解散する手前でディザイアにエイリアスの攻撃を防ぐ手段について聞いてみたけど、ただにやにやされるだけで結局は教えてもらえなかった。
 でも心配するな、と言われ、おれたちはその言葉を信じ深く追及はしないことにしたんだ。防げるというのなら、心配しなくていいと言うのならそれでいいだろう。
 だから先に退室することになったディザイアに最後ひとつお願いをして、ユユさんと一緒に部屋へ戻るその背を見送った。
 お願いしたのは、エイリアスと仲のよかったという、竜について。その竜のことをもっと教えてほしいと頼んだんだ。ディザイアはそれを快く了解してくれて、時間ができたら話そうと言ってくれた。
 二人に続いて王さまとその腕に抱えられた猫姿のネル、そしてアロゥさんも部屋を後にすることになったけれど、扉が小さく開けられたその時、おれは思わず三人を呼び止めてしまった。
 どうかしたのかと足を止めて振り返ってくれた王さまたちには何も言えないまま、おれは失礼だとわかっていても黙ったまま近くに行き、そして腕に抱えられたネルがよく見える場所まで寄る。
 王さまはなんとなく察しをつかしてくれたのか、扉に向けていた身体をおれへと向けてくれた。その腕の中に抱えられたネルは、みんなで話しあってる最中からずっと変わらず顔を隠してしまっていて、頭と背中くらいしか見えない。でも少しだけ収まりきっていない右足の先が出ているのがわかった。全身真っ黒なのに、そこだけ白いから。
 ルナそっくりだと、思っていた。右足の先だけ白いのも偶然だろうと思っていたけど、よく姿を重ねてネーラを可愛がっていたんだ。
 でも、まさかネーラがネルで。ネルがルナだったなんて。生まれ変わりだなんて思いつくわけもなくて。
 今でも少し信じがたいけど、兄ちゃんは嘘を言ってないし、ネル自身が見せた反応が何よりの証拠だ。

「ネル」

 名前を呼べば、隠されていない耳がぴんと動く。ちゃんと聞こえていることを確認して、また口を開く。

「ルナ」

 また耳は同じように動いた。
 満月の夜に拾ったから母さんが月という意味をもつその名を付けた、家族。
 普段はつんとしてちょっかいをかけ過ぎれば引っ掛かれもしたけど、寂しがっていたり悲しがっていたりすれば黙って隣にちょこんと座ってくれていた。いつもなら決して触らせてくれない肉球をいじらせてくれて、元気出せよって言ってるみたいにぺしぺり尻尾で背中を叩いてきたり。優しい猫だった。ずっと助けてもらったんだ。
 でもネルは、父さんたちの三回忌の三日後に突然息を引き取った。それをすぐに気づいてやれなくて、朝にはもう息をしてなかったのかさえ、分からない。
 いつものように寝ているルナをそのままに学校に行って、帰ってきたら朝のままの状態のルナを見つけた。まだ寝てるのかよと触ったら、いつも熱いくらいだった体温が全くなくて。冷たくて。

「ルナ」

 どんなに名前を呼んでも、揺すっても。暖めても大好きなおやつを鼻先に置いてももう二度と起きることはなかった。
 あれほど助けてもらったのに、おれはルナの死にすぐ気づいてやれなかったんだ。知らないまま学校で過ごして、ずっと固い床の上に置き去りにして。最後を看取るどころか、その時がいつだったのかさえわからない。だからろくな別れもできず、後悔しかなかったんだ。
 ルナが、ここにいる。ルナの生まれ変わりであるネルが、ここにいる。
 手を伸ばせば触れられる場所に、この声が届く距離に。ずっと近くにいてくれて見守ってくれていたんだ。前と同じく、辛い時も悲しい時も、ひっそりと傍にいてくれたんだ。

