十五さんがいるからとりゅうを部屋に残し、おれと岳里で王さまたちを呼びにいった。
 王さまとアロゥさんは執務室にいて、ディザイアも部屋で眠っていたところを起こし、兄ちゃんの部屋に来てもらうようそれぞれにお願いする。
 ネルだけはとある用に動いていて多少遅れると連絡を受けていたから、部屋に集まったのは王さまとアロゥさん、ディザイアとその付き人としてユユさんに、そしておれたちと兄ちゃんたち。
 本当なら隊長のみんなも呼んだ方がよかったのかもしれないけれど、そこまで集めたらとてもじゃないから部屋に入りきらないとこの面子だけになった。
 はじめて顔を合わせることになるみんなに、兄ちゃんはまず頭を下げる。

「このような姿のままお話させていただくこと、どうかお許しください」
「構わない。事情は知っている。それよりも起きたばかりで話しをさせてしまうこと、すまないな」

 王さまの言葉に兄ちゃんは軽く首を振った。
 それからお互いに軽い自己紹介をしあって、早速本題へと切りこむ。

「みなさんに集まっていただいたのは他でもありません。エイリアスのことです。彼がこの身体を用いて行動し、その時見聞きしたものはすべてわたしも共有しています。ですからわたし自身誰に教示されずとも与えられた役割のことや、今この世界がエイリアスによっていう状況におかれているのかも把握しております」

 淡々と言葉を並べていく兄ちゃんの姿は、おれのよく知るものじゃない。
 おれが知るのはあくまで家で過ごす兄としての兄ちゃんであり、これは仕事の電話なんかしている時にたまに見せる表情に似ていた。
 だからこそおれも兄ちゃんがここにいるというだけで緩みそうになっていた気が引き締まり、話しに集中して耳を傾けられる。

「だからこそ、わたしの身体で彼がしたむごいことも、集めた魔力たちで何をなそうとしているのかも、存じております」

 誰もがその言葉に息を飲んだ時、静かに扉が叩かれた。
 思わず振り返ると扉越しに声が投げられる。

「おうい、おれだあい。入ってもいいかあ?」

 間延びした独特な話し方とその声に、遅れてやってくると言われていたネルだとわかった。
 一番扉の近くにいたユユさんがすぐに動きそこを開けてネルを招き入れれば、軽やかな足取りで中に入ってくる。いつものように表情も飄々とした、涼しげなものを浮かべていたのに。
 それなのに、ネルは兄ちゃんと目を合わせたと思ったら、ぴたりと足を止めて僅かな弧を描いていた口元をきつく真横に結んだ。

「ネル?」

 明らかに変わったその様子に、ネルの契約者でもある王さまが名前を呼ぶ。けれどそれに反応はなく、じっとその目は兄ちゃんを見つめる。
 そして兄ちゃんもネルを見つめていた。その目はどこか驚いたように開かれていて。
 その意味が分からずにおれが戸惑っているうちに、兄ちゃんが動いた。
 足にかけていた毛布を退けると、そのまま身体をずらしてベッドから降りようとする。でもまだ傷が塞がってない身体は力が入らないようで、ベッドから身体を起こせばすぐに崩れてしまいそうになった。それを傍らに控えていた十五さんが隣から支える。
 小声で悪い、と十五さんに謝りながらも、兄ちゃんは自力では立っていられない身体で前へと進もうとした。それを支え手伝ってもらいながらようやく一歩を踏み出す。
 そして、その先にいるネルの顔を見て口を開いた。

「ルナ」

 その声に今度こそネルが顔色を変え、驚いたように目を見張って兄ちゃんを見る。

「なん、で……」

 思わず、といったようにぽつりとその言葉が零れた。あのネルが明らかに戸惑っているのがわかる。
 でも、それはおれも同じだった。兄ちゃんが口にした“名前”に動揺し、息を飲む。
 だって、ルナは、その名前は――。
 兄ちゃんが震える足でもう一歩踏み出せば、ネルの方から吸い寄せられるように静かに傍へと歩み寄っていく。そしてすぐ前まで行くと、兄ちゃんの手がネルの癖っ毛へと伸ばされた。

