何故かジャンアフィスはよく実験の途中経過の最中で爆発を起こした。それによって実験器具の破損で怪我をすることは多々あり、そう酷い怪我にならないまでも治癒術によく世話になる。そして他には不摂生が祟った上で倒れた彼の看病もよく任されていた。
 開発部隊という戦場に出ないはずの彼が医務室に運ばれることは多い。その時にセイミアはジャンアフィスの担当となり、事あるごとに甲斐甲斐しく世話をしたのだった。
 実を言えば、心のどこかでそれを楽しんでいる自分自身が存在していた。医務室に運ばれる度に、ジャンアフィスは反省する様子もなく世話をしていくセイミアに研究のことを話すのだ。いつも楽しげに、その瞳を輝かして。
 結局、何度話されてもセイミアには到底理解のできない話ではあった。しかし、それを彼の口から聞くことが好きだったのだ。
 いくらジャンアフィスが隊長であるとはいえ、何も同じ隊長であるセイミアが処置にあたる必要はない。そもそも彼であれば誰であろうと気にしないだろうし、だからこそ他の隊員とて構わないだろう。
 だがあえて、セイミアは自らの意思でジャンアフィスの担当に毎回名乗り出ていた。他に仕事があれば諦めるが、許される限り。やはり彼の話が聞きたいが故の行動だった。
 そうしているうちに少しずつ、ジャンアフィスとセイミアの距離は近くなっていった。ただの同僚同士から友として仲を深めていき、セイミアがジャンアフィスの話を聞きたがるように、ジャンアフィスもまたセイミアに話したがった。そして初めの頃は一方的だった彼の解説ばかりの会話とも言えないものが、時が経つにつれて互いのことを話し合うようにもなったのだ。
 そして仲良くなってから気づいたことである。ジャンアフィスは誰にでも愛想がいいが、あくまでそれは見知らぬ他人やただの友人に対する者だったらしい。特に信頼できる仲間にはまた違った態度があり、それに気づいたセイミアは自身がその違った態度を向けられていることを喜んだ。
 何が違うのか、と問われれば答えるのは難しい。しかし距離が縮まれば縮まるほどジャンアフィスは本来のこどもっぽさを隠さなくなっていき甘えてくるのだ。あくまで隊長である彼は自由に振る舞っているように見られるがきちんと立場を理解している。研究が入ってしまえば盲目となるが、それ以外の時であればよく周りに気が付く男であった。
 研究に行き詰る部下にさりげなく助言をしたり、励ましたりとすることを忘れない。相手を見極めて接し方をある程度変えているし、本当に研究馬鹿なところさえなければ、相談に乗るのもうまく頼れる上司なのだ。
 だからこそ、薬の実験台になってもらいたい時にはあえて甘えてみせるが、それ以外であれば基本的に人に頼ろうとはしなかった。自身の研究に没頭する傍ら本来の隊長としての職務をすべて己でこなし、部下に押し付けるようなことは一切ない。
 そんな男だが、特に強く信頼する者にはすべて素直に口に出す傾向もあった。良いことも、悪いこともだ。
 たとえばセイミアに対しては、可愛いだとか、いい匂いだとか、優しいところが好きだとか、平気でそんなことを言ってくるようになった。セイミア自身あまり男らしいとは言えない自分の容姿に強い劣等感と不満を覚えており、特に可愛いと言われることは嫌っていたものだ。しかし、ジャンアフィスに偽りない笑みで言われてしまえばそれも許せてしまった。
 だが彼は、ずばりと本質を突くこともある。現状に何か満足できないことを抱えていることに気づいたり、部下とは言え年上が多いなか、仕事で注意することがままならず困っていたりすることを見抜いたりした。そしてはっきり、不満は言うべきだとか、年齢は仕事に関係あるのかとか、時にはきつい言葉を投げかけてくる。
 しかしそれことがジャンアフィスの信頼の現われである。それほどの仲であれば優しい言葉に包むそれも、信頼があるからこそ彼の本心そのものをぶつけてくるのだ。だからセイミアは例え胸を突く一言を告げられようとも、それは間違えたことでもないし、むしろ喜ばしくも思っていたのだ。
 そうして確かな信頼を気づき、出会いから二年が経ったある日のこと。
