寂しがり

 

 今日は朝から散々だった。

 連日仕事が立て込んでいる疲れからか、起きた時からすでに頭が痛くて苛々していた。
 重たい身体を引きずり倉庫に行けば、倉庫番に依頼していたはずの素材は数が足りないどころか備蓄が空だと言われて集めきれず。
 食欲はなく昼を抜かそうとしても、チィがあまりにもうるさいので仕方なく軽食の手配を後輩に頼んだが、手違いでみっちりと肉が詰まったサンドイッチが届き。
 他にもこまごまとした苛立つ場面が続く。単にノアの寝不足からくる集中力の欠如が起こす不注意が多かったが、本当に運や間が悪いものもあった。
 それだけでも十分ついていないと思えたが、きわめつけは魔術の暴発があって塔全体が煤まみれとなってしまったことだ。
 常に雑然と物で溢れている各仕事部屋は荷物を退かすだけで手間だが、高齢者も多い魔術師たち総出で清掃作業にあたる羽目になった。
 幸いノアは自分の魔術を駆使して他の魔術師たちよりも圧倒的に早く清掃を終えたものの、それでも夜までかかったし、この分では数日間は尾を引きそうだ。その間ノアは同僚の補助に回るのだろう。
 魔力の生成量が人並み外れて多いといっても、長時間魔術を使い続ければ疲れもするし、ただでさえ朝から続く不運に精神的に疲れて来ていたところに肉体労働だ。最後はもう歩くだけでふらふらしそうなほど疲弊しきっていた。
 本当なら今日は、溜まっていた仕事もようやく決着がつきいち段落する予定だった。
 仕事人間のノアだが今夜ばかりは仮眠場ではなく、本来の自分の部屋に戻ってゆっくり休むつもりでいたというのに。
 暴発騒動のおかげですっかり夜も更けてしまった。
 ノアの体調不良を心配していたチィは、ノアの分まで働くのだと懸命に清掃に励みすっかり疲れてしまったらしく、部屋を出る頃には隅で丸くなっていた。

(ああ、くそ。ねむい……)


 小さな身体を腕に抱えたノアは、思考もままならないまま、ただ身体が覚えている道を半ば眠りながら進んでいく。

 幸い、明日は仕事が休みだ。久方ぶりにヨルドと会う予定が入っていた。
 明朝に部屋まで迎えに来ると言っていたが、この様子ではノアは起きられないだろう。書置きでもしておけばきっと気づくだろうから、少し多めに寝かせてもらうしかない。
 ――そういえば、どれくらい会っていないだろう。
 最近はノアが新しい魔導具の開発に忙しかったし、その前はヨルドが遠征に出てしばらく城を離れていた。
 具体的な日数は覚えていないが、少なくとも二か月は顔を合せていないのではないだろうか。
 チィがちまちま動いて互いの言葉を伝えてくれるからやり取りはできているが、ここまで顔を合せないのは恋人となって初めてだ。
 これまではヨルドが時間の合間を見て会いに来ていた。忙しかったとしても、息抜きも大事だとかなんとか言ってちょっとくらいは顔を見せていたのに、遠征から帰ってきても見かけていない。
 というのも、職場の爺どもが実はヨルドが片想いから塔に通い詰めていたことを知っていたと聞き、ノアからしばらく来るなと言ってしまったからだ。
 爺たちはわざわざ冷やかしてくるほど他人に興味がないとわかってるが、ノアが我慢ならなかった。
 爺や使い魔たちが知っていたことも、自分だけがヨルドの気持ちに気づいていなかったことも、ずっとヨルドが自分に会いに来ていたのだという事実を改めて突き付けられることも、未だ受け止めきれなかったのだ。
 ヨルドのことだから、いつもの調子で飄々とやっているだろう。チィが「いつも通り元気そうです!」とか「おやつが美味しかったです! あ、これノアさまへってヨルドさまが!」とか「ノアさまに会いたいって言ってました!」とか聞いてもいないのに報告してくるから問題はないはずだ。

(……でも、だからといって本当に全然来なくなるとはな)


