第7章


 ヴィルに禍の名――エイリアスの名を教えてもらってから、もう七日が経つ。一向に進展はなく、おれと岳里は、もうほとんど以前の生活に戻っていた。
 岳里はヴィルから剣を学び、おれはライミィからこの世界を学ぶ。何かしたいとは思ったけどできることなんてなく、今はお互いに必要な知識を深めていくことにしたんだ。
 他に変わったところといえば――多少、岳里と……夜、二人っきりになって、雰囲気が甘く、なったというか。ただの友人だった頃とは違って、すごく満ち足りた時間を過ごすようになった、と思う。
 何か特別なことをするってわけじゃなく、ただ岳里がやたらひっついてきたり、抱きついたり……き、キスとか、ちょっと、したり。
 舌が入ってくるような深いものは、初めてキスした時以降されてない。触れるだけのものだ。それだけでもおれがいっぱいいっぱいになるからなんだろうけど、いつかはまた、あんなものを、されるんだろうか。
 ぼうっとあの時のことを思い出していると、くすりと笑われた。
 その方へ目を向けると、ライミィが穏やかな笑みを浮かべおれを見ている。途端に赤くなる顔に、ますますライミィの笑みは深まった。

「何を考えていたかは知らないが、幸せそうでなによりだよ」
「べっ別に何も考えてなんか……!」

 そうかい? とわざとらしく首を傾げるライミィに、何も言えず、目の前に広げたままにしていた本へ視線を戻した。
 まだライミィの目がおれに向けられているのを感じるからか、なかなか頬の熱が引かない。
 岳里のことを考えているうちに、いつの間にかライミィの部屋にいることを忘れていたみたいだ。集中しなくちゃ、と変に焦ってしまうおれに、やっぱりライミィは笑った。
 ようやくおれの頬の赤みも落ち着いた頃、名を呼ばれる。

「なあ、真司」
「ん?」
「おれは近いうちに仕事に復帰することにした。だから、おまえに何か教えてやれるほどの時間がとれなくなる」
「そっか。怪我、よくなったもんな。おめでとう」

 素直におれがそう返せば、ライミィはくしゃりと頭を撫でてきた。

「ああ、ありがとう。――だからこれからは、セイミアのもとで学ぶといい」
「セイミアのところ?」
「そうだ。この世界について、大方知ったろう? 次は治癒術について深く学んでみるといい。折角才があるというのだから。それに今、七番隊は手伝いを募集している。もしよかったら力を貸してやってくれ」

 確かに、前からセイミアを隊長とする七番隊、治癒隊は人手不足が深刻だって聞いていた。それはおれたちがこの世界に来るより以前の話で、少人数で仕事を回さないといけなくて、けれどその内容量は多く休みは少なく、疲労が除かれづらい、そんな悪循環に陥ってるとも聞き及んでいる。

「最近は特に、魔物が力を増しているようで怪我人が増えている。治癒術はともかくとして、真司さえよければセイミアの力になってほしい。おれからも頼む」
「わかった。一応岳里に相談してみるけど、前向きに考えておくな」

 おれもなんだかんだで暇してるし、と言えば、ライミィは知ってる、と返してきたもんだから。ついつい言葉を弾ませ、二人で笑い合った。

 

 

 

 夕餉も終え、風呂も済まし、ようやく落ち着いたのを見計らい、おれは昼間ライミィに言われたことを岳里に話そうと思った。
 けど、その前に。

「あの……この体勢、やめないか……?」
「いやだ」

 即返された返事に、おれは溜息を吐くしかなかった。
 ベッドの上に掻かれた岳里の胡坐の中に、おれは強制的に腰を下ろしさせられ、岳里の胸に背中を預けている形だ。身体の前には緩く岳里の腕が交差され、離れることを許されない。
 時々、岳里は今の体制を強行し、おれを辱めやがる。おれがどんな思いをしてるか岳里ならわかってるはずなのに、それなのにこれだ。
 男としても、なんだか負けている気がするしさ。いや、何ひとつ男として岳里に敵っているものなんてないんだけれど。
 どうせ離せといっても離してくれないことを知っているおれは、今日ライミィに言われたことを岳里に話した。
 正直な話、セイミアのもとで働くのはおれの意志次第だ。だからそれはもう、答えは自分のなかで決まっていた。けれど、岳里の耳に挟んでから決めたかったんだ。
 おれが予想した通り、岳里はすんなり頷いて見せる。

