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 炎の剣の異名を持つ己の剣を振るいながら、レードゥはちらりと目の前の存在を視界に収めつつ第三の結界が張られる際へ視線をやる。するとそこから最上級の魔物が一体、結界をすり抜け内部へと入り込んでくるところだった。
 それを確認すればもう前の存在、相手をする別の最上級へと目を戻す。自分へ伸ばされた魔物の指先を斬り落としながら、大きな舌打ちをして声を張り上げた。

「くそっ、また新しいやつが入り込んできやがったぞ!」

 自分と同じく周りで最上級と各々戦う者たちへと伝えるも、誰しもその場から離れられそうにない。レードゥとて油断なく頭上から降り注ぐ巨体の攻撃を避けながら隙を窺いのしてやろうと狙うも、最上級ともなれば攻撃の手だけでなく守りのことさえ考えて動くため厄介だ。あげくには相手の戦いを学び、対処まで始めてくる場合もある。
 何よりレードゥが相手する魔物もつい先程ここへ現れたばかりの新顔であり、元気も有り余っている。戦いはまだ少し長引きそうだった。
 それならば二体同時に相手するしかないか、とレードゥが歯噛みしたその時、脇を風のように駆け抜ける男が現れる。
 それに目を向ければ、顔を知るより先に怒鳴りにも似た大声が耳をつんざいた。

「てめえらは引っ込んでろ、おれが行く!」

 そう周囲に告げながら飛び出したのは、武においてこの国の頂点に立つ強者であるハヤテだった。
 レードゥの記憶が正しければ、先程確認した時にはまだ二体の最上級の魔物を同時に相手にしていたはず。だが今向かっているということは、もうそれを倒してしまったのだろう。
 第三の結界内で国に近寄る最上級たちと戦う最後の生きた砦ともいえる役割を与えられた隊長を含めた国の猛者たちは、すでにこの時点で個人差はあれど五体ずつは倒している。しかしその中でハヤテは頂点の地位を示すがごとく、まさに戦神のような活躍を見せていた。
 そろそろ疲れが溜まっただろうからと、先程相手にしていたはずの二体を倒せば休憩を与え戦場から一旦は退かせようと考えていたのだが。当の本人が飛び出してしまったのならば仕方がない。それに今はハヤテ自らこの場に登場した新顔の相手を買って出てくれたのには助かった。
 これでひとまずは集中できるとレードゥが今度こそ目の前の、竜となった岳人ほどの大きさがある熊に似た姿の魔物だけに意識を向ける。するとその時、後方から再び人の気配がした。
 しかし今度は顔を確認することもなく、その人物が誰かを悟る。
 魔物の攻撃を避けるレードゥに、近づいたヴィルハートが届くようにと大きく声を上げた。

「ライミィが見当たらないが、どうかしたのか」
「あいつなら今は第二の結界、西の六番隊第五部隊の援護に向かった。ある程度余裕ができたらまた戻ってくるってよ」
「相わかった。わしの方はひとまず片付いたのでな、助っ人をしに――」

 不自然にヴィルハートの言葉が途切れる。
 いやな予感がすると思いつつ魔物の肌を裂いていれば、隣に並び同じく毛に埋もれさせるよう刃を沈ませながら、ヴィルハートは溜息を吐いてみせた。

「東を見よ。うんざりだな」

 その言葉にいったんその場を任せ、レードゥは飛び退きながら示された方向へと目を向ける。
 そこから第三の結界を潜り抜ける魔物の姿が見えた。侵入を妨げるそこをすんなり通れるということは総じて最上級であり、一体だけでも厄介な相手であるのにそれが後ろに二体も引き連れ計三体で悠々と歩いている。
 それに顔を顰めながら再び熊のような姿をした魔物のもとへと戻り、ヴィルハートと肩を並べて先程彼が吐いたため息を同じものを出す。

「またかよ……これで何十体目だっつうの」
「そういうな、ほれ、新しいのにはコガネとヤマトが向かいおった。わしらも早うこいつを倒し、今度は南に現れた二体を討伐しに向かおう」
「げえっ、まだ増えんのかよ!」
「いいではないか、わしとおぬしの共同作業……ふふ、命を託し合い、互いの思いをひとつに――」

