終結の英雄とはじまりの種

 

 光は失われ、火、水、風の力は闇に飲まれ、世界は混沌と化しておりました。
 神が残した明かりは分厚い雲に遮られ、草木は枯れて、水は濁り、生きる者たちは皆泣きました。傷つき、病に侵され、精神も押しつぶされ、皆おかしくなっていきました。多くの命が輝きをなくしました。
 誰しも絶望をその胸に抱きました。生まれたばかりの赤子はいつになっても泣き止みません。老いた者も現実から逃れるよう眠り続けました。誰しも神の勝利を願い、けれども信じきれずに、心のほとんどが闇に染まりました。
 けれどもやはり捨てきれぬ希望が、世界に滲む微かな光のように、消けすこともできずにあったのです。
 やがて、暗澹たる世界にひとつの命が芽吹きました。その命はやがてひとりの勇敢な青年へと成長をし、唯一闇に飲まれず己を保ち続けた大地の者の力を借りて、神の加護を授かり、世界を覆う黒に挑みました。
 闇と青年と、世界の未来を分かつ戦いは長らく続き、やがて唐突に終わりを迎えました。
 世界の行く末を選ぶ権利を勝ち取ったのは、青年でした。大いなる闇は封印され、捕らわれていた火、水、風の力は解放され、世界を覆っていた厚い雲は晴れました。
 人々は青空を見上げて大いに歓喜しました。誰もがようやく見ることを許された将来に両手を上げ、傍らの他人とさえ抱き合いました。
 喜びを分かち合い、三日三晩続く盛大な宴を終えた後、ようやく人々は、皆の希望を一心に背負っていた青年を思い出しました。笑顔で彼を探しましたが、見つかりません。なので人々は青年を待ち続けました。けれど彼が姿を現すことはありませんでした。
 戦いの結末は、勇者たる青年の勝利です。世界は生きとし生ける者の手に返されたのです。苦しめていた闇は力を失い、平穏を司る者に生まれ変わったのです。あるべき姿となったのです。
 ですが、誰も決着しか知りませんでした。闇の者と英雄との間にどんな凄惨な争いがあったのか、どんな会話があったのか。ともにいた大地の者はどうしたのか。青年はどれほどの傷を負ったのか、生きているのか。
 誰も、なにも、知ることはできませんでした。待っても待っても待ち人が帰ってくることはありませんでした。
 やがて名も告げることなく世界を救った青年は、人々から終結の英雄として語られることになりました。

 

 

 世界の辺境にあるのどかな村の、一番端にある小さな空き家に、ひとりの青年が住みつきました。
 人のいい笑みを絶えず浮かべて、それに見合った穏やかな心の根の青年は、初めは辺鄙な場所にわざわざ訪れた彼を訝しんでいた村人たちの猜疑心を溶かして、すぐに打ち解けてしまいました。
 青年は村人たちに教わりながら畑を耕して種を蒔き、作物を育てました。自ら生地を編み、ときにはそれを離れた町へ売りに行き、生計を立てました。決して豊かな暮らしではなく、その日限りを生きているような生活ではありましたが、それでも青年はいつも笑顔で過ごしておりました。
 青年にはとある日課がありました。庭に植えた種に水を与えることです。そして暇ができればいつも種が植えられ小山になった大地の隣に腰を下ろし、日々の出来事を語りかけます。村人たちはいつもその姿を不思議に思いながら眺めておりました。
 とある日、いつものように小山の隣で昼食をとっていた青年のもとに、彼とよく遊んでいる少年が訪れました。
地面ににこにこと話しかけている青年に、少年が尋ねます。本当にそこには種があるの、と。
 小首を傾げる少年に青年は頷きました。でも少年は増々わからなくなり、幼い顔には似つかわしくない皺を眉間にちょっぴり寄せました。
 そこに種があると青年は言います。ですが、少年にはそうは思えません。村人たちも同じです。みんな、青年が毎日水をやり、話しかける小山となった大地の中にはなにもないと思っているのです。
 青年が村に訪れ、二年の月日が流れておりました。そして彼はやってきたその日に、長年人が住まず荒んだ家を片付けるよりも先に、まず種を植えたのです。つまり種はもう二年も芽吹くことなく地面の中に閉じこもっていることになります。
 毎日欠かすことなく青年は種の面倒を見ていました。大切に大切にしていました。でも一向に芽は顔を出しません。
 素直な少年は、大人たちが噂していた言葉をそのまま青年に伝えました。きっともう種はしんでしまっているよ、と。でも青年は首を振りました。
 傍らの山のそうっと撫でて、寂しげな、悲しい表情をしているのに、けれどいつものように、でもいつもよりも小さく微笑みます。青年の表情を見つめていた少年は、やがて母が恋しくなり家に帰りました。
 青年は変わらず毎日種に水を与え続けました。語り続けました。微笑みかけました。
 毎日、毎日そうしました。
 明日も、明後日も、その次の日も続けるつもりです。
 いつか種が芽吹き、立派な大樹となるまで。その姿を見るまで毎日笑顔でいるのです。
 毎日、毎日。
 毎日、まいにち。
 今日もまた姿の見えない種に語りかけます。
 村長はやっぱりかつらで、いつもきっちり揃えていた分け目が今日はちょっぴりずれていたこと。それを笑わないよう堪えるのが大変だったこと。とある少女が指摘して、周りの大人たちはみんな大慌てて彼女の口を塞ぎましたが、その勢いに気圧されたのか、彼女は泣き出しました。だから青年が道端の花で指輪を作ってやったら、ころりと表情を変えて、涙が残る目元を綻ばして彼女は愛らしく笑いました。
 気難しいことで有名な農夫のおじいさんに、青年が自分で作った野菜をおすそ分けに行ったら、今回のものはよくできている、とぶっきらぼうに褒められたことも話します。いつもむっつりしていて、色が悪いとか、実のつきがよくないとか、いつもなにかしら言ってきましたが、ありがとうと今日は言っていました。その頬がほんのり赤くなっていたので、青年の心はほんのり温かくなりました。
 他にも南にある家族に飼われている犬が、なんと人間に一目ぼれしたことを思い出し、それも教えてあげようと口を開きます。けれど青年の口からはなんの音も出てくることはありませんでした。
 おかしいな、と青年は思いながらもう一度声を出そうとすると、不意に、緑の瞳からぽろりと涙が落ちました。
 ぱたりぱたりと地面の色を変える雫を種に与え続けながら、青年は笑顔を歪まして、小山の上に蹲りました。涙は止まらず、やがて嗚咽が零れはじめます。
 寒空の下で一人、青年は身体を震わしました。
 毎日会いにきました。毎日水をやりました。毎日話しかけました。毎日笑顔を向けました。毎日、待ち続けていました。でも本当はずっと泣きたかったのです。
 寂しかったのです。返事はありません。聞いているのかもわかりません。本当にそこにいてくれているかもわからない相手に語りかけて、ずっと、不安だったのです。だから泣きたかったのです。
 いつになったらまたあの人に会えるのでしょう。いつまで待てばよいのでしょう。
 いつか、会うことができるのでしょうか。
 押し留めていた想いはついに溢れ、涙となり、種が、彼がいるはずの地面に落ちていきます。数えきれないほど吸い込まれていきます。ですが、どんなに水を与えたところで、想いを込めたところで、緑は顔を見せません。
 やがて青年は泣き疲れ、地面に抱きついたまま眠りにつきました。