「おまえがやりたいのなら好きにすればいい。危ないことに首を出さなければ、おれはおまえの意見を支持する。――だが、血を見るぞ。どんな重症人が運ばれるかわからない。それでもいいのか」

 髪に落ちてくる唇から、岳里に捕らわれてる範囲の中で精一杯逃げながら、おれはしっかりと答えを口にする。

「大丈夫。大丈夫だよ、きっと。おまえが頑張ってくれてるんだ。おれも、やれるだけのことはやらないと。それに、岳里のおかげで多少血には慣れたし、少しずつ、平気になっていくしかないよ」

 きっと複雑そうな顔をしてるんであろう岳里の胸に完全に背中を預け、おれは身体の力を抜いた。ずりずりと背中が下がって少し苦しい体制になった頃、頭上に岳里の顔が現れる。

「無理はするな」
「ああ、わかってる。でも、おまえより無茶するやつなんてそういないさ」
「――おれも、善処する」

 渋い顔をする岳里の頬に手を伸ばしながら、おれが笑えばさらに変な顔になる。それを眺めていると、不意に岳里が口を開いた。

「ヴィルハートから、三番隊隊長にならないかと持ちかけられた」
「……三番隊、隊長?」

 それって確か、今誰も隊長の座についていない、あの。
 おれの視線が心の中に現れた疑問を知らせたのか、岳里は頷く。
 ヴィルは岳里に、こう言ったそうだ。

『――おぬしの味方を少しでも増やしておいた方がよいであろう。禍は決して、たとえそれが竜人であるおぬしだとしても一人で太刀打ちできるほど、薄い闇ではない。
 それに、味方を増やすことは真司を守ることに通ずる。
 おぬしが隊長になれば、自然と隣にいる真司にも注目は集まろう。城の者も真司を気にかけるようになり、不穏な空気があった場合は近くにいる兵が力を貸すだろう。
 今魔物の力が増しておる。隊長どもも忙しくなり、あまり真司に目を向けていることも難しくなろう。これだけでもおぬしにとっては十分な利益となるのではないか。
 それに。三番隊隊長の空席という事実に城は随分と堪えているのだ。他の隊がいつまでも補っているわけにもいかぬ。しかし、これまでには隊長の座につく力量の者が現れんかった。
 お互いに利益はある。剣の腕前もおぬしは短期間とはいえ、驚くほどまでに成長している。その力量はまだ経験の差で今の隊長どもには多少劣るが、申し分はない。それに、そう経たぬうちに追いつくだろう。
 どうだ、岳里。禍に備えるため、真司のため、わしにひとつ乗せられてみんか――』

 ライミィも確か、最近魔物が強くなっていると言っていたっけ。
 そのことが頭の隅で引っかかりながらも、単なる不安よりもおれは、岳里のことを優先し、戸惑いを残しながら口を開いた。

「でも、岳里はまだこの世界に戻ってきて日が浅いどころの話じゃないだろ? それでも隊長になれるのか? それに、王さまや他のみんながなんて言ってるか……」
「おれは光の者だからな。その点も考慮されるらしい。その事実を知らない者にはある程度口裏を合わせるそうだ。それに、ヴィルハートはすでに王の承諾を得ており、隊長どもの一人を除く了解もとってあった」

 隊長どもの一人を除く、という言葉に、おれは考えるまでもなく、とある人物の顔が浮かぶ。
 あえてその点には触れず、さらに詳しく岳里に話を聞いてみた。
 なんでも、すぐに隊長になれるわけではないらしい。それに王さま、隊長の承諾を得るといってもそれは隊長候補としてのもので、実際隊長になるには試験が必要なんだそうだ。
 その試験とは、人柄や忠誠心、信用できるか否か、そういった項目を王さまや現隊長たちが審査し、そしてそれがすべて通った人が最後に受けるもの。
 その最後の試験と言うのが、現役隊長の中で一番経験が浅い隊長――つまり、隊長になったのが一番後だった人と、一戦を交えるというもの。その結果で、最終的に隊長になれるかどうかが決まるらしい。勝ち負けは関係ないらしく、とにかく戦う姿を見るのが目的だそうだ。
 そして今回岳里の相手になる隊長が――あの、アヴィルだ。正確にはミズキが同時期に隊長に就任しているけれど、アヴィル自ら岳里の相手になることを申し出たらしい。
 無意識のうちにおれの顔は暗く影っていたのか、岳里は体勢を崩していたおれの脇に手を差し込んで引き上げると、そのまま反転させ座らせ直した。岳里の胡坐の上に、大きく足を開いて座っている形で向き合う状況になり、おれは慌てて降りようとする。
 けれど、それを岳里が許さない。気にするなと言わんばかりに、それには触れず話を続けた。

