ドランと王さま

 

 とある大陸にあるとある王国の、とある王の私室にて、赤毛の美丈夫は、腰の曲がった老人と顔を合わせて彼の説明を聞いていました。
 二人の前には、床に直接座らされた人形がおりました。
人形はこの国では長身の部類に入る美丈夫よりもさらに頭ふたつ分も背が高く、がっちりとついた筋肉は隆々としており、腕なんてまるで丸太のように太いです。纏うのは腰布だけで、逞しい肉体は惜しげもなく晒されておりました。しかしつぎはぎだらけの肌はまるで石のように灰色がかっていて、濃淡の差がより人形をみすぼらしく見せます。
 髪はなく、つるりとした頭部だけは形の良さが気持ち良いものでしたが、それの顔はとてもひどく醜いものでした。
 だらしなく開いた口は大きくて、子供なんて丸のみしてしまいそうです。そこから見える歯列は歪で形も不揃いです。閉じる瞼の位置が水平でないばかりが、右目と左目の大きさまで若干違います。鼻は削がれたようになく、ただ二つの穴があるばかりでした。やや長く尖った耳も、彼が人間とは離れた者であることを教えます。
 初めて青年が人形を見たとき、もっとまともな姿にしてやることはできなかったのかと憐れむほどでした。しかし美醜などまるで気にせず機能性ばかりに熱を入れる研究者の老人は、青年の眼差しなど興味もありません。
 なによりこの人形は、試作品であるのです。まずは成功させることが第一で、容姿など二の次。これが無事問題なく完成と認められたとき、それから造るものに気を配ればよいだけのこと。そのほうが合理的であるし、ここまで出来上がったものを見た目が悪いというだけの理由で造り直させるのも馬鹿げていると青年は思ったので、口には出しませんでした。

「ではこれよりこの者に、貴き血をお与えください」
「この石に垂らせばよいのだな」

 青年は初めに老人より受け取っていた手の中の玉に目を落とします。
脇から差し出された短剣を受け取り、石を握る手の親指の腹を切りました。
 ちりっとした痛みとともに、じわりと血が滲んでいきます。それを真っ赤な玉に塗りつけました。
 老人に促されるまま、それをぽかりと空いた醜悪な顔の人形の口にそろりと置きます。
 いくら人形が巨体とはいえ、赤の玉はてのひらほどの大きさです。まだ意志もなにもないそれがどうやって飲みこむのかと疑問に思っていると、ふと石に変化が起こりました。
 先程まで形をまあるい形を保っていたそれが、広い舌の上で水のように溶けていき、人形の喉へと流れていったのです。
 不思議なことに目をぱちくりとさせていた王は、すべてが流れきると、人形の顔に改めて目を向けました。

「――本当にこれで動くのか?」
「ええ。しばらくお待ちください。これからは定期的に陛下の血をお与えになるだけでよろしいです。不要であれば、放置しておいてくだされば、時期に動かなくなります」

 胡乱げな青年の眼差しなど素知らぬ顔で、老人は自信たっぷりに言いきりました。
 やがて、研究者の老人の言った通り、ぴくりと人形の瞼が動きます。
 それにはじめて、命が宿った証でした。

 

 


