12

 

 ルフィシアンは話を中断し、扉を開けに立つ。

「ああ、ファルドラ。ちょうどいいときに来てくれた。今きみのことを話そうとしていたんだ」

 部屋を訪れたのはファルドラだった。口に籠を咥えていて、中にはたくさんの果物が入っている。
 ルフィシアンはそれを受け取り、椅子に座り直すと、籠に入っていたナイフで皮を剥いていく。ファルドラはその隣に座り誠士郎を見つめた。
 もしかして果物は自分のために持ってきてくれたのだろうか、と香ってくる甘い香りに思っていると、ファルドラが口を開いた。

『ようやく話をしてやることにしたんだな』
「……あ?」
『なんだ随分な間抜け面だな。まだ寝ぼけてんのか』
「セイ?」

 二人の眼差しを受けるも誠士郎はぽかんとしてしまう。
 しばらくしてようやく事実を受け入れ、かっと目を見開いた。

「おまえ喋れんの!?」
「ああそうか、まだセイに言ってなかったんだ。驚かせてごめんね」

 あとこれどうぞ、と一口大に切られた果物が乗った皿を渡される。
 受け取った誠士郎はそれを膝の上に置きながらも、さめやらぬ驚きにじっとファルドラを見つめる。青い瞳は誠士郎の強い視線を受けても涼しいままだ。

「ファルドラはちょっと特殊な事情を抱えていてね……彼も魔法使いなんだ。これまではセイを混乱させちゃいけないと思って、黙っていてもらったんだ」
「魔法使い……ってことは人間ってことか? 魔法で変身してんの?」
『まあそんなもんだな。っていってもこれは自分の魔法じゃなくて魔女の呪いだがな』

 呪い――つまり犬の姿になったのは自分の意志ではなかったということだ。
 元は人間であるから言葉も話せるのだろう。ときどきこちらの意図を汲むように動いていたと思ったのは間違いではなかったようだ。

「呪いって……」
『かいつまんで話せば、ルフィシアンに逆恨みした魔女がいてな。そいつの嫌がらせでおれは狼にされちまったんだ』
「狼!?」

 くわえかけていた果実をぽろりと口から落として誠士郎は思わず叫んだ。 
 突然の大声はきんと響き、ルフィシアンもファルドラも面食らった表情になる。まさかそこに驚くとは思っていなかったのだろう。

『見りゃわかるだろうが。もしかして、おまえんところには狼がいねえのか?』
「いや、いるにはいるけど……身近にはいないというか……犬かと思ってた」
『犬だぁ!?』

 今度はファルドラが声を荒げ、今にも唸り出しそうに牙を見せた。

『ああ!? そこら辺の犬っころと同じにするんじゃねえぞ! スィチだってまだ子どもだが、あいつだって立派な土狼だからな!』
「わ、わかったわかった」

 疑う眼差しを受けつつ、逃げるように先程皿に落とした果実を口に放り込む。
 狼など動物園に行かない限り会えない生き物であるし、犬の種別さえろくに知らない誠士郎にとってなにがそこまで変わるのかわからないが、ファルドラにとっては犬と同じにされてしまうのは屈辱であるようだ。
 まさかスィチまで狼の子であったとは驚きであるが、土狼など聞いたことがない。まだこの世界の動物にはスィチとファルドラしか会っていないし、狼の種類に明るいわけではないが、今食べている見覚えのない果実を思えばこの世界特有の種である可能性は十分にあった。
 これからは気をつけなければ、と意識を改めるとともに、口の中で咀嚼したものをごくりと飲みこむ。