「そうか、ルナ、なんだな。見違えたもんだな」

 そう言いながら微笑んで、触れた髪をくしゃりと掻き乱すように撫でる。それを受けるネルは反対に顔を歪めて俯いてしまった。そして小さく震え出す、隠すことのできない肩に。
 頭から手を退けた兄ちゃんは、そっとその身体を抱きしめた。何も言わないまま今度は背中を撫でれば、ゆっくりと、ネルからも抱き返す。
 この場にいるほとんどの人が状況を理解できないままただ静かにその様子を見守っていれば、兄ちゃんはネルを抱きしめたままおれたちに顔を向けた。

「――この世界に呼ばれる選択者と闇の者にはそれぞれ固有の、特別な力があります」

 そう切り出してから、ちらりとおれに視線を向けてきた。それが、話してもいいか、と聞いてきているんだと悟り頷きを返せば、すぐにまた目を前に、王さまたちの方へ戻す。

「真司には魔力と治癒力が混合した力があり、それをそれぞれの知識がなくても発動できるということ。そしてわたしにはそれとは別の力があります」

 固有の力のことはもう、存在を知ったその日に王さまたちには話してある。迷惑をかけないとも限らないから何も言わないわけにはいかなかったんだ。
 そのことについてはもう王さまたちはすでに受け入れてくれていて、こんな力があっても城に居てくれていいと言ってくれている。そのこともあって、今の兄ちゃんからの話を戸惑うことなく聞いていた。
 けれど、あくまで知っているのはおれの力だけ。兄ちゃんが持つと言う固有の力については岳里も知らないから話せずにいた。
 ずっと気になっていた、兄ちゃんの力。それがなんなのか、ついに教えられる。

「わたしの持つ力、それは読心術です。人の唇を見て話している言葉を読み取るのではなく、その人の心の声そのものが聞こえます。心読み、それがわたしに与えられたものです」

 兄ちゃんの言葉に、十五さんとそしてディザイア以外が、岳里さえも僅かに驚いたような顔を作った。
 心読み。相手の内に留める本心さえ暴いてしまう力。それが、兄ちゃんの力。
 一度は上げた視線をまた腕の中に落とし、優しい声で続ける。

「ネルは――わたしと真司の飼い猫だったルナの生まれ変わりだと、今“彼女”の心を見て知りました。少なくとも王はその話をすでにこの子から聞き及んでいらっしゃるはずです。わたしは今初めてこの世界でこの子と再会しました。これまで話す暇などありませんでしたし、これで心を読めるということは証明できたはずです」

 言い終えると抱きしめていた背中から腕を解くと、ネルの方もそろりと離れる。それからぽんっと軽い音が部屋に響くと同時に、どこからともなく立ち込めた煙のようなものがネルの身体を包んでしまった。
 きらきらと薄青い光も混じったようなそれがやがて晴れれば、ネルの姿はなく。ネルの立っていた場所に視線を落とせばそこには一匹の猫がいた。
 その子はおれもよく知っていて。たまに部屋に遊びに来る、この城に住んでいるという黒猫のネーラだった。

「あ……」

 思わず声を漏らしたおれに振り返ることなく、ネーラとなったネルは顔を見せないまま踵返すとそのまま王さまのもとへ駆ける。初めからネルの行動が分かっていた王さまはしゃがみ込むと、腕に飛び込んできた小さな身体を大事そうに抱え上げた。その時おれと目が合うと、困ったように苦笑される。
 何も言えずにいるおれに兄ちゃんはちらりと一度視線を向けるも、そのまままた口を開いた。

「わたしのこの力が効果をなさない相手は、ある程度の実力を持った魔術師の方と所有する魔力が多い方のみ。治癒術師の方であればいくら多量の治癒力をお持ちだろうと心は読めます。この場にいる中では真司、アロゥさん、神さま以外の心をわたしは覗くことができます」

