なぜ誠士郎がこの世界に来なければならなかったか。なぜルフィシアンの家だったのか。なぜ彼はこんなにも親身になってくれていたのか。そのすべてが完全に繋がった瞬間だった。
これまで、もしかしたらルフィシアンが誠士郎をよんだのではないか、と予想したことはある。だが誠士郎とルフィシアンが運命に結ばれた者同士であるなど考えたこともなかった。
「セイが来てわかったよ。なぜこれまでぼくの運命の相手の持ち物が召喚できなかったか。住んでいる世界が違うからだ。世界を繋ぐ大魔法は確かにあるが、普段のぼくの魔力では到底できないことだった」
しかし満月の夜に高まった魔力が、ルフィシアンの世界と誠士郎の世界を繋ぐ魔法を可能にしたのだ。
「魔法は確かに成功した。だが制御しきれず大穴を開けてしまって、セイ自身がこちらにきてしまったんだ」
「……そういうことか」
ルフィシアンが呼び出すものはどれも物であったのに、自分だけが生身の人間であったこともこれで納得がいく。
ルフィシアンは目を伏せるように、誠士郎の腕にある金の腕輪に目を向けた。
「その腕輪だけれどね……ぼくはきみにこの真実を知られて嫌われるのが怖かったから、きみが困っていることを知りながら腕輪を渡さなかった。なにも知らないまま、ぼくのこともただの異世界の住人だと思ったままもとの世界に返すつもりだったんだ」
異世界にきた理由がルフィシアンの証明のためであり、そのせいで誠士郎は次の満月まで滞在を余儀なくされた。なんの説明も同意もなく、無理矢理連れてこられたのだ、ルフィシアンが誠士郎の怒りを想像するのもよくわかる。
実際に初めてルフィシアンと出会ったあの夜、そんな事情を聞かされていたら怒り狂い、さっさともとの世界に返せと掴みかかっていたかもしれない。
だが言葉がわからなければ、誠士郎もどうしようもないし、ルフィシアンも事情を説明しなくて済む。あとはただ元の世界に返せば、言語の壁に苦労することはあっても、深く互いを知ることもなくすんなり別れることができただろう。
だが、誠士郎は腕輪を身に着け、こうしてルフィシアンの抱える事情を知った。それだけではない。ともに過ごしてきた短い日々でも、言葉がわからなくても、なんとなくだって彼の人となりを知った。この灰色がかるこの世界にほんの少し慣れた。
だからこうして、落ち着いてルフィシアンの言葉を聞ける。しかしルフィシアンは誠士郎の感情の高ぶりを恐れているのか、腕輪を見つめたままでいる。
「でもぼくの身勝手できみを泣かせてしまった。――ガヴィはね、証明のためであったとまでは知らないけれどぼくがずっと自分の運命を探していたことを知っていたから気を回してくれただけなんだ。それに巻き込んでしまったセイには、何度謝っても足りないけれど……それでもガヴィを責めないでやってほしい」
「なら、あんたはおれに責められてもいいっていうのか?」
あんたのことだって責めないよ、と本当は言うつもりだった。ガヴィに責任はあるといっても、誠士郎の魔法に対する抵抗がないことを知らなかったわけだし、単に不運が重なっただけの結果なのだから。
男である自分が男に抱かれる、その衝撃がなかったわけではない。だが相手がルフィシアンであったのが不幸中の幸いだったとも思えた。きっと自分を傷つけないとわかっていたからかもしれない。
誠士郎としてはもう誰も責める気などないのだ。だが誠士郎がルフィシアンに怒るのがまるで当然のように言われて、かちんと頭にきたのかもしれない。
苛立たしげに吐かれた台詞に、ルフィシアンは真っ直ぐに誠士郎を見た。
「――セイ。ぼくは、きみが好きなんだ」
向けられる眼差しは、友情だとか家族に向ける愛だとか、そんな爽やかなものではない。ルフィシアンに抱かれたあのときに見た、ほの暗さもあるような、そんな息苦しさもある熱を孕んだ目だ。
言葉も忘れてルフィシアンを見つめ返す。
「絵を描いて、帰すことができると伝えたときを覚えている? あのときセイは、とても可愛く笑ったね」
