呪術師の恋心

 

 扉が叩かれ、セツはそれまで視線を向けていた紙面から顔を上げて玄関を見た。

「おれだよ、開けてくれ」

 耳に馴染んだ男の声に、セツは立ち上がり少し早く歩きながらそちらへ向かう。
 以前は施錠していなかった鍵に手をかける。不用心だと叱られたため、最近ようやく在宅中でも閉める習慣がついていたところだ。
 解錠して扉を開けると、来訪者と顔を合わせる。
 視線が絡むと、よう、と片手を上げて、ラジルは小さく笑った。

「遅くなったな」
「いや――」

 気の利いた言葉も、家が遠いから仕方がないとも言えず、ただ道を開ける。
 セツの脇をするりと通ったラジルは、家の中を見回し満足げに頷いた。

「ちゃんと部屋を綺麗にしていたな」
「気をつけていたからな」

 以前は本が散乱し、物を片づける場所もなく、あちこちに蜘蛛が巣を張る有様であったが、ラジルが家に通うようになり随分と様変わりした。
 本はラジルが組み立てた本棚にすべて収まり、衣服を仕舞う場所もラジルが用意した。掃除用具もとり揃え、定期的に掃除をするようにもなった。
 今は夜なので炎が照らす赤い光ではあるが、家をのみ込むように絡みついていた蔦もすべて撤去したので、昼間は日差しが入る温かな部屋になっていた。
 本だらけのなにもない部屋であったが、机も椅子も用意した。今では絨毯も敷かれている。
 それらすべてがラジルとともに用意したものだ。休みが重なった日には毎回のように買い物に行き、セツの意見を聞きながらラジルが少しずつ揃えていったのだ。
 セツの師が若い頃から使用していた寝台も古くなってガタがきていたので、一回りも大きく頑丈なものに変えた。セツは寝られればいいと思っていたし、それほど身体も大きくないのだから小さくてもいいと言ったのだが、何故だかこのときのラジルはなんやかんや言って譲らず、家主の意見をなあなあにしたままこの寝台の購入に踏みきったのだ。

「飯は食ったのか?」

 服を緩めて荷物を机に起きながら、ラジルは尋ねた。

「うん」
「明日のパンは買ってきといたからゆっくりしようぜ。あんたはまた根詰めて仕事していたんだろ?」

 セツの仕事ぶりはたった数日しか見てきていないというのに、すっかり把握されてしまっている。前に似たような状況になったとき、久方ぶりの再会になったラジルに同じことを問われ誤魔化そうとしたセツだったが、どうやらその点について初めから信用されていないらしい。いや、それは不摂生が得意というセツへの一種の信頼であるのだろう。
 今回も図星であったセツは否定できずに押し黙る。
 その反応に指摘したことが当てはまっていたのだということを悟り、ラジルはわざとらしく肩を竦めた。

「なら休みの間読んでいいのは一冊までな。少しは休んで、それで後はおれに構えよ?」

 恥ずかしげもなくそんな甘える台詞を言ってのけるラジルに、ごくわずかに頬を緩ませ、小さく頷く。
 騎士服を脱ぎ軽装になったラジルに、玄関を背にしたままの場所でセツは口を開いた。

「ラジル」
「ん?」
「その――おれも、おまえのことが好きだ」

 腕に脱いだ服をかけたところで、ラジルは一瞬停止する。
 訪れた沈黙にセツはじわりと頬を赤くしていき、そしてラジルはゆっくりと破顔していった。

「ようやく言いやがったな」

 服を椅子にひっかけて、気が緩みまくった表情のまま大股でセツのもとにやってくる。
 やや背を屈めて手を伸ばされて、なにをされるのかと思ったら脇に手を差しこまれてひょいと抱え上げられた。