 仕事で夜遅くまで働いていたセイミアが、疲れた身体を引きずり自室へと帰る途中。ふとその時ジャンアフィスが新たなる研究に夢中になっている真っ最中だということを思い出し、また不摂生をしていないかと心配になり彼を尋ねに行ったのだ。
 案の定皆が寝静まった深夜であったが、ジャンアフィスの研究室からは光玉の明かりが漏れていた。
 セイミアは扉の前に立ちそこを叩き、返事を待つ。しかし三度繰り返しても言葉はなく、入りますよと一言かけてから答えを聞けないままに扉を開いた。
 こういうことは以前からよくあり、ジャンアフィスは研究に一心になると周りの物音さえ、たとえ傍らから名を呼びかけたとて気づかないことがあるのだ。それを熟知していたセイミアはさほど躊躇いはなかった。
 しかし、小さく開けた隙間から身体を滑りこませるように覗いた部屋の中、探していた人物を見つけ、言葉を失う。
 いつものように散らかった部屋の窓際に、ジャンアフィスはいた。彼は窓から見える満月を見つめ、泣いていたのだ。
 静かに雫は頬伝っては、顎から床へと落ちていく。セイミアはかたまったように動けなくなり、しばらくその涙を見つめていた。
 やがて、セイミアに気が付いたジャンアフィスが顔を向ける。そして涙を拭わないまま窓辺から離れると、扉の方へゆっくりと歩み寄ってきた。
 それでも動けずにいたセイミアの腕をとると、強引に引き寄せ、その割には扉を音もなく閉める。
 そしてジャンアフィスはセイミアの腕を離すと、そのまま覆いかぶさるようその長身で小さな身体を抱きしめきた。戸惑うセイミアは行き場のない腕を彷徨わせるも、彼の手は背に周り、ぎゅうっと力が籠められる。
 密着した身体から伝わる、微かな震え。ジャンアフィスから流された涙がセイミアの頭に落ちては頭皮を伝いさらに落ちていく。すべての感情を押し殺したように吐かれた息は熱く、背に回された腕は痛いほど抱きしめてきて。
 わけもわからぬまま、セイミアも腕を伸ばして抱き返していた。あやすように背中をさすり、目の前の胸に頬を寄せる。
 時が経つにつれ、少しずつジャンアフィスは落ち着いていった。それでも完全に彼の心が取り戻されるまで背中を撫で続けていれば、不意に身体が引きはがされる。
 戸惑うセイミアを未だ涙に濡れる緑の瞳で見下ろすと、荒々しげに床に押し倒した。
 受け身も取れないまま打ち付けた身の痛みに呻けば、乱暴に衣服を脱がされる。驚き咄嗟に抵抗するもジャンアフィスの力には敵わず、素肌に彼の手が触れた。
 その手はそれまでの荒々しさは一切なく、どこか温もりを求めているようで。
 それに気づいたセイミアは抵抗を止め、彼に身を委ねた。
 手が肌を撫で、次にそこに頭が落ちてくる。しかし互いに口を閉ざし、ただ熱を求めて、分け与えて、重ねていく。
 その夜、セイミアは初めて抱かれた。
 事前の準備は一切なく床は白濁と血に染まり、何より受け入れる側であるセイミアの身体への負担は重く、ましてやジャンアフィスとは体格差もあり惨憺たる状況になった。他人が見れば、後孔の惨状には誰しも顔を顰め、むごいものだと言ったことだろう。
 それでも行為が終わった直後、熱を放つとともに糸が切れたようにふつりと意識を失ったジャンアフィスの身体を整え、床も綺麗にし、交わった痕跡を消してからセイミアは震える身体を引きずり部屋から去った。
 さすがに自分よりも大きなジャンアフィスを運ぶことまではできずそのまま床に寝かせてしまったが、それを悔入りながらもセイミアは自室までどうにか辿り着き、寝台へと身を放るように預ける。そうすればいやでも振動が響いた身体に呻き、一人涙した。
 悲しいわけではない。確かに痛みの伴うものではあったが、セイミアは決して抵抗しなかった。合意の上で負った痛みである。だから、身体は辛いが精神が傷ついたわけではない。
 気づいて、しまったのだ。ジャンアフィスに抱いていた本当の思いに。
 友だと思っていた。仲間だと思っていた。信頼し合える、確かな友情を持った相手だと。
 しかし友には決して抱かぬ思いがこの胸には渦巻いていた。今まで知らなかった、気づかない振りをしていた想いが、堰を切ったように溢れ出す。