「勝敗が無関係である以上、たとえあの男が何らかの手を打ったとしても意味はない。それに、あくまで直接おれと手を合わせ、真に隊長になりうるのかを知りたいのだろう」

 あの男はおれたちに突っかかってくるが、陰湿なことはしないだろと、岳里は言いながらおれの肩に額を乗せる。
 その言葉は本当のことだと、おれはミズキを思い出す。だって、アヴィルはただこの国の行く末を見守っているだけだから、悪いやつなんかじゃない。それはアヴィルの獣人であるミズキの存在が証明してくれている。
 改めて考えなくても恥ずかしい体制をさせられているけど、それに今は堪え、最後の確認をとった。

「岳里は、隊長になりたいのか?」

 答えはすぐに返ってはこなかった。しばらくおれの肩に額を押し当てたまま沈黙し、やがて顔を上げる。

「なりたいか、なりたくないか。それはまだ答えが出ない。だが、必要性は感じた。おまえを守ることに繋がるのであれば、隊長だろうがなんだろうがなる」

 はっきりとした意志の宿る言葉に、おれは思わず笑ってしまう。
 岳里の中では本当に、おれが大切にされてるから。だから、なんだか面と向かってはっきり言われたようで、少しむず痒かった。

「そっか。それならおれは応援するよ。いっぱい怪我しても治してやれるよう、治癒術も頑張ろうと思う。――でもやっぱ、あんま怪我とかしないでほしい、かな。痛い思い、してほしくない」
「……おれは、痛覚が鈍い。大抵の衝撃も傷も痛みは感じない。だから――」
「痛くなくたって、鈍くたって、傷は傷だろ? 痛みだってあるんだ。だから、もっと自分を大切にしてくれよ」

 これまでにも度々感じていた、異常と思えるくらいの岳里の痛みへの耐性。それは、たぶん岳里が人間でなくて、竜人だからだと思う。
 詳しい話は聞かされない。でもあながち見当はずれなわけではないはず。おれはまだ竜人にも、獣人にも深く学んでないから、知らないことはたくさん残ってる。その中にきっと岳里の痛みを感じる鈍さについても答えはあるんだろう。
 でも、どんなに痛みに鈍くても、感じなくても。その身体は確かに傷ついてる。悲鳴が聞こえないだけで、もしかしたら今も岳里の身体のどこかは今も痛みを訴えてるかもしれない。
 それを、聞こえないからと見ないふりをしてほしくない。
 思いが伝わったのか。岳里はただ、小さく微笑んだだけだった。その姿に堪らずおれは、目の前の身体に抱きつく。
 抱き返してくれる岳里の口が、耳元に寄せられた。

「おまえがそれで悲しんでくれるということは覚えておく」

 ただその一言だけ、ささやかれた。でもそれで十分だ。
 岳里は、おれに悲しい思いをさせたくないと言ってくれる。だから、その言葉が岳里の答え。
 それでもなかなか消えない小さな不安が薄まるまで、ずっと岳里は温もりをわけてくれた。

 

 

 