「今まで気づいてやれなくて、ごめんな」

 またぴくりと真っ黒な耳が動いた。
 なんでルナだって言ってくれなかったんだろう、とは思う。でもきっとそこには理由があるはずで、ネルなりの思いが、事情があるんだろう。ならおれがとやかくいう必要はない。
 きっと兄ちゃんが気づくまで黙ってるつもりだったんだ。もしかしたらその存在を知らせるつもりはなかったのかもしれない。
 でも知ったからには、どうしても伝えたい言葉があった。

「おれ、ずっとルナに言いたかったことがあるんだ。それを言えないまま、しん、じゃったからさ……」

 思わず詰まりながらも、震えそうになる声をどうにか押さえつけて続けた。

「ありがとう。辛い時傍にいてくれて、慰めてくれてありがとう。おれたちの家に来てくれて、家族になってくれて本当にありがとう。ずっとずっと、大好きだよ」

 手を伸ばして、これまで気軽に触れていた小さな身体をそっと撫でる。しばらくそれを繰り返して、もうひとつの言葉を伝える。

「また一緒に、香茶を飲もう。その時はネルお手製のお菓子作ってくれよ? おれ、あれ大好きなんだ。それでいっぱい話そう。兄ちゃんも一緒にさ」

 な? と声をかければ、隠された口から小さく鳴き声が聞こえた。か細く震えるそれは、間違いなく応えてくれる声で。

「約束だかんな」

 最後にもう一撫でして手を離せば、優しげに微笑む王さまと目が合った。

「こんなことおれが言うのはおかしいんでしょうが――ネルのこと、よろしくお願いします」
「ああ、任せておけ。大事にする」

 その言葉を最後に、ネルを抱えた王さまとアロゥさんは部屋を後にした。静かに閉じた扉を見送り振り返れば、すぐ後ろに立っていた岳里と目が合う。
 いつもの無表情を崩さないまま、でもどこか優しげな表情で口を開いた。

「よかったな、伝えられて」
「――ん」

 その言葉に耐え切れず泣き出してしまったおれを、兄ちゃんと十五さんも優しく見守ってくれた。

 

 

 

 一人扉の前に立ち、一度はそこを叩くために手を持ち上げる。けれどすぐには行動できなくて、一旦それを下げてまずは深呼吸をしてみた。
 それから改めて手を握りノックをすれば、中から小さな声だけれど、どうぞ、と確かに言葉が返ってくる。だからおれは扉を開けて、そこから部屋へ身体を滑りこませた。
 後ろ手で扉を閉じながら、もう片方の手は上げて中にいた人へ挨拶する。

「よ、セイミア」
「――真司さん……」

 自室のベッドに入り寝着の姿で横になっていたセイミアは、おれだと気づくと身体を起こそうとした。それを制しながら、傍らまで歩み寄る。

「調子はどうだ?」
「大分、よくなりましたよ。明日には復帰できそうです」

 近くに置いてあった椅子を引き寄せながら返事を聞けば、言葉通り前に見た時より随分顔色はよくなっているようだ。
 エイリアスが世界全土に魔物を送り込もうとわかった、その日の夜。いつものように医務室で怪我人の処置にあたっていたセイミアは突然倒れてしまった。
 幸いなことに大事はなく、どうやら過労と体調不良、睡眠不足や栄養不足といったものが重なったらしい。それでもふらつく身体で仕事をしようとするセイミアに王さまから直々に休養するように命じられたんだ。
 セイミアが休みをとって、今日で三日目になる。体調が落ち着いたことをネルから聞いたから、今こうしてお見舞いとして部屋を訪れたんだ。
 それならよかったと椅子に腰かけながら笑いかければ、けれど返ってきたのは無理してるのがわかってしまう、そんな笑顔だった。

「――情けないですよね。こんな大切な時に体調を崩すなんて。みなさんに迷惑もかけ、これじゃあ隊長失格です……」
「そんなことないさ。休む暇なく治療を続ければそりゃ疲れも溜まっちゃうもんだ。むしろセイミアは精一杯みんなの傷を診て、それこそ寝る間も惜しんで頑張ってくれてただろ? それをわかってるから感謝はすれども誰もセイミアを責めたりしないし、隊長失格だなんて思わないよ。だから今はそんなことを気にやまず、ゆっくり休めって。もうすぐ、否応なしに忙しくなるんだから」