 この国の優秀な研究者によって開発された人造人間は、使用主であり国王でもある美丈夫の青年から、ドランと名づけられました。それはこの大陸に古くから伝わる言語で、のろまを意味する言葉です。
 ドランは研究者の老人がこれまでの知識をすべて詰め込んだ作品であり、その見た目からわかる通りとんでもない怪力で、痛覚が鈍感なためにいくら傷つけられても痛みも熱も寒さも感じません。思考も恐怖というものを感じる心を鈍くしてあるため、敵を目の前にしても怯むこともないのです。
 そう、ドランは戦いの兵器となるために生まれてきたのでした。
 とはいってもドランはまだ試作品であって、今は王の警護を任されております。敵となる者はまず彼の巨体と、そのおぞましい顔に恐怖するので、ドランは立っているだけでも十分守護の役目を果たしておりました。
 さてドランですが、彼は戦士としての能力はとても優秀でありました。しかしその名の通りのろまで、要領が悪く、なおかつその心は生まれたての子どものように純粋であったのです。知能も低く、それは研究者も予測していなかった誤算でした。
 いくら能力があったとしても、ドランは戦うことの意味がわかりません。争いの本質も理解できません。たとえ模擬戦にて王が、相手を倒せ、と命じても首を傾げるくらいです。
 争いごとのために造られておきながら、ドランはそれとは無縁であるような者であったのです。
 その巨体と容姿を前にして、なにも知らされぬ人間は大抵腰を抜かして助けを乞いますが、動物たちは彼のことをよく好いておりました。
 お気に入りの緑に溢れた中庭で、日向ぼっこを日課とするドランの肩には小鳥が留まり、膝の上にはどこから入って来たのか野良猫がまあるくなります。王さまの愛犬さえ、ろくに構ってくれぬ飼い主よりもドランのほうが好きなようでした。
 初めこそ巨人のような巨体に驚きますが、彼の動きがのろまなことと、ドランの無垢な本質を見抜いてのことなのでしょう。
 今日もまたのんびり日に当たっているドランを執務室の窓から見つけて、王さまは溜息をつきました。
 そんな日々が続いたとある日、王さまはしょぼくれているドランを見つけました。
 声をかけてみると、彼はくっつけた両手に、土から根ごと掘り起こした花を持っておりました。花は今にも萎れそうにぐったりしています。
 ドランは王さまに尋ねました。

「はなは、このまましぬのか?」

 ドランは思考が幼いせいか、王さまに対して言葉を正すことができません。王さまが自分の主であることは理解していても、どれだけ偉い存在であるのかわかっていないのです。
 最初のうちは配下に示しがつかないと直させようとしましたが、今や諦めています。周囲もこのドランならば仕方がないと受け入れていることでもありました。
 王さまはため息をひとつついて、傍らで控えていた従者に指示を出しました。
 寂しそうにつんと長い耳を垂らしているドランに言葉をかけます。

「肥料と鉢を用意してやる。毎日適量の水を与え、十分に日光を食べさてやれ。おまえがしっかりと世話をすればきっと蘇るだろう。指導役も遣わせる」

 ドランは王さまの言葉のほとんどを理解できていませんでしたが、萎れかけた花を生き返らせる術を与えてくれたことだけはわかりました。

「ありがとう、へーか!」

 なんて優しい人なのだろう。そう思いながらドランはにいっと笑います。歪に並んだ歯が露わになります。
 王さまはドランの笑みに引きつった表情をしました。

 

 

 王さまとドランがはじめてまともな言葉を交わしてから数日が経った頃。
 ドランは日が顔を出し始めたばかりの、まだ空が薄暗いうちから王さまの部屋の扉をどんどんと叩きました。
 警備していた者は必死になって止めたのですが、なにせ相手は頭は足らずとも屈強な身体のドランです。どんなに叩いても腕を引いてもまったく止められません。
 すぐに目を吊り上げた王さまが、寝着のまま扉を開けました。
 不敬罪にもあたる行為を叱り飛ばそうと、くわりと口を開きましたが、ずいと差し出されたものに毒気を抜かれて目を瞬かせます。
 目の前の赤い一輪の花の後ろでは、相変わらずのあの醜い笑顔がありました。

「へーかのおかげ、げんきになった!」
「……そう、か」

 それはあのときの、萎れかけた花でした。
 もとより栄養か、それとも陽の光が足りなかったのでしょう。たった数日でも見事に本来の美しさを取り戻し、瑞々しく花開いておりました。
 王さまは手を伸ばし、花弁を傷めないように気をつけながら、そろりと深紅を指でなぞります。

