敬愛する王の手前、表向きは異論なく依頼を引き受けたものの、やはりあのヨルドのためというのが気に食わなかった。
 王にとっては孫同然であろうが、周囲から期待される騎士さまであろうが、ノアからすれば胡散臭ささ満載の男でしかない。
 それなのに何故、あの男の背中を押すための魔導具を作らなければならないのかという不本意な気持ちと、けれども王のためにも必ず完成させなければならないというジレンマからくる苛立ちに身を任せるよう作業に没頭し、目的のものは思いの外早く仕上がることになった。

「ふっ……たった五日で作ってしまうとは、我ながら自分の才能が恐ろしい」

 開いた本で埋め尽くされた机の中心で、なめらかに輝くふたつの金の輪を見下ろし、ノアは満足げに息をつく。
 机の端に積み重なった本の上の器用に乗った使い魔のチィが、飛び跳ねるよう声を弾ませた。

「ノアさますごい! さすが!」

 肉球がある猫の手をいくら叩き合せようとも拍手の音は出ないが、チィは大真面目に盛大な拍手をしているつもりだ。
 いつも音のない拍手を奏でるチィは、すごい! さすが! としか言わないが、賞賛の言葉というのは少々拙くても心地よいものである。
 それにこの使い魔は素直なことだけが取り柄の正直もので、心からノアのことをすごい、さすがだと思っているのもわかっているので、つい得意げに顎が上がる。

「ふふん、当然だ」

 主人を褒め称えるチィの言葉を、根を詰めていた作業の一旦の終わりにしばし酔いしれていたノアは、鼻高に仰いでいた顔を机に戻した。
 傷がつかないようにと敷いた布の上で変わらず輝く金の輪。王の私財から出されたものであるが、実際使われるかもわからないものに純金の腕輪を用意するなど相当の気合いの入れようである。
 人によっては高価な品を贈られてしまえば、それなりの圧力となってしまう。それがいくら幼い頃から親しくしている相手だとしても、王という立場の人物からなら相当なものとなるのだが、そのあたりは理解しているのだろうか。
 ノアは魔術をかけるだけだが、だからこそ魔導具としてきちんと使ってもらいたいと思う。しかし王の一方的な想いが強いあまりに、受け取ってもらっても陽の目を見ることもなく埃を被ることもあるだろう。そうなってしまえば折角腕輪に組み込んだ魔術も無駄なものとなり、製作者として受け入れがたい。
 依頼品を納品した後は所有者の自由と言う者もいるだろう。しかしノアは作ったからには使え派だ。せめて飾るなり大切にしてほしいと思う。だが今回のものはあくまで”婚約腕輪”なので、これが使われないとなれば、ずっと表に出てくることもないということ。
 真に必要としているかもわからない相手のために作ってやるとは、王の頼みでもなければ絶対にしなかった。

「ノアさま、腕輪ができあがりましたけど、どうしますか?」
「――ああ、そうだな。一度陛下に見ていただくとするか」

 一応は魔術の組み込みは終えたが、まだ完成したわけではない。
 最終調整に入る前に依頼主に確認をしてもらおうと決めて、ノアは早々に席を立った。
 この腕輪に取り組む間、他のすべてをそっちのけにしてしまったので、仕事や雑務が溜まりに溜まってしまっている。
 そこまで急ぎで取りかれなどとは一言も指示されていないが、普段使うことがあまりない術式を組み込む面白さも相まってつい熱を上げてしまった。作っている間に嫌でもヨルドの顔がちらつくのもあって、楽しい部分も終わったことだしさっさと仕上げて終わらせたかった。
 敷いていた布で簡単に腕輪を包み両手で持ち上げると、本の上から降りたチィが、それまで自分がいた本の山を示した。

「ノアさま、ついでに本をお戻しされてはどうですか?」
「そうだな」

 今回の魔導具製作のために書庫から大量に本を借り出している。他にも常に借りている本が溜まっているので、塔から出る時はなるべく返す本を持つようにしていた。
 懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。王の執務室より前に書庫があるので、そちらに寄ってから会いに行くでもそう時間はかからないだろう。
 チィも運びます! とうるさいので、一冊だけをその頼りない背に乗せてやる。
 成猫になる手前で成長の止まった身体は小さく毛は柔らかいが、腹巻のおかげで滑り落ちることはない。チィも背中に荷物を乗せるのには慣れたもので、上手く均衡を保ち歩き始めた。
 ノアも腕輪を一番上に乗せて、五冊ほど重ねた本を両手で抱えて先を行くチィの後に続く。
 往復する回数を少しでも減らそうと少々欲張ってしまったが、普段から力仕事などしない非力なノアの腕には少々重たかったらしい。
 問題なかったのは始めのうちだけで、すぐに身体が悲鳴を上げた。
 それほど歩いていないのに、本を抱える腕と脚が重みに耐えかねてぷるぷると震え始める。