 戦いの最中というのにうっとりと頬を緩めるヴィルハートに呆れつつ、レードゥはちらりと南へ目を向ける。先程口にされた通り、二体の最上級が第三の結界へと近づいているのが見えた。まだ距離があるらしいが、中に入り込むまでは時間の問題だろう。
 ため息ばかりが出てきてしまうと思いながら、レードゥは今相手する魔物をヴィルハートと協力し打ち倒す。その巨体に見合った音を立てながら崩れた黒の姿を見つめながら、次に向かうぞと肩を叩こうと隣に立つ男を見る。しかし出した手は肩を叩くことはなく、がしりとそこを掴んだ。

「おいっ、おまえ怪我してるじゃねえか!」

 掴んだ肩を引いて後ろから覗き込むように見れば、左の二の腕部分が裂かれ、浅くではあるが生新しい傷が露出している。
 誤魔化すように、曖昧な笑みを浮かべてヴィルハートはレードゥの視線から逃れるよう身体を僅かに逸らした。

「何、どうってことはない」
「んなわけあるか! せめてそれ以上怪我するなよ。本当に給与が減らされちゃたまったもんじゃねえ!」
「むっ、わしの身体より金と申すか!」
「比べるまでもないだろ」
「はっきり答えよ! 愛か!? 愛に重きがあるのか!?」
「さあな」

 肩に置いていた手を離してレードゥが背を向ければ、今度はヴィルハートが縋るように声を上げながら肩に手を乗せる。
 わあわあと一方的にヴィルハートが騒ぎ立て詰め寄るが、ふと顔を上げるとその場から飛びのいた。それと同時にレードゥも身体を向いている方へ退けば、次の瞬間に二人が立っていた場所へと巨大な身体が空から落ちてそこにめり込んだ。
 地を砕き破片を飛び散らせながら、降ってきた魔物は苦悶の声を上げる。仰向けに倒れるその胸には、ハヤテの武器である槍のグラーディアが深々と突き刺さっていた。
 それを確認したヴィルハートとレードゥは魔物が飛んできた方へと顔を向け、非難の声をあげる。

「おいハヤテ! 危ないだろうが!」
「そうだぞ、もしわれらが下敷きになったらどうしてくれる」
「うるせえ! てめえらも喚いてないでさっさと戦え!」

 高く跳び動かなくなった魔物の身体に乗り込み、そこに立つグラーディアを抜き取りながらハヤテは怒鳴った。

「やってるっつーの! ああもうくそっ、ヴィル、次のやつ行くぞ!」

 レードゥの返した言葉を聞くことなくすでに去ったハヤテの背を睨みながら、言葉を吐き捨て南の方角へと身体を向ける。そこへ向かい走り出せば、並走しながらヴィルハートが尋ねた。

「レードゥ、さっきの話だがな」
「だああもう、めんどくせえ!」

 その時レードゥが抱えた鬱憤は、後々魔物に向かい振るわれることになる。
 そんな、騒がしくも賑やかな、決して沈んだ雰囲気を寄せつけぬ様子を繰り広げる大地の少し離れた上空で、片目の竜が火を吐いた。
 周囲に同じように空を飛び群がっていた魔物たちは一瞬にして黒炭の塊となり、命を失い地に形を崩しながら落ちていく。
 ここら一体の魔物はこれであらかた一掃できたかと片目を大地に巡らせれば、岩陰に避難させていた兵士たちがわらわらと姿を現した。その中に一際存在感を放つ、桜色の髪の騎士が竜へと手を振る。

