまの頼まれごとであったとしても、引き受けたことを後悔してしまう。
 あまりの荷物の多さに、それらを詰めた袋を下げる両肩が悲鳴を上げる。多分きっと、血が止まってると思う。だって指先の感覚がさっきから鈍い。
 それでも倍以上になったんじゃないかと思うくらいの重たい身体を引きずり、街の人たちとすれ違いながら追い抜かされながらも前に進んだ。
 別に、お師匠さまに不満だなんてものはないが。そう秀でているわけでないんだから偉ぶらず、身の回りのことはもう少し自分でできてもいいじゃないだろうか。いくらあんたの弟子とはいえ、まだ見習いとはいえ。お師匠さまの私用に駆り出されなくちゃいけないんだ。
 気を抜けばつい溢れそうになる不満を頭を振って消し去る。
 いけないいけない、あのくそじじいは“並”だとしてもお師匠さま。どんな理不尽にも弟子の間だけ我慢しないと。そう、おれは弟子、あのじじい――おじいさまはお師匠さまなんだ。
 そう心で唱えつつ、重く食い込む荷物に弱音を吐きそうになりながら、次で最後の目的の品となるまたたび酒を求め店に向かう。
 グラバルには買ってやらないとは言ったけれど。まああればあったでいざという時の機嫌も取りやすいし、頼みごとも聞き入れてもらいやすくなる。それに別にくそじじいに頼まれた買い物ついでだし、今更荷物がひとつ増えるぐらいどうってことない。
 でもあの馬鹿猫は水を飲むようにがばがば喉に通してしまうのは問題だ。雀の涙程度の給与のほとんどはあいつの酒代に消えてる気がする。買っても買ってもすぐに底をつきてしまうのにはほとほと困り果てるってもんだ。
 というか、そもそも猫が酒飲んでいいのか?
 猫と呼んではいるが正確には豹だけど。さらにいえば普通の動物じゃないからいいんだろうが。
 グラバルは召喚師見習いであるこのおれが別世界からこの世界に召喚した存在だ。だから多分きっと、酒を飲んでもいいんだろう。自分から欲しがるくらいだし。
 本当は黒猫を呼びだすつもりが、何故か来たのはあんなでかくて金がかかる奴がきちまったのか。
 初めて顔を合わしたのは召喚をした時のことで、現れたグラバルを見て食われると腰を抜かしたのも今でも忘れられない憎い思い出だ。たまにそのことでからかってくるから腹立たしい。
 本来、グラバルはおれみたいな並どころか見習いをはっつける召喚師なんかには到底呼びだせるはずのない相手だった。それこそ今のおれなら黒猫を呼びだせればいい方で、精々小動物を出せればいいで。
 けれどひょんな奇跡が重なって、召喚獣の中でも人語が話せるという、とんでもない高位のこいつがきてしまったというわけで。当初は呼びだした側であるおれのレベルの低さに呼びだされた本人も疑問を持つほどで、さらにはなんでこんなやつにと嘆かれもした。
 グラバルを召喚してしまったのはただの練習の偶然が起こしたことで、すぐにでも送還するつもりだった。けれどおれを見ては文句を垂れやがったくせに、気づけば相棒となる誓いをたてていて。気づけば一緒に暮らしはじめてもう一年も経つ。
 たとえいつもぐーたらしててもあいつが本気を出せば大抵の相手は敵わないし、人の言葉を理解し話せるどころかおれよりも賢いし。まあ、不満は色々あるけれど、いてくれて心強い相手では、ある。
 それになんだかんだ言ってもパートナーだし、いざという時だけだけども助けてはくれるし。買い物に付き合ってくれなくても感謝を忘れるつもりはない。
 だから仕方なしにあいつの好物のまたたび酒を買ってやるんだと、辿り着いた目的の店の、通りに露出し売り出しているものを眺める。
 両肩に下がった重たい荷物を一度下して、目にとまったひとつを持ち上げた。
 正直酒なんて下戸で飲めないし、ましてや癖の強いまたたび酒なんてどれがどういい逸品になってるのかわからない。でも今手に持つそれは以前グラバルが安くてもそこそこ美味いと褒めていたやつのような記憶がある。
 あまり安すぎるものだとあいつ、手をつけないし。かといって高いものなんて買ってる余裕は見習いにはないし。少しでも安くてでもおいしく、あいつが確実に飲むとわかったものならまだ手を伸ばしやすい。
 うまくないからと飲まれないなんてただの金の無駄だからな。本人が来てくれれば選んでもらえるのに来てくれないし、どうにか自分で見つけ出さなきゃいけないわけだけど。
 やっぱりこれじゃなかったかも、と不安になってその隣の瓶をとってみた。けれど値段を見てすぐに元の場所に戻す。その隣も、その隣の隣も。安い方ではあるけれど給料日前の懐には少々厳しくて。やっぱりこれかなあと一番初めに目に留めた酒をまた持ち上げる。
 この際くそじじい――お師匠さまから預かった金の余りを少しばかり拝借しようかな。手間賃ぐらいちょっともらっても許されるだろ。
 勤勉で働き者の可愛い弟子へのお小遣いだと、どれぐらいなら取ってもばれないだろうかと中身を確認しようと、懐に残っているお師匠さまのお金を取り出しとしたその時。
 突然背中をどんと押され、酒を机に戻そうと緩ましかけていた手から思わず瓶を離してしまった。