 

 

 ふと温もりを感じて、青年は目を覚まします。うつ伏せに倒していたはずの身体はいつの間にか仰向けになっていて、本当だったら空と対面しているはずでした。けれど、青年の目にはたくさんの緑が映ります。
 傍らには眠る前には影もなかった大樹がありました。とても立派な木です。何十年、何百年もそこに存在しているかのように幹は太く、背は高く。枝葉は近くにある小さな青年の家もすっぽりと影で覆ってしまうほどでした。
 青々とした葉を眺め遠くを見ていた青年は、ゆっくりと顔をずらして、斜め前を見ます。するとそこには、焦がれていたあの人の姿がありました。
 渇いた土の色をした長い髪に、褐色の肌、自分よりも鮮明な緑の瞳。その耳にはかつて青年が渡した、瞳と同色の耳飾りが揺れています。間違いなく、彼でした。
 見知らぬ大樹、待ち続けていた人の姿に、青年は気づきました。これは夢なのだと。
 夢だから、未だ種の状態であるはずの、芽も出していないものが大樹の姿をしており、その傍らに彼もともに存在しているのです。現実であるはずがありません。でも青年は顔いっぱいに笑みを浮かべました。
 嬉しかったのです。夢だとしても、種の成長を見ることができました。もう一度彼に会うことができました。あるはずのない幻の温もりさえ感じられました。だから、嬉しかったのです。勝手に笑ってしまうのです。
 待ち人は手を伸ばし、青年の頬を優しく擦りました。そして薄い唇を動かし、そよ風のようにとても静かに話しかけます。彼の言葉を受け取った青年は、笑いながら、けれど泣いて、しっかりと頷いて応えました。
 腹の力で身体を起こし、彼の首に腕を回して抱きつきます。首筋に顔を埋めて胸いっぱいに匂いを嗅ぐと、清々しい新緑の香りがしました。

 

 

 薄ら寒さを感じ、青年はゆっくりと目を開けました。すぐに空を仰いでみれば、見えるのは雲がふわふわと浮いた青い空です。視界を覆ってしまうほどの別の色はなく、わかっていたはずでも青年は肩を落とし、俯きました。
 地面を見つめると、視線の先に、求めていた色がありました。あっ、と青年は声を上げ、それに顔を寄せてよく見つめます。
 小山になった場所に、小さな小さな芽が顔を出していたのです。長い間待ってようやく、姿を現してくれたのです。
 青年は傷つけないようそっと空気に触れたばかりの艶やかな葉を指先で撫で、彼に与えるための水を取りに家の中へと戻りました。

 明日も明後日も、その次の日も。
 毎日、毎日、青年は、待っていてくれと告げた彼との約束を守るため、将来の大樹へ愛を注ぎ続けました。


 おしまい


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 闇の精霊が光の精霊を消してしまい、他の火、水、風の精霊は闇の精霊にとりこまれてしまった。
 光の精霊が消えた影響で世界から明かりがほとんどなくなるも、神の力により辛うじて光は保たれる。けれど分厚い雲に空は覆われたまま。
 四大精霊の長である大地の精霊は、光の精霊の生まれ変わりである主人公とともに闇の精霊を浄化させることに。
 精霊の生まれ変わりである主人公は精霊たちの声を聴くことができ、そのおかげで協力を仰ぐことが可能。
 とりこまれず残っていた精霊たちの力を借りて、旅路の末に闇の精霊と決着をつける。しかしそのとき主人公を庇い、大地の精霊も力尽きてしまう。
 精霊は人間でいう死を迎えた時、何者かに生まれ変わり、新たな精霊が代わりにその場所に収まる。
 大地の精霊はそう説明し、消えると同時にひとつの種に姿を変えた。
 主人公はそれを抱え、終結した物語から離れた。