「……す、少し休むか」
「それにゃらあのカドのところにしましょう!」

 このまま落として本を傷つけるわけにはいかず、チィが示した壁際に寄ろうとしたとき、突然左側から声がかけられた。

「重そうだね。手伝うよ」
「わっ」

 荷物に気を取られていたノアは、声に驚き大きく肩を跳ね上がらせる。その時バランスを崩しまい、重ねた上の二冊がずり落ちそうになった。
 咄嗟に追いかけようとするも、両手は本で埋まったままだ。重さに耐えきれなくなっていた足も突然の動きに対応しきれず、かくんと折れる。
 しまった、と倒れ込むことを覚悟したノアだったが、すぐ脇にいた人物が本ごとノアを引き寄せるように抱きとめた。

「おっと。大丈夫?」
「ノアさま! ご無事ですか!?」

 ぶつかるよう倒れ込んだノアを揺らぐこともなく受け止めた男は、大して驚いた様子もなく穏やかに問いかけるが、張り上げられたチィの声が覆い被さる。
 ノアが慌てて男から離れても、足元ではチィが今にも飛びかかりそうな勢いでノアの名を呼び鳴いていた。
 男から離れて、今にも零れ落ちそうな大きな蒼い瞳に溜息とともに声を落としてやる。

「……チィ、うるさい。私なら大丈夫だから落ち着け」 
「それならよかった」

 あくまで騒ぐチィに対しての言葉であって、男に答えたわけではない。
 もともとこうなったのも急に声をかけられて驚いたせいであり、つまりはおまえのせいだと顔を上げて男を睨みつけるも、細めたはずの紫の瞳に彼の姿を映して大きく見開いた。
 涼やかな晴天の空を映した宝玉のような青い瞳が印象的な男が、目尻を柔らかくして微笑んでいる。いかにも人の良さげな好青年風、ノアからしてみれば胡散臭い笑顔をいつも貼りつけているこの男こそ、ここ最近嫌でも思い浮かべていたヨルドだった。

「……また油を売ってこんなところまで来るとは、騎士とは随分と暇なようだな」
「暇というわけではないんだけど、息抜きも大事だろう?」

 崩れかかった本を両腕に収め直しながら、皮肉を交えて片頬を上げるが、ヨルドは悠然と構えたままだ。
 あえて棘を出したのだから、正直に不愉快そうに眉でも顰めて見せればいいのに。この男のこういうところが好きになれない。

「まあ、今回は魔術師団長どのに頼まれていた素材を持ってきたんだけどね」

 結局のところ使い走りをしているのだからやはり暇なんだろうと再び毒づきたくなるも、無駄に会話を長引かせたくないのでそっと口を噤んだ。 
 騎士団副長の肩書きを持つ彼は多忙の身であるはずだが、何故かよく魔術師塔の近くに出没する。
 下っ端の仕事である書類を届けにやってくることがよくあるのだが、そうでなくてもただの息抜きがてらの散歩という名目で、わざわざ敷地内でも外れにある魔術師塔まで足を運んでいるようだ。
 奇人変人引きこもりの巣窟とされている、魔術師たちの仕事場である西の塔に好んで来たがる者はいない。遠巻きにされがちな魔術師たちにも他に向けるのと変わらない愛想と笑みを貼りつけているのは彼くらいなものだろう。しかも自ら進んでやって来るので、他の魔術師同様に塔に籠っていることが多いノアでもヨルドとの遭遇率はそこそこ高かった。
 ヨルドはノアを見かければ必ずと言っていいほど声をかけてくるので、鬱陶しいことこの上ない。ノアは彼を見かけたら絶対に逃げるようにしているが、大抵は先に見つけられてしまうので残念ながら逃れ切れたことはなかった。
 今も重たそうにして本を運んでいるノアを見かけて、親切心で声をかけたといったところだろうが、そんなのは大きなお世話だ。重たいから途中で休もうと思っていたのに、ヨルドに声をかけられたせいで危うく転ぶところだったのだから。