「そうか、元気になったのか」

 このとき初めてドランは、王さまの小さな小さな笑みを見ました。
 それはとても美しく、かけがえのないようなものに思えました。
 その日から花は王さまの私室の窓際に、鉢植えのまま飾られることになりました。その世話係はドランが仰せつかりました。
 

 

 ドランは王さまに、日々の発見を様々見せました。
 すばしっこく動き回る蜥蜴に、形が綺麗だというだけのまあるい石ころ。城壁の一角に造られた鳥の巣はドランに持ち上げられて、一緒に中にあった卵を見ました。そのときは親鳥に睨まれてひやりとしたものです。
 太陽の光で煌めく水面が綺麗だという理由だけで、中庭の噴水にまで引っ張り出されたこともあります。変な形の雲がある、というものもありましたか。強風で飛ばされてきたという大臣が愛用するかつらを見せられたときはどうしたものかと頭を抱えました。
 始めこそ付き纏うドランを鬱陶しく思っていた王さまですが、いつだって最後には根負けしてしまったかのように、ドランのはしゃぎように笑みを浮かべてしまうのです。
 ドランとの日々を重ねていくにつれ、王さまの部屋にはがらくたのようなものが増えていきました。すべてがドランからの贈り物です。
 町の子供でももっとましなものを贈るだろうと周囲は呆れました。王さまもそうでした。一体この国の誰が、とっても大きな葉っぱだったり、ひとつの音階が壊れて捨てられたオルゴールだったりを国王に贈るでしょうか。
 けれども王さまは寝る前にふとそれらを見て、空気の冷えた部屋の中で一人微笑んでいることは誰も知らないのでした。

 

 

 とある日、執務室から飛び出すように出てきた王さまは、とても怖い顔をしておりました。
 扉の前で待機していたドランは、早歩きをする王さまを追いかけます。二人の後ろでは宰相や大臣、お付きの者や、近衛兵たちが小走りで追いかけてきました。
 王さまは誰に聞かれたでもなく、口を開きました。

「戦争になるやもしれん。三つ隣の国が襲われた」

 それは近年急速に支配地を拡大しつつある大国によるものでした。まだいくらか離れておりますが、その勢いは恐ろしいもので、いつこの国にまで伸ばされるやもわかりません。
 そうなったとき、素直に国を明け渡すつもりはありません。戦い、最後まで抗おうと、王さまは決めておりました。
 ようやく追いついた王の乳母兄妹である宰相は、息を切らしながら告げました。

「陛下、今でこそご婚姻なさいませ」
「いらぬ。世継ぎは兄上が遺された御子がいるだろう」
「そうではありません。陛下のみ心を支える方が必要なのです」
「いらぬ!」

 王さまは耳を塞ぐように叫んで、そのまま私室に閉じこもってしまいました。
 しばらく皆で王さまがお戻りになるのを待ちましたが、やがて日が暮れる頃には散っていきました。
 警備の者以外は、ドランだけがずっと扉の前で待っておりました。
 やがて静かに扉は開かれて、残っていたドランだけが部屋の中に招き入れられました。
 王さまは真っ直ぐに窓辺に向かい、そこに腰を下ろします。足も桟に乗せました。そのつま先には、ドランは毎日丹精込めて育てている花が置いてあります。
 月明かりを受けてほのかに輝く王さまの姿に、ドランは目を奪われました。

「ドラン、人造人間は廃止する。おまえが最初で最後だ」

 ぼうっと王さまを見つめていると、彼はぽつりと呟きました。

「おまえみたいに心持つ者を、ただの道具と、捨て駒になどさせられん。そもそもこんな非人道的なもの許されるはずがないのだ。――ああ、だがそうすると、兵士たちの負担はこれまでとなにも変わらない。けれどドランを使いたくはない……」

 王さまは片手で目元を覆いました。くしゃりと前髪が歪みます。
 ドランの身体は勝手に動きました。
 ひどく壊れやすいものにふれるよう、そうっとそうっと、震える王さまの身体を抱きしめました。

