それは、ジィグンからの一言だった。
「岳里の表情を変えたい?」
「そう。あいつ、おれたちと再会してもいつもの顔だろ? たまにはべそべそしたりとか、にこにこ笑わせたり、驚かせたりしてやったり、そんな顔を見てえんだよ」
真司たちがいる世界と、異世界ディザイアとの行き来を可能とする道が出来たのはつい先日。そのとき、真司たちはおよそ一年ぶりに仲間たちと再会を果たしたのだった。
その際、真司は感極まって大号泣をし、空から花びらを降らすという奇跡を起こすほど、大いに友らとの再会を喜んだ。しかし岳人と言えば、その隣でほんのりと、むしろ近くで観察していなければわからない程度の微笑しか浮かべなかったのである。
さすがに我が子のりゅうとの再会には普段滅多に見せることのない表情をしていたが、竜族の里での出来事だったため、ジィグンたちがそれを見ることはなかった。
再会したばかりの岳人を何人かが捕まえて、感動が足りていないとからかっていたのを思い出す。確か、そこにはジィグンもいたはずだ。
「それは、難しいと思うけどなぁ……」
つがいである真司の前でさえ表情をほとんど変えない男だ。前に自分の笑顔でつられて笑うように真司にしかけたことがあるが、そのときだって、にこ、と声に出すばかりで口の端すら動かせなかった岳人は、自力で出すことも、自然に引き出すことも相当な困難が予想された。
「おれもな、難しいとは思ったんだよ。でも思いついちまったんだよな……」
「へえ、どんな?」
「なあ真司よ。おまえ、岳里に愛してるってあんま伝えたことねえだろ?」
「……はっ!?」
予想していた話の流れに逆らうようなジィグンの言葉に、あやうく吹きかける。
「な、は? はっ?」
「どうどう、まあ落ち着けよ。そんで、言ってやってんの?」
真っ赤になった真司に慣れているジィグンは宥めて、質問の答えを求めた。
こほんと咳払いをひとつして、小さい声で真司は告げた。
「……ってない」
「はい?」
「い、言ってない!」
「だよな、そうだと思った」
「なんで聞いたんだよ!」
「それでも一応は確かめねえとだろ?」
無駄な羞恥を煽られ、ふくれっ面になった真司にジィグンは笑いながら謝罪する。
「いやあさ、岳里が動揺するっつったらやっぱ真司だろ? 嘘言わせて悲しませんのもいやだしさ、どうせなら今のおまえみたいな真っ赤な岳里を拝みたいと思ってよ」
「……それと、さっきの質問と、どういう、意味が……」
にやっと笑っているジィグンに言いかけて、はっとその意図に気がつく。
「まさか、岳里に、言えと……!?」
「いやあ、話が早くて助かるな!」
ばし、と肩を叩かれるが、真司は勢いよく首を振る。
「む、無理だって! それに、そんなことしておれに得はないだろ! むしろ減るっていうか!」
岳人とは愛を囁き合う仲ではあるが。真司のほうから告げたことは数えるほどしかない。別に、抱える愛情で岳人に負けるとは思っていないのだが、想いが通じ合ってずいぶん経つのにいまだ慣れないのだ。それに、どういうタイミングで言っていいかもわからない。
とにかくできないと拒否する真司に、ジィグンは真面目な顔をして首を傾げた。
「本当にそう思うか?」
「え?」
「おまえだって、岳里の赤面する顔、見てみたくねえか?」
ふと、気がつく。
そういえば岳人の赤面顔など見たことないのではないか、と。
いつも振り回されるのは真司だ。岳人が何枚も上手で、とても同い年には見えない度胸と冷静さで、動揺したことだってこれまでの付き合いを振りかえってもほとんどない。
そんな岳人が真っ赤に染まる顔――
「……み、みて、見たい……」
「よし、決まりだな。んじゃさっそくやってみっか!」
善は急げと、ジィグンに背を押され歩き出した。
不意打ちで言ってしまえば、きっと岳人も身構えが間に合わず赤面するはず――そう予想したジィグンが手を回し、人気のない長い廊下に岳人を呼び出した。
共犯であるジィグンは、真司の背後のもの影から見守っているという。真司たちの会話は聞こえず、岳人の表情だけが見える位置でなら、と真司が出した条件をのんだためだ。
どんな会話をするかわかっているとはいえ、恋人としての一幕を他人に見られるのはやはり恥ずかしかった。
