「そういえば、キリトがルトに相談しにきてたけどルカは話聞いてる?」
不自然過ぎる話題の切り替えに、ルカは何も言わずに頷いた。
「聞いているよ。あの出稼ぎに来ている若い二人組のことでしょう?」
キリトとルカは一昨年に結婚したばかりの夫婦であり、同じく街の自警団として活動をしている。
一目惚れしたキリトを目当てに自警団入りしたルカに引きずられ、半ば強引に入団させられたルトもその一員だ。
ルカもルトも自警団入りした当初は街を守るためではなかったにしろ、元来の面倒見の良さや正義感もあって、今では真面目に治安維持に努めている。
三人は自警団の中心となって動いており、何か困りごとがあればすぐに相談が舞い込んでいた。
そして最近各方面の主に若い獣人の女から苦情が寄せられているのが、キリトがルトに相談を持ちかけていた二人組のことだ。
自警団に入っていないがルトに引っ付いてよく手伝いをしているので、ヒューも少し前から二人組が問題になっていることを知っていた。
「ほら、いよいよ今日が蜜夜じゃない? それでもまだ相手が見つかっていないらしくて」
二人組は町に来て日が浅く、恋人もいないため、蜜夜をともに過ごせる相手を事前に捜しているらしい。それ自体に問題はないが、そのナンパ行為が強引で、断ってもしつこく追いかけてくるので恐怖を感じている者もいるという。
彼らも行為ができればそれでいいのか、恋人やつがいがいる者にも見境なく声をかけており、どうにかしてくれとあちこちから苦情が上がっているのだ。
「強引な手に出ないように忠告もしているし、今もキリトが見張っているんだけれど、同行していた人が体調不良で行けなくなっちゃってね。あいつらが暴れ出したらキリトだけじゃ抑えられないし、でも他に対応できそうな獣人がいないから、今回はルトにも手伝ってもらうようお願いしたみたい。本当はわたしが付き合えればよかったんだけど」
「だっ、だめだよ! 今は大事にしないといけないんだから、そんなのルトに任せてルカは大人しくしてて」
とんでもないことを言い出すルカに慌てて首を振る。その反応を想定していたのか、ルカはくすりと笑って目を細めた。
「キリトにもそう言われた。こればっかりはちゃんと言うこと聞いとくよ」
そう言って前掛けに隠れた腹をそっと撫でる。
やや丸みが出てきたそこには、前回の蜜夜で授かったキリトとルカの子が宿っていた。
「赤ちゃん、楽しみだね」
「そうね。どっちに似た子が生まれるかな?」
「どっちに似てもきっとかわいいよね! あーでも、性格はキリトのほうがいいかも……?」
「はは、みんなそう言うんだから」
同じ種族の獣人同士であればその子供は同じ種の姿となるが、両親が異なる種族であった場合、どちらかを継ぐことになる。
狐獣人のキリトと狼獣人のルカであるなら、子供は狼か狐の姿になるというわけだ。
しかしごく稀に先祖返りと呼ばれる者がいて、両親のとは異なる姿で生まれる場合がある。それは血に受け継がれている祖先の誰かの種が出てくるためだった。
先祖返りのなかには時に混じり者とも呼ばれる存在が誕生することがある。本来ならばひとつの種の姿しかもたないはずが、稀にいくつか混じり合って生まれるためそう呼ばれていた。
狼でありながら翼を持っていたり、人間であるのに耳だけが獣のものであったりとふたつ以上の別の種族の特徴を持っているので、見ればすぐにその異質さに気がつく。
先祖返りはそれほど珍しくもないが、混じり者は生涯まみえずに終わることも少なくはないほど極めて珍しい存在だ。ヒューも出会ったことはなく、この街にも両親と異なる姿の先祖返りはいても混じり者は一人もいなかった。
ちなみに獣人と人間が交わった場合、ほぼ九割の確率で生まれてくる子供は人間となる。そしてそれは人間のほうが種の生存本能が強いためと言われ、遠い未来の話ではあるが獣人の数は大きく減少し、人口のほとんどが人間となると予見されていた。
近い将来、狼か狐の子を産むであろうルカは、本来なら自警団の副リーダーのキリトと同じくらい腕っぷしが強い。