「それで、その姿から戻れないままになっちまったのか?」
『ちがう。戻るつもりがなくなっただけだよ。おれ自身がこの姿を選んだんだ』

 自らの意思で狼であるというファルドラは、呪いを受けた際の魔女とのやり取りを語った。

『おまえに呪いをかけた。運命の者と出会えたならば、きっと真の姿を得られるであろう』

 なんの脈絡もなく突然狼の姿にされ戸惑うファルドラと、すぐさま臨戦態勢を取ったルフィシアンに魔女はそれだけを告げ消えてしまったのだという。

「なんだってその人はルフィシアンを恨んでんだよ」
「――ぼくの仕事はね、大いに喜ばれる反面、恨みも買いやすいからだ」

 運命の人との出会いを助けるルフィシアンがなぜ恨まれることになるのか。理解できなかったが、ルフィシアンが詳しく話そうとしない以上、深く語ることを恐れているのだと分かったので、誠士郎は自分の興味を押し殺した。

「ファルドラはね、ぼくの実の弟なんだ。腹違いではあるけれど。他人よりか親しくしていたから狙われてしまったのかもしれない」
『ルフィシアンはあまり交流を持ちたがらないからな。友達だってあのガヴィとか、変な距離感のやつらばかりだぜ』

 その後魔女を探したが、彼女自身が目晦ましの魔法をかけてしまい、あれ以来見つからず、姿も見せないままなのだそうだ。
 ルフィシアンは人と人との縁を結ぶ、〝結びの魔法使い〟として名を馳せる魔法使いだ。魔女もそれを知っていたという。
 狼の呪いを解くためにも、ルフィシアンはすぐにファルドラの運命にまつわるものを喚びだした。
 そして現れたのは、生まれたばかりの土狼の赤子だった。
 子狼はまだ目も開いていないというのに、まっすぐにファルドラのもとに向かったのだという。そしてファルドラは悟った。
 ――この幼き土狼こそが己の運命であると。真の姿とは人間ではない、土狼と同じ目線を持つ身体のことなのだと。
 ファルドラは土狼の赤子の成長を見守ることを誓い、〝スィチ〟と名付けた。以来、ルフィシアンの家でともに暮らしているのだという。
 よくファルドラがスィチの面倒を見ているのを知っていたので、兄弟かなにかなのかと思っていた誠士郎は、まさか彼らが運命に結び付けられた者同士とは予想すらしていなかった。
 受けた衝撃をありありと表情に出した誠士郎を見たファルドラは、いつものようにふんと鼻で笑う。

『おれの話はこんくらいでいいだろう。ようやく言葉が通じるようになったんだ、あとはルフィシアンがちゃんと話してやれよ。じゃあな、スィチが待ってっからおれは一階に戻るぜ』

 ルフィシアンが薄く開けたままにしていた扉から出ていったファルドラは、その後は器用に扉を閉めていった。
 廊下に当たるファルドラの爪の音が遠ざかり、一階まで下りたと予想つく頃にルフィシアンはぽつりと言った。

「――ファルドラはああ言っているけれど、ぼくはファルドラの運命を信じきれていなかった」

 元は人間のファルドラの運命が、まさか種族の違う土狼であるなど、ルフィシアンも予想外のことであった。
 これまで人間以外の運命を喚び寄せたことがあったが、あくまで人間は人間と、動物であれば同種が相手だったという。なかには例外的に他種族同士もいたが、それは片方が自由に相手と同じ姿を取れるという条件があった。

「ぼくが喚んたファルドラの運命はスィチであったけど、きっとなにかの間違いであったと思ったよ。けれどファルドラはすんなり受け入れた――運命なんて不可視で曖昧なものを、間違いであるという証明もなく、ぼくは二人を否定することができなかった。でもずっと、心の中では引っかかっていた。違う証明がなければ、そうである証明だってないからだ」

 ルフィシアンは己が召喚しているものの正体を断言できない。だからこそ心が抱えた葛藤は苦しく、ファルドラの件でより大きな問題となってしまったのだ。
 自分の魔法を証明したかった、というのは、ファルドラのためであり、これまでルフィシアンが出会いを手助けしてきたすべての人のためであるのだろう。

「あの子はぼくの因果に巻き込まれ狼にされてしまったから、なんとしてももとに戻してあげたかった。だから必ず運命を見つけると、これまで疑い続けていた自分の魔法を信じたいと強く願って使ったのに……結果はこうだ」

