スーツとキスと、指先と


 久方ぶりにナギに会える。あまりにその事実が嬉しくて、着替える間も惜しんだ龍之介はファッション雑誌のインタビュー時に使用したスーツを買い取りそのままの姿で帰宅した。

「ただいま、ナギくん」

 渡していた合鍵ですでに家に入りソファでくつろいでいたナギは振り返ると、一瞬、龍之介の姿に目を見張る。だがすぐに平静を取り戻し立ち上がると、ゆったりとした足取りで歩み寄ってきた。
 ナギが自分の全身をチェックしていることを知りながら、龍之介はまた自分に近づいてくるナギの美しさに見惚れる。美人は三日で見飽きる、という言葉があるが、彼を見飽きたことも、見慣れたこともこれまで一瞬たりともない。その長いまつげの一本までひとつずつ見つめて、その影がかかっても輝きを失わない青い瞳に目を奪われつつも、すっと通った鼻梁をたどり、形の良い唇を眺めて。それだけでも、これまでも何度も繰り返しても終わりが来ることはなかった。
 目の前で立ち止まったナギの長い指先が顔へと伸びてくる。何をされるのだろうとその行く末は気になるものの、自分を見つめる甘美な魅力ある瞳から目が逸らせない。
 す、と細くなった瞳にどきどき胸を高鳴らせていると、ふいに指先がきっちりしまった龍之介のネクタイを掴み、強引に引き寄せた。
 不意打ちに、ぐえ、と情けない声をあげながら前のめりになった龍之介のいびつな口許に、ナギの唇が荒々しく重なる。

「……ふっ」

 押し込まれた舌が龍之介を煽るように上顎を撫でただけで戻っていく。それを追いかけていけば、待ち構えていたかのようにねっとりと絡めとられた。

「ふ、は……っは、ぁ……」

 並びの良い歯列をなぞり、舌裏にたまったどちらのものかもわからぬ唾液を啜ろうと、顎をもっと開かせるために親指をねじ込んだ。抗議だろうか、軽く指の先を奥歯で噛まれたが、本気でないのがわかるので上顎を撫でてなだめる。

「ん、ぅ……りゅ……っ」

 いつのまにか龍之介の勢いに押され、ナギの背がしなってゆく。逃げようにも龍之介が腰を押さえているので、離れるどころか隙間なく密着していた。
 ナギの手は苛立ったようにセットされていた硬質な茶髪を掻き乱す。ナギの舌が我が物顔で居座る龍之介の舌を追い出そうとしているのがわかるが、でも、離れがたさが強かった。

「っは、ナギくん……」
「……ぁ、は……はっ」

 懸命に呼吸しようとするナギの鼻息が龍之介の鼻の下にかかる。それにますます興奮は募って、口に差し込んでいた親指を引き抜き、濡れそぼったそれでナギの耳殻を撫でた。
 密着した体がぴくりを震える。狭い穴を指で擦れば、漏れでる吐息がさらに熱を増した気がした、そのとき――

「ストップ!」
「いたたた!」

 厳しい声音とともにナギの手に顔を押し退けられた。それでもナギを離さずいるので、首がおかしな方向に曲がりかけてそれなりに痛い。
 しぶしぶナギの耳を手放すが、その手も腰に回し、緩く抱き締めたままでいる。

「どうしたの、ナギくん。俺がなにかいやなことしちゃったのかな」

 調子にのり過ぎてしまっただろうか。
 しゅんとする龍之介から目をそらし、ナギは乱雑に濡れた口周りを袖で拭う。

「そうではありません……ありませんが」

 逸らされていたナギの瞳が、きっと龍之介を睨む。

「アナタ、そのようなものどこで覚えてきたというのです。
「え?」
「ですから、先程のキスです!」
「キス……?」
「キスの最中に耳に触れてくるなんて、これまでなかったではないですか」

 ナギの言葉を理解はしたが、龍之介は困惑する。

「ああ、それは……ナギくんが、耳触られると気持ち良さそうだから。いつもぴくぴく震えるのがかわいいなあって思って、だから今日、はっ、いたたたっ! ナギくん足! 俺の足踏んでるっ!」

 これまでのナギの反応を見てしてみたことであるのだが、どうやらそれが気にくわなかったらしい。一度そっぽを向いたナギは、仕切り直すようにこほんと咳払いをしてから体の向きを戻す。
 それでも赤らんだ頬はそのままで、髪もほつれて服もやや乱れている。唇も龍之介に吸われていつよりもふっくり膨れて濡れいる姿がいかに扇情的に映っているのか、龍之介の脳内でどんな目に遭わされているか、気づいているのかいないのか。
 ナギは目を細め、艶やかに微笑む。

「悔しいですが、アナタのその姿、とてもよくお似合いですよ」
「あ、ありがとう……!」

 あまりナギから誉めてもらうことがなく、龍之介は突然もらったご褒美に瞳を輝かせる。
 犬であればはち切れんばかりに尾を振っていただろうその姿を満足げにナギは眺めた。

「ですが――」

 しゅるりとネクタイがほどかれ、ワイシャツのボタンが外されていく。
 露わになった鎖骨の間にキスをして、背を伸ばしたナギは龍之介の耳元にそっと囁いた。

「ですが、ワタシが一番好きなのは、着飾らぬアナタの肉体ですよ」

 先程のキスの意趣返しだろう。ナギの意図はわかるというのに、それでも、どうしようもなく興奮してしまう自分がいる。

「――ナギくん」

 再び唇を重ねようとするが、先にナギの指先が触れ、少しだけ押し返される。

「まずはベッドに、つれて行ってはくださらないのですか?」

 龍之介の喉がごくりと鳴る。
 悪戯が成功した子供のように、けれども甘い香りで絡めとる危うき罠のように、ナギは微笑み、龍之介の喉にキスをした。

 おしまい

龍之介がキスの合間に愛撫することを誰かから学んだのかと勘違いしかけたナギですが、実際はただこれまでの自分の様子から学習した龍之介の行動ということでちょっと照れていたり。

 2018.10.2

 

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