国王に呼び出された魔術師のノアは、執務室で彼と顔を合せるなり、早々に人払いをされて二人きりとなった。
 こういうとき、彼は王ではなく私人となる。そして公式の場ではできない他愛ない雑談をしてくるのだ。王としては公の場でもないし、休憩がてら個人的に話すことに特別問題には思っていないと言うが、そうでもしないと応じないのはノアのほうである。
 そのため王は仕事のことを抜きにしてノアと話すときには、手間であっても必ず人払いをするようになっていた。
 わざわざノアとの時間を作ってまで語られることといえば、ここ最近は三歳になったばかりのひ孫のライルの愛らしさについてだ。
 いくら王が対外的にライルにでれでれとした姿を見せるわけにはいかないとしても、興味のない子供の話を延々と聞かされるこちらの身になって欲しいと思う。
 もしくは、厄介な依頼を持ち込むこともあった。先日は、みんなには内緒で痛めた腰の薬を作ってくれだの、孫たちに溶けない棒飴をあげたいだの。そんな頼みごとをされたばかりだ。
 今日はそのどちらであるだろう。
 できれば、話を聞くよりはまだ何かを開発するほうが楽しいし興味がある。できれば後者がいい。
 そんなことをノアが考えていることは長い付き合いで察している王は、とある名を口にした。

「ノアよ。ヨルドのことは知っておるな?」
「……ええ。まあ」

 この国でその名を知らない者はそういない。国民からの支持も高い騎士団の副長を勤めているのがヨルドだ。
 つい歯切れの悪い返事になったのは、ノアからするとヨルドにあまりいい思いを抱いていないだけで、彼を知っていると答えるだけでも苦虫を噛んだ気持ちになるからだった。
 実際、不愉快そうにやや眉を寄せたノアに、駄々をこねる子供を見るように王は苦笑する。

「そう、あのヨルドだ。実はあやつのため、おまえに個人的に頼みたいことがあってな」

 ヨルドは王の孫で王位継承者の一人、ルーン王子と同い年で、彼の乳母兄弟でもある。
 幼い頃よりルーン王子の遊び相手としてよく城に出入りしていたヨルドを、王は孫同然に可愛がっており、今も王族との親交が続いているのは有名な話だ。
 個人的に、ということは、騎士ヨルドに国として褒美を授けるのではなく、孫の友人に何か贈り物をしたいということなのだろう。

「わざわざこの私にお声がけされたということは、魔術師が必要ということですか」
「話が早くて助かる。さすがノアだな」
「いえ」

 王からの言葉を涼しい顔で受け流すが、内心のノアは腰に手を当て、それはそうだろうとも、と鼻高らかに胸を張っていた。
 王の前だから謙遜する振りをしているだけで、目の前にいるのがもし上司くらいの立場なら、きっと実際に得意気に鼻を鳴らしていたことだろう。
 国に仕える魔術師であるノアは、他の魔術師のように派手な魔術を扱うことができない。その分、小手先の器用さは魔術師団の中でも随一だ。
 精密な魔術操作を得意としており、そのため複雑で細かな魔術が必要となる魔導具の開発や修理を主に担っている。特に一般人の少ない魔力量でも補える魔導具を作らせたなら、右に出る者はいないだろう。
 新しい魔術を生み出すような華やかさには欠ける、地味な仕事だと言われることもあるが、ノアが開発した魔導具で人々の暮らしが豊かになるのは心地よいものがあるので満足している。ただしそれは人の役に立てるという奉仕の精神からくるものではなく、自分が生み出した道具に感謝して過ごす人々の様子に優越感を覚えられるからだ。
 王が何かノアに願い出るというのであれば、得意分野である魔導具の製作、もしくは修繕だろうと推測した。もっとも、ただ贈り物を選ぶための助言を自分に乞うはずもないという事実などを除いていった結果でもあるが。
 くすんだ灰髪は切るのが面倒で伸ばしっぱなし。生来真っ直ぐな髪質はありがたいことに大した手入れをしなくてもそれなりにまとまるので、肩に結わえるだけで少しは様になる。しかし纏うローブはいつ洗ったか忘れたくらいで、匂いはしないだろうが、よく見れば作業でついた様々な汚れがあちこちについている。濃い青色で誤魔化すことができているだけだ。
 魔術の研究さえできれば十分で、身なりも着ることができるのなら頓着せず、欲しいものも魔術に関するものばかり。おまけに他人にそれほど興味を持たない自分に、贈り物の相談をするとは思わない。
 となれば、贈り物をしたいという相談は、箱に詰めるためのプレゼントそのものを作ってもらいたい、という答えに至るというわけだ。