そこらでやんちゃしている相手程度なら一人でも十分に対処できるが、いくら強かろうとも今は身重だ。迷惑を顧みない行動をするような輩に近づけさせるわけにはいかない。
「でも、今回の件はどうして最初からルーじゃなかったの? キリトと組むなら一番相性がいいし、今回みたいな抑え役にはいつもルーが行くのに」
やる気の欠けるルトだが、協調性がないわけではないし、喧嘩の強さだけでみても自警団随一の実力がある。今回の荒事の付添には丁度よかったはずだ。
「そりゃそうよ、だって蜜夜だし」
「……? そんなの、獣人なら誰しも大切な日なんじゃないの?」
むしろ独り身であるルトより、キリトやルカのようなつがいとなっている者のほうが休みをもらうべき日なのではないだろうか。とくに子が欲しい夫婦には決して外せない日であるはずなのに。
当然の疑問をぶつけただけなのに、ルカは思わずといったように口を押えて狼狽え始めた。
「あ……え、えっと、ほら! あいつにもいつビビッとくる人が現れるかわからないでしょ? ずっと待っていた子がいつ食べごろを迎えるかもわからないわけだし――ああいやええと、そうじゃなくて……」
「……ルー、待っている子がいるの?」
そんな話は聞いたことがない。けれども年下の幼馴染には言えなくても、双子のルカになら話していることはあるのかもしれない。
ましてや、ヒューはルトが好きだと公言している。
ルトは無神経なところがあってからかい好きではあるが、疎いわけではない。ましてやわざわざ自分を好きだと言っている相手に想い人の話を無暗に口にするほど迂闊でもないから、ヒューだけが知らなくてもおかしな話ではなかった。
「その子、まだ未成年なの? ルーはガキには手を出さないって言ってるし、その子が大人になるのを待ってるの……?」
いつ食べごろを迎えるか、というのなら少なくともまだルトの相手をできる状態になっていないということだ。
それならヒューに同情しても手を出さないのは当然だった。好いている人がいないのならまだしも、相手がいるのなら、その人の準備が整うのを待っているのなら、ルトが他に目を向けることはない。
それまでの性処理として割り切った関係ならまだしも、本気のヒューのことは絶対に抱かない。たとえヒューが思い出のためだと言っても、想い人に対して不義理となるとルトなら考えるはずだから。
相手がまだ未成年であることを仮定するなら想い人は獣人だろう。
人間なら十八歳を迎えて成人となる。だが獣人は蜜夜で発情期を初めて迎えた時から成人とされて、そのタイミングは人それぞれだ。いつその時が来るかは蜜夜になってみないとわからない。
ルトは相手が成人するのを待っていて、それをキリトもルカも知っているから。だからその人がいつ発情期を迎えてもすぐにでもルトと過ごせるように、蜜夜の日にはルトに仕事を振らないようにしているのなら話の辻褄は合う。
そして人間ですでに成人しているヒューは、ルトの想い人の相手は自分かもしれないという一瞬の幻さえ見ることは叶わないということ。
「ち、ちがうの、ヒュー。ほら、ルトってば相手がいないもんだから、いつこう、ムラムラ~って我慢ならなくなるかわからないでしょ? そんな時に守る側のやつが襲う側になったら大変だから」
意外と細かいことにうるさく神経質な面がある皮肉屋なルトとは対照に、大雑把でうっかり屋な一面のあるルカ。そんな彼女は話を誤魔化す時に耳をそわそわと動かす癖があるし、何より言い訳が下手なので、狼狽え振りを見るにヒューの予想は大方当たりであることがわかってしまった。
ルトは発情期だろうがムラムラとこようが、誰彼かまわず襲い掛かるような柔な自制心の持ち主ではない。そんなことは双子であるルカが一番よくわかっているはずだ。
「――そっか」
でもあまりの混乱ぶりが可哀想で、納得した振りをした。
「まあルトだったら相手に匂いべったりつけて牽制するだろうし、そんな話聞いたことがないってことはルカ姉の言う通りなんだろね」
実際にそうしているであろう確信はあった。自分が我慢しているというのに、横から掻っ攫おうとするのをみすみす見逃すようなルトではない。