「ああっ!?」

 咄嗟に手を伸ばしても掴んだのは何もない空で。
 またたび酒はあっけなく地面に落ちて、派手な音を立て瓶は砕け中身ごとぶちまける。
 たっぷり詰まっていた酒は飛び散ちりびしゃりと左足にかかった。破片が飛んでこなかっただけましだろうけれど驚きに身を竦めてしまう。
 すぐに我を取り戻し、慌ててしゃがみ込もうとした時、強く肩を掴まれ無理矢理振り向かされた。

「おいてめえ! おれの服にかかっちまったじゃねえか! どうしてくれんだよっ」
「えっ? あ、すみ、ません?」
「すみませんじゃねえぞ!」

 胸ぐらをつかまれ、突然のことに混乱しながらも咄嗟に謝罪する。拘束されながらもどうにか唾を飛ばす勢いで怒鳴り声を上げるつるつる頭の、筋肉質ながらも脂肪を腹に纏った身体を見下げれば。確かに下衣の裾に本の数滴分程度の濡れた跡があった。
 さっき落とした時後ろにいたこの男にかかってしまったんだろう。
 ――なら、もしかするとぶつかってきたのもこの男かもしれない。
 そんな考えもさらなる大声に弾き飛ばされる。

「話聞いてんのか、ああ?」
「あ、聞いてます聞いてます……だから怒鳴るのは、ちょっと……つばがですね――」
「ごちゃごちゃうるせえ! どうしてくれんだよ、これから人と会う約束があるってのに!」
「え、それは本当に申し訳ない」

 胸ぐらをつかまれたまま、足は爪先立ちに近い状態のまま話を続けられて息苦しい。けれどここで離してくれと言っても男は聞きそうにない。
 それどころか話を大きくしようとしている匂いがして、初めからしていた嫌な気配が強くなったと同時に、男が声を潜めるように、低く唸るように声を出す。

「金出せよ」
「え?」
「金だせっつってんだよ! それで新しい服買うんだよ、早く寄越せ。悪いって思ってんなら誠意見せろ」

 せっかく声を抑えてもらってもまた大きなものに切り替わり、けれどようやく掴まれていた胸ぐらを手放される。
 急にまた自分の足に体重が戻り、少し締まっていた喉も解放されて軽くせき込む。けれどそれを待とうともしてくれない男は早くしろ、と苛立たしげに告げた。
 こっそりと咳き込みながらも周りを見てみれば、大通りという人のそこそこいる場所にも関わらずみんな見て見ぬふり。心配そうに遠目で見てくる人や野次馬丸出しで覗いてくる人はいるけど助けようとは誰もしない。
 店の人も男の大柄な身体と横柄な態度に怯え中に引っ込んでいる。この店にはグラバルのまたたび酒のことでよく世話になっているし、こうして迷惑をかけてしまって申し訳なさに胸がいっぱいになる。
 けれど、そんな気持ちを持つことさえ許されないまま男がまた声を張る。