 ライミィはおれに七番隊の手伝いを提案した三日後に六番隊に復帰した。これまで寝着のような簡易的な服装しか見てこなかったけど、隊に戻ったその日に鎧姿を披露してくれて、つい昨日まで怪我人として寝ていたのなんて嘘のように凛としていた。
 今まで迷惑をかけた分働くよ、と笑っていたけど、無茶はしてほしくない。――そんな風に思ってから、もう随分と日は経った。
 岳里は三番隊隊長を目指しこれまで以上に剣に励む傍ら、おれはセイミアの、七番隊の手伝いに翻弄していた。
 というのも、魔物の力が増しさらに急増した今、一般の人でも怪我をする機会が増えたのが原因だ。町にいる医者は治癒術を扱えてもあまり高度なものはできないらしく、また一日に診れる人数にも、治癒術を施せる人数にも限りがある。そこで、すでに一杯一杯の町医者たちの悲鳴を聞き、王さまが城の医務室の開放日を増やしたそうなんだ。
 以前は十日に一度城の医務室を町の人に開放してたみたいだけど、今度は四日に一度に。そのせいもあり、一般の人の利用頻度が増え、ただでさえ城の人たちの手当てで忙しい医務室はさらに多忙になったというわけだ。
 そんな時にほいほいおれが手伝いに現れたもんだから、セイミアはひどく感動してくれた。知識も何もない、ただちょこっと治癒術が使えるだけなのに、セイミアとそして七番隊のみんなの喜びようは、狂喜乱舞という表現が似合うほどだった。
 よっぽど、切羽詰まった状況だったらしい。――実際、医務室での手伝いを始めてから知ったけど、七番隊の状況は本当にひどかったから、今ではどうしてあれだけ喜んでくれたのかも納得だ。
 徹夜での勤務は当たり前で、いつどんな瞬間で重傷者が運ばれてくるから気も抜く暇がなく。時には何時間も集中することを強要されたり。食事すらまともにとれないくらい、次々に患者は現れた。そんな運び込まれた人よりも顔色が悪くなっている七番隊の隊員もいたくらいだ。
 けれど、おれが手伝いを始めてから、多少はそんな状況も変わったみたいだ。
 おれは手伝いにいくまで、大した治癒術は使えなかった。けれど実際の傷に対して術を使用していく上で、少しずつではあるけど向上していったんだ。けれど何よりもおれの強みとなったのが、治癒術の使用限界回数だ。
 セイミアみたいな上位に位置する治癒術師は別として、並みの術師が一日に使える治癒術の回数は、勿論傷の程度によるけれど大体腹を浅く刺されたもので、十数発ぐらい。同じくらいの傷でおれが癒せる回数は、今では五十近くだ。
 始めはみんなと同じどころか、十回発動すればいい方だった。けれど日を追うごとに使用限界値がぐんぐん伸びて、それは今でも上昇し続けているような状況だ。それに合わせて治癒術の威力もゆるやかではるけど上がっている。つまりは、成長しているんだ。
 確かに治癒術は使用すればするほど、その人が持つ治癒力の上限に合わせそこまで威力は増すそうだ。けれど、使用できる回数までは増えない。その辺りはきっとおれがこの世界の人間でないことが関係しているだろうと、セイミアは言っていた。そしてそれはすごいことだと。
 正直、そもそも治癒術に馴染みないおれ自身、セイミアが言うようにそれをすごいとはあまり感じることはできなかった。でも周りにとっては、たとえ強力な治癒術が使えなくても十分助っ人の役割は果たせているようで、以前のようなひどいありさまの勤務体制は解消されたようだ。
 それに癒せる量が多くなったおかげで、日中治癒術を使用しても岳里が毎日作ってくる打撲やすり傷を手伝い終わりの夜でも治してやれるようになったし。
 おれが七番隊を手伝うにあたって、始めから王さま直々に無茶をさせないよう言われていたようで、手伝いという立場もあって日中働くだけだ。夕暮れになる頃――岳里の剣の修行が終わる頃、おれの仕事も終わる。手伝い出して始めの頃は治癒術の使い過ぎで岳里よりも疲れてしまうような有様で心配をかけたけど、おれのなかの治癒術が成長してくれたおかげで、それはもうない。