「ああ、どう国を守ればよいのだろう……父上、兄上……わたしは、どうすれば――」

 こんなにも近くにドランはいるのに、王さまは一人ぼっちでいるように、ぎゅっとかたく拳を握りました。

 

 


 まあるい月が昇る今宵、お城では舞踏会が開かれておりました。
 きらきらした人たちが大勢、飾りつけた城を訪れました。なんでも王のお妃選びを兼ねている、と仲良くしている兵士に教えてもらいましたが、ドランにはその意味がわりませんでした。
 嗅覚が鋭いドランは人々の香りに酔うこともあり、なによりその醜い容姿のこともあって中庭で待機しているように言いつけられました。そのため長らく夜空を見上げておりました。
 空など見つめていても、それほど変化はありません。しかしドランは瞬く星たちを飽きることなく眺めておりました。
 ふと音が聞こえて、ドランは振り返りました。離れている場所で、こちらに向かってくる王さまが見えました。ドランは聴覚も優れているのです。
 岩のように座り込んでいた身体を起こして、ドランは飛び跳ねるようにして王さまのもとに駆け寄ります。
 ドランがここにいると知っていた王さまは、来賓者たちから逃れるようにして彼のもとを訪れたのでした。
 王さまもドランとの距離を縮めようとしたとき、これまで警護にあたっていた近衛兵たちがついて来ようとしたことに気がつきました。それが彼らの仕事であるのだから当然です。けれども王さまは、手の動きひとつで彼らに留まるよう指示しました。
 そうしている間にも一歩が大きなドランは、あっという間に王さまのもとまで辿り着きました。

「おうさま、ほし、きれい。きらきら」
「そうか」

 ドランと王さまは一緒に歩き出しました。そして二人で噴水の縁に腰を下ろし、これまでドランがしていたように星空を見上げます。
 そこでドランと王さまは色々なお話をしました。とはいっても、喋るのはほとんどドランです。拙い言葉で昼間に見た楽しいもの、美しかったものを王さまに教えるのです。以前に二人で見た鳥の巣の卵が孵り、もうじき雛が飛びたちそうなことも教えてあげました。

「そうか。ならば最後にわたしも見たいな」
「ならいこう、またドランがもってあげる」

 突然ひょいと脇を抱えられ、子供のように持ち上げられたことを王さまは思い出して笑いました。王である者にあんなことをするのは、きっとこの先もドランだけなのでしょう。
 最近は忙しくしていた王さまは、明日からもまた多忙の日々に身を投じます。なのでドランの言う通り今のうちに鳥たちを見ておこうと立ち上がりました。
 久しぶりに王さまとゆっくりいられることが嬉しくなったドランは、王さまの手を取り引っ張りました。ドランの手はうんと大きくて、そのてのひらの中に王さまの手がすっぽり埋まってしまいます。
 王さまは苦笑しながら、これでもゆっくりと歩いてくれているドランに早歩きになりながらついていきました。
 ドランは鳥たちから教わったという鼻歌を歌います。王さまは口元に微笑を浮かべてそれを聞いておりました。
 しかしふとドランは立ち止り、鼻歌も止めて繋いだ王さまの手をぐいっと引っ張りました。
 前につんのめった王さまは、転んでしまう、と身を固くしましたが、倒れた身体はドランの胸に受け止められます。
 今度は広いドランの身体に、王さまはすっぽり埋もれてしましました。加減はしてくれているのでしょうが、怪力のドランに抱きしめられて思わず呻きます。
 痛いぞ、と文句を言ってやろうと思いましたが、聞こえたひゅんと風を切る音、そして続くどすっとした重たい音に、触れる身体から伝わったそれに言葉をのみこみました