「早くしろっ、こっちは急いでんだよ!」

 そうは言われても。
 ちらりとまた男の足元に目を向け、その騒動の原因となっているものを見る。けれどそれはすでに乾き始めていて、もともとそう濡れていたわけでもなかったんだから当然の状況だろう。ましてやそれで謝罪を求められたとしても、金銭まで要求されるのは明らかにおかしい。
 もはや断言できる。これは当たり屋ってやつだ。わざと酒を持ったおれにぶつかって、難癖つけて。
 そう言えば家を出るときグラバルが治安どうとか言ってたなあ。まさか本当に自分がその部分に関わるとは思ってなかった。裏道を通るならまだしも、人の多い大通りで絡まれるとは。
 そんな風にぼうっと考えている間に相手の苛立ちはさらに増し、その様子を見て慌てて懐に手を突っ込んだ。
 そこから取り出された財布を見て、ようやく男が怒り以外の顔をする。小さく笑うとすぐに表情を戻して、厳しい目をしたまま見下ろし続けた。
 財布は自分のものとお師匠さまのものがあるが。こんな男にいくらなんでもお師匠さまの金を渡すことはできない。油断してたのは自分だし、これ以上騒ぎを長引かせてお店の人に迷惑かけるのもいけないと、財布を開いて中を確認する。
 どうにか、なけなしの所持金で大男でも履けるような下衣を買うくらいのお金はありそうだ。
 ここで屈してお金を出さなくちゃいけないのは不服だけれど、でもそれ以外の解決方法は見習いで、腕っぷしがからきりな自分にあるとは到底思えない。だからこそさっさと支払って解放してもらおう。
 少し多めなくらいの金額を男に手渡す。そのおかげでまたたび酒を買うことどころか落としたものの弁償もできなくなったけれど、それは店にお願いして支払いを待ってもらおう。
 とにかく今渡した金ではやくどこかに行ってくれ。もう渡したんだから十分だろう――そう思った、おれが甘かった。当たり屋に常識なんて通じるわけもない。
 手の平に乗せられた金を見て、男は憮然とした態度でまたそれが載ったままの手を差し向ける。

「足りねえ」
「は?」
「足りねえ、つってんだよ」
「いやでも、それなら十分――」

 そう言いかけた言葉は男に遮られ、一方的にまくしたてられる。
 これがいくらしたと思ってるんだとか、迷惑かけたって思ってんならその分上乗せしろだとか。
 どうみても安物の服を示しながら睨まれる。けれどおれにこれ以上差し出せるものはない。
 どうしたものかと困っていれば、またも胸ぐらをつかまれ上に引き寄せられる。そして、周りの人には聞こえないような密やかな声で男は笑った。

「おまえ、紺色の巾着も持ってんだろ? その緑のやつ以外によ。それも出せや」
「……ずっと、つけてたんですか」
「さあな」

 紺色の巾着、それはお師匠さまから預かったお金を入れたものだ。店での支払い以外に出してないし、またたび酒を買うために訪れたこの店では懐に仕舞いっぱなしにしていたはずで。
 それを、たまたま後ろにいただけの男が知るわけがない。きっともともと狙われていて、ずっと機会をうかがっていたんだろう。
 もしかしたら大荷物を抱えていたからと金を持っていると思ったのかもしれない。あいにくお師匠さまのお金もそこまで残っていないけれど、少なくともまだ持っているというのを知られてしまっている。

「――そっちは、おれのじゃないのでお渡しできません。さっき渡した分で勘弁してくれませんか」
「はっ、足りねえっつったよな? 渡す気がねえってんならこっちに来い」

 胸ぐらをつかんだまま男が歩きだし、引きずられるように裏路地へと連れ込まれようとした。抵抗しようにも足は爪先立ちで踏ん張れないし、そもそも店先で乱闘騒ぎにでもなればただでさえ迷惑かけているのにそれ以上のものを店にもたらしてしまう。それに結局はぼこぼこにされるしかないし、ついていくしか道は残されてなかった。
 誰にも助けられないまま、そのまま薄暗い裏路地へ男と二人入ろうとした時。第三者の静かな声が割り込んだ。

「その手を離せ」

 それはよく知った声で。でも、すごく怒っていて。
 振り返った男が相手を見て、さあっと顔色を変える。

「お、おまえ、グラバル!?」
「気安く呼ぶな。もう一度言う、そいつからその手を離せ」

 青ざめた男は人並みを裂いて現れた黒豹に怯え、ぱっとおれから手を離す。そのまま数歩後ずさり、その分近づいたグラバルの隣に立つことになったおれを恐怖したように見つめた。

「そいつがいるってことはおまえ、並召喚師見習いのハゼルだな! ちくしょう、騙しやがって!」
「騙してなんかないだろ……ていうか並っていうな、ただの召喚師見習いのハゼルだし」