こんな時、自分が人間でよかったと思う。もし獣人だったら、きっと匂いでルトの移り香を纏う相手に気づいてしまっただろうから。
他の獣人たちは知っているのだろうか。ルトの好きな人のこと。
黙っているのはきっとからかって倍返しに遭うのが怖いからだろう。もしくはルトが慎重にしているのを見て、そっと見守っているのかもしれない。
相手が誰かを聞いてしまいたい気持ちもあったが、なんとか誤魔化せたと思って胸をなで下ろしているルカに尋ねることはできそうになかった。それにルカがこれまで黙っていたということはきっとヒューを慮ってのことだから。
――でもたとえ聞ける状態にあったとしても、きっと尋ねることはできなかっただろう。
そこまでの勇気が自分にないことくらいちゃんとわかっている。
「ルトのことはともかく、ヒューも気をつけなさいね。発情期を言い訳にして見境がなくなる獣人がいないわけでもないんだから。例の二人組だって、もし声をかけられたら無視して逃げちゃいなさい。相手にする必要はないから」
「心配しなくても大丈夫だよ。ルーにしか興味ないし、それにオレにまで声はかけてこないでしょ」
彼らが声をかけているのは若い獣人の女ばかりだというし、ましてや蜜夜に影響されることのない人間の男であるヒューに声をかけてくるとは思えなかった。
「ないとは言い切れないから。人間だって男だって、いいないけるなと思えたなら対象になるわけだし」
「ないない。だってオレ、誘われたことなんてないし」
たった一度、発情期の獣人に襲われそうになったことはあったが、それより前にも後にも蜜夜の誘いがかかったことはない。
確かにまだ子供だったということもあるかもしれないが、成人が近づいたこともあってぐっと大人びてきたせいか、周りの人間の友人たちが獣人に誘いを受けたとよく耳にしていた。
ヒューだってそれなりに成長して、特別華やかな顔立ちではないが、小綺麗なほうだと周りは言ってくれる。それでも獣人から声をかけられることはなかったし、時には恐ろしいものを見てしまったかのように慌てて目を逸らされることもあった。
今思い返せば、襲われて以降とくにそういうのを見ることが多くなったような気がする。
その事件のせいで一時ルトやルカのような親しいごく一部の獣人たち以外が怖くなってしまったヒューにとってちょうどよかったが、もしかしたら獣人の美醜の感覚ではヒューは見るに見かねるような顔立ちなのかもしれない。
幼い頃から一緒の双子や彼らの両親、キリトなどの他の獣人たちも何も言ってくることはなかったが、もしかしたら自分は獣人が好ましく思う顔から著しく逸れてしまっているのではないか。
気が付いてしまえば急速に不安が募っていく。
人間からすれば少し歩けばどこにでもいるような顔だという自覚がある。だから獣人たちからしてもそうだと思っていたが、ヒューだってほとんどの獣人の顔の違いなんてあまりわからないのだから感覚が違うのも当然だ。
もし、ルトに相手にしてもらえない理由が実はそこにあったとするのなら。
「ルカ……オレって、獣人たちから見たら、そんなにいけてない……?」
「えっ、そんなわけないよ! どうしてそんなことを思うの?」
ぺたりと耳を伏せるその姿は、きっと人間だったらとても悲しい顔をしているのだろう。
「だって、ルーは全然相手にしてくれないし。他の獣人も発情期が近づくとオレを避けていくような気がするし……」
親しい獣人の友でさえ、蜜夜が近くなると離れていた気がする。蜜夜が過ぎ去ればまたいつも通りだし、これまで意識なんてしてなかったから気づかなかったけれど、それとなく距離を置かれたことに今更になって気づいてしまった。
普段はまあいいとして、気が高ぶる蜜夜には傍にいたくないほど獣人たちにとっておぞましい顔だったのだろうか。
そういえばつい先程、何度かルトに匂いを嗅がれていた。もしかしたら顔ではなく、獣人が嫌う体臭なのかもしれない。
考えれば考える程に絶望が深くなるヒューが堪らず俯こうとしたとき、がしりと力強く肩を掴まれた。