 おれが示すもうすぐ、というのが何か十分理解しているセイミアは、口を閉ざして俯いてしまった。
 後、七日だ。エイリアスが行動する日まで。その日が来てしまえばいくらセイミアが万全でなくても前に出てきてもらわなくちゃいけない。だからこそ、休める今のうちに十分休養してもらいたいんだ。
 セイミアの身体のことは勿論だけれど、その時期にまで体調不良が長引けば困る、という意味合いも今回の休息には含まれていた。それを、言われなくても知らないわけじゃないんだろう。
 だって、セイミアは隊長だから。本人が今気落ちしてても、体調を崩していてもそれは変わらない。おれより若くてもセイミアは七番隊という隊をずっと率いてここまでやってきたんだ。そのセイミアがわからないわけがない。
 だからこそ、いつまで経っても晴れない気持ちを抱えているんだろう。そして、その胸に抱えられた悩みも解決しないままだから。
 セイミアが倒れたのは連日にわたる激務が大きな理由だった。けれど何よりの要因は、やっぱりジャスのことなんだろう。
 エイリアスに身体を奪われたジャスは当然まだ帰ってきてないし、そもそも無事なのかさえわかっていない。誰しもその安否を不安に思っていた。
 でも誰よりそう思っているのは、セイミアなのかもしれない。
 セイミアは自分が抜けることがどれほど城の痛手となるかわかっている。慢心とかじゃなく、冷静にそう判断していた。実際その通りだし、今セイミアが抜けた穴をみんな死に物狂いで補っていてもまだ間に合ってないくらいだ。
 だからこそどんなに忙しくても決して怠ることなかった自身の体調管理。でもさえ忘れてしまうくらいに精神的に追い詰められているようだった。いつもなら悩みを隠すはずのセイミアが、誰の目から見てもわかるくらい表情にそれを出すほどで、あんな姿見たことないと誰もが口を揃えて言ったくらいだ。
 それだけ、今のセイミアの状況はひどいものだった。
 明日には復帰できる、と本人が言っているけど、果たしてそうさせていいのかも悩んでしまう。確かに顔色はましにはなったけれど、十分といえるほどではないから。
 明らかに気持ちを切り替え切れていないセイミアを励まそうと思ったのに、色々考えてきたのに。やつれた本人を目の前にすれば、すべてが空しく弾かれてしまう気がして言えなかった。
 他に何かいい言葉はないかと頭の中で探していれば、不意にセイミアが顔を上げる。
 たった数日で細くなってしまった輪郭を見せながら、どこか虚ろが滲む瞳でおれを見ながら、静かに口を開いた。

「ただ様子を見に来てくれたわけじゃ、ないですよね」

 鋭いその一言に、おれは言葉を探すのを諦めた。
 セイミアに求められるがまま、当初の目的だった話に切りこむ。

「ああ。ちょっと聞きたいことがあって」
「わたしが、答えらえる範囲でしたらお答えいたします」

 どこか義務的な、感情を殺したような淡々とした声音に思わず膝の上に拳を握る。
 それを気づかれないよう、抱え続けていた疑問を口にした。

「ジャスと、どんな仲だったのか、聞きたいんだ」

 その名前が出たとたん、おれが見つめる瞳が大きく揺れる。その動揺を隠すようにまた俯き、垂れた髪に顔まで見えなくなってしまった。

「勿論、言いたくなければそれで構わない。ただの興味本位で聞いているようなものだし、強制とかそんなんじゃ――」
「ジャス、さんは」

 無理はしなくていいと伝えようとするおれの言葉を遮り、セイミアは俯いたまま吐息のようなか細い声で言った。
 半端に開いたままだった自分の口を締め、今にも消えてしまいそうなそれに耳を傾ければ聞こえてくる。