 自分で言うのはよくっても、他から言われると腹立たしいものだ。
 締められ痛む喉を抑えながら呟くも、男に掠れた声は届かない。
 指でさされて、それでさらに機嫌悪くなったのはグラバルだった。

「おまえがハゼルの名を呼ぶな。見るな、触れるな、声を聞かせるな存在を感じさせるな。今日のことはひとまず、不問にしてやる。とった金をそこに置き早々に立ちされ。でなければ――」

 半端に区切った言葉の代わりに鋭い牙を見せつければ、男は冷や汗を掻きながら視線を下に向け、そろりと動き出す。
 手にしていた緑の財布をその場に置いて、目も合わせないままに回れ右をし背を見せた。
 あとはもう走り去ろうとしたのか駆け出す体制をとった男は、いざ一歩を踏み出そうとしたとき、グラバルから低い声をかけられる。

「覚えておくぞ、その醜い面を」
「――ぃっ!」

 悲鳴を上げたくても声も出すなと言われていた男は、声にならない叫びを残して姿を消した。
 足音も完全に消えたところで、ゆるゆると腰をその場に下して、隣に立つグラバルへ寄りかかる。

「どうした」

 顔を寄せ向けられた青い目に首を振りながらも、胸に溜まった空気をすべて押し出すように吐きだして。微かに震える指先を伸ばし、グラバルの太い首に抱きついた。

「……うー、怖かった……」

 冷静を保とうとしたのに。最後まで、せめて家に帰るまで。でもグラバルの体温を感じたら全身から力が抜けて、強張った身体に押さえつけていた震え出てくる。
 それを触れる部分から直に感じるグラバルは、溜息をひとつついてその場に腰を下す。抱きつくおれの首筋に顔を寄せて匂いを嗅いだ。

「怪我はないか」
「――ん、大丈夫」
「まったく……何かあればすぐに呼べと言っておいただろう。胸騒ぎがして、おれも下りてきたからよかったものを。危険な時には相棒を呼びだせとおまえの師匠は教えただろうが」

 ごめん、と力なく謝れば、グラバルは静かにすり寄ってくる。その大きな温もりに安堵しながら、一度深く深呼吸をした。
 確かに、ともに在ることを誓いあった相棒は、いざという時召喚陣なしで召喚できる。だから召喚しかとりえのないひ弱な召喚師たちが自身を守るために、守ってもらうために相棒を作ることだってあるほどだ。中には自分の身体も戦士のように鍛え上げる猛者もいるけれど、少なくとも並召喚師であるおれは前者に値する、守ってもらう側の召喚師で。
 グラバルが来てくれなければきっと予想通りぼこぼこに殴られていたかもしれないし、少なくとも脅されたり痛いことをされてただろう。
 怖いのも痛いのも嫌いで、それを想像しただけでも恐怖に顔がゆがむってのに。
 もしもの場合は、グラバルを呼べばよかったって、わかっていたのに。それさえも忘れる程内心では焦っていて。
 そんな情けない男を相棒に持っていることをよく知るグラバルは、それでも呆れず震える身体を寄り添い宥めてくれる。

「そういうところが未熟と言われるんだ。見習いを卒業したければ何事が起きても揺らがぬ度胸をつけることだな」
「わかってるよ。わかってっけど――」

 怖いもんは怖いんだと言えば、安堵が訪れてから抜けた腰をグラバルの長く太い尾がそっと撫でてくれた。

 

 

 

 ようやく落ち着き、まずは迷惑をかけた酒店の店主へ謝罪しに行く。そこで割ったまたたび酒を弁償すれば、本来買う予定だったグラバルの分は買えなくて。でもどうしようもないからと、店が預かってくれていた荷物を受け取り、グラバルに手伝ってもらいながら町から少し離れた場所へある我が家へ帰る。
 正確にはお師匠さまの家であって、おれとグラバルはそこの居候なわけだけれど。
 早朝自分の相棒と出かけたお師匠さまはまだ帰ってきてないみたいで、中に入ってすぐのところに買った荷物をひとまず置いた。そのまま部屋に向かい、後にグラバルもついてくる。
 お師匠さまがいる時に荷物を仕舞わず放置するなんてことしたら叱られるけれど、今はあの小うるさいじじいもいない。一直線に、ベッドを置いただけで半分が埋まってしまう小さな自分の部屋に戻り、すぐに椅子代わりに寝台の端へ腰かけた。
 足元にグラバルがお座りし、見上げてくる。