「ど、ドラン……ドラン! どうした、なにがあった!」

 王さまぎゅうっと締め付けるドランの腕の中からどうにか手を出して、彼の胸を叩きます。けれどもドランはなにも言いません。再びあの、肉に矢が突き刺さる音が聞こえます。
 遠くから異変を聞きつけた近衛兵たちがやってきます。ドランの中から王さまを引きずり出して、そのまま城の中へと連れて行こうとしました。
 王さまは抵抗しました。背に幾本もの矢を突きたてながらも立ち上がったドランに手を伸ばします。
 ドランと近衛兵たちの前に、賊らしき黒衣の男たちが顔を出しました。皆、月明かりに妖しく光る抜き身の刃物をもっております。
 賊の一人が去ろうとする王さまに向かって矢を放ちましたが、ドランのてのひらがそれを受け止めました。灰色の肌を貫通した矢じりが、血に染まりながら王とまみえます。

「ドラン!」
「なりません陛下! 早くお戻りください、まだどこかに敵が潜んでいるかもしれません」
「ドラン、ドラン――っ」

 制止の声も聞かず、我をも忘れて王さまは手を伸ばします。
 その先で痛みを知らぬ人造人間は、怪物のように拳を振るって敵をなぎ倒していきました。

 

 

 ドランは自我と肉体の維持のため、定期的に王さまの血を含む必要がありました。つまり糧となる血を与えずにドランを無視していけば、やがて彼は活動を止めるのです。
 王さまは自分の命を狙う侵入者があったあの日以降、徹底的にドランを避けました。あの音が、あの姿が、いつまでも王さまの頭から離れることはありませんでした。ですから王さまはドランをただの人形に戻すことに決めたのです。
 いつもであれば執務室の前で待っているドランですが、連日にわたり王さまが反応してくれないことを不安に思って、今日は部屋の隅っこにおりました。
 両の膝を抱えて、なるべく邪魔にならないよう大きな身体を小さくします。大好きな日向ぼっこも我慢して、薄暗い影からただじっと、王さまを見つめておりました。
 王さまはドランの視線に気がついておりました。けれどもここで反応してしまっては、これまで無視してきたのがすべて無駄になります。ですから彼をいないものとして、素知らぬ顔で仕事を続けておりました。時折誰かが部屋を訪れれば王さまは顔を上げますが、それでも視界の端に映るドランを見ることはありません。
 けれども王さまは、ずっとドランのことを考えておりました。真剣に仕事に取り組みながらも、大切な国に関わる話を交わしても、それでもドランのことばかりを思っておりました。どんなに止めようとしても頭から離れないのです。
 この純粋で無垢なドランが、ただの醜いだけの人形に戻ってしまう。それを考えると王さまの心はすうっと冷たくなっていきます。それでも耐えねばらないと気丈に振る舞っておりましたが、ついには羽根筆を動かす手を止めてしまいました。
 そして、心配そうにこちらを見るドランに目を向けてしまったのです。
 ドランははっとしたように起き上がると、ずんずん王さまの傍に来ました。王さまは慌てて下を見ましたが、もう遅いです。
 ドランは断りもなしに王さまに触れ、軽々とその御身を持ち上げてしまいました。
 これには成り行きを見守っていた兵士も仰天してしまいます。あんぐり口を開けたまま、ドランが王さまを腕に抱えてさあっと走り去るのを見守ってしまいました。
 外で同じくぽかんと口を開けていた兵士たちと目を合わせ、彼らは大慌てでドランを追いかけました。
 ドランは腕の中にいる王さまの制止の言葉も聞かず、風というには勢いがありすぎる、台風のような勢いで城内を駆けていきました。中庭に飛び出すと、中央の噴水の縁にそっと王さまを下しました。
 しゃがみ込んで王さまの顔を覗き込んでみると、そこには怒った顔がありました。ドランは困った顔で立ち上がります。