「お遣いが済んだのならさっさと巣へ戻るんだな。私は貴様と違って忙しいんだ。邪魔をしないでくれ」
「それ、書庫に返す本だろう? 手伝うよ」

 ノアの言葉などまったく聞いていない男は、重ねられた分厚い本に目を落とす。その視線が一番上の腕輪を包んである布に向けられている気がして、逃れるようヨルドがいるのとは反対に身体を捻らせた。

「手伝いなど不要だ」
 
 あくまでこの婚約腕輪は、王が密かに準備を進めているものなのだ。最終的にはヨルドのもとに渡るとしても、今ここで本人に腕輪の存在を知られるのは困る。彼を祝おうとする王の気持ちが台無しになってしまうのはノアの望みではなかった。
 腕はすでに限界を迎えて感覚がなくなってきているが、ヨルドの申し出を断った手前、ここで休憩するわけにはいかない。こうなったら気合いで進むしかないだろう。
 こういうとき、肉体強化ができる魔術師は楽だろう。ノアも使えればよかったが、しかし魔術師が扱える魔術の種類はそれぞれ違う。生憎ノアの才能はそちらには伸びなかったので、今は諦めて自力で行くしかなかった。

「その量は重いだろう? 二人で持ったほうが楽だよ」
「くどい。いらないと言っただろうが」

 今にも強引に手を伸ばしてきそうな気配を感じて、ノアはヨルドを振りきり進み始める。

「うにゃっ! ま、待ってください、ノアさま~っ!」

 それまで二人のやりとりをはらはらを見守っていたチィも、慌てて後を追いかけてきた。
 ヨルドもそれに続き、すぐにノアの隣に並ぶ。

「ついてくるな」
「おれももう戻るから」

 顔も見ずに吐き捨てるノアに、ヨルドは気分を害するでもなく鷹揚に応えた。
 事実、騎士たちのための施設は魔術師塔とは反対の城の東側にあり、そこに至るまでには書庫の前を通る道筋も選べる。
 最短の道順ではないものの、わざわざつっかっかる要素になるほど遠回りというわけでもない。

(はたしてこいつを撒くまで私の腕はもってくれるだろうか……いや、無様な姿などさらすものか)

 改めて腕に力を込めて、すでに上がりつつある息を必死に保って平然を装いながら、ヨルドを無視して歩き続けた。
 鼻息は荒くなり、汗がじわりと滲む。多くの部下を指導する立場でもある彼の目からすればノアが虚勢を張っていることなどきっと丸わかりだろうが、それでも素直に頼ることなんてできるわけがない。
 やっぱり手伝ってほしいと言えばヨルドは二つ返事で協力してくれることだろう。それがわかっているからこそ、絶対に言うつもりはなかった。
 ――もしくは、日頃のノアの悪態の恨みを実は溜めていて、頼ったら頼ったで「手伝いはいらないと言わなかった?」などと嘲笑されるかもれない。それとも「ああやっぱり、無理はするものじゃないよ」なんてそら言ったものかと嫌味たらしくされるかもしれない。「ノアは虚弱だからね」なんて言われようものなら、本を分厚い鈍器としてしまうかもしれない。
 単なる妄想でしかないが、想像しただけで気分が悪くなる。
 なんにせよこんな男に借りを作ったとして、後で笑顔で何を要求されるかわかったものではない。
 声をかけても無駄だとわかっているのか、ヨルドはただ黙ってノアと並んで歩く。静かではあるが自分よりも長身で体格もよく存在感があり、しかも嫌っている相手ともなると嫌でも意識が向いてしまう。それに疲れているせいで苛立ちは増して、少しでも早く別れられるように限界の身体に鞭打ちさらに歩幅を広げて足を速める。
 また転びかけてヨルドに助けられるのも癪なので、あくまで気を配りながら進んでいたが、限界を迎えていたのはノアだけではなかった。
 小さい身体で必死にノアを追いかけていたチィもまた、すでに疲れ切って足取りがふらつき始める。
 大きな荷物を背負う時はいつもゆったりと歩いているので慎重にバランスを取れたが、ノアが歩行速度を上げたことで置いてかれないよう慌てたせいで本がぐらりと傾く。
 均衡を保とうと振り返って本の様子を確かめようとしたチィだったが、そのせいで追いかけていたはずのノアの足にぶつかってしまった。