種を蒔く人

この作品は、ツイッターのフリーワンライ企画(#深夜の真剣文字書き60分一本勝負)に参加させていただきできた際の作品です。
お題は『咲かない花の種』を選ばせていただきました。
企画趣旨を守るため、誤字脱字等の誤った表記以外は一切訂正いたしません。
いつもに増して拙いとは思いますが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


 

 講義が終わり、中庭へと足を運んだ。今日は晴れていて風もさほどなく、暑すぎず寒すぎず。昼寝をするのには絶好の日和だ。その目的のために人気の少ない、けれと穴場のベンチを目指す。
 欠伸をしながらだらだらと気怠さを露わに歩いていると、ふと背後から駆け寄ってくる足音が聞こえた。それに素知らぬ振りをしながらも密かに体制を整えれば、その足音は間近に迫ってもその勢いを殺すことなく、おれへと突っ込んできた。

「ばーん!」

 直前にするのは威勢のいい声。するりと伸びてきて胸の前で交差する腕に、身体にのしかかる重み。けれどそれによろけることもなく平然と受け止めてやれば、先程の声は一変し不機嫌そうになる。

「なんでタックルしたのに平気なんだよ」
「あんだけでけぇ音立てて突進してくりゃわかるっての。てか、いい加減慣れた」

 抱きつかれるとともに止めていた足をまた動かせば、ずりずりと後ろにぶらさがる奴を引きずる。しかし向こうも同じ男となれば、ましてや僅かにおれよりも背が低いだけといえば決して軽くはない。
 もう一度足を止め、背中に振り返る。

「おい、さっさと離れろって。重てぇよ」
「んー、退いてやってもいいぜ」

 にんまりとした愛想のいい笑みがそこにはあった。けれど、何か企んでいるような顔であり、何よりその言葉の裏は、退いてほしけりゃ、という交渉の意が組みこまれている。

「――で、どうすりゃいいの」

 ずり落ちそうになった眼鏡を押し上げながら小さくひとつ溜息をついてやった。もちろんわざとだ。
 やつは気にする様子もなく答えた。

「今日泊めて」

 語尾にハートマークでも浮かべたような声音にもう一度ため息が出た。

「昨日と今日は彼女ん家お泊りだー、つってなかったか?」
「うるせぇよ。イエスかノーしか受け付けてませんー」
「また喧嘩かよ。今度は一体何やらかしたんだ」

 今度は答えは返ってこず、それの代わりというように背中に額を押しつけ顔を隠されてしまった。そしてそのまま始まる、高校時代からの付き合いだという彼女への愚痴が始まった。
 ああ、これは長くなるな。
 結局はいつもと同じ。抱きついてきた身体が離れることはなく、仕方なく重たい声呟きながら体重を預けてくるやつを背に引っ付けたまま再び歩き出した。

「そりゃさ、あいつのプリン勝手に食っちまったのは悪いと思ってるよ。けどあそこまで怒ることないと思わねー?」
「あーそうだな」
「しかも代わりのやつちゃんと買ってきてやったのにこれじゃないとか、もうプリンの気分じゃねーとか。んじゃどうすりゃいいっつーんだって話だろ」
「はいはい」

 適当に返事をしていても、ただ愚痴を聞いてほしいだけのやつは延々と喧嘩の原因のプリンについてを語る。もしこれで酷い彼女だ、なんて同意したら今度は、いやそうでもないぞ、なんて反論してくるから面倒だ。
 これまでの経験上それを知っているからこそ、受け流すのが最良ともわかっている。
 当初の目的だったベンチについてもまだ鬱憤は尽きないようで、ようやく肩から離れたものの今度は隣に座り話が続く。
 昨夜遅くまでバイトをしていてあまり眠れなかったこともあり、寝不足気味だったおれはまだ続きそうなやつの言葉を、まあ、との一言で一旦区切る。

「別に、泊まってもいいぞ。その代わりいびきかくなよ」
「おおっ、サンキュ! いびきはまあ努力する。それにしてもさっすがおれの親友、頼りになる男は違うねー!」
「頼りになるかはわからねぇが、少なくともプリンごときで彼女を激怒させることはしないだろうな」