「へーか、まってて」

 ドランはそう言い残すと、またびゅうっと走ってどこかに行ってしまいました。
 その後にへろへろの姿で追いかけてきた近衛兵たちがやってきました。王さまは彼らについていって部屋に戻ろうとも考えましたが、やめました。
 ドランのしたいことを見届けようと思ったのです。これでおしまいだと、そう決めました。ですから最後くらいは彼の遊びに付き合ってやろうとしたのです。
 ぜいぜいと荒い息の兵士たちに庭園の隅の木陰で休んでいるよう言い渡し、王さまは一人、陽光の下でドランを待ちました。
 ドランは去った勢いそのままに、王さまのもとに一直線に戻ってきます。その彼の姿を見て、王さまは目をぱちくり瞬かせました。
 ドランの揃えた両手の上には、鳥の巣が乗っていました。そこにはもう間もなく大人の仲間入りをするであろう、けれどもまだ雛である子供たちがおりました。
 強引に連れてきたのでしょう。つるりとしたドランの頭を親鳥が避難するようつんつん突いております。

「へーか、ひな。ひな」

 あの夜、ドランが見せようとしてくれていた者たちです。王さまも彼らの成長を心待ちにしておりましたが、しかし今はあの傷ついたドランの姿を呼び覚ますものでしかなく、顔を背けてしまいました。
 ドランは大きな口を真一文字に引き結び、一度長い耳を下げました。けれどもぱっと気合を入れるよう耳をぴんと立たせて、王さまの足元に巣をそっと置いて再びどこかへ走って行きました。
 親鳥は巣に入り、吃驚している雛たちを宥めます。
 ドランは次に王さまの部屋に置いてある、彼からの贈り物を両腕いっぱいに抱えて持ってきました。けれども細々としているものもあるからか、流石に広いドランの腕の中といえども零れ落ちたものが、彼の足跡の代わりのように点々と落ちております。
 勝手に部屋に入ってはいけないと、王さまが力なく叱ると、ドランは巣の隣にそれらを置いてまたまた走り出しました。
 王さまは置かれたがらくたたちを眺めます。どれもひとつひとつに無邪気なドランの笑顔が重なりました。彼がなんとい言ってこれらを差し出してきたのか、王さまはすべて覚えておりました。
 次にドランが戻ってくる前に、宰相がやってきました。仕事に戻らなくてはならないようです。王さまは多忙な身であるので仕方ありません。
 今度ドランが戻ってきたら再開するからと説得をして、宰相を先に向かわせました。
 それからほどなくしてドランは、とぼとぼ戻ってきました。

「へーか……」

 ドランはそっと、鉢植えの赤い花を王さまに見せました。
 この花はドランにとってとても大事なものでした。だってこの花を見て、王さまは初めて笑ってくれたのです。ですからドランはことのほかこの花大切にしていたのです。
 もし王さまがこの花を見ても表情を変えなかったら、もうドランにはどうしようもありません。王さまが笑顔を見せてくれた場所につれてきて、同じく笑みを浮かべてくれた様々なものを持ってきましたが、王さまは笑いません。それどころかどこか痛そうに、つらそうに瞳を揺らすのです。
 儚げで切ないその姿だって、ドランはきれいだなあと思いました。けれども見ていると胸がぎゅうっと締めつけられるのです。苦しく思うのです。綺麗ですけど、でもドランが好きなものではないのです。
 ドランが好きなのは笑っている王さまです。そんな王さまを見ていると、太陽がなくたって日向ぼっこしているようにぽかぽか温かい気持ちになれるのです。その表情をするときの王さまは幸せそうなのです。ですからドランは王さまには笑っていてほしいのです。
 最近笑っていない王さまに、先程目を合わせたとき、ドランに苦しいと訴えているような王さまに、だからこそ今、笑ってほしいとドランは思ったのです。