 好き、だ。
 ジャンアフィスが好きなのだ。
 友としてではない。愛しく恋しく想う相手として、そういった意味で好きなのだ。
 涙の粒がまた落ちる。また落ちる。とめどなく流れては誰に受け止められるわけでもなく、一肌に染まらぬ敷妙に吸い込まれていく。
 この涙は悲しいから出てくるのではない。身体が痛くて泣いているわけではない。役に立てないことが、何より心苦しかったのだ。
 彼は月夜を眺めて泣いていた。きっと、何かあったのだろう。もしくは過去を思い起こしているのかもしれない。
 いずれにせよ一人空を見上げ涙するようなことを抱えているのには違いない。それを、今まで知らなかった。ジャンアフィスが語らなかったのだ、知らずともおかしくはないことだ。だが、セイミアはそのことが苦しかった。
 とても親しくなっていたと思っていた。彼を少年のような人だと、そう勝手に思い込んでいた。しかし純粋な心の中にはまだセイミアのわからない何かがあって、一人でそれに苛まれているのだ。
 誰しも秘密はあるし、自分の内をいくら信頼のおける仲間とはいえ話すことはないだろう。わかってはいる。しかし、それでも彼の心にある闇を打ち明けられていないことが寂しかった。
 どうしようもないほのぐらい身勝手な感情を抱きながら、泥を纏ったように重たい身体を丸め、涙を流しながらいつの間にかセイミアは眠りについていた。
 そして目覚めた次の日には、セイミアは高熱を出し、初めて仕事を休んだ。
 それまで一切の休みなく勤勉に働き続けたセイミアを責める者などおらず、誰しも快くゆっくり身体を治すようにと言ってくれた。それを素直に受け止め、セイミアは四日間寝台から離れることなく過ごしたのだった。
 セイミアを苦しめたのは、高熱よりもジャンアフィスとの行為により傷ついた身体だった。離れなかったのではなく、起き上がれずに離れられなかったのだ。少しでも身動きをとれば全身を突き抜けるような下半身の痛みは耐えられなかった。
 そうして初めて仕事に大穴を空け、皆がまだ休むようにと言ってもセイミアは復帰し再び多忙な日々を送った。
 そしてその中でも、いつものように研究に没頭するあまり栄養失調と睡眠不足で運び込まれたジャンアフィスの世話をする。
 あの夜のことでもう顔も合わせなくなってしまうではないか、と危惧していたが、ジャンアフィスはまるで何事も起きていないように振る舞ったため、セイミアもそれに従いそう行動した。
 これまでとなんら変わらず、信頼に結ばれた友としてともにいることを選んだのだ。
 だが、あの夜以降時折ジャンアフィスがひどく脆くなることが稀に起こるようになった。その時は決まってあまり多くは語らないままセイミアを求める。正確には、温もりの方をだろう。
 あの夜から、再び求められることがあると理解した時から、セイミアは自身で準備を整えておくようにした。些細なジャンアフィスの変化から脆くなった彼を判断し、夜に部屋を訪れる。そして身体を重ね合った。
 それでも、セイミアとジャンアフィスの関係は友である。昼間の彼は何事もなかったかのように、やはり少年のように笑み、夜は求められるがまま交わり熱を分け合う。
 ジャンアフィスにとってセイミアは、都合のいい相手なのかもしれない。ただ手が伸ばしやすい場所にいる、代えのきく存在。だがそれでもよかった。
 彼に抱く淡い恋心は消えていない。できることであれば、唯一の存在になりたいと悩んだ日々もある。しかし、ジャンアフィスがそういう関係であろうとも求めてくるのであればそれでいいと思ったのだ。
 身体を重ねることで、役に立てるのであれば。
 少しでも、ほんの僅かでも自分に思いを傾けてくれるのであれば。
 研究に向かわせる情熱を、あのきらきらとした夢を追う子どものような目を少しでも自分に――たとえ向けてくれずとも、あの純粋に輝く瞳を守れるのであれば、それでいい。
 それに互いの間に愛というものが芽生えずとも、友としての信頼ならば確かに存在する。だからいいのだ。
 そう自分に言い聞かせ、セイミアはジャンアフィスとともに過ごしてきたのだった。