 もしそれを不快に思う方がいたら、アロゥさんにこの力を遮断する魔術をかけてもらってほしいと兄ちゃんは注意をした。
 どうやらおれはその力が影響する範囲の対象外らしく、どうするのかと他のみんなの顔を見る。けれど誰一人アロゥさんに頼む人はいなくて、静かな時が過ぎていった。
 その間にも、おれは王さまに抱き上げられた猫に意識が向いてしまう。兄ちゃんの力のことは勿論だけれど、どうしても。
 本当にルナなのか。いや、疑ってるわけじゃない。でもなんて言ったらいいのか……まだ、受け入れきれなかった。
 猫の獣人のネルが黒猫のネーラだったのはまだわかるんだ。だってネーラはただの猫にしてはやけに賢くて、優しくて。もしかしたら、と実は前から薄々感じていた。でもまさかルナの生まれ変わりだったなんて。
 確かにネーラは姿がルナそっくりだった。でも他人のそら似のようにただの偶然なんだろうって思っていたんだ。
 ――ふと、ディザイアが言っていたことを思い出す。
 それは世界ディザイアと獣人界プレイについて話してくれた時のこと。このディザイアは人間たちの願いの世界であり、プレイも同じく人間になりたいと願った動物たちの世界であると。そしてどちらもが転生した命がいきつく場所なんだと。
 ならネルは――ルナは、人間になりたいと願ったことがあって。だからプレイに生まれ変わったっていうんだろうか。
 決してそれはありえない話じゃない。むしろディザイアからそんな話を聞いた後の今、その流れには十分納得がいった。ネルが本当にルナの生まれ変わりなんだってことも。
 でも、それならなんで今まで黙ってたんだろう。なんで、自分はルナだって名乗り出てくれなかったんだ。
 もしかしたら、兄ちゃんが言ってくれるまでずっと。ずっと、おれに知らせないつもりだったんだろうか。
 誰も口を開かないままでいると、その沈黙を王さまが破った。

「今更知られて困るようなことなど、君たちに隠していることなど我らにはない。悟史の信頼をこの心を見てもらい得られるというのなら遠慮はするな。君はもう知っているだろうが――わたしたちは一度、浅はかな考えで君の弟である真司に害なすところだった。もうそんな愚かな考えは抱いていないことも知ってもらいたい」
「初めから疑ってなどおりません。それよりもこれまで弟たちを保護し、面倒を見てくれていたこと感謝いたします」

 深く頭を下げた兄ちゃんは、王さまがいいと言うまでそれを続けた。
 次に顔を上げた時には、どこか照れたように小さく笑う。

「すみません、話が逸れましたね。とにかく、わたしの読心の力はエイリアスにとって便利なものだったようなのです」

 兄ちゃんらしい表情はすぐに潜められ、さっきの真剣な雰囲気に戻る。
 ネルのことは気になるけど、今はこっちの話に集中しなくちゃとおれも改めて兄ちゃんの方を見つめた。

「エイリアスがわたしの身体を使いしていたこと――もうご存じなのですよね。人々から血を抜き出し、そこから魔力治癒力といった力のみを抽出することです。そうするためにまず人をおびき出す必要があります。そこにわたしの読心の力を用いて、こちらに対し相手が好意や興味を持たせるように仕向けたのです。その方が荒事にならず穏便に済みやすいですから」

 “人の心を操る点において、今回の闇の者の力は十分すぎるほど利用価値があっただろう”と、ディザイアが言っていたことがある。それはまさに予想通り、今兄ちゃんが説明してくれた通りに利用されたんだ。
 人の心を掴む時、相手の本心そのものが覗けるのであれば。難しいはずのそれが随分と易しくなるだろう。もしかしたらつけ入りやすい人物を初めから心を覗いて選別していたかもしれない。
 そうやって着実に力を収集してきて、今やエイリアスは莫大なふたつの力を集めてしまった、というわけなのか。