「……最近、そいつを見てやることもなくなっていたな」

 ぽつりと王さまは呟きながら、ドランの手のなかの花を見つめました。その顔は笑っていなくて、ますます悲しそうで、ドランはがっくりと肩を落としました。長い耳もぺしょんと垂れさがります。
 やはり、だめだったのでしょうか。
 先程宰相とすれ違ったとき、忙しい王さまを振り回すな、と叱られました。普段は穏やかな彼ですが、とても怖い顔をしておりました。ですからもう王さまを一人占めすることはできません。
 ドランはしょんぼりとしたまま、王さまを執務室にお戻ししようとしました。ですがドランが動き出す前に王さまは言いました。

「ドラン。おまえはどうしてそこまで、わたしに尽くそうとする」

 俯いてしまった王さまの表情は見えません。ドランは言葉の意味を考えようとしましたが、よくわかりませんでした。
 ですからドランは、今思っていることを伝えました。

「ドラン、へーかのわらうかお、すき。しあわせそうなへーか、いちばんきれい。だからへーかわらってほしい。ドランができること、なんでもやる。だからへーか、ぽかぽかしていてほしい」

 ――そうだ、自分はただ、陛下に笑っていてほしいのだ。
 ドランは自分自身の言葉に気がつきました。先程からずっとそれを願っていたというのに、ドランは目が覚めた気持ちでした。
 ですからドランは決めました。たとえ今笑ってもらえなくても、また笑ってもらえるように、そのために。ドランは新しい素敵なものをいっぱい探そうと。
 王さまはドランが見せるものにいつも笑ってくれたのです。ですからきっと、たくさんの素敵なものを見せていけば、王さまはいつかまたドランに笑ってくれるはずなのです。その日がくるのをずっと毎日待ち続けようと決めたのです。
 このとき王さまは、ドランの決意とは別に、ひっそり心の中で覚悟を決めました。
 深く深く息をはいて、ようやく顔を上げてドランの瞳を見つめます。

「――おまえに闇は背負わせない。だがわたしにはおまえが必要だ……どうか、わたしのなかの暗闇を照らしてくれないか。これから先も、ずっと」

 純粋なドランの優しさとは違って、ずるくて身勝手な願いです。それでも王さまは、切に求めるものでもありました。
 王さまの言葉は難しいです。ですからいつもちんぷんかんぷんなことが多いです。
 今だってそうでしたが、ですがドランは一番大切なものだけは理解しておりました。
 ですから、にいっといつもの笑顔を王さまに見せました。

「ドラン、へーかといる。ずっとずっと、いっしょにいる。へーかつらいなら、ドランわらわせる。へーか、えがおがいい」
「……そうか」

 ついに王さまは笑いました。けれどもなんだか変です。確かに幸せそうなのに、ドランの胸は嬉しくなったのに、でも締めつけられるようなあの苦しみがちょっぴりあるのです。
 ドランが首を傾げていると、王さまは言いました。

「ドラン。陛下ではなく、わたしの名前を読んではくれないか」
「なまえ?」
「そう」

 王さまはドランに、己の名を告げます。
 教えてもらった名前をドランが口にすると、王さまは広いドランの胸に寄りかかりました。
 恐ろしい顔にはとても似合わない、日向の匂いがします。王さまに染みつく日陰の匂いを覆い尽くしてくれます。彼の無垢な心に相応しい匂いです。

「ドラン、ドラン――」

 じわりと胸に広がる濡れた感覚に、ドランは声をかけようとして止めました。代わりに、か細く震え出した背中をぽんぽん優しく叩きます。
 王さまが顔を上げるまで、ずっとずっと、ドランは王さまの傍におりました。
 一緒に部屋を戻っても、夜になっても、明日になっても、明後日になっても。同じ季節が巡っても。
 ドランは王さまが息を引き取るそのときまで、ともに朽ちゆくまで、ずっと隣におりました。

 

 のろまで、心優しい人造人間と、孤独でなくなった王さまの物語は、これにておしまい。
 今日もまた世界のどこかで、とある物語が終わり迎え、そして新たな物語が始まっていることでしょう。
 彼らもきっと、ドランと王さまのように寄り添い合って生きているのでしょう。

 おしまい

 

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2015/11/16