 

 

 

 話の途中で静かに泣き出しながら、一度黙り込む。
 しばらく沈黙が続き、それからまた口を開けば、耐えきれなかった嗚咽が溢れ出した。けれどそれをどうにか抑え込みながら、セイミアは胸に溜まった苦しみを吐きだす。

「少しでも、ぼくを見てくれれば、いいと思った。それでいいと思ったんです。役に立てさえできれば、たとえ友情だったとしても、都合相手だとしても、求めてもらえれば、って……」

 そうして、ジャスに尽くしてきた。これまでずっと、ほんの少しの見返りだけを求めて。
 でもジャスはジャス本人だけじゃなく、エイリアスもその内に存在していた。セイミアはそれを知ってしまった。
 だからこそ、なおさら苦しめられている。
 はたして、セイミアが会っていたジャスはどちらだったんだろう。それはおれたちもわからない。おれが今まで話してきたのは、ジャス自身だったのか? そうじゃなくて、真似をしたエイリアスだったんだろうか。
 本物なのか、それとも偽物なのか。エイリアスは時々身体を使っていただけなのか、長い時間操っていたのか――その答えはおれたちの手の届かないところにある。今の時点で知る術はない。
 どちらともわからない相手に恋をして、どちらともわからない相手に尽くし続けて。
 そうして何も知らないままただ相手を思い過ごしていって、セイミアは裏切られたんだ。ジャスを騙る偽物に。

「もし、もしもジャスさんだと思って会っていた相手が、すべてエイリアスだったなら。どれほどぼくは馬鹿なんでしょうね」
「セイミア……」
「だって、好きだと思いながらわからないんですよ? いつの時がジャスさんだったか、エイリアスだったか。それに――どちらに惚れたのかも、それさえもわからないんです。こんな話ってないじゃないですか」

 ぽろぽろと涙を落としながら、セイミアは笑った。けれど心に満ちる悲しみにすぐ顔は歪んでいって俯いてしまう。
 垂れた髪に隠れなかった口元を震わしながら、弱々しい声で誰にというわけでもなく、問いかける。

「ぼくを、抱いたのも……色々なことに利用しやすく、するため? 気にかけてくれたのも、構ってくれたのも、全部、便利だったから、なんですかね……? 全部、全部ぼくに対する、好意ではなく。この身体にある、治癒力の為、だったんですかね……っ」

 膝に置いた手はきつく拳が握られ、力が籠められるあまりに真っ白になって震えていた。それでも止まらない涙に、さらに気持ちを溢れさせる。

「少しでもぼくを思ってくれればいいと思った。少しでも、見てくれればいいと思った……でもただ利用されていただけで、エイリアスに自ら協力していたようなものでっ。ぼくの力の一部が、みんなを傷つけようとしている! そんな、つもりないのに、ただあの人のためを願っていたのに……それなのにっ!」

 不意に顔を上げたセイミアは、涙に濡れた顔を晒しながらおれを見つめた。
 そして縋るような目で、助けを乞うように心から叫ぶ。

「どうしたらっ、ぼくはどうしたらいいんですか!?」

 ベッドから身を乗り出し伸ばされた手は、おれの肩を掴んだ。愛らしい、少年の域を抜けきらない見かけによらずセイミアの握力は強く、気が動転しているせいもあってか掴まれたそこに痛いほど力が籠められる。
 それでも、セイミアの目は不安のようなものに大きく揺らいでいた。それは肩の痛みなんて忘れて、助けたい、と強くおれに思わせる。

「わからない、んです……もうどうしたらいいか、わからないんです。好きなんです。たとえ利用されていたとわかっても、エイリアスであっても、ジャスさんであっても。きっと二人がそれぞれ見せていた顔が、それぞれ好きだったんです――だからわからないんです」

 ずっと、ディザイアに真実を教えられてから、セイミアは悩み続けてきたんだろう。一人で、答えの出ないこの悩みを。
 きっとエイリアスを恨む気持ちはあるんだ。でもその言葉通り、どちらのジャスだったとしてもセイミアは嫌いなれずにいる。
 何度も悩んで、恨んで、苦しんでも。出てきたのはやっぱり好きだという気持ちで。いっそそれが憎しみに変わってしまったら楽だったろうに、それができなくて。それでまた悩んで。堂々巡りを繰り返し、そこにおれがジャスとの話を聞いたもんだから限界がきちゃったんだろう。
 ――でも、だからこそ。セイミアがまだ好きだからと泣いてくれるからこそ、唯一用意していた言葉を口にする。