「ありがとう十五、助かった! 引き続き空の方をよろしく頼むぞ」

 その肩に自身の上半身ほどもある巨大な斧を肩に担ぎながら屈託ない笑みを浮かべて見せた六番隊隊長ライミィは、片目の竜の正体である十五に感謝を伝えると、すぐに踵替えし他の兵にその場を預け、次なる場所へと突き進む。
 去っていく彼女を見送っていれば、不意に背後から気配を感じた。
振り返った先で片目の視界に映ったのは、まだ遠い場所ではあるが数百体集い、まるで一体の巨大な空飛ぶ魔物のようにうごめきながらこちらへ向かってくる黒の集団だった。
 恐らく竜である十五の脅威を知り、仲間を集めて落としにやってきたのだろう。その証拠に地上には目もくれず一直線にやってくる。
 十五自身もその方へ身体を向けると、翼を動かし空を飛んだ。
 やがて衝突した魔物の群に自ら飲み込まれながら、数を圧倒する彼らを力によってねじ伏せていく。十五が尾を振るだけで数体の魔物の身体が胴と足で別れを告げあい、火を吐きだせばそれ以上の数が赤に飲み込まれる。それでもなかなか数は減らず、十五の鱗に覆われた身体はいくつもの傷が刻まれていった。
 きりがない。
 立ち向かってくるすべてを蹴散らしながら、十五は内心で誰にも聞こえぬ疲れを呟く。
 倒しても倒しても魔物は際限を知らぬようどこからともなく湧き出ては、結界を破壊しようと群がっていく。地上の人間たちも懸命にこらえてはいるが、やはり圧倒的な数におされてしまっている。
 ふと、黒の大群に飲まれる片目の竜の視界に、またも結界の傍らで魔物が集まりすぎている場所があった。その方向は六番隊隊長のライミィが向かったのとは反対方向にあり、また彼女が今更方向を変えたとてすぐに辿り着けない場所である。
 ならば行けるのは十五しかないが、それにはまずこの周囲を囲う魔物どもを退かせなければならなかった。しかし散らしても散らしても、その分だけ補充されているように減っていく様子を見せない。
 さすがにそれには十五も焦り出す。己の身はまだ持つ、しかし結界が危うい。そうは思うのに前に進むことはできなかった。
 何も空を守るのは十五だけではない。空中戦を主とする大半を鳥系獣人らで形成された八番隊も出ているが、しかし地上も黒い波が起こっているように明らかに守り手が人手不足で、その加勢へと回ってしまった。多少空に残っている者もいるが、実質ここの守りは十五に一振されている。それにこの戦場でもっとも多く魔物を殺しているのは、間違いなく十五だ。
 どうにかこれまではそれでも持ちこたえていたが、しかしいくら竜の身体をもってしても疲れ知らずというわけではない。
 休む間もなく戦い続け、周囲に気を配ってはそこの援護に向かい。そうしている間にも他の場所も危険になっては、魔物が集う場所も、自分の周りにも敵が増えていく。
 今周りのものに感けているこの瞬間も、向かおうとしている場所の他にもいくつも結界が破られそうな地点は増えているのだろう。
 自分一人で持ちこたえるにはあまりにも魔物は多く、あまりにも空は広すぎた。
 このままでは本当に第一の結界が破られてしまう。そうすれば第二、第三となし崩し、終いには国を守る最後の結界も同じ道を辿るだろう。
 何か打開策を講じねば、弟たちの帰りを待たずして終わりが迎えられてしまう。そうすれば城にいる甥や己の愛しい盟約者とて、災禍に飲み込まれてしまうだろう。
 それだけはさせない。させてなるものか。
 一度は疲れに鈍くなった瞳を閉じ、再び片目だけの金色を開かせる。そこには強い意志が再び燃え上がり、十五は大きく口を開いた。
 本来であれば一時的にでも魔物を硬直させることも可能な、竜の声。しかし音持たぬ十五の喉から上がるものはない。だが、不思議なことにどの魔物もおののいたように、それまで絡みついていた竜の身体から離れていった。
 再び口が閉ざされてようやく、我を取り戻したようにまた片目の竜へと襲い掛かる。
 前を塞ぐすべてを払ってゆけば、不意に視界が開けた。すぐにまた黒に埋め尽くされるも、十五はその時見えたものに、ついに確かな自信を得た。
 この国を守り抜けるという確信を。
 まだ遠かったが、急速にこちらに向かってくるいくつもの、何十頭もの姿が見えた。見えたばかりは大きさからいって最上級の魔物の、しかも空飛ぶ者がやってきたのかと思った。しかし実際は最上級など目ではない、それよりももっと強くたくましく、美しいもの。
 あれは竜だ。竜たちが魔物どもに今まさに飲み込まれんとするこの国へと向かってきているのだ。
 竜たちの先陣をきる紅の身体には見覚えがあった。あれは間違いなく、己の祖父の姿。竜族の長だ。そして後ろに続く竜たちは一族の者。十五と岳人と同じ竜人たちが手を貸しに姿を現したのだ。
 あれだけの竜がいれば空の守りは無論のこと、地上の心配もそうかからなくなることだろう。
 十五は己の尾に食らいついた魔物の頭を噛みちぎり、火を吐いて声なき咆哮を上げて周りの黒を圧倒した。