 手伝いの方も、包帯なんて巻くことさえずっと昔につかったきりでよくわからなかったけど、今では勘も取り戻して滞りなくできるようになった。薬の種類もまだまだとはいえ多少覚えて準備できるようになったし、程度の軽い患者さんならおれ一人に任せてもらえるくらいにはなったし。どれほど七番隊のみんなの役に立てているのかはわからないけど、きっといてくれたらいいと思えてもらえるくらいにはなったと思う。
 ――以前に比べて圧倒的に忙しい日々を送るようになったけれど、でもどこか充実した、そんな晴れた気分がある。疲れるし、酷い傷の具合を見て気分が悪くなることもある。始めの頃は切断された腕を、化膿して見るに堪えない有様になったそれを視界に入れただけで吐いたこともあった。少しは傷も見慣れた今でも、またあの時みたいな傷を見てしまったら、嘔吐するかもしれない。
 決して医務室での手伝いは楽なことではなかったんだ。覚悟の上とは言え、おれの想像は生ぬるかったと思う。やっぱりやめたいと思った時もあった。でも、セイミアは感謝してくれたし、七番隊のみんなも、そして患者さんたちも。喜んでくれて、おれの存在に感謝してくれたから。確かに、岳里の役に立てるようになったから。
 この世界でようやくおれという存在の価値が生まれた気がして、安心したんだ。
 そうやって、忙しない日々を過ごしているうちに、あっという間に時は過ぎていく。そして気づけば、岳里の隊長試験は五日後にまで迫っていた。その話が出て、岳里が頷いた日から、丁度三十日。それがアヴィルとの手合せの日だ。もうそんなに、時は経っていた。
 その間に岳里はとことんヴィルにしごかれ、大分剣の腕前は上達したらしい。――岳里はそのことについてあまり語りたがらないから、レードゥから教えてもらったわけだけど。
 試験までの日数も残り少なくなっていることもあり、ますます厳しい訓練をしているらしい。だからおれは、一度鍛錬中の岳里に会いに行くことにしたんだ。
 岳里がどうやって剣を奮っているのか。どんな姿で挑んでいるのか。アヴィルとの試合の前に、一度でいいから見てみたかった。
 多分来なくていいと言うだろうから、岳里には内緒で、レードゥに連れてってもらうと約束したんだ。おれの七番隊の手伝いも休みの日とレードゥが休みの日が偶然重なったからこそ、実現したささやかな計画だ。
 ヴィルには事前に話を通してあって、岳里の格好悪い姿をさらしてやると意地悪いことを言われた。けれど密かにそれを楽しみにしてたりする。だって、あの岳里だ。あんま隙さえも見せないからな。
 心の片隅にその期待を抱きながら、はやる気持ちを押さえまずレードゥと合流した。
 それから、真っ直ぐに十三番隊専用に設けられている鍛錬場に向かう。
 着いたら、それに合わせヴィルが岳里との模擬試合をしてくれる手はずになっていた。レードゥだけが先に顔を出して、おれは二人の試合が終わるまで物陰に隠れて様子を見守る。決着がついてからようやく姿を現す。――その、はずだったんだ。
 けれどおれが鍛錬場に着くやいなや、何故か岳里が仁王立ちで、おれたちを出迎えた。その後ろでは頭を下げるヴィルがいて、もう計画はばれてしまったんだと悟りがっかりしたもんだ。
 結局、岳里に引きずられるように、岳里の目の届きやすい場所、なおかつ日陰のある場所に強制的にレードゥと一緒に座らせられてしまった。
 その後にヴィルから詳細を聞いたけど、なんでも岳里は、おれとレードゥがこの鍛錬場に着く少し手前にはすでに勘付いたらしい。それまでしていた訓練を中断し、おれたちを迎えるために仁王立ちして待っていた、というわけだ。
 相変わらずの超人ぶりに、おれもレードゥも苦笑するしかない。追い返されなかっただけまだいいのか。
 それでもヴィルと岳里の模擬試合は当初の予定通りおれたちの前でやってくれることになり、今準備運動なんかしてそれぞれ準備をする二人を、おれとレードゥは日陰の涼しい場所から見つめる。
 背中を壁に預け、レードゥはわざとらしく大きな溜息を吐いた。