「なあ、セイミアひとつ提案があるんだけどさ――」

 そう切り出して告げた言葉に、セイミアは涙を止めて驚いたようにおれを見上げた。

 

 

 

 みんなとの話し合いを終え部屋に帰れば、入ってすぐに岳里は口を開いた。

「――本当に、おまえも行くのか」

 静かな声に振り返れば、いつものような色をわからせない目を向ける岳里と視線がぶつかる。でも、その心の中が声ほど穏やかじゃないのを知っていた。
 本当は、どういうことなんだって問い詰めたいところなんだろう。それでもそれを押さえて話し合おうとしてくれている。
だからこそおれも岳里の目を見つめたまま頷いた。

「ああ、おれも行く。行ってエイリアスに会うよ」

 はっきりと答えれば岳里の方から目を逸らされる。小さく息を吐くと、そのまま自分のベッドへと向かいその端に背を向け腰かけてしまった。
 広い肩に乗るりゅうだけがおれに視線を向けながら、岳里からはどこか不安げな声だけが投げかけられる。

「……今回は危険すぎる。おまえを連れていくにしても守りきる自信はない。考え直してくれ」
「岳里が心配してくれる気持ちがわからないわけじゃない。おれは戦えないし、自分の身もろくに守れない。足を引っ張るだけだけどさ。でも、おれにだってできることがあるんだ。迷惑かけるのもわかってるし、心配かけることも、危険なことだってことも。ここにいた方がいいってわかってるけどでも行きたいんだ」