確かに、ようやく少しだけ事情がわかった安堵もあって、頬にインクを付けたままルフィシアンの前で大笑いしたことがある。それのことを言われているのだとわかっていても、可愛く笑った記憶などない。
振り返り疑問を抱えたセイに笑いつつ、ルフィシアンは言葉を重ねていく。
「きみにとって馴染ないものでも、ぼくが一口食べれば、疑いながらもちゃんと齧って、そして瞳を輝かすんだ。しなくていいのに後片付けをしてくれたり、掃除をしてくれたり、獣が苦手なのにスィチと遊んでくれたり。少ししかいないというのに、この国の言葉を覚えようとしたり」
ひとつひとつ見てきた誠士郎の姿を口にするルフィシアンは、少しだけ楽しそうだった。とても優しい表情で語るのだ。
「出会ったときにはあんなに警戒していたのに、魔力切れで倒れてしまったぼくを見放さなかった。起きたとき、君がそばで寝ていて驚いたよ。それと同時に、その寝顔がとても愛らしくて……とても貴いものに見えたんだ。きっとそのときから、一気にきみに惹かれていったんだと思う」
「なんだよ、それ」
愛らしいとか、貴いとか、自分ともっとも縁遠い言葉を並べるルフィシアンは冗談を言っている様子はない。しかし不似合いであるには違いなく、誠士郎は受け入れられずに少し頬を赤くして俯いた。
「きみを抱いたあのとき、罪悪感はあった。けれどそれよりもきみがぼくの名前を呼んでくれるたびに気持ちが高揚して、心から求めてくれているんじゃないかって錯覚してしまうほどに嬉しかった」
「そ、れは……」
我も忘れる情事を思い出し言葉を詰まらせた誠士郎に、ルフィシアンは、わかっているよ、と言った。
「いけないとわかっていても、最後にはガヴィの魔法のことも忘れてきみを抱いたんだ。いや――本当はそれを言い訳に、きみを抱けるかもしれないと、初めから心のどこかでは思っていたのかもしれない。セイが苦しんでいると知っていながら、一向に冷めやらないきみの熱を望んでいたのだと思う」
あのときルフィシアンは何度も謝っていた。それはガヴィのしでかしたことかと思っていたが、実はルフィシアンが誠士郎に抱いてしまった劣情に対してだったのだ。
手助けのため、という純粋な想いだけでない、自分に向けられた性的な欲を知ってしまい驚く。
思い返してみれば、ルフィシアンが唇が触れそうなほど近くに顔を寄せたことがあった。あのときにはすでに誠士郎に好意を抱いていたとするならば、勘違いなどではなく、本当にキスをしようとしていたのだろう。
「運命であるからとか、そんな思い込みでセイを好きになったのかもしれない。いや――むしろぼくはファルドラのため、運命を否定したかった。ましてや異界の人間だなんて。ますます違ってほしいと思った」
誠士郎を好いたことを悔やむルフィシアンに、なぜだか胸がぎゅうっと締まるように痛みを感じた。
ルフィシアンの思うことはもっともで、異界の人間で、それも男で、可愛げもないとあってはその落胆していたのは当然だろう。
しかし誠士郎の考えは、ルフィシアンの思いとは大いに違った。
「だって、本当にセイがぼくの運命であるのなら、異世界の人間であるきみはあるべき場所に帰さなければならない。必然の別れがあるんだ、深みに嵌まってはいけないとわかっていたのに、それでもきみに惹かれる気持ちは止められなかった。」
ルフィシアンと誠士郎の住む世界は違う。ずっと傍にいられるわけではないから、親しくなればなるほどその別れというものは恋しくなる。ルフィシアンはそう考えていたのだ。
それほどまでに、すでに誠士郎を好いてくれているのだ。
「セイ、ごめんね。最初から最後まできみはぼくの身勝手に巻き込まれていただけなんだ。だからきみから恨まれるのは当然だ」
自分なら責められてもいい。それは、ルフィシアンの罪悪感だった。
誠士郎がここに来たのも、言葉を理解できないままでいたのも、そしてルフィシアンに抱かれてしまったのも、そのすべては自分の行動によるものだと受け止めているからだ。
