卒業するもの、しないもの

※かなり古い作品です


 

 卒業式が終わり、HRが終わり、帰宅となり。学校の玄関先で、おれは先輩が来るのを待った。
 今日は卒業式にふさわしい快晴で、気温もいつもとちがってぐっと春らしい。未だ冬の寒さは残ってるけど、それでも日差しがまさしくそれだった。
 次第に最後のHRを終えた卒業生である先輩たちが、ぞくぞくとげた箱に集まってきた。目が合ったり、仲良くしてもらった人たちにおめでとうございますと声をかける。
 みんな目に涙なんてものは浮かべてはいなかったし、声も元気で、時にはおれもこれから頑張れよという言葉をもらった。けれどそこにある空気はどこかしんみりとしてる。なんとも言えない複雑さがあった。
 おれはこれから三年に上がるというばりばりな在校生だからか、あまりこの卒業式を実感していない節がある。でも、いつの間にか玄関をくぐり、外に出ていく先輩たちの背中を見送っているうちに、ようやくおれのなかにも“卒業”というものが根を張っていく。
 温かいとは言っても、中にいるとはいっても、所詮は外と中の玄関だ。扉の開放される度に冷たさが残る風が舞いこみ、じわじわと体温を奪っていく。気がつけば指先が冷えていた。
 指先を丸め、かばんを抱え、端っこに移動してしゃがみ込む。
 先輩はまだこない。こうしてる間にも、玄関にたむろしそして帰っていく先輩たちは数を減らしていく。お目当ての卒業生を待っていた在校生まで、もう残っているのはまばらだ。
 もしかしたら先輩は、もう帰ってるのかも。見逃しただけで。
 そう自分で考えるも、すぐに否定する。だってずっとここにいたし、全員の背中を見ていた。先輩の後姿を見逃すほど間抜けでもない。
 まだ来てないだけ、まだ来てないだけだから――そう思っても、考えを否定しても、一度ちらついた不安はその姿を消さなかった。
 本当に帰ったあとなのかも、と諦めかけたとき、ぽんと肩を叩かれた。

「よう、おれ待ちだったか?」
「――先輩、遅いです」
「はは、悪ぃな」

 肩を叩いた人物は、まぎれもなくおれが待っていた先輩だった。
 顔ではふてくされてます、なんて出しているけど、内心では思い切り大きな安堵の溜め息をつく。やっぱり見逃してなかったんだって。
 生徒会のことでちょっと顧問に呼ばれてな、なんて言いながら歩き出した背中のあとを追い、すぐ近くにある下駄箱へ二人して向かう。
 ちらりと胸のポケットに見えたピンクの花のコサージュは卒業生が身につけるもので、今更ながらやっぱり先輩は卒業するんだと思った。外靴に履き替え、かばんからシューズをしまう袋を取り出す姿にも、心は複雑に沈んでいく。

「――先輩は」
「ん?」

 中途半端に言葉を区切ったおれに、先輩は振り返る。そこには卒業生たちが抱えていたしんみりとした空気はなくて、いつも通りの先輩がいた。

「先輩は、卒業しちゃうんですね」
「なんだ、寂しいか」
「……」

 いつもの軽口で、そんなことないって返せばいいのはわかってた。先輩も、そう帰ってくると思ってるはずだから。
 でもおれの開けた口からは言葉が出なくて、その悔しさから唇を噛む。
 だから頷いて答えを返した。途端にじぃんとしびれるように熱くなる鼻先。目がしらに集まる水気に悟られたくなくて、堪らず俯いた。

「――おれ、この学校卒業すんだけどさあ」

 そんなの知ってる。あんたが卒業証書受け取る姿をちゃんと見たよ。立派だったよ、格好よかった。
 そう言葉が出ればいいのに、今ではもう口を開くことすらできない。奥歯を噛みしめることが精一杯で、何も言えなかった。

「でもおまえからは卒業しないよ」
「……え?」

 いつもの会話のように、ぽんと先輩はそれを口にする。けれどおれまでいつものようにとはいかず、噛みしめていたものも一瞬どこかへ吹っ飛び、思わず声を上げる。

「だから、おまえもおれから卒業すんなよ」

 おれの疑問からあがった声も無視して、先輩は自分の話を進めた。
 自分が半ば泣きべそかいてただなんて事実も忘れ、慌てて顔を上げると、そこにはおれを見つめる先輩がいて。
 にゅっと手が伸びてきて、鼻をつまむ。

「はは、ぶっさいくだなー」
「や、やめてくださいっ」

 咄嗟に振り払って鼻を隠しながら、先輩を見た。
 いつもみたいな顔で、いつもみたいに笑ってる。いつもと違うのはおれだと言いたいように。それは、先輩のはずなのに。

「先輩」
「んー?」

 おれから簡単に目を逸らした先輩は、かがんでシューズを袋の中へしまう。丸くなった背中に、今の気持ちをぶつけた。

「どういう意味ですか」
「どういうって、そのまんまだろ」
「わかんないです」
「わかんないってな……」

 しゃがんだまま答える先輩に負けじと追及する。
 さっきまであったしんみりとした気持ちはどこかへ吹き飛んで、今度は激しい高鳴りがおれを襲い身体を熱くする。
 どういう意味か知りたいのは本当だった。わからないのも本当だ。
 答えを、ちゃんとした答えを知りたい。どっちの可能性を言っているのか、はっきりさせたい。
 言葉を途切れさせた先輩は、しゃがんだまま深いため息を吐いた。
 思わず、その大きなものにびくりとする。さっと身体の熱が引いて行くのがわかった。
 ここで鬱陶しがられるってことは、やっぱり先輩後輩として、これからも仲良くしていきましょうって意味なのか。
 少しでももう一つの可能性に、限りなく低いそれを想像したおれが馬鹿だった。ありえるわけないのに、何勝手に想像して舞いあがってるんだか。
 自分の間違いに、今以上に先輩をいらつかせるような真似をしたくなくて、口は自然と開いた。
 冗談ですよ、これからも可愛がってください。そう言えばいい。
 けれど、突然立ちあがった先輩によってその言葉は最後まで出なかった。

「――こういう意味だ、馬鹿」

 そう告げる先輩は、おれと目を合わせてくれなかった。そっぽを向く先輩の横顔が晒される。そこに、先輩からの答えがあった。
 限りなく低い、むしろ奇跡と言える可能性が、そこにはあった。

「で、おまえは?」
「え?」
「おれから卒業すんのか?」

 きっさ、自分でおまえもおれから卒業すんなよって、言ったくせに。それなのに、先輩はそう尋ねてくる。
 馬鹿なのは先輩じゃん。なんて、心の中で思わず笑った。でもその馬鹿さがこの話を現実にしてくれる。いつもと違う先輩が、おれの勘違いじゃないって教えてくれる。
 何とか堪え切ったはずの涙が、ほろりと目尻を滑り落ちた。

「先輩」

 ようやく目を合わせてくれた先輩は、少し驚いたように見開くが、すぐに口元を手の甲で隠す。その様子で、おれと違って勘の鋭い先輩が答えに気づいてくれたことを知る。
 けれど、おれはおれの声でその答えをちゃんと知ってもらいたい。

「こういう、意味です。おれも先輩から卒業しません」

 先輩は未だ頬を赤くしたまま、けれど嬉しそうにおれに笑った。

 おしまい

 

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2012/03/01