「ごめんなグラバル。折角助けてくれたのに酒買ってやれなくて。次の給料出たら少しいいやつ買ってやるから」
「別にかまわん。それより靴を脱いだらどうだ。濡れているのだろう」
「あ、うん」

 グラバルには男に絡まれた時の流れは一通り説明してあって、今も濡れる足の原因がまたたび酒であるということも知っている。だからただの水でないそれがべたつきだしているのもわかってるんだろう。
 落として中身がこぼれたまたたび酒は右の足首から下に全体的にかかっている。左足はまだ飛び散っただけですんだけれど、安物の靴はあっさり中にまで酒を染みこませていた。
 言われた通りに靴を脱ごうとすれば、未だ乾いてない液体はいやにべたべたとしていてそれを阻む。どうにか取れば、湿る足が外気に冷えた。

「うう、べとべとする」

 靴も早いところ洗わないと駄目になってしまう。そう思って手にしたままのそれを改めて眺め、早速動こうと、一度は腰を下したベッドから立ち上がろうとする。
 けれどそれは、グラバルが先に動いたことでできなくなった。代わりに行動できたのは、喉の奥から奇声を発すると言うことだけで。

「うひゃあ!?」

 ざり、とざらついた柔らかく温かい何かがべたつく足を舐めた。
 思わず声を上げて下を見れば、そこにはおれの足元に顔を伏せるグラバルがいて。頭に隠れて見えないけれど、足に触れたのはきっと、多分恐らくあいつの小さな棘が並ぶ猫の舌で。

「ぐ、ぐらば――ひいいっ!」

 ベッドの上に引き上げようとした足をおさえつけられ、またざりりと舐められた。普通の舌と違う少し痛みを与えるそれはやっぱり間違いなくグラバルのもので。
 必死に足を引き上げようとしながらも、器用に前足に押さえられそれは叶わない。格闘してる間にも指の股や、爪の間まで舐めとるよう丹念にされて。
 人間の肌に猫科の舌は刺激が強いということはわかってるんだろう。どこか優しげな力加減で、でもそれがむしろ困らせてくれる。

「ん、っは……も、やめっ」

 指先だけでなく踝の方まで、全体的に舌を這わしてからようやくグラバルは足を解放してくれた。でももう息も絶え絶えで、今更動かす気にはなれずにベッドへ上半身を投げ出すように預ける。
 潤んだ視界の先に、寝台へと身体を上げたグラバルがやってきた。目を合わせるように身を低くし、蒼瞳で顔を覗き込んでくる。
 それを見つめ返せば、今度は頬を舐めとられた。

「なに、すんだよ」

 少しひりひりする頬に手を沿えれば、そこが湿ってるのがよくわかって。
 ようやく落ち着きを取り戻し唇を尖らせれば、グラバルは喉の奥で笑う。
 久しぶりに聞く笑い声。少しだけ驚いていれば、グラバルが身を起こす。

「美味かったぞ、またたび酒」
「……~っ、この変態猫! 信じらんねえ、馬鹿っ!」

 咄嗟に手を伸ばせば掴める場所にあった枕を投げるも、あっさり避けられまた笑われて。
 不貞腐れて毛布を頭からかぶれば、足元から馬鹿猫が入り込んできて。
 狭い一人用のベッドは一気に窮屈になる。それに対してぶつぶつ文句を言えば、不意に聞こえる音に。背を向けていた相手へ寝返り、頭から毛布を被ったまま笑い声をあげて抱きついた。

 ゴロゴロゴロ――

 おしまい

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無月刹那さま、リクエストありがとうございました!

今回は人外×人間と、おいしい設定ありがとうございます!
人外攻は黒豹もしくは虎とのことでしたので、今回はクールな性格がより似合いそうな黒豹とさせていただきました
久しぶりのファンタジー短編とのこともあり、結構ノリノリに書かせていただきました(笑)
ご依頼の甘い話、とはいきませんでしたが、お楽しみいただけたでしょうか?
少しでも楽しんでいただけたのであれば幸いに思います。

ある程度黒豹と人間のことは軽く本文内に書かせていただきましたが、二人の仲がどういったものかはあえて記しませんでした。恋人なのか、相棒なのか、ただの友人なのか。それはお好きに想像してくださればと思います

ちなみに最後のゴロゴロは猫の喉が鳴る音です。ちゃんと表記しようか悩んだのですが、あえてゴロゴロの音だけ書かせていただきました。

本当にリクエストありがとうございました!

2014/01/05