 

 

 

 竜族の加勢により戦況が大きく変わった戦場を見つめてから、強力な増援を手放しで喜ぶ城の者の輪を離れ、ディザイアは一人城の中を歩いた。
 しばらく歩きようやく足を止めたのは、人気のない片隅に作られた小さな中庭。
 その肩には真司と岳人から預かった大切な彼らの子息がいるのだが、あまり戦場の音も希望に湧く人々の声も届かぬこの場所だからか。まだ赤ん坊である彼はうつらうつらと船を漕いでいた。それに閉じた目を向け苦笑したディザイアは、眠るには不安定なそこから手の中へと移動させてやり、片腕へと抱き直す。するとちょうど体勢いい場所だったのか、子竜はすうっと穏やかな眠りについてしまった。
 その背を一度撫でた手を、ディザイアはそっと空へと差し出す。するとどこからともなく黒い靄が集い、神の掌の上でぼやけた円を曖昧に形作る。浮いているだけで手に触れていないはずのそれはディザイアの手が胸元ほどまで下がると、同じように滑り後を追った。
 そんな黒い靄に、影に。神は常に浮かべる笑みを絶やすことなく問いかける。

「もう、いいのか? ――そうか、呆れたか。疲れたか。ふふ、根負けしてしまったようだな」

 ディザイアに答える声はない。だからこそ腕に抱えられたりゅうも目覚めることはなかった。
 しかしそのはずだが、確かにその耳には何者かの声が届いているように応え笑い声をあげる。

「まあそう言うな。執念深いおまえを諦めさせたのだぞ? おもしろい者たちではないか」

 ディザイアの他に人はいないというのに、やはり神は笑みそして楽しげに声を弾ませる。
 それからまた耳を傾けるように口を閉ざし、黒い靄が波打つように、意志あるように揺れ動く。
 しばらくしてから黒い靄がまた曖昧な円の形に落ちつくと、神は静かに、手の上の存在へ語りかけた。

「なあ、影よ。わたしはもうおまえを否定しないよ。捨てもしない。どんな苦しい思いだろうと、恐れてしまうものであろうと、それを切り離してしまうなど。そんなことしてはならなかった。すまなかったな」

 黒は動かない。けれどディザイアは続けた。

「我が影よ。ともにこの世を見守ろう。我らの友らが愛してくれた、この世界ディザイアを。ともに、行く末へ歩み続けよう」

 その言葉を受けた靄は、手の上にいるままその身を小さくしていく。やがて指先に摘まむほどまで縮むといつしか靄は黒い玉となり、ころりと神の手に転がった。
 新たなる姿へと変わったものへただ穏やかな笑みを向ける。そして口を開くと、そこに小さな玉を含んだ。
 口を閉じてそれを飲み込むと同時に、これまで閉ざされ続けていたディザイアの瞳がそっと開く。
 そこから現れたのは、重なるふたつの金。人ならざる者の証である複眼を晒しながら、久方ぶりに目覚めてより初めて、口元の笑みを消す。
 再び目を閉じると、そこから一滴の涙が頬を伝った。笑みの戻った口元の横を通り、顎に滑り、そしてそこから地に落ちていく。
 何が変わったというわけでもないはずだ。だが、ディザイアの心はひどく重たかった。それは気分などでなく、何かが増えたように、胸の中が重たい。
 だがそれこそが、取り戻した証なのである。
 変わったのではなく、あるべき姿に戻っただけのこと。
 神は涙のあとをそのままに、己の胸に手を当てる。

「おかえりわたしの影よ。愚かしくも愛おしい、わたしの心よ――」

 一度は切り離した心と寄り添い合いながら、ディザイアは人々に更なる希望を伝えに再び歩き出した。

 

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