「ジャスさんは、ぼくに……色々なことを、教えてくれたんです」

 そうしてぽつりぽつりと、苦しげな声で語り始めた。

 

 


 魔術師としての才を持つ者と治癒術師の才を持つ者は、生まれた時よりルカ国王の所有する識別の眼を用いて選別される。そして幼少時より知識を蓄え、後に国に尽くす術師となるのだ。
 だが決して、それは強制的なものではない。対象者が十歳となる時国の方から術師になり城に仕えるか、それとも一般人として街で暮らしていくかが問われる。もし街に下ることを選択したとて、独り立ちできるまでに補助が受けられるためなんら支障はない。
 しかし、魔術師の者はともかくとして治癒術師となるべく選ばれた子どもたちが初めに敷かれた道以外を歩むことは極まれだった。国のため、人のためにと幼いながらも決意をして大半の子らが城へと向かうのだ。
 今思えばあれは、洗脳に近い形だったとセイミアは思う。
 師が必要な魔術師と違い、治癒術師は治癒力さえ持てば誰でも扱える者。しかし、そもそもその力を持つ者が極端に少なく数が限られてしまっている。真司たちがこの世界に訪れた時ですら、治癒術師らで構成された七番隊は深刻な人員不足に悩まされていたほどだ。
 しかし治癒術師の数に比例しないほどに彼らを求める声は数多に上がった。それが治癒部隊である七番隊は最も多忙といわれる所以である。
 戦いにおいて、傷を癒すことのできる治癒術師は重要な立ち位置であり、国にとってみれば少しでも多く確保したい。だからこそ幼い頃より行われる教育で、自己犠牲を厭わぬ精神を持つ、愛国心が強い子どもを育てるのだ。
 セイミアはよくその結果が現れた子だといえよう。誰よりも力を使い、誰よりも働き、その隙間にも勉学を励み休まず動き続ける。しかし文句や愚痴は一切出ず、セイミア自身それを不満に思うこともない。それどころか他からみれば十分すぎるほど働いていても、自身ではそれでは満足できず不甲斐ないと己を責める時すらあった。
 国がそう働きかけ、治癒術師となるべく子どもを育てていると知ったのは、隊長に就任ししばらく経った後のことだった。だが、セイミアはそんな裏の事情も知らないまま幼き自分が選択した答えを、十六歳となった今でも後悔したことはない。
 国の判断は正しいものだと思ったし、現に治癒術師がいなければ毎日のように国に張られた結果の外を見回り、そこで遭遇する魔物たちと戦い続けるなどできないからだ。
 人々を守るための考えであるし、実際それは国に有益となる形で出ている。それに決して治癒術師となることを強要されるわけではないのだから、国を責めるべき点はないとすでにセイミアの心には答えが出ている。
 だが、ジャンアフィスがエイリアスに乗り移られていたと知ってからというもの、それまで揺るぎなかった自身の答えが確かに綻びをみせた。
 一体いつ頃からそうであったのかわからないし、ずっとジャンアフィスの中に彼がいたのか、それとも時折であったのかもわからない。だた、恐らく“夜”に会うジャンアフィスの中身は、エイリアスだったのだろう。
 もし、治癒術師になどならず、“彼ら”と出会うことがなければ。今胸に重たくのしかかる気持ちは抱かずに済んだのだろうか。こんな苦しみに悲しまず済んだのだろうか。
 何度も巡らした思いを再び頭に浮かばせながら、真司に話すために、セイミアは己の過去を、ジャンアフィスとの出会いを思い起こしていく。
 ――あれは今より三年前。セイミアが十三歳という若さで治癒隊とも呼ばれる、治癒術師らを主として形成された七番隊隊長に昇格した時のこと。
 隊長に就任したその日に、ジャンアフィスとは初めて出会った。
 その当時から彼は十二番隊の隊長であった。しかし今と変わらず一度研究が始まれば部屋に引きこもってしまい、王の招集にさえ顔を出さないことがあるような男だ。そのため、前七番隊隊長の突然の死去により急遽新たな隊長にと任命されたセイミアと顔を合わすこともなく就任日を迎えてしまったのだった。
 もとよりそういった、夢中になれば食事や睡眠すら忘れてしまう変人と話を聞かされていたため、セイミアは特にジャンアフィスに不満を抱くことなく、新米なのだからと自ら彼が籠る研究室へと足を運んだ。
 歩くセイミアの瞳に研究室の扉が見えたという頃、突然そこから爆音が城中に轟いた。
 慌てて扉を叩くことも忘れ背セイミアが部屋に飛び込めば、どうやらここで爆発が起こってしまったらしいということを察する。中は黒焦げ、部屋の隅で吹き飛ばされた拍子に頭を打ち付けたのか、額から血を流して気を失っているジャンアフィスを見つけたのだった。
 幸い傷は浅く然程強く打ち付けたわけでもなく、治癒術をかけてやりしばらく膝の上を彼の頭に貸していれば、ほどなくジャンアフィスは目覚めた。
 白衣の端は黒く焦げていたものの、もともと連日着続けていたそれは汚れ、髪もぼさぼさであればろくに食べていないせいで顔もやつれていた。彼の身体は疲れを訴えているのが他人でもわかるほどだったのだ。しかし開けられたジャンアフィスの目だけは違った。
 意識を取り戻したジャンアフィスはセイミアの膝から頭を起こすと、部屋を見つめ頭を抱える。それにどうしたものかと声をかけられないまま見つめていれば、不意に彼が振り返った。