 ルフィシアンが運命の相手にまつわるものとして喚び寄せられるのはそれほど大きくない。だからこそ当人でなく、持ち物ばかりが来ていた。だがスィチは生まれたばかりで片手に乗ってしまうほど小さく、時空の穴を通ってきてしまったのだろうとルフィシアンは推測したのだと言った。

「ファルドラはね、昔からなんでもひとりでできてしまえて、ぼくの弟子にならなくたってどこでも器用に生きていけるはずだった。色んな可能性があったはずなんだ。でも狼になって、スィチという運命に出会って――あの子は狼になる呪いを受けた己が身こそが、それこそがスィチと出会うための歯車のひとつにすぎないとしたんだ」

 ファルドラは、自分自身でこの姿を選んだのだと言った。狼である彼の表情を読み取れることはできないが、その声音はまっすぐで、後悔などひとつも感じさせなかった。
 狼であることを決意するまでの経緯を誠士郎は知らない。だが、ファルドラが人間である己とすでに決別し、生涯その姿でスィチと寄り添うこと覚悟があることだけは眩しいほどにわかったのだ。
 しかしルフィシアンからは迷いと後悔が強く滲む。

「ぼくはどうしてもそれを認めてあげられなかった」

 まるで懺悔するように、苦い思いをしながら誠士郎に言うのだ。

「もしかしたら、ファルドラが自分に言い聞かせるためにそう言ったんじゃないかって、ずっと思っていた。だってあの子はもとは人間で、スィチは狼だ。種族が違う。姿が同じになったからといって会話ができるわけじゃない――これでいいんだと言うけれど、本当は人間に戻りたいんじゃないかなって。でもぼくの魔法を信じてそれを諦めてしまったんじゃないかなって」

 ――ファルドラ自身も魔法使いであり、そんな自分に誇りを持って生きていたのだという。しかし狼になってしまい、まだ魔法を扱うことはできるが、人間のような器用な身体ではないため魔法使いとしての活躍の場はなくなってしまった。
 つまりファルドラは人間である自分と同時に、魔法使いである自分も斬り捨てなければならなくなったのだ。
 人でなく、完全な狼になれるわけでもなく、簡単な魔法が扱える半端な存在――それでいいのだと言うファルドラへの負い目に、ルフィシアン自身が強く己を責めるのだろう。

「だからぼくは、自分の魔法が本当に運命が深く絡み合った相手を呼び出せるのか、証明したかった」

 ルフィシアンはぎゅっと拳を握り、その想いの強さを言葉なく誠士郎に教えた。

「昔から自分の魔法を疑問に思っていたからね。ぼくの対象を呼び出そうと試したことは何度もしたんだ。でも、昔からぼくの相手のものだけはなにひとつ届きはしなかった。何度繰り返しても、他の人の運命は来るのに、ぼくだけだめだった」

 ルフィシアンは俯けていた顔を上げて、誠士郎に淡く微笑む。

「だから、最後の賭けに出たんだ」
「賭け……?」

 これまで沈黙を貫いていた誠士郎は、ようやく見せた柔らかいルフィシアンの表情に、つい口に出す。
 もしくはそれが、自分に関わるものではないかと、なんとなく察していたのかもしれない。

「満月が浮かぶ夜はもっとも魔力が高まるときでね、魔法の質も格段に上がるんだ。その代わり大きくなった力は制御がとても難しくなる。だから魔力が高まる満月の夜と、魔力がもっとも低下する新月の夜に魔法使いたちはみな大人しくしているものなんだ。だからぼくはそれを利用し、満月の夜に召喚を試みた」

 魔法の威力が上がるため、これまでの通常のルフィシアンの魔法では、たとえばなにかに阻まれ魔法が届かなくなってしまっている場所にも時空の穴を開けることができ、そこから相手のものを召喚できるはずだからだ。
 それでも来なければ、自分の運命はいないのだと結論づけようとしていたという。
 これが最後だと、覚悟をしてルフィシアンは己の運命を引き寄せる魔法に臨んだ。

「そして――セイ。きみがぼくのもとに来てくれたんだ」


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