「ら、ラジル! 降ろせ……っ」

 吃驚したセツは身を縮めるが、ラジルは気にした風もなく、軽々とセツを持ち上げたままくるくると回転し始めた。

「ラジルっ」

 回る視界に、珍しくセツの喉から大きな声が出る。しかしその動揺っぷりを見てもなおラジルは止まらなかったし、その顔に浮かぶ笑顔も締まることはない。

「いいだろ、恋人同士になったんだから! ようやくだ!」

 足を引っかけるような本も床に落ちていないので、回りながら移動していき、やがて二人で一緒に寝台に倒れ込んだ。
 いくら頑丈でいい寝台だったとしても、飛び込むように圧しかかる二人分の体重にぎしりと悲鳴を上げる。
 浮かれていたラジルではあるが、脆弱な身体のセツに配慮してくれながら倒れたので、思いの外衝撃はなかった。しかしすっかり目が回ってしまっていて、視界がくわんくわん揺れている。
 そんなセツの頬に手を添えて、黒い瞳を自分に向けさせた。
 セツの焦点が合うまでラジルは待つ。そしてそのときがくると、セツの視線の先を独り占めしながら言った。

「口づけていいか」

 返事をするときは頷きとともに声も出すことを心がけているセツだが、バツが悪かったり、胸がくすぐったかったり、そんなときはできないこともあった。
 今も心が痺れるような感覚に声が出ない。
 だから小さく頷くと、ラジルはさっと顎をとり、そうっと唇を重ね合わせた。

「ん……」

 腰が抱き寄せられて、身体が密着する。一度は顔が離れていくも、再び重なる。
 最近は互いに忙しく生活が乱れていたからか、互いの唇がやや荒れている。小さくめくれた彼の肌を感じる。
 ああ、本当に口づけを交わしているのだな、とどこか夢心地に思う。
 満たされる気持ちにふわりとセツが浮足立つうちに、気がつけばラジルは上にいて、下になったセツをやけに男臭い顔で熱く見つめていた。

「おれ、ちゃんとあんたに伝えておいたよな。明日が休みの今、言ったってことは、いいんだな?」
「……っ」

 以前に言われていたのだ。ラジルがした告白の返事に頷くのであれば、抱かれる準備もしておいてくれと。
 それは恋愛に疎いセツにラジルが欲情することを気づかせるためであったが、ラジル自身そのときになれば理性が働かないと思ったからだ。その分、返事をお預けされているまで紳士的に振る舞うつもりだった。
 つまりラジルは今、セツに確認をとったのだ。
 抱くぞ、と。
 今思えば、返事を聞く前からそんな宣言をしていたのだから、ラジルは初めからセツの気持ちを知っていたのだろう。ラジルの告白から半年、ついに告白すると王と宰相に告げれば、彼らはセツの本心がどんな気持ちでいるのかを知っていて、気づいていなかったのは自分だけというなんとも間抜けな結果だった。
 いくらセツが人付き合いもなく、恋愛も初心者といっても、恋人同士の行為について知らないほど無知ではない。
 だからこそ今から自分がなにをされるのか。詳しいことはわからないなりに想像して、じわりじわりと頬を赤く染めていった。
 小さく頷けば、ラジルは再びセツの唇を奪った。
 つい息を止めていたセツが、呼吸のためにと薄く唇を開けば、そこからラジルの舌がねじ込まれる。
 吃驚して、思わず侵入した舌を噛んでしまった。
 それほど強くは噛んでいないが、するりとラジルは離れていった。
 動揺のあまり謝罪の言葉すら出ずに、セツは顔を青くする。
 嫌ではなかった。ただ、驚いてしまって、咄嗟に噛んでしまっただけだった。決して拒絶するつもりではなかったのだ。
 そう伝えればいいだけなのに、声は喉に張りつき出てこない。
 暗がりでも絶望した表情が伝わったのか、ラジルは苦笑して舌を出した。

「さっきの、嫌じゃなかったんなら、噛んだところ舐めてくれよ」
「ど、どこかわからない……」

 ようやく細い声が出た。
 出された舌を見ても痕が残るほど噛んでいないので、どこか判断がつかないのだ。

「ならそれっぽい場所で」

 恐る恐る舌を伸ばし、触れる。するとラジルのほうも動いてきて、裏側を舌先に撫でられる。

「ん、っ……」

 押し返されるように口内にラジルの厚い舌が入り込み、奥で縮こまってしまったセツの舌と絡む。
 息苦しいのに、口の中を擦られると気持ち良くて、その心地よさを返したいとセツも自ら舌を伸ばしていく。けれども経験不足からか、ラジルに翻弄されるしかなかった。
 服に手がかけられる。ラジルは一度顔を離して、セツの上着を脱がした。
 露わになった半身に目を細めた彼の視線が注がれる。

「大分肉がついてきたな」
「うん……」

 脇腹をなぞられ、くすぐったさにセツは身を捩る。

「でもまだまだだ。もっとおまえを肥やしてやるからな」
「――その分、おまえの料理が食べられるなら」

 ラジルの影響で食事の大切さ、そして楽しさを知ったのだ。そのおかげで順調に体重を増やしてきたし、これまでの食生活には到底戻れそうにもなくなってしまった。もうふかしただけの芋では物足りない。

「……あんたが喜ぶなら、健康でいてくれるならいくらでも作るさ」

 セツに振る舞うまでは長らく調理場から離れていたラジルだが、今では調理器具一式がセツの家にあるように、頻繁に料理をするようになっていた。次第に忘れていた感覚も取り戻し、今ではセツを太らせることと兼ね合わせた趣味となっている。
 ラジルの作るものは栄養面を考えているだけでなくとても美味しいので、セツは彼が食事を作ってくれるときがなによりの楽しみになっていた。以前はとりあえず腹になにか入れなければと思っても、区切りのいいところまでとつい長引いていた読書が、彼に飯だと声をかけられればどんな場面でも中断できるほどだ。セツの中では革命が起きたと言っても過言ではない。
 しかし、それでもまだ貧相な身体つきから抜け出すまでとはいかない。

「やっぱり、その……そそられないか?」

 病的に細い、というほどではなくなったが、それでもまだ骨が浮き出ている。それは随分魅力に欠ける身体だと、最近他人の色恋について興味を持つようになってから知った。


 いくら小柄といえどもセツは男で、身体はもとより骨ばっている。女のように柔らかくもなければ丸みもなく、もともと異性に興味があったラジルの心が離れてしまわないか心配していた。
 しかし、それはセツの杞憂に終わる。

「そんなわけないだろ。ほら」

 苦笑をしながら身体を動かしたラジルは、セツの足に硬くなった自身のものを押しつける。
 その直接的な表現にじわりとセツの頬は熱くなった。

「ずっとあんたとしたかったんだ。今まではただの友人だったから、そう見えないよう振る舞っていただけで、今日から我慢しない。もう恋人なんだからな」

 ラジルの言葉が耐えられなくなったセツは、自ら唇を重ねてその口を塞いだ。
 すぐに離れたが、ラジルが追いかけて舌を差し入れる。

「ふ……んぅ、っ」

 ねっとりと絡みつく舌に息はすぐに上がっていく。

「鼻で息をするんだよ」

 ままならない呼吸を見かねたラジルが助言をするが、教えられてもすぐに実行できそうにはなかった。
 そんな翻弄されるセツを、楽しげに見ているゆとりがあるラジルを少しだけ腹立たしく思うのも仕方がないだろう。セツとて必死に合わせようとしているのだ。
 深い口づけの間にもラジルの指先はセツの身体の輪郭をなぞるよう、腰から胸へと流れていく。
 そして胸の突起にそっと触れて、押しつぶすように刺激した。
 セツも興奮していることもあってそこがかたくなっていた。けれど回すように指が動いても、なんだか胸がざわめくような奇妙な感覚があるばかりで、なんのために弄っているかわからなかった。

「なんでそんなところに触るんだ。くすぐったい」
「追々それ以外も感じさせてやるよ」

 言葉の意味がわからずに首を傾げたセツを、ラジルはくすりと笑う。
 ラジルが動く度に服が擦れて、それが気にかかったセツは彼の服を指先で摘まんだ。

「おまえは脱がないのか?」
「ああ、あんたに夢中で忘れていた」

 いちいちセツの羞恥を煽るような言葉を出すのだから堪らない。
 普段はここまで甘い台詞を吐いてはこないのに、余程ラジルも浮かれているようだ。
 セツが気持ちを落ち着けている間にもラジルは上を脱いで、服を適当に放り投げる。
 晒される騎士の裸体に、セツは静かに目を輝かせた。

「すごいな」

 腹をなぞると、割れた腹筋に指先が上下する。
 鍛え抜かれた身体はしなやかな筋肉がついており、誰もが見惚れてしまうような肉体美を誇っていた。
 これまでも軽々とセツを支えたり、さらには抱え上げたりしていたのでその逞しさは知っていたが、実際の身体を見ると感動してしまう。

「でこぼこしている」
「くすぐったいから止めてくれよ」

 苦笑してラジルはやんわりセツの手を押さえた。

「後でいくらでも触っていいから、今はあんたのこと触らせろよ」
「――っ」

 セツが自ら手を引けば、今度のラジルは妖しげな笑みに姿を変えていた。まるで獲物を目の前にした肉食獣のように獰猛で、欲を孕んで熱くぎらついていて。けれどもセツを慈しむ優しさはそこにはあって。
 睨まれた子羊のようにかたまってしまったセツの足に手をかけ、引き留める間もなく下の服も引きずり降ろされる。
 すでに慣れない快楽に、セツの勃ち上がった中心はふるんと揺れた。

「可愛いもんだな」
「……馬鹿にしているのか」

 確かに、身体つき相応の自覚はあった。他人と比較したことなどないが、小振りではあるだろう。それを今まで気にしたことはなかったが、こうもあからさまに言われてしまえば面白くない。
 覗き込んで口元をにやけさせるラジルを睨めば、彼は口元の弧を残したまま不敵に目を細めた。

「まさか、その逆だよ」

 どうもそういうようには聞こえない、と文句を言おうとすると、ラジルが顔を落とした。
 なにをしようとしているのか見当もつかなかったセツは、その様子をただ見ていたが、意図を察してはっとした瞬間にはもう手遅れだった。
 可愛いと称されてしまったセツのものが、ラジルの口にぱくりとのみ込まれてしまう。

「やっ……ら、ラジル! 汚いからだめだっ」

 生暖かく湿った口内の感覚に震え上がりながらセツは首を振る。
 引き剥がそうと手を伸ばすも、口全体で吸い上げられて、強すぎる未知の快感にセツの身体はびくりと跳ねた。
 ラジルの口が離れていき、外気に晒される。それに寒さを感じてしまって、よりいっそう今までどこに収まっていたかを知らしめられる。
 それで身体が起こされることはなく、ラジルはセツのものを舌先で舐めながらほくそ笑む。

「いい大きさで食べやすいわ」
「っ、馬鹿……」
「気持ちよくさせてやるからこっちに集中してろよ」

 先端だけが再び含まれ、舌先で先にある溝をぐりぐりと抉られる。
 逃げようとするセツの身体を腕一本で押さえつけたラジルは、もう片方の手を双球の下にそっと忍び込ませる。
 いつの間にか手際よく軟膏を纏っていた指が、ゆっくりセツの中に埋め込まれていった。

「あっ――」
「……やっぱきついな」

 顔を起こしたラジルが呟くが、その言葉は混乱するセツの耳には届かなかった。
 男同士の性行為でそこを使用するという知識はあった。しかし、頭での理解と身体の反応が一致するとは限らない。
 わかっていたことであったはずなのに、あまりの違和感に、衝撃に、セツの身体は硬直したようにかたく縮こまる。

「セツ、力を抜いてくれよ」
「ど、どうやって……」

 無意識にがちがちに力の入る身体に、ラジルはあの不敵な笑みを浮かべた。

「どうって、こうだよ」

 深く咥え込まれて、再びセツはその快感に意識を奪われる。

「あ、ぅっ」
「そのひょうひ」
「しゃべ、るな……っ」

 その調子、と銜え込んだまま言おうとするものだから、喉の奥から伝わる振動にすら感じてしまう。
 ついにセツはラジルの頭を押さえ込んだ。だがそれで引き剥がすこともできず、むしろ縋るように、もっととねだるように髪に指を絡ませてしまう。
 埋め込まれた指が動く度に、不快感にも似た違和感に眉を顰めてしまいそうになるのに、前のものを甘やかされるだけで表情はとろけた。
 その繰り返しをしていくうちに、徐々にではあるが力が抜けていく。

 

  Main