 心の中でぼやくが、ちゃんとノアはわかっている。

 ノアが忙しいとチィから聞いて、気を使って来ないだけだ。
 それでも身体を心配してか、チィによく食べものを持たせているのだからノアを忘れたわけでも、飽きたわけでもないことくらいちゃんと理解している。そもそも来るなと言ったのはノアなのだから、気持ちが落ち着くのを待っているのもあるのだろう。
 それでも、なんやかんやと理由を作って少しは会いに来るのかと思っていた。どうせノアが何を言っても聞かないのだからと。

(何が、ヨルドさま寂しがってます、だ)


 チィがうにゃうにゃ言っていたことを思い出して、ノアは眠気で鋭くなっている眼差しをさらに険しくさせる。

 会っていた時はあれだけべたべたしてきて、隙あらばノアのことをチィよりも甘やかそうとしてきたくせに。
 こうも切り替えよく会わずにいられるのだから、どこまで本当の言葉なのかわかったものではない。
 来なければ来ないで平穏でいい――ヨルドが来ない理由を作り、その真意も理解しているつもりと言いながら、実際に来なくなっていることに苛立つとはなんて愚かしいのだろう。
 気分の浮き沈みが激しいのもきっと疲れているせいだ。
 疲労が溜まると判断は鈍くなるし、考えもまとまらないからろくなことにならない。
 魔術を使って深い眠りにつけば、身体の回復も早くなるだろうか。強制的な眠りはあまり好きではないが、それなら間違いなく休むことができるので朝も予定通り起きられるだろうか。……身体のためであって、断じてヨルドと早く会うためではない。
 様々なことをとろとろと頭に流しながら、辿り着いた部屋の扉を開ける。
 普段はチィを寝床の籠に入れてやるところを、小さな身体を抱えたままベッドに向かった。
 やけに毛布が膨らんでいる気がするが、いつも起き出してそのままにしているせいで変に寄ってしまっているのだろう。
 靴を脱ぎ捨てそのまま毛布を持ち上げると、膨らんだ毛布の中にいるはずのない男の顔を見つけてノアは驚いた。
 明日の朝、会うと約束をしていたはずのヨルドがベッドに寝ていたからだ。

「……ノア?」


 人の気配に聡い彼もノアが来たことに気づいたらしく、眠たげに目を瞬かせる。

 チィの報告によればヨルドもここ数日はノアと休みを合せるために多忙だったらしい。寝起きでもすぐに動き回れて頭も働くはずの男が、珍しく舌足らず気味にノアの名を口にした。

「なんで、おまえが……?」


 まさかこれは夢だろうか。ヨルドのことを考えていたから、ノアの夢に出てきてしまったのか。

 そう考えたのは一瞬で、すぐに否定する。さすがに夢と現実の区別がつかなくなるほど寝ぼけてはいない。
 けれども状況の理解ができず、かといって考えることもできないノアは解決できそうにない疑問に小さく眉を寄せた。
 ヨルドもノアの姿を見て何故か不思議そうにしていたが、すぐにふわりと笑って毛布を持ち上げる。

「おいで」 

「……」

 いつもなら「何故自分の寝台なのにおまえに招かれなければならないんだ」なんてくらいは嫌な顔をしてやれるのに、今日の疲れ切ったノアではさすがに捻くれも起こせない。

 躊躇ったのは一瞬で、ゆっくりと寝台に足を乗せて、チィを抱えたままヨルドの腕の中に自ら収まりにいく。
 肩まで毛布をかけられて、腰にゆるくヨルドの腕がかけられた。
 しなやかな筋肉を纏う騎士の腕は、時々上に乗ってくるチィよりも重たいはずなのに、不思議と心地よい。
 腕の中にしかなかった温もりが全身を包み込み、安堵にふっと息を吐く。

「おやすみ、ノア」


 ヨルドの手によってモノクルが外されて、晒された瞼にそっと唇が押しつけられた頃には、すっかりノアは寝入っていた。



 ノアとヨルドの宿舎はまったく別の場所にあるが、実は部屋が同じ一階部分にある。

 そのせいか、寝ぼけたノアが間違えてヨルドの部屋に来てしまった事実に気がつくのは、翌朝自分の寝顔を幸せそうに見つめる彼と使い魔の姿に気づいてからだった。

 おしまい

 2021.10.7

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