「でも安心してほしい。ちゃんときみのことは元の世界に帰す。もちろん次の満月までここにいていい。それまでぼくはなるべく部屋にいるようにするから、自由に過ごして」
つまり誠士郎となるべく顔を合わせないようにする、ということなのだろう。
ルフィシアンはもう決まったことだというように腕輪からも顔を逸らし、誠士郎を一切見なくなった。
すべてを吐き出し、今後は自分が誠士郎を避けると決めたことでこの話は終わりにできるとでも思ったのだろう。
だが、誠士郎はまだなにも伝えられていない。
「――なんとなく、だけど。気づいてたよ。あんたがおれをこの世界に連れてきたんだって」
「気づいて、いたの……?」
「ん。まさか、運命云々の話だとは思わなかったけど」
驚きに見開かれたルフィシアンの瞳が誠士郎を映す。
「おれみたいなやつがきて、失望させちまったかなって、思ったけど」
「そんなことはない!」
「話を聞いたからわかったよ。……まさか、好かれてるとまでは思わなかったけどよ」
言葉を被せ気味に否定するルフィシアンの勢いに押されつつ、誠士郎は苦笑しながら頬を掻く。その姿を見たルフィシアンから、ふっと肩の力が抜けていくのがわかった。
すべての話を聞いてなお、誠士郎にルフィシアンを責める気持ちがないことにようやく気がついたのだろう。
「あの、さ。あんたにずっと言いたいことがあって……この家に居させてくれてありがとう。いくらあんたが呼んだっていっても、ひどい態度もいっぱいとったし。これでも感謝してんだよ。それと、ごめん」
「……なんでセイが謝るの?」
「あんたに怪我させちまっただろう。ずっと、ちゃんと謝りてえって思ってた」
なんのことだかぴんときていない様子のルフィシアンに、腕、とだけ伝える。それで毒を浴びせた自分の腕を思い出したようだ。
ふい、と視線が逸らされる。
「あれはぼくが勝手にしたことで」
「おれがちゃんとあんたを信じていればなかったことだった。おれ、捻くれちまってるからさ。いけないって言われてたのわかってて部屋に入ったんだ。――でも、すごい後悔してる」
ルフィシアンとともにあの出来事を思い出していた誠士郎は、彼の腕を掴み自分へ目を向けさせた。
「だからさ。ルフィシアンも色々とおれに悪かったって思ってんだろ? なら、おれでおあいこにしようぜ」
「おあいこ……?」
珍しく呆気に取られるルフィシアンに、誠士郎は浅く頷く。
「そうだよ。ちゃんと帰してくれんだろ? ならそれでいいって」
「だけど……」
「なんだよ、折角話せるようになったのに、相手してくれないのかよ?」
腕を手放しわざとらしく腕組みをする。
こんな台詞は自分らしくないとわかっていながらも、ルフィシアンの気持ちを少しでも軽くさせるために、素直な言葉を口にした。
ルフィシアンはまるで誠士郎の言葉を噛みしめるように、ぐっと強く目を閉じ、そして再び誠士郎を見つめた。
「――……セイ。なにもしないから。ただ抱きしめてもいいかな?」
突然の申し出に、誠士郎は悩んだ末、膝の上にあった皿を脇に置いて受け止めるよう手を差し出した。
ルフィシアンはそっと誠士郎を抱きしめ、確かめるようにゆっくりと腕に籠める力を強める。
誠士郎の耳に触れそうな寄せられた唇が、そっと囁いた。
「セイ。ただきみを好きでいることを許してくれないだろうか」
「――おれ、応えられない」
ルフィシアンはいい人とは思う。好ましいとも感じているが、だがルフィシアンと同じ恋愛の意味でかと言われれば、そうでないと思う。
それにもうすぐ元の世界に帰るのだ。そうすれば二度とルフィシアンと会うこともなくなってしまうだろう。
「それでもいいんだ。押しつけるつもりはない」
「ならいいぜ。――最後までよろしくな」
ルフィシアンに抱きしめられて嫌な気持ちはなかった。むしろ感じる彼の体温が心地よく、それに身体が馴染んでいくのがわかると落ち着くのだ。
なのに、胸が苦しい。
応えられない申し訳なさなのか。それとも、別れを強く意識したせいか。
(……この気持ちは、なんなんだ)
肩にあるルフィシアンの頭に、自分の頭を預けて、誠士郎は目を閉じた。