「それで、何をお作りすればよろしいのです?」
「うむ。ヨルドのやつに、婚約腕輪を用意してやってほしいのだ」
「……腕輪、ですか?」
「婚約の際には指輪を用意するものではあるが、あやつは指に何か装飾があるのが好かないようでな。剣を握る感覚が変わるから嫌だと言うのだ。だから、指輪ではなく腕輪で用意してやろうと思ってなあ。ははは、装飾ひとつにもこだわるとは、さすが我が国の誇るべき騎士の一人だ。おまえも同期として鼻が高かろう」

 他人への称賛の言葉など興味なく、同期といっても勤め始めがたまたま同じ時期だっただけだ。大した交流がある相手ではなく、しかも褒められているのがヨルドであるならなおさら面白くはなかった。
 そんなことで不機嫌に王に噛みつくわけにもいかず、はあ、と溜め息ともつかない気のない返事をする。

「……それで、何故婚約の腕輪なんて話に?」
「ここだけの話なのだが……実はヨルドには、意中の相手がいるようでな」
「は」

 ヨルドに、意中の相手? そんな噂は聞いたこともない――と思ったが、誰彼の噂話を教えてくれるような知人もいないので当然だ。
 比較的会話をする仲の魔術師の同僚たちも、ノア同様の魔術馬鹿の集まりである。人の噂など露ほど興味がなく、魔術のことで常に頭が一杯なのだ。
 花形騎士団のそれも副長でなおかつ独身ともなれば、隅で好きなものに熱中するばかりの魔術師たちはともかく、他の者たちならば注目していたことだろう。たとえノアが聞いたことがなかったとしても、城中の噂話として広まっていてもおかしくはない。
 王は、「我が孫ルーンの子の成長を見るたび、きっとヨルドの子も愛らしいのだろうと考えてしまうのだ」とノアに語った。
 副長として騎士たちを束ねるヨルドの実力はもちろんのこと、家柄も申し分なく、身分に分け隔てなく接するような穏やかな人格者でもある。さらには涼やかな青い瞳の相貌も女たちの甘い吐息を誘う色男で、騎士として引き締まった身体もあいまって男女問わず非常に人気があった。
 お見合い話も引く手数多なヨルドだが、それでも彼は誰かと婚約するどころか、付き合ったという話が上がったことすらなかった。
 王は単にヨルドが気に入るまでの相手がいなかっただけだと思っていたが、そうではないとある日ルーンが口を滑らせたらしい。

「ずっと以前から、好いた相手がいたのだそうなのだ。ルーンも相手が誰かまでは知らないそうだが、ヨルドはもし結婚をするにしてもその相手しか考えられないと言っているらしい」

 それほど想っていながら、ヨルドは交際すら申し込んでいないと言う。
 いつかは想いを伝えるつもりでいるが、密かに思っている期間が長すぎて、しかもそれなりに接触を試みてもつれない相手らしく、なかなか一歩踏み出すことができないそうなのだ。

「そこでわたしが背中を押してやろうと思ってな」
「それで、一気に婚約までいかせてしまおうと……?」
「ヨルドからの申し込みを断る者はそうおるまい。それでうまくいき、交際したのならばつまり、婚約するということでいいだろう」
「交際が婚約とか、どういう理屈です……」

 これまではあくまで王と彼に仕える魔術師という姿勢を崩さないようにしていたノアだったが、妙案だろうと得意げにする爺にさすがに頭が痛くなる。
 血の繋がりはなくとも幼い頃から見ているヨルドへの信頼が厚い王は、まるで爺馬鹿のように彼の評価を信じて疑っていないようだ。どんな聖人であれ万人から好かれることなどないというのに。
 仕事部屋に籠ってばかりの自分が一般的な常識に疎い自信はあるが、それだって付き合うことと婚約することが同義ではないことくらい知っている。ましてや本人が焦っていて助言や手助けを求めているのならともかく、他人が急かすものではない。
 人の幸せはそれぞれだ。だから結婚をするでもいいだろう。しないで内縁の関係で傍にいるでも、時々会うだけであっても、そもそもそんな相手がいなくとも、誰しも好きなようにしたらいいと思う。
 少なくともノアは、誰かと運命をともに歩むなど想像しただけでも面倒に感じた。
 王からの厚意といえども大きなお世話だ。他人に押しつけられた道を進んだとしても、責任をとるのは最後は自分だ。ならば、最初から自分で進む道は決めて、自分の速度で進んでいきたいと思う。それで苦しいことがあっても、これは自分が選び進んだ結果だとすれば諦めもつくが、他人が選んだ苦難の道を進んだとするならその人を恨みたくなる。他人に憎み苛立つ力があるくらいなら、ただ自分のためだけに前を向いたほうが余程建設的だろう。
 だが、この世には自分で選んだ結果ではないのだと、これは誰かのせいで仕方がないのだと、人のせいにすることで道を歩める者もいるのも確かだ。
 自分で決めて進みたい者がいれば、他人に寄りかかって歩きたい者もいる。一人でも十分に生ていける者もいれば、誰かといることを望む者もいる。ノアはどちらも前者であるが、はたしてヨルドはどちらであるのだろう。