「まったく、何で気づいたかな。あいつ、真司が近くに来るとすぐ気づきやがるんだが」
「は、はは……本当なんでだろうな……」

 思わず出る乾いた笑いに、レードゥも同意してくれるのか、同じように笑って岳里を見る。
 岳里は何故か、おれが近くに来るとわかってしまうようだった。場合によっては向こうからおれの傍に来ることもあり、完全に把握されてるみたいだ。
 始めは、おれと岳里の間に盟約が存在してるからかと思った。おれも前に一度、岳里を探しに夜の城を徘徊した時――初めて、竜の姿の岳里に会ったあの時。腰にある盟約の証がほのかに熱を発して、まるで岳里の場所を教えてくれるように導いてくれたことがあった。あの時はまだ岳里のこと何も知らなかったし、証があることもしらなかったから、なんで腰が熱を持ったのかなんてわからなかったけど……きっと、岳里が発作の前兆で苦しんでいたことを教えてくれていたんだと、今はそう思う。
 でもだから、前みたいな反応をおれは感じることができない。岳里はもう安定していて、苦しんでないから。きっとまた岳里に何かあったら、証が教えてくれるはずだ。
 きっと岳里も同じだろう。おれに何かあったら、おれと繋がる証が何かしら知らせるはず。反対に言えば、その時くらいしか証は熱を生まないというわけで。
 岳里がおれの存在を察知するのは、たぶん岳里自身がもつ能力、なんだと思う。
 実はいつもおれの気配を探していて、おれが傍にくればすぐわかってしまうんじゃないだろうか……そう考えれば、今回も岳里に隠して行動してたのに、気づかれてしまったことに納得がいく。
 岳里がおれの居場所を察しやすいことは知ってたから、今回はおれなりに気配を殺して近づいてみたわけだけど、やっぱり駄目だったみたいだ。
 なんていうか……両想いになれたからか、それとも抱えていた秘密を打ち明けることができたからなのか、以前にも増して岳里は自分に素直に行動するようになったと思う。
 前からよく触れてはきたけど、今なんかもう、吹っ切れたというかなんというか。おれが嫌がっても膝の上に乗せようとするし、抱きつこうとする。恥ずかしいから嫌だといっても、自分しか見てないとか抜かして。そういう、恥ずかしいだけじゃないって知ってるくせにそうだから困るんだよ。
 さらには平気で、その、あれを……横抱きとか、しようとしてきやがるから。おれは女じゃないって言えば、当たり前だろうとか返されるし。あいつはおれをどうしたいんだ。最近、というより薄々気づいてはいたけど、あいつ、むっつりだよな? 少し、変態だと思う。男のおれにそんなに触って何が楽しいのかわからないし、抱き上げるにしてもなんにしても。男が恥じ入る姿を見て何がいいって言うんだ。決して女として見られてるわけでないし、おれをおれとして見てくれてるのはわかるけども。
 思わず、溜息をついてしまう。けれどすぐに我に返ったおれは、慌ててレードゥの方を見た。
 考えがどの方向へ飛んでしまったのかレードゥは勘付いたのか、おれと目を合わせる前からレードゥの頬は緩んで――というより、意地わるげににやついていた。

「なあに考えてんだよ、青少年」
「べっ別に何も!」
「顔真っ赤にして言われても、なあ?」

 すいと、レードゥはおれから目を逸らす。その視線は定まっていて、明らかにすぐそこに何かあることを示している。
 もしかして、とおれがレードゥの視線を辿れば、いつの間にか岳里がすぐ傍にいた。さっきまでヴィルと並んで念入りな準備運動してたっていうのに、いつから、そこに。
 驚くおれに、岳里はただじとっとした目で壁に寄りかかり座るレードゥを上から見下げる。

「安心しろよ、真司のこれは、おまえのこと考えてなってんだから。ていうか、勝手に妄想し出して赤くなってんだよ。おれは何もしてない」
「れっ、レードゥっ! 妄想なんてしてないだろ!」

 まあ多少はからかったけど、と続けるレードゥを諌めるも、ただ笑われるばかりで。
 これもそれもおまえのせいだと、半ば八つ当たり気味におれは岳里を睨み上げた。おれがどうして睨んでいるか悟った岳里は、こんな時ばっかり我関せず、といった態度で顔を逸らす。

「まあまあ、おぬしら仲ようせい。夫婦(めおと)の喧嘩は犬も食わぬぞ、たとえ仲違えしても我らは一切手を貸さぬからな」
「めっ夫婦喧嘩なんてしてない! ていうか、夫婦じゃない! そ、そんなんじゃっ……ああもう! 二人とも準備終わったなら早く試合しろ!」