「どうやら迷惑をかけてしまったようだ、すまないね。きみは治癒術師の子かな? ならば七番隊だろう? 初めまして、わたしは十二番隊隊長を務めるジャンアフィス。ジャスと呼んでくれて構わないよ」

 そう名乗りながら差し出されたのは、笑顔と煤に汚れた手。セイミアも躊躇いがちに手を伸ばせば、ジャンアフィスの方から残った距離を縮め握手を交わした。だがそこでようやく自身の手の汚れに気づいたらしい。
 黒色が白いセイミアの手に移ってしまうと、彼は慌てたように拭くものを探した。自身が纏う白衣をみては首を振り、窓にかけられた同じような状況の日よけに溜息を吐き。部屋全体を見つめてから、申し訳なさそうにセイミアへと再び視線を戻し、一介の隊員と思っている相手に隊長である彼は頭を下げたのだ。

「すまないね。折角綺麗な手なのに汚してしまって……ただご覧の通り、綺麗にできる道具はここにおいてなくてだね……」

 誰がどう見ても怒りなど抱えていないセイミアに、ただ手を汚してしまった、それだけのことでジャンアフィスは深く頭を下げるのだ。
 それまでぽかんと呆けていたセイミアは、濃緑の髪にある小さなつむじを見つめ、気づけば笑顔になっていた。
 手が汚れたのなど気にしていないと伝えてから、そこで初めて自己紹介する。セイミアは膝枕をするため、ジャンアフィスは謝罪するためにお互い正座となっていた膝を突き合わせての挨拶になった。
 ようやくセイミアが新たに就任した隊長であると彼が知っても、それでもその態度は変わらない。それを見て、下の者にも分け隔てなく接することができるのがこのジャンアフィスという男であるのだと確信した。
 この国の隊長たちそれぞれが、もとよりその地位により人を見下す者たちではない。しかし越えさせてはいけない、越えてはいけない一線を引き、あくまでその隊長という立場として下につく隊員たちには接するものだ。しかしジャンアフィスはそれとは違った親しみを込めているようだった。
 もとより七番隊の隊員として城で働いていたセイミアは、彼の顔だけならばすでに知っていた。だがジャンアフィスは一介の隊員であるセイミアのことは当然知らないだろう。先程名乗った時の様子がそれを示している。それなのにあれほど親しげに、二人の間に壁などないように握手を求めてきたのだ。
 本当に変わった人だと思うも、しかし不思議と心が温まっていく。その時にはもう、セイミアは興味にも似た好意を抱いていたのだろう。
 気づけば他愛もない話を彼としていた。
 そして話題が、何故この部屋で爆発が起こったのかということに移った時、途端にジャンアフィスが豹変したのだ。
 それまでやつれさせていた顔が一気に生気に満ち、疲れを訴える全身の中で唯一初めから力強い光に輝いていた瞳に相応しい活気を持つ。
 その変化に驚くセイミアを余所に、ジャンアフィスは鼻息荒く告げた。

