君に会いたい

106ワンライ
お題「電話」



 ソファの背もたれに身を預けながら、龍之介は耳に当てた端末に笑顔で語る。

「それで、楽が天のとっておいたドーナツをあげちゃって。始めはすごい怒ってたんだけど、その相手が陸くんだってわかったら注意だけで済んだよ」
『相変わらず九条氏はリクには甘いのですね。八乙女氏も命拾いしましたようで良かったです』

 耳に流れ込むナギの声は、その様子でも思い浮べたのかくすりとした笑みを滲ませていた。
 その背後でクラクションの音が聞こえて、龍之介は眉を寄せる。

「――ナギくん、今、外にいるのか?」
『クラクションの音が聞こえてしましたか。ご心配なく。ワタシがされたわけではありませんよ』

 てっきり室内にいるものだとばかり思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。

「心配せずにはいられないよ。……遅い時間だから、気をつけてね」
『問題ありません』

 素っ気ない反応に相も変わらずつれないものだと苦笑した龍之介だが、ふと、それを消した。

「ナギくん」
『なんです』
「君に会いたいよ」

 電話越しの相手は、真っ直ぐな龍之介の言葉に沈黙した。鬱陶しく思われてしまっただろうか、それとも呆れられてしまったか。
 なんにせよ、龍之介は出した言葉を撤回するつもりはないし、伝えてしまったことを悔いることもなかった。偽りない本心だからだ。
 ナギは今、家庭の事情でノースメイアにいる。以前から決まっていた予定で、ナギも納得をしたうえでのことであった。
 帰国してから今日で十日目で、帰ってくる予定は明後日だ。それ以前から龍之介はドラマの撮影とライブツアーがあり、ナギは帰国するための調整と撮影で多忙な日々を送っていた。互いにタイミングが合わず長らく会えていなかったので、かれこれ一ヶ月半程もナギの顔を見れていない。
 頻繁にラビチャでやりとりはしているし、時間が合えば五日に一度程度の頻度ではあるが今のように電話をしている。
 会えずともやり取りが出来るだけ十分有り難いのだと自分に言い聞かせていたが、もし今、仮にナギの身になにかあったとしてもすぐに駆けつけることの出来ない距離だということを、クラクションの音に思い出させられた。それを自覚すれば一層のこと、しばらく顔を合わせることのできていない彼のことが心配になってしまう。
 仕事で忙しくしている間は、そちらに集中していることもあり、それほど距離というものは感じなかった。だが今は色々なものがひと段落し、ほんの少しではあるがゆとりある期間になっている。そうなると遠く離れたナギのことばかり考えてしまい、まだ返信のないラビチャを開いてはこれまでのやり取りを眺めてしまったり、IDOLiSH7の子たちに会えばナギは元気かと聞いてしまう。確かにナギとはラビチャで互いに連絡は取っているが、メンバーには自ら素直に報告することでも、龍之介相手では聞かれなければ答えないことが多いし、単にナギの話をしたかったというものもある。

「できることなら、今すぐナギくんを抱きしめたいよ」

 応えぬ相手に言葉を重ねていけば、小さな溜め息が聞こえた。

『ワタシが必要ですか?』
「――ああ。今すぐにでも」
『Hm。なるほど』

 この腕に抱きしめ、その存在を感じて、思いきりナギの香りを胸いっぱいに吸い込みたい。
 けれど実際ナギは海を渡ったその先にいて、会えるのは明後日だ。これまで会えなかった期間を思えばあっという間に再会はやってくるとわかっていても、今この胸に抱える切なさが消えるわけでも、紛れるわけでもない。
 ましてや、必要かどうかと聞かれてしまえば、なおのこと心はとらわれてしまう。きっと、龍之介がそんなことになるのを知っていてナギはわざわざ問うてきたのだろう。

「ナギくんは意地悪だね。そんなこと言われたら、余計に会いたく――」

 龍之介の言葉を遮るよう、インターホンが鳴った。そしてその音は部屋にいる龍之介の元に届くだけでなく、耳に当てた端末からも、二重に響く。
 とある確信のような予感を思い浮かべた龍之介は、相手の顔を画面越しに確認することもなく、慌てて玄関の扉を開ける。

「Hi、リュウノスケ。会いたいと泣いているアナタがあまりに哀れでしたので、その涙を拭きに来てさしあげましたよ」

 キャリーケースを隣に置きながら、ひらひらと手を振るナギに、龍之介は眉を垂らして微笑んだ。

「泣いて……ないよ」
「そうですか? Hm……どうやらワタシはイジワルなようですから、アナタの涙が見えるのでしょうか?」

 どうやら電話越しで最後に告げた龍之介の言葉はしっかりと聞いていたらしい。

「それは……ごめん。俺が寂しいからって、ナギくんを責めるのは間違いだった」
「素直なことは良いことですね。いいでしょう、許しましょう」

 正直に謝罪した龍之介に、ナギは満足げに目を細める。まるで悪戯が成功したような微笑みを浮かべる姿は、久しぶりに見た笑顔であるということを差し引いたとしてもあまりに美しく、そして愛らしいものだった。
 玄関の中に招き入れながら、龍之介はナギに疑問をぶつけた。

「ナギくんが帰ってくるのは明後日じゃなかった?」
「ええ、そうですよ。ですが早めに用事が済みましたので帰ってきました。アナタも家にいるとわかっていましたからね。ちょっとしたサプライズです。ワタシが来て嬉しかったでしょう?」

 自信たっぷりな不敵な表情のナギに応えるよりも先に、龍之介は目の前にいる存在を抱きしめた。

「会いたかった」

 柔らかい金色の髪に擦り寄りながら、腕の力を強めながら、ナギの存在を全身で感じながら呟けば、それに応えるようナギは龍之介の背に腕を回して襟首をくすぐるように撫でる。

「――寂しい思いをしていたのが、アナタだけであったとは思わないでください」

 ナギも龍之介の肩に顔を擦り寄らせ、目を閉じ、胸いっぱいに息を吸い込んだ。


 おしまい

 2018.7.14

 

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