◇夜の泉~レオンハルト視点~◇

今回はレオンハルトさん視点の物語で、シリウスさんとの再会のシーンになります。
※Desireメンバーは出ていません
以上を踏まえたうえで、菜月さまの世界をお楽しみください



◇夜の泉~レオンハルト視点~◇

そっと指先を浸けると、清い水に触れた。深い森の中にある澄んだ泉は、懇々と湧いている。
夜と言うより深夜の時間帯。
こんな時間にわざわざ出掛ける者など皆無に等しい。それでなくてもこの泉から一番近い集落は、此処から半日ほど歩く場に在る。
…故に、何年か前からは人払いの術も掛けなくなった。
そんな事をしなくても、この辺りはいつもひっそりとしていて静けさが漂っている。
偶に獣は来ても人は来ない。
足元を照らすだけの小さな光球のみを灯し、服を傍らに畳む。
湧き出る清い水に浸かり、少しずつその身に掛けた術を解いていく。
腕や足の皺が消え、偽りの容姿が溶けるように消えていった。
そして、術の反動現象。
今は背から足首を覆う程に、伸びる髪だけで済んでいる。
この髪も再び姿を偽る術を掛けると消える。
何日かに一度はこうして定期的に術を解かなければ、術自体に綻びが出てしまう。
あの領主の治めていた地を離れてから直ぐ姿を偽る術を己にかけた。
色々な年齢を試した結果、一番他者の干渉が少なかったのが年配者の姿。
森に籠もり、自分が食べるだけの食物を育てたり森の恵みを頂いてひっそりと暮らしている。
出来るだけ他者とは関わらずにいる時間が次第に長くなってきた。
私を知っていた者も忘れる頃合いだろう。
…あの子が亡くなって、あの場所から逃げて。それからずっと自らを偽り続けている。
どうすれば良いのか解らないまま、時だけが経っている。
一つだけ。
しなければならないことすら出来ていない。
あの子が話していた大切な人に謝罪し、償うことが出来ないまま。
償う方法も、名前しか解らないあの子の家族の行方も解らない。
あの日。医者から聞いた場所にあの子の大切な人は居なかったから。
ただ…あの子が救ってくれた命を捨てることだけは出来ず、ただ命を繋いでいるだけの日々。
微かな物音を聞いた気がして顔を上げたのは…綺麗な泉で身を清めている真っ只中。
ふわりと空気が動いて、第三者の気配が突然現れた。
それは術を解いた姿を晒した場に初めて他者が訪れたということ。
咄嗟に服のある場へ急いだが第三者の声の方が早かった。

「…人払いは必要だと思うよ?」

低いのに響いた声。
懐かしいとも言える気配を伴った、見慣れぬ姿が眼に映りこんだ。
慌てて身を翻ししゃがみ込むと引き寄せた服を羽織った。
幾ら同性同士でも、流石に裸体を晒して居られるほど、羞恥心を無くした訳ではない。
背を向けたままでも視線の強さは解る。
…逃げられない。
それは強く感じた。
草を踏む音と背後からその人が回り込む気配。
ひゅっと喉が鳴る。
私の前に現れたのは想像すらしていなかった人だった。
記憶の中の彼は私より小柄で、整ってはいたけれどまだ幼さが残っていた。
けれど今、目の前に居るのは自分よりも成長した彼の姿。
成長した分だけ、時間が経過したということなのだろうと、頭の中冷静な部分が判断する。

「痩せたね。レオン」

記憶より低くなった声が私の耳に届く。

「…シリウス」

その名を紡ぐのはどれ程振りだろう。
再びその名を呼ぶことなど無いと思っていた。
幼さが抜けた彼の端正な顔は、私が名を呼ぶと、口端が緩やかに上がった。

「良かった。忘れられてはいなかったね」

穏やかな物腰、柔らかに弧を描く口元。
それなのに彼、シリウスから感じたのは別の感情。
不意に感じた首筋から肩のあたりを辿るような視線。
熱く滴るようなその眼差しには覚えがあった。
濡れたまま服は羽織ったが、乾かすことなど造作もない。
羞恥を覚えながらも、きちんと服を着込んで立ち上がる。
サラリと流れる髪はまだ長いままだが仕方ない。
それにしても。
強い眼差しに戸惑う。何故君が、そんな眼で私を見る…?

「何故ここに?」
「捜したからだよ」

私の問いに端的に答えながら距離を縮めたシリウスの手が、私の手首を捉えた。
そして小さく呟く。

「…こんなに細かったんだな」
「掴む意味が解らない。離してくれ」

振り解こうと力を入れたのに、シリウスは離してくれない。

「駄目。やっと捕まえたんだからもう離さないよ?」

明るく穏やかな口調なのに眼が笑っていない。手首ごと引き寄せられ、距離が縮まる。

「シリウスッ!」
「俺ね。ケイから手紙貰ったんだ。レオンのこと心配してた」

語られる内容に心臓が絞られるような錯覚を覚えた。
シリウスを見ると彼は優しい眼をして私を見た。

「レオンに伝言もあった。自分を責めるなって」

…そんな。
ケイは私のせいで命を散らしたのに…そんな手紙を残す筈がー…。

「まあ俺の言葉じゃ信じられないだろうからさ。手紙あるから見せるよ」

私の考えを読んだようにシリウスが言って、顔を覗き込んできた。

「探し当てたご褒美に少し付き合ってよ」

 


それが私とシリウスがほぼ十年振りに再会した時の出来事。
あれからずっとシリウスは私の傍らに居る。
容姿に関する術を解く場所は、泉から個室へ変わった。
他者に見られる可能性があるだろうと言われれば、否定出来なくなってしまったからだ。
そしてシリウスは必ず立ち合いたがる。
それが何なのか解らない程鈍くはない。
ケイの大切な人の居場所が解ったら、前に進もうと決めた私にシリウスは笑って頷いた。
…有り得ない程あっさりと、居場所を突き止めたシリウスに、開いた口が塞がらなくなるのはそれから間もなくのことになる。

END

頂きもの

 


菜月さん、ありがとうございました!