「そもそも、陛下が背中を押してやる必要なんてあるんでしょうか」

 ヨルドに想い人がいるいないはどうでもよかったが、でも少し、意外だった。
 好きな相手に勇気が出ずに二の足を踏んでいる姿は、飄々としているあの男らしくないと思ったからだ。
 詳しく彼を知っているわけではないが、好いた相手にはすんなりと愛の言葉を囁き、そっとがんじがらめにして逃げ出せないようしていそうに感じていた。
 優男風の外見とは裏腹にしたたかなので、少なくとも誰かに背中を押されなければ行動ができないような男だとは思えなかった。

「そうなんだがな……でも、あやつももういい歳になるしなあ」

 ノアに言い聞かせているというよりも、独り言のようにぽつりと呟く。
 優しく微笑んでいるはずのその顔がどこか寂しそうに見えたのは、きっと見間違いではないだろう。
 半年ほど前、ルーン王子の年の離れた末の妹で、王にとっては可愛い孫の一人でもある姫が病によって命を落とした。生まれながらに病弱で、もともと長くはないとされていた彼女だったが、それでも儚くなるには若すぎた命だった。
 ふと王を包む切なさは、きっと散った命を思う心が見せるものなのだろう。
 騎士団に所属するヨルドは、否応なしに戦場に駆り出される立場だ。前線に出ることもあり、いつ命を落としてもおかしくはない状況にある。
 彼のことも実の孫たちと同じように可愛がっている王にとっては、自分が思う幸せを与えてやりたいのだろう。それが彼にとっては家庭を持つことで、きっと、これから花咲くはずだった可憐なあの姫に思っていたことでもあるのだろう。
 ――本当は断りたい。あのヨルドのためになんて行動したくない。だがそれ以上に、ノアは王の願いを叶えてやりたいとも思った。
 物心つく前にノアの両親は他界して、代わりに面倒を見てくれていたのは叔父だった。しかし彼も馬車の事故に巻き込まれ、ノアを残してあっさりあの世に旅立ってしまった。
 事切れた叔父の隣で一人で泣いていたノアは、このまま自分は涙をいっぱい流して、そして干からびてしまうのだろうと思った。
 しかしノアは干からびる前に偶然通りかかった馬車に拾われた。保護してくれた者こそが、この王だったのだ。
 世界の終わりのようにわんわん泣いていたノアの声を聞きつけて、当時からすでに国を治める立場にあった彼自らが保護してくれた。その後は国の管轄する安全な孤児院に入るまできちんと面倒を見てくれた。
 その後も時折孤児院に顔を出してくれたし、こうして王宮魔術師となった今も多忙な時間の合間を縫って、呼び出さない限り近づかないノアの様子を気にかけてくれている。
 この世の人々の大半に興味はないし、関わりたいとも思えない。ただ研究に没頭できればそれだけで幸せで、むしろそれ以外は雑音に等しいとさえノアは思えるが、王だけは別だ。
 彼のおかげで人らしい生活を送り、そして学ぶことができた。今こうして好きに魔術の研究に明け暮れることができるのも、あの日に王に拾ってもらい、そしてここまで導いてもらえたからだ。その恩義に報いたいという人間らしい心はまだノアの中に残されている。
 尊敬していると、口が裂けても声には出せないが。心の中では思っている王の温情の先にヨルドがいるとしても、二人を天秤にかければ答えはすんなり決まった。

「承知しました。婚約腕輪とやらを作りましょう」
「おお、受けてくれるか。ありがとう、ノア」

 諦め顔で頷いたノアに、王は昔と変わらない人の良い笑みを浮かべた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


  Main