 言葉を詰まらし不服げにする姿に思わず苦笑した。

「まあそう不機嫌になんなって。なんらな今夜は特製かつ丼作ってやろうか」
「マジで!? 作って作って、最低二杯は食うから! おまえの作る特製かつ丼、うまいんだよな。あれ大好き」

 即座に返ってきた反応に、思わず目を細めてしまった。それから遅れて頬が緩む。
 特製かつ丼っていうのはただ単にかつ丼の味付けをこいつ好みに多少変えているのと、かつ以外にもいくつも具材が入っていてボリュームがあるだけだ。それだけだが、大食いである上に好き嫌いの多いやつは随分気に入ってくれているようだった。
 提示されたのは最低二杯。つまり調子が乗れば三杯四杯はどんぶりを一人で平らげてしまうということ。おれのみならず、男とはいえ一杯で十分満腹になれる量を用意するにも関わらずだ。
 やつとは対して変わらない体つきをしているはずなのに、一体どこにそんなに収納されているのだろうといつも疑問に思う。といってもまあ腹で、食い終わったらそれだけぱんぱんに膨らんでいるのだから。でもそれでいて太らないのだから、どれだけ燃費が悪いのか。
 ダイエット中の彼女の前でその大食いが心行くまで食べ続け、結果大喧嘩したというのは記憶に新しい。その時の彼女の台詞は、なんでそんなに食べて太らないんだよ羨ましいわ馬鹿! とのことだったらしい。

「久しぶりだからたくさん食うからな」
「プリンも作ってやろうか」
「……プリンはしばらくいいや。あ、いや、やっぱ、そうだな」

 歯切れ悪い言葉に顔に目を向けてみれば、何やら黙り悩みこんでいる。
 しばらくそっとしておけば、向こうがおれの名を呼んだ。

「なあ、プリンって簡単に作れる?」
「まあ、そんなには難しくねぇかな」

 言わんとしようとしていることを悟り、先に告げる。

「教えてやろうか、作り方」
「……おう!」
「その代わりさっさと仲直りしろよ」

 言葉はなく、けれど照れたような笑みを浮かべて頷いた。目を逸らし、ずれてもいない眼鏡を押し上げる。
 内心でつく深いため息にも気づかないまま、すっかり気が晴れたやつは飛び跳ねるようにベンチから立ち上がる。

「んじゃあ夜に行くな。飯ができるまでにはつくと思うから、よろしく」
「ああ。またな」

 あっさりと大きく手を振りながら走り去っていった後ろ姿を最後まで見つめ、消えてもしばらくそこから目を逸らすことができなかった。
 やがて動き出した身体は、のろのろとベンチに仰向けに倒れる。手を横に置けば、やつが座っていた場所の温もりを感じられた。
 なんだかんだで喧嘩の多いあの恋人たちは、すぐに仲直りするのだ。発端が単純な分、それだけ。そうやって、高校から大学の今も関係を続けている。
 お似合いな二人だと思う。どこか抜けてる彼氏に、気が強いがしっかり者の彼女。男は尻に敷かれているが、あいつはそれぐらいがいいんだろう。
 まだ先の話だけれど、いつかは結婚するかもしれない。恋人から夫婦へと、その形を変えるかもしれない。
 でもおれとあいつは、ずっと変わらないんだろう。
 愚痴聞いて、餌付けして、甘やかして。それでもおれたちの関係は変わることはないんだ。
 目元を腕で隠し、深く息を吐く。胸に溜まったものをすべて吐き出すように、沈みそうになる自分を励ますように。
 見返りを求めず尽くすなんて慈善的な真似、できない。やるからには代わりの何かを求めてしまうし、下心がある。どんなに押し殺そうとしたって奥底ではそれを望んでいる。
 なんて不毛なことだろうか。決して、実ることはないのに。芽生えることさえ、ありえないのに。
 それでもおれは、友と傍らにやってくるあいつを受け入れる。そして馬鹿みたいに必要以上に尽くして。一人になった時、ともにいれた時間を思い出し、幸福と苦しみを噛みしめる。
 わかっている。無駄だということ。おれたちの間には決して芽生えることも、花を咲かせることもないこと。
 わかっている。でも、やめることはできない。もしやめる日がくるとするなら、それはきっと、この関係が壊れた時だけだろう。
 その日まで。
 これから先も、おれは咲かない花の種を蒔く。

 おしまい

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