「どうした、こんなところに呼び出して」
「その……岳里」
つい俯き、指を合わせてもぞもぞ動く手を見ていた顔を、意を決して持ち上げる。
視線の先に岳人を睨むようにとらえ、くわっと口を開いた。
「その! あ……あ、あい……て……あい、し……っ」
勢いで言おうと思うのに。じっと見つめる岳人の視線に身体の熱が上がり、頬まで真っ赤になる。
言葉はつまるたびに再びに下がる視線と肩。
やっぱり恥ずかしくて言えそうにないとくじけそうになったとき、岳人の指が顎を掬い上げた。
「言う側がそんなに照れてどうする」
「え?」
「ちゃんと言ってくれないのか?」
瞳を覗き込まれる。未だに落ち着きがなくなる至近距離の岳人に余裕など皆無にしながらも、自分も言うことを、そして岳人も言われることを望んでいる言葉を告げた。
「あ……あい、してるっ」
言い終えるやいなや、唇に岳人の唇がちゅっと吸いつく。びくっと身体を竦ませている内に、僅かに身を屈めた岳人の肩にひょいと担がれた。
「ちょ……!?」
「大人しくしていろ。部屋に戻る」
淡々と告げて、岳人は肩に真司を乗せたまま、尻を支えて歩き出した。
「ケツ触ってんな! ……じゃなくて、なんで部屋に!?」
身を捩って尻にある岳人の手を叩くが、わしっと掴まれ悲鳴を上げる。
「せ、セクハラー!」
「今からさんざんに揉むんだ。少しくらいいいだろう」
「良かない! まったく許可できない! なんでそうなるんだよ!?」
「愛を伝えられたんだ。その分は返さねばな」
きんきん喚く真司に振り返った岳人は、上機嫌ににやりと笑う。
それは、真司が岳人のしかけた罠にまんまとひっかかったときに見せるものだ。
はっとして辺りをさがすも、小柄なジィグンの影はどこになかった。
「言っておくが、ジィグンならとっくに逃げているぞ」
「えっ」
「なんでも、遠征に行くにあたり、移動を竜に頼りたいらしくてな。協力するかわりに見返りを求めたらおまえがきた」
「ジィグンの裏切り者ー!」
叫んだところで、きっともうこの声の届く場所にはいないだろう。
よくよく考えてみれば、人の気配を察知することが得意な岳人が、近くに控えるジィグンに気が付かないはずがない。それを知らぬジィグンでもないので、つまり、始めから騙されていたのだ。
「二人で謀ったな! おれの純情を騙しやがって!」
なにが岳人の赤面だ。ただいつも通り彼の掌のうえで真司が踊らされていただけにすぎないではないか。
――すこしだけ、貴重な岳人が見られると思ったのに。
思いのほか期待していたらしく、真司の落胆は大きかった。それを誤魔化すためにも唸り続けていれば、ふと岳人が足を止める。
真司も暴れるのを止めて、岳人の頭に手をかけて上半身を起きあがらせる。
上から見下ろせば、岳人も下から真司を見上げた。
「おまえの策略も聞いているが、それは目的のための手段にすぎなかったかのか。あの言葉は、嘘だったのか?」
どうせこれも岳人の演技だ。わかっているのに、少しだけ寂しそうな声音に意地悪をすることはできなかった。
「……嘘じゃない。そんなに器用じゃないって、知ってるだろ」
呟くように答えれば、肩に担がれていた身体がするりと落ちていき、器用に膝抱きに姿勢を変えられた。
「まあ、知っていた」
「なんだよ!」
あっさりと認めた岳人の胸を思いきり殴る。だがたいして効果はないだろう。
平然と真司を抱えたまま、歩みを緩めることすらなく、けれども顔を苦痛に歪ませるかわりに小さく笑った。
「あんな顔をされて演技だったと言うには無理がある。おれを照れさせたいのなら、もっとさらりと言えるようにならないとな。でないと不意打ちにはならない」
「できねえもんはできねえのっ」
「おまえが先に照れてしまうからだろう」
正論に言葉を詰まらせた真司の頭に、岳人がなだめるようにそっと口付ける。
「安心しろ。今から、慣れてしまえるほどたくさん言わせてやる」
「……はっ!? お、おろせ……!」
「おれを赤面させることも、そう遠くないことかもしれないな」
今にもスキップするのではないかと思えるほどご機嫌な岳人に抱えられ、逃げ出すこともできず、抵抗も意味をなさず、真司はジィグンへの恨み言を叫んだままいずこへ消えてしまった。
おしまい