 どんなに心配かけようとも諦めるつもりは微塵も滲ませないつもりで出した言葉は、広い背中に吸い込まれていく。そこが深呼吸をするように大きく膨らみ萎んでも、それでも引き下がるつもりにはなれなかった。
 ついさっき行われそして終えた、神ディザイアやおれを含んだ十四会議で話し合われたもの。それは、明日へと迫ったエイリアスの襲撃に関する最終的なことだった。
 ディザイアは詳しい事情は最後まで話してくれないまま、とにかくこの城のことだけは自分たちで守りきれと言った。他はすべて自分がどうにかするからといつものように笑って。
 だからこの国の守護を任されるアロゥさんは、そうディザイアから告げられた後にこの九日間で練り続けていた策を教えてくれた。
 常時、今岳里と話しているこの時も魔物という外部の脅威からこの国を守るべく、アロゥさん率いる魔術師集団でもある四番隊が結界を周囲に張っている。
 結界というのは魔術によって編み出された、恐ろしく強固な目には見えない盾のようもの。上空を覆い空からの侵入を防ぐだけでなく、地中にまでそれは伸び下からの襲撃からも守れるようになっている。そうして国全体を円で囲ってしまっているんだ。あらゆる方向からの接近も許さないように。
 結界は国やそこに住む人たちに対して存在する悪意に反応し、その心を持った人物を入れさせないようにできるらしく、人間には勿論それは魔物にも適用される。
 魔物が人間に抱くのは厳密には悪意じゃなく、食欲みたいな欲求だ。やつらにとって人間たちは餌だから。でもそれでもおれたちにとっては重要な身の危機であって、魔物を国に入れるわけにはいかない。
 下級の魔物なら、魔術師が張った結界に触ってしまっただけで灰になってしまうそうだ。中級ならそこまでにならないまでも結界に触れた部分はやけどを負うなんかして、結局は中に入ることはできない。上級も中級と似たようなもので、そもそも結界を察知して近寄るやつは滅多にいないそうだ。
 大抵が結界を壊せないと知れば諦めてどこかへ行ってしまう。けれど中には近くに留まるやつもいて、獣人を主として形成される八番、九番、十番隊がそいつらを追い払ったり討伐したりするためにも、警戒の意味も込めて日々見回りに出ている。
 だけど、上級の中でもさらに上の、最上級と呼ばれる魔物も存在していて、そいつらなら結界を破壊することも十分可能なんだそうだ。本来なら、そこまで強い魔物はまず近づいてこないし、来たとしても一体で行動しているのがほとんどだから何とか倒すことはできる。だから今まで問題なくやってこれたんだ。
 だけど今回ばかりはその最上級が最大の脅威となると、城のみんなは判断していた。
 エイリアスはすべての魔物を操り、世界中の人間が住む場所を襲わせようとしていると、そう兄ちゃんは言った。ならその“すべて”には当然最上級も含まれるということで。
 ただでさえ下級、中級、上級さえも同時に現れ攻めてくると考えられる状況に最上級まで何十体も登場されては、到底いつもの結界では防ぎきることはできない。一気に来られれば国はろくな抵抗もままならいまま盾を破壊され、数分もしないうちに城は壊滅にまで追い込まれるだろう。
 だからこそ、アロゥさんは今回のために結果のありようについて四番隊のみんなと考えた。そして生み出した答えを一様に暗い顔をしたおれたちに告げる。
 それは、他国からも集められるだけの魔術師たちをありったけ集め、今までにない強力な結界を用意するということ。
 各国に現状を話して、他の人の済む場所すべては神によって守られることを説明したうえで、自力で守りきらなくちゃいけない、決して落ちてはいけないこのルカ国を守るべく力を借りる。そうして集まった世界中の魔術師たちの手でまず、下級だけが通れない弱い結界を大きく張るんだ。次に中級が通れないものを、次に上級が通れないものを。なるべく広範囲にわたり、内側に行くにつれて強くなるよう結界を設置する。
 そして最後に国を覆えるぎりぎりの、最小限の大きさに留めた、けれど濃密な守りを張って四重の結界を作るというものだった。
 下級から中級は数が多すぎるから魔術師たちが魔術を使って一掃し、中級から上級は隊員たちが総出で立ち向かい。そして、恐らく国の近くまで来てしまうであろう最上級たちとは、隊長たちを含めたこの国の中でも精鋭中の精鋭たちが戦うことになった。
 さらには最上級が現れる度にその魔物一体一体に動きを阻むためそれに合わせた大きさの結界を張り、進行を妨げる。そしてその魔物が捕らわれた結界内に精鋭たちを赴かせ、なるべく群がらせないように確実に討伐しようっていうんだ。
 さらには、竜人である十五さんという心強い味方がおれたちにはできた。
十五さんには主に人では戦うことが難しい空を守ってもらって、さらに上空から全体を見回してもらいながら、魔物が一転に集中し結界が崩れそうになっているところ、形成が押され危険な状況にある陣に手を貸してもらうなど、補助にも回ってもらうことになる。
 竜の姿になれば火の息も吐けるうえ、魔物の強靭な牙も爪も竜の身にはそれほど脅威にもならない。だからこそと、十五さんは人間に手を貸そうと自ら申し出てくれたんだ。だからこそ人間側もありがたくその申し出を受け入れた。
 ――でも、守るには限度がある。
 戦う人たちの疲弊は勿論だけれど、なによりも魔術師たちの魔力が尽きれば結界は張れなくなってしまう。そうなればもうこの国は終わりだ。でも作らなくちゃいけない結界は未だかつてないほど強力なもので、消費も著しいのはわかりきっていた。
 それに対し魔物の量があまりにも膨大過ぎる。結界が崩壊すればすぐにでも、行く手を阻まれていた魔物たちが波のように押し寄せ一気に国を飲み込むだろう。もし持ちこたえられたとしても、途方もない数に押され続ければおれたちが折れてしまうことは時間の問題で。
 魔物を殲滅するのはまず無理な話だ。そんなことができるのであれば、とっくの昔にすべての国が手を合わしてでもそれに乗り出していただろう。それができないから、この世界の人たちはあの姿に警戒しながら暮らしていくしかなかったんだ。
 だから岳里は言ったんだ。
 “魔物を退かせるには、やつらを動かす根源を叩かねばならない”、って。つまりは魔物を操り襲わせるエイリアスをどうにかしなちゃいけないということで。
 この国には、エイリアスにとって最大の敵とみていいディザイアがいるし、アロゥさんのような世界屈指の大魔術師も、セイミアを筆頭に高い技術を持った治癒術師たちもいる。さらには竜人である岳里も十五さんもいて、きっと、この世界の中で最も戦力がある場所って言ってもいいだろう。そして、やつにとっても最も厄介な場所であるはず。
 だからこそここへ向かわせる魔物の量は他の国にも比べて圧倒的だろうとみんなは予想した。だからこそ、なおのこと時間は限られる。
 遠くからエイリアスに魔物たちを止めてくれ、なんて言っても聞き入れてなんてくれない。かといっておれたちは諦めるわけにはいかない。
 だから岳里は、たった一人でエイリアスのもとに行くと決めたんだ。

 

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