「禍の者は、人々の力を集め、それで何をしようとしているというんだ」

 冷静だけれど、どこか焦れた思いが見える王さまに。みんなの気持ちを代弁するその声に、兄ちゃんはそっと目を伏せ、そして告げる。

「エイリアスはずっと昔から魔物を操る術を探し、そしてみつけた。――やつは持てる限りの力すべてを用いて、世界全土すべての魔物を操り、一斉に人の集まる場所を襲うつもりです」

 一瞬、すべての時が止まったかのように。呼吸さえも忘れ、その言葉の意味をそろりと理解していく。
 それはおれだけでなく他のみんなも同じようで、岳里さえもどこか沈痛な面持ちで目を伏せた。言葉を失う王さまに、深く息を吐いたアロゥさん。真っ青な顔で身体を震わすユユさんに、恐らく知っていたんであろう動じないままのいつもの十五さん。
 そんな中唯一、ディザイアだけが変わらない笑みを湛えてそこにいた。
 誰もが重い口を閉ざす中、さっき聞いたことを一人だけ知らないかのようにすべてをはねのけてしまう声をディザイアは出す。

「きみならば知っているだろう。それを決行されんとする日が」
「――行動に移される日は、本日よりちょうど十日後。エイリアスが大切にしていた友の命日にあたる日だそうです。もう準備は整っており、後は時が来るのを待っている状況でした」

 兄ちゃんの口から出た、エイリアスが大切にしていた友――それはきっと、影の者であるエイリアスと仲の良かったという竜のことなんだろう。そしてその命日ということは、その竜が人間たちに狩られて、命を奪われた日だ。
 魔物について、おれはよく知らない。ずっと城の中だったし、会ったのはこの世界に来てすぐの頃の一度だけだ。でもそれだけでも十分その恐ろしさを知っている。
 後々聞かされた話だけど、おれが初めて会った魔物はさほど強くない方に部類されるらしい。それでも中庭のひとつを一瞬にしてただの焼け跡にしてしまった。少なくとも並みの兵士が一人で挑めるような相手じゃない。それに。
 それに、おれは魔物によって傷ついた人たちをたくさん見てきた。七番隊の手伝いで医務室にいれば、多くの患者たちが運ばれてくる。おれが診てきたのは軽傷の人たちばかりとはいえ重傷者も多くいたことは知っていた。手足がもげているのはざらで、命そのものを失ってしまった人たちは決して少なくはない。でもそれに悲しむ暇もなく、怪我人は後を絶たなかった。
 ようやくその恐ろしさを理解し始めれば、おれの身体は震え出す。
 おれが知っている馬の姿に魔物よりはるかに大きくて、強いやつはいる。それこそ隊長たちでも苦戦を強いる魔物も存在するんだ。これまではまばらに出現しては倒されるを繰り返していたけれど、そんな人間の脅威とも、天敵ともいえる魔物がもう少しで一斉に襲ってくる。エイリアスはそんなことをしようとしてる。
 まだ、この国は保つかもしれない。おれもよく知る、信頼できる隊長たちがいるし、大魔術師と謳われるアロゥさんだって、天才治癒術師と名高いセイミアもいる。城はきっともってくれるだろう。
 でも、他の国はどうだ? 城ほど大きくない町や小さな村や集落は?
 そこに住む人たちは、エイリアスに操られ襲いくる魔物たちを防ぎきれるんだろうか。
 ――エイリアスはずっと、人間たちに復讐する日を待っていた。友であった竜を奪った人間を滅ぼすために力を集めて。そしてついにその時がきてしまったんだ。
 あと十日。それしかおれたちに猶予はない。
 乾いた口でただ息を飲めば、決して雰囲気に飲まれない声が笑う。

「選択者よ。この前きみに問うたものの答えを聞こうか」

 名指しされ、いつの間にか俯いていた顔を上げれば目を閉じたディザイアと顔が合う。

「もうこの世界にどういった災厄が訪れるかわかっただろう。そして、それがくるまでに残された時間は限りある。だからこそ答えは急く必要がある。今ここで、まずは第一の選択をしてみろ、“選択を下し者”よ」
「待ってください、それはどういう意味なのです、神よ」

