ふとアロゥに呼ばれた気がして部屋に戻ると、まだ日のある時間であるにも関わらず彼は寝台の中にいた。
 傍にゆくと、どうやら起きていたらしいアロゥはゆっくりと目を開け、微笑かける。

「フロゥを呼んできてほしい」

 ジィグンはその言葉ですべてを悟る。
 ――ついに、この時がきたのだ。
 思わずジィグンが顔を歪めると、アロゥはその考えを肯定するように頷いた。

「アロゥ、おまえとは随分長い付き合いになったな」
「そうだな、出会ったのはもう、何十年と昔のことであったか――」

 確かまだおまえの髪は銀だったよ、というと、灰色の毛に包まれるアロゥはしわがれた笑い声を小さく上げた。

「おまえは見かけに反して強情だからなあ……付き合うのは大変だったよ。無茶振りも多かったしな。でもまあ、それももうおしまいだって思うと、ちったあ寂しいかな」
「おまえも見かけに反して、存外寂しがり屋だからな」

 くすりと忍び笑うアロゥに、ジィグンはうるせえよと唇を尖らせた。だがすぐに自分も頬を緩ませ、一緒になって笑い出す。

「――わたしのもとに来てくれたのがおまえで、本当に良かったと思っている。これまでも何度もおまえに助けられ、そして支えられてきた。わたしが人々から大魔術師と呼ばれるのは、おまえの存在があったからこそだ。これまで本当にありがとう」

 長い付き合いになる自分の獣人に、友に、アロゥはありったけの感謝を込めて気持ちを伝えた。
 不覚を突いた親友の言葉に、ジィグンは潤みそうになった自分を誤魔化すように鼻で笑う。

「よせよ、泣きたくなっちまうだろうが」
「おや。そのつもりだったんだがな」

 こんなときでも軽口を叩く力が残っているのかと、つい感心してしまう。だがそれも、この男らしい。

「あー、やめやめ。湿っぽいのは苦手なんだ。おれたちには合わねえよ。今フロゥを呼んできてやっから、ちょっと待ってろ」

 背中を向けてジィグンは、そのまま歩き出そうとしたところをアロゥに呼び止められた。
 首だけ振り返ると、随分と歳をとってしまった主は言った。

「フロゥを呼んだ後、おまえは自由にしなさい。この国のことも、仕事もすべて放って、行きたい場所に行きなさい。ここへはもう戻ってこずともよい」

 弟子のフロゥを呼びつけていた後の手筈をすでに脳内で組み立てていたジィグンは、思いがけぬ言葉に面食らう。
 王への報告だけでなく、自分が副隊長を務める九番隊の引き継ぎもあるし、その他もろもろも手続きや報告しなければならないものが山のようにある。今日の日のためにいつだって頭の片隅に置いておいたのだから、なめらかに事を運ぶ算段は整っていた。
 なのに自由にするもないだろう。それに――

「なに言ってんだよ、アロゥ。そういうわけにはいかねえだろ。おれたちは軍人だぞ。それに、腐ってもおまえはおれの主なんだ。最期までおまえといるよ」

 もう戻ってこなくてもいい、などと。これまで苦楽をともにしてきた自分に対してあんまりな物言いではないか。
 静かに憤るジィグンに、アロゥは宥めるように言った。

「おまえのことだ、今日の日のため、ある程度の準備は整えていたのだろう。あとはわたしから部下に指示をする。だからおまえは、自由に――心に浮かぶ者のところへ行くといい」

 突然提示された存在に、一瞬呼吸を止め、すぐに首を振る。

「……なんで、あいつのとこなんざ……」
「はて、あいつとは?」

 つい言葉にしてから、アロゥは特定の誰かを示したわけではなかったことに気がついた。誘導があったわけではなく、自ら口を滑らせたことに深く後悔をする。

「おまえも大概素直ではないからな。まあ、行かなくてもいいだろう。それはおまえの自由なのだから」
「――……」

 首だけ振り返っていたのを身体も戻して、ジィグンは寝台の傍らにしゃがみ込んだ。
 ゆっくりと毛布のなかから出てきた手を握り締める。出会ったときはジィグンの見かけよりも若かった男の手は、今や張りを失い皺だらけだ。けれどもまだ温かく、初めて握手を交わしたあの日のことを鮮明に思い出させる。

「――本当は、もう少しおまえとこの世界にいたかったよ。フロゥもまだ不安だし」
「フロゥだけか?」
「なにが言いたいんだよ」
「いいや、なにも」

 穏やかに笑んではいるが、実は腹黒い男に溜め息をつく。
 誰のことを言いたいのか、本当はわかっていたが、あえて気づかぬ振りをする。そんなことさえ、アロゥにはとうの昔にお見通しなのだろうが。

「まったく、誤魔化しやがって」
「ふふ、きっとおまえは、心行くまで見守れるだろうよ」
「なんだよそれ、これから消えるってのに。……もしかして、また出会うとでも言いたいのか?」

 また笑って誤魔化され、ジィグンはわざとらしく肩を竦めた。

「まあ、おまえがそう言うならその通りになるのかもな」

 最後に一度強く握りしめ、そっと繋いだ手を解く。
 温もりが離れた掌が、とても寂しく感じたが、すべてを押し留めて自分を見上げる男に、にっと歯を見せ笑った。

「今までありがとよ、アロゥ。おれもおまえの獣人として呼ばれて、本当に幸せだったよ。最高の人生だった。なあ、おまえもだろ?」
「ああ。わたしも、悔いのない素晴らしい人生だった」
「あの世で嫁さんと仲良くな」

 ジィグンの軽口に、珍しくアロゥが照れたように頬を緩める。その姿をしっかり目に焼きつけて、ジィグンは立ち上がった。

「――またな、アロゥ」
「ああ、またな、ジィグン」

 短い言葉で挨拶を済ませると、ジィグンは片手を上げながら部屋を後にした。
 ――魂は巡る。
 死んだ魂は生まれ変わり、新しい命として再びどこかで産声を上げる。ならばこそ、これから深い眠りにつくアロゥも、ゆっくりとこれまでの疲れを癒して、アロゥではない真新しい命としてどこかで誕