 立ち上って怒鳴り散らし二人を追い返せば、隣で座ったままだったレードゥがまだ笑っていた。

「そうムキになるから、からかいたくなるんだよ。ちょっとヴィルのは大げさだけど、実際そうだろ? あんま否定的だと岳里が悲しむぞ」

 レードゥの言葉を聞いて、ちらりと岳里を見てみれば。こっちをガン見しながらも木製の大剣の素振りをしていた。

「まあ、そうだけど……まだ、恥ずかしいんだよ……」

 消え入りそうな自分の声に、きっとさらに赤くなっているであろう顔に。おれは膝を抱えて、そこに額を押し付けて小さくなった。なんでこんな思いをしなくちゃいけないんだ。いや、というのも岳里のやつが悪い。
 もう、みんなにばれていた。おれと、岳里が――こ、恋人、だって、こと……。だから余計に顔を上げることができない。
 岳里が人目を気にしない態度をするもんで……それに、おれも過剰な反応をして周りの目を気にしちゃったから、まずネルがいち早く勘付いた。それからネルが岳里はやめとけと声を大にして騒ぐもんだから、瞬く間に城中に噂は広まり――今ではたぶん、知らない人はいない、めでたく周り公認のカップルになったわけだ。あの時からネルは三日、岳里とは五日は話さなかったっけ。岳里に対しては完全八つ当たりみたいなものだけど、相当堪えたらしい。それ以来あんまり外ではくっつかなくなってくれた。
 そもそもそれが当然なんだ。男同士が認められてるとはいえ、そんな人前でべたべたしていいわけじゃない! 二人っきりの時ならまだしも……いや、二人だけでも程々にしてほしいけど。
 ――だからか、さっきみたいにからかわれることは多い。おれがもっとどっしりと構えてればいい話だけど、どうしても反応してしまって。でも、みんなおれたちを見守ってくれてるのはわかる。この世界は同性の恋愛が主流っていうことは当然大きい。けれどきっと、レードゥたちならそうでなくても、なんだおまえら付き合ってんのかって、笑ってくれていたと思う。
 あくまで、独りよがりなおれの望みでは、あるんだけどな。
 ようやく顔の熱が収まってきた頃顔を上げると、すぐにレードゥに声をかけられる。

「始めるみたいだな」

 その声に、自然とおれの視線は中央に立ち、脇に控える他の兵のみんなの視線を集める二人の姿に向かった。
 同じくらいに長身で、体格で、同じ大きさの巨大な木刀を手にする二人。
 ただ立っているだけだというのに、なんだか威圧感があり、思わず見入ってしまう。
 余裕を漂わせるように、落ち着いた表情で小さく笑み前を見据えるヴィル。
 いつもとなんら変わらず無表情で、けれど少しだけ視線の険が強く見える岳里。
 ヴィルが口を開いた。

「のう岳里よ。もしわしから一本取れたのならば、真司がなんでもひとつ、おまえの願いを叶えてくれるそうだぞ」
「はあっ!?」

 無意識におれに緊張が走っていた中、突然出てきた自分の名前に思わず声を上げてしまう。けれど、改めてヴィルの言葉を理解して、やっぱり戸惑いは消えない。
 そんな、引き合いに出されているおれ自身が許可していないことをつらつらとヴィルは並べた。

「褒美があった方が、やる気が増すというもの。目の前に人参を下げておけば岳里とて、決して負けれぬものだろう? のう、真司。岳里が勝利した暁には、あやつが望むことのひとつくらい、叶えてやろうではないか?」
「ま、あ……おれが、できる範囲なら構わないけど。何でもってわけにはいかないからな……?」

 念の為予防線を引くのを忘れず岳里を見れば、じっとこっちを見ていた。
 しばしの沈黙の後、ゆっくりと頷く。絶対沈黙の間に色々なことを考えていやがったに違いない。……岳里は、むっつりだから。

「ふふ、真司にあんなことやこんなことをしてほしいのならば全力で来い! わしもその望みを打ち砕くために全力で迎え撃とう!」
「ちょっヴィル!?」
「あいつの前で、負けるわけにいかない」
「が、岳里!」

 非難の混じるおれの声をあえて無視して、レードゥの笑い声とともに二人は合図もなしに木刀を激しく交えた。

 

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