「聞いてくれるかい!? 実はね、手に水かきを作る薬を研究していたんだ! ほら、水かきがあれば泳ぐのが苦手なわたしのような者でも、誰でも気楽に水辺で遊べるんじゃないかと思ってね。それで実験を重ねていたわけだがどうも配合を間違えてしまったようで。どうやらあの時の――」

 そう口早に飛び出したのは、セイミアがよく知らない単語ばかり。時折どこかで聞いたことがあるようなものがあっても大半は覚えすらないものばかりで、しかしそれを伝える間もなく、彼自身気にする様子もなく話し続ける。
 結局セイミアはただ曖昧に相槌をうった。しかしジャンアフィスは構うことなく楽しげに先程の研究について語る。
 どういう成分を用いて、どういう工程を経て作ろうとしていたのか。そして先程のものは何度目の失敗であり、どうしてそうなってしまったのか――。
 どんなにセイミアが頭に入れて内容を理解しようとしても、馴染ない分野の話であるためなのか、分からない単語の多さにすべてが右から左へ流れていってしまう。そんな中ただひとつ、彼の楽しげな表情ばかりがやけに心に届いた。
 まるで未知なるものを探しているように、新たなことを知る喜びを感じているように。その目はまさに少年のようにきらきらと輝いるように、そうセイミアの瞳には映る。
 ジャンアフィスはしばらく口を閉ざすことはなく、それは爆発の音を聞きつけた周りの隊員たちが集まっても止まらず。最後には騒ぎを聞きつけたネルが駆けつけジャンアフィスを怒鳴るまで続いたのだった。
 その後の彼はまず部屋の清掃をネルから言い渡され、セイミアも手伝おうとすれば手は貸すなと彼女からぴしゃりと忠告されてしまう。立腹したネルに逆らったところで敵うわけがないことを知るため素直に引き下がったが、その時こっそりと目を合わしたジャンアフィスが苦笑したのを、三年後の未来でもよく覚えていた。
 ジャンアフィスは、良くも悪くも少年のような心の持ち主だった。澄んだ緑の瞳は常に研究への情熱に燃え、可能性を求め、そして自らの手で新たなるものを生み出すことを楽しんでいた。
 故に他への興味は極端に薄く、かといって決して人付き合いが悪いと言うわけでも周りに無関心というわけでもなく、自分の身なりには無頓着であったり、食事や睡眠を忘れ倒れるまで研究を続けたりすることがよくあるという方面に色濃く出ていた。そして研究の成果を出すために嫌がる周囲を巻き込んでは失敗し、騒動の中心になることもよくある。
 だが、そんなお騒がせな彼を疎む人は不思議と少なかった。それはジャンアフィスの純粋な研究への情熱を理解しているのか、それとも憎み切れないあの性格か。はたまた失敗の山の中でも実際に実りを見出すからなのか。理由は人それぞれだろう。
 しかし誰もが、またジャンアフィスが騒動を起こした、と聞かされても、あの人ならばしかたないと苦笑して見せるのだ。そしてセイミアも、そのうちの一人であった。
 特にセイミアは、ジャンアフィスの失敗によく巻き込まれた人間といえよう。それはよく起こす爆発や、新薬を試飲し身体に予定とはまったく異なる変化をもたらされるといったことでなく、その後始末や、彼自身の身体に起きる問題の方だ。

 

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