 ディザイアに声をかけたのは王さまだった。その言葉が知らせるように、何も事情を説明されていないから戸惑っているようだ。
 それに愉快そうな笑みをそのままに、ディザイアは答える。

「選択者はその名の通り、選択の時のために呼びだされる者。本来であればこの世界のいざこざなど関係なく、果たすべき役割を果たせばどんな争いの渦中であろうと帰れるんだ。だからこそわたしは問うたのだ。このまますべてを終わりまで見守るか、それとも選択をして安全なもとの世界に帰るかを」

 説明されてようやく、さっきのディザイアの言葉を理解した王さまが口を閉じた代わりに、今度は別の方から声が上がった。

「真司、もとの世界に帰りなさい」

 そう、静かに言い放ったのは、これまで沈黙を貫いてきたアロゥさんだった。

「王よ、あなたとて引き留めはしませんでしょう。彼らはただエイリアスとのことに巻き込まれてしまった者。まだ将来があり、平和な世が待っているという。ならばやがて災禍渦巻く戦場となるここへいてはいけない」
「アロゥ、さん……」

 名前を掠れた声で呼べば、ただ穏やかな微笑みが返ってきただけだった。

「その通りだなアロゥ。ああそうだ、彼らがこれ以上危険な目に遭う必要などどこにもない。むしろ、ここまで我らに加勢してくれたことに感謝しなければならないな。おかげで、エイリアスが何をなそうとしているのかも知ることができた。だから、真司。わたしも――おれも、アロゥに賛成だ。帰れるのであれば早く帰るんだ。別れは寂しいが、これから先どれほど失うものがあるかわからない。一人でも無事であれる仲間が増えれば、それ以上に喜ばしいことはない」

 アロゥさんにそっくりな笑みを浮かべた、王さま――この国を治める偉大なるシュヴァル王。決して偽った心でそう背中を押してくれているんじゃないと、本心からおれたちの身を案じてくれてるんだと、わかってしまう。
 王さまの腕に抱えられた猫姿のネルも顔を上げ、真っ直ぐにおれを見つめてきた。その表情からは何も読み取れないけれど、でもその瞳が王さまたちに同意していることを伝えてくる。
 初めから、優しい人たちだった。異世界の人間だというおれと岳里を保護してくれて。たとえ監視の意味があったとしても、よく世話をしてくれて気にもかけてくれた。その中に得体のしれない者への疑いはあったけれど、でも心から親しみをもって接してくれていたんだとも今ならわかる。そしてその抱かなくちゃいけない疑いそのものに苦しめられていたことも。今でも、犯してしまいそうになっていた過ちを思い出しては悔やんでいてくれたことも。
 きっと、今ここにいない人たちもおんなじように、おれたちに帰れと言ってくれるんだろう。
 思い浮かぶそれぞれの顔にあるのは、王さまとアロゥさんと同じ笑み。ネルの同じ眼差し。なんとなく、だけどそんな気がする。
 兄ちゃんは何も言わずただおれを見守ってくれていた。岳里も傍らに立ち、黙って寄り添ってくれている。そうして、おれの出す答えに身を委ねると待ってくれている。
 だから、おれはみんなの顔を一巡し、それからディザイアに向き直った。

「ディザイア。エイリアスの攻撃を防ぐ手立ては、あるか」

 そして尋ねる。
 口から出たのが答えじゃないのに、ディザイアはまるで待ってましたと言わんばかりににやりと笑みの種類を変えてはっきりと告げた。

「ある。どうにかしてみせよう」
「ならおれはまだ選択をしない。ここに残って、エイリアストの決着を見守る――いや、おれもみんなと一緒に戦う」

 やけに自信のある、確実な何かを持っているような口ぶり安心したおれは、改めて一度王たちの方を見やり、今度こそさっきの問いかけに答えるために口を開いた。
 おれにできることなんてたかが知れてるけれど。それでも、おれはおれにできる限りのことをしてみんなを支えたい。

「兄ちゃんには悪いんだけど――岳里と一緒に考えて、決めたんだ」

 本当は岳里もおれを危険な目に合わせたくないと、初めは帰るよう強く説得してきた。けど最後には根負けしてくれたんだ。でもひとつだけ、一切の望みがなければ帰る、という条件をつけて。
 そんな風に、二人で考えたことをみんなに説明した。
 もしも絶望的状況で、手の打ちようもない八方ふさがりだったら。その時はこの世界に闇を選択し、世界の一部を無に帰すことでエイリアスを巻き込み、被害を最小限にとどめよう。
 でももし、真っ向からエイリアスと対抗する術があるなら。勝算が少しでもあるなら、おれたちはそれに賭けてみよう。
 そう、ふたつの答えを用意していたということを話した。
 ――だからもしさっきしたディザイアの質問で、ない、と言われていたら。おれたちは帰るためじゃなく、エイリアスを葬るつもりで選択の時を迎えるつもりでいたんだ。それしかこの世界の人たちを守る術が思い浮かばなかった。たとえ多くの人を巻き込むことになっても、世界のすべてと天秤にかけることはできなかったんだ。
 でも本心はそうしたくないと思った。多くの人とこの世界を巻き込むことは勿論だけれど、何よりエイリアスのことを考えると。
 あいつにはあいつなりの事情があって、悲しみがあって。だから憎しみが生まれて今の状況がもたらされた。それなのにこのままエイリアスを消してしまっていいんだろうか。
 どこかであの苦しい思いを断ち切ってやらないとまた同じことが繰り返されるんじゃないかって、そう思ったんだ。
 今ここで選択の時を迎えるというのは、エイリアスに背を向けるということだ。人間たちが犯した罪に蓋をして地中深くに埋めてしまうようなものだ。ただ逃げるだけで、諦めただけのことで。
 諦めたく、ない。どうすればいいのか、それはいくら岳里と話してもまだ答えは出てないけど。でもエイリアスのすべてを否定して逃げるなんていやなんだ。
 立ち向かっても許される状況だというなら。まだ希望があるっていうなら。それならおれはエイリアスと向き合いたい。

「エイリアスもおれたちも、互い受け入れあってみんなが笑っていられる終わりに、したいんだ」

 だからこの世界に残ると、なんと言われようともう答えを変えるつもりはないと言えば、初めは驚いたように目を見開いていた王とアロゥさんも次第に表情を和らげる。最後にはどこか晴れたような笑顔になって、それを向けてくれた。

「選択をするしない、帰る帰らないは真司が決めること。きみがそう答えを出したのであれば、わたしたちはその意見を尊重しよう」
「おまえがそう言ってくれるのであれば、改めて頼もう。おれたちと最後まで戦ってくれ」

 アロゥさんの穏やかな声に、王さまの力強い言葉が続く。

「真司がこの世界を諦めないでくれるのであれば、おれたちもそれに応えるべくやつと、エイリアスと向き合おう。そしてともに導こう、誰もが幸せを思える終幕に」
「――はい、よろしくお願いします」

 両腕で抱いていたネルを抱え直し、そして差し出された手に。おれも同じ笑顔を浮かべ手を伸ばした。
 そうして握手を交わそうとした時、隣からぬっと伸びてきたもうひとつの手が先に王と手を重ねる。そのまま握り合うと、ぶんぶんと重ねたそこを上下に振ってから手を離した。

「――岳里」

 咎めるように割り込んだ人物を睨めば、本人は素知らぬ顔で明後日方向を見ている。その隙にと改めて王と握手しようとしても、やっぱり邪魔されてしまう。
 思わずそれには、王もアロゥさんも、兄ちゃんも十五さんも。ユユさんも笑って、ディザイアもいつも浮かべるものを深めて。
 おれはといえば、懐かしくも思えるそのやり取りにやっぱりみんなと同じく笑ってしまった。
 この世界に来た当初から、随分とおれたちの周りも変化した。
 戸惑ってばかりで、不安がって、よく体調を崩したりもした。周りにすぐには馴染めず、ヴィルとレードゥに背中を押してもらったり。そうして、みんなによく気にかけてもらって少しずつ仲良くなって。
 ――中には、痛いことも苦しいこともあって、時にはこの世界が怖く思えたこともあって。でもその度に周りに支えてもらっておれはここまでやってこれた。
 大切な人もできた、守りたいものもできた。助けてくれた人たちがいる、助けたい人たちがいる。だからこそ逃げたくない。
 おれ一人じゃ乗り越えられない壁はこの世にたくさんある。でも、そんな時は周りに助けてもらえばいい。無理せず、意地を張らず、自分からも手を伸ばせばいい。
 そして周りが苦しんでいたり、壁に行き先を阻まれていれば。その時はおれが手伝うんだ。もし向こうから手を伸ばしてもらえなくても、ほっといてくれとそっぽ向かれても、おれにできることがある限りそのできることをやろう。
 エイリアスは苦しんでる。孤独に、ずっと一人で暗い気持ちだけを抱いて。誰も理解せず誰にも理解されずに。でもその張り裂けそうな胸を、悲しみに痛む気持ちおれは知っている。
 だからこそおれはエイリアスも救いたいんだ。人間たちを守りたいのは勿論だけど、エイリアスの抱く苦しみも、少しでいいから和らげてやりたい。誰もあいつを助けてやらないのなら、だったらおれが手を伸ばす。
 ――でもきっと、みんなも一緒に暗い場所にいるやつを、引き上げてくれるだろう。どんなに拒絶されたって、悪い言葉を吐かれたって。その傷ついた心を理解すればきっと。

「話はまとまったようだな。改めて問うぞ、選択者よ。きみが出した答えは、最後までこの世界を見守るということでいいな」
「ああ。それで合ってる」
「早速そのことを隊長たちに知らせよう。今回の魔物来襲についても――ジャンアフィスについても、詳しく話さねばなるまい。作戦を立てる必要があるし、早急に話し合わねば。夜もまた集ってもらう必要があるため、今は互いに整理をつけるためにも解散といくか」
「あまり長居しては悟史どののお身体にも障る。ひとまずはそうした方がよろしいでしょう」

 頷いたおれの後に、王としての顔つきに戻った王さまが続き、さらにアロゥさんが長いひげを撫でながら言った。
 兄ちゃんが部屋まで足を運んでくれた気遣いにそれぞれに感謝を伝えているうちに、おれはディザイアへ振り返る。

「その、エイリアスの過去についてもみんなに話した方がいいと思うんだ。どうしてあんなにも深く人間を恨むのか、ちゃんと。話してもいいか、ディザイア」
「いいだろう。きみがそれを望むのであれば、みなに伝えてやってくれ」
「ありがとう」

 みんなも痛みをよく知る人だ。だからこそちゃんと事情を分かってもらった上でエイリアスと戦ってもらいたいと思った。
 ディザイアがおれと岳里に教えてくれたように、善と悪で区別できないこと。エイリアスが復讐のために人を殺してきたり、多くの人を苦しめたりしたことは許されないけれど、決してすべてを責められるわけじゃないこと。
 そしておれが、エイリアスを救いたいと、そう願っていること。
 どれだけ伝えられるかわからないけれど、おれの言葉で伝えるんだ。
 一人胸の中で決意をすれば、それを微笑み見守ってくれていたディザイアが静かに口を開いた。

「選択者。きみは真実を流れるべき正しい方へ導く力がある。故に選択を下し者という役割が与えられたのだ。だからきみは、きみが出した答えを信じて進めばいい」
「……ああ、わかった。ありがとうディザイア」

 二度目になる感謝の言葉を伝えれば、どういたしましてとディザイアは穏やかな表情で応えてくれた。
 待っていろ、エイリアス。みんなでおまえを、その冷たい場所から引っ張り出してやる。

 

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