使い魔は気配り上手

 

 日が暮れようという頃、荷物を片付け始めたノアに、それまで身体を丸くして眠っていたチィが頭を起こした。

「うにゃ。今日もヨルドさまのところにお泊りですか?」

「……まあ、そうだな」

 ただ答えるだけなのに手元を睨むよう眼差しがきつくなり、なんとも不機嫌そうに歯切れ悪く返事をするが、それがノアの照れ隠しだということもうわかっている。

 先日、ヨルドと付き合い始めてからというもの、彼が絡むとノアはいつもこの調子だ。
 二人の時間が合えばヨルドの部屋に泊まりに行くようになったのももう毎度のことだし、ノアもしぶしぶな体を装いながらもちゃんと会いに行くのだから、本心では嫌がっていない。
 もし本当に嫌だと思うなら、「今日は部屋に来てくれる?」と尋ねてくるヨルドに即座に断りの返事を入れるくらいノアならできるのだから。今のところノアが断ったところは見たことがない。
 それでも素直でないチィの主人は、自分の使い魔にすら浮かれた様子を見せたくはないらしい。

(ノアさまも可愛らしいところがあったものです)


 他の目など気にせず我が道を行くノアはそれはもう凛々しく格好良くて尊敬しているが、ヨルド相手にてこずる様子や、普段見せないうろたえた様子はなかなか微笑ましいものがある。

 チィは、ノアもヨルドもどちらも優しくて大好きだ。だからヨルドもノアが大好きで大切にしてくれるのは嬉しいし、怒ったり困ったりしながらも、本当に気を許した相手にしか見せない柔らかな笑みを見せているのだから、ノアの心もしっかり応えているのがわかる。
 大好きな二人が幸せそうならチィも嬉しい。ノアの関心が魔術とチィ以外に増えたのはちょっと寂しいところもあるけれど、二人はちゃんとチィを忘れずに可愛がってくれるので不満はなかった。
 でももう少し、チィの前でくらいノアもヨルドとのお泊りを嬉しそうにすればいいのにとも思う。
 もちろん、そんなことを思っていることは、うっかりが多いチィといえども口が裂けても言えない。二度と油断した姿を見せてもらえないどころか、これからずっと部屋から追い出されてしまうこともありうるのだから。
 とっくに二人がお付き合いを始めたことはすでに城内で知らない者がいないほどで、みんな騒ぎたくてうずうずしているのに、にこやかながらに何か迫力を感じさせるヨルドに気圧されて静かにするしかないのだとしても。それが実は人より他人の気配に聡いノアを守るためだと知っていたとしても、そんなことを知る由もないノアはヨルドのことを考えるだけでいっぱいいっぱいになっているのだとしても。
 たとえどんなにおやつを積まれて情報をくれないかと取り引きを持ちかけるノアの後輩がいたとしても、チィは二人の幸せを守るためなら絶対に口を割るつもりはないし、二人の邪魔をするつもりもない。
 できる使い魔とは主をありのまま受け入れて、そして主の幸せを誰よりも祝福して黙って近くで見守る者なのだ。
 チィは何やら「あいつがどうしても来てほしいというから、仕方なくだな……」とぶつぶつと言い訳をするノアの横で前足をぴんと前に出して身体を伸ばし、大きくあくびをひとつする。
 ぶるりと一度身体を振るって、すとんと長椅子の上から飛び降りた。
 そのままチィ用に取りつけられている押せば開く扉の元に向かう。
 道具の片づけをしていたノアが、出て行こうとするチィに気がつき振り返った。

「おい、どこに行く」

「チィもお泊りに行ってきますね!」
「またか。最近多いじゃないか」

 ノアの言う通り、ヨルドのところに泊まりに行くという時は二回に一度くらいの割合でチィは別のところに行っていた。

 それは魔術師団長のお宅だったり、ルーン王子のところや、国王夫妻の部屋だったりするが、皆事情を知っている面々だし、何よりチィを可愛がってくれているので快く受け入れてくれている。
 ノアとヨルドと離れることは寂しいが、二人のためなら一晩や二晩くらい我慢なんていくらでもできる。しかも翌日にはいつもよりちょっとだけノアが優しくなってチィを撫で撫でしてくれるのでつらくなんてなかった。

「……別に、私たちに気を遣う必要はないんだぞ?」

「いえいえ。チィだって空気くらい読めますよ。だって、人間は他の目があるところでは交尾しませんからね!」
「……はっ?」
「チィがいてはノアさまも存分にヨルドさまに甘えられにゃいでしょう?」
「な……」
「チィだってもう十歳にゃんですからね。それくらい知ってますよ!」

 見かけは成猫になりきれていない半端な子猫の姿であっても、ノアの使い魔になってもう十年。それくらいの気遣いなど朝飯前だ。


「それじゃあノアさま、チィは先に行きますね」


 扉に頭をつけて、薄い板をぐっと押し込もうとしたところでふと思い出す。


「あっ、そうでした。ノアさま。ノアさまはヨルドさまと違って体力がにゃいんですから、ちゃんと合わせてもらわにゃいとだめですよ。あんまりいっぱい交尾し過ぎると、”ジ”ににゃるって黒犬さまが言ってました!」


 定例で行われている使い魔会議で魔術師団長の使い魔の黒犬と鷲に会った時に、「使い魔であるおまえがちゃんと主の体調を気にしてやるんだぞ」と言われたのだった。

 何でも古くからいる魔術師たちは以前からヨルドがノアをそういう意味で追いかけていたことに気づいていて、彼らの使い魔たちもそれを知っていたらしい。
 そしてついに執念が実を結んだことも、ノアに濃く纏わりつくヨルドの匂いですべてを知っているらしく、苦笑交じりに告げられたのだった。

「な、な……っ!」

「それじゃあノアさま、行ってきます!」

 人間は子作りのためだけに交尾をするわけではない。それで愛も育むのだと使い魔仲間から教わったチィは、だからこうして主のため、恋人同士の蜜な時間を作ってやるのだ。

 恐らくは使い魔の心配りに感動して何も言えずに震えているであろうノアを尻目に、チィは尻尾をぴんと立たせて部屋から出て行く。

(できる使い魔は気配り上手にゃんです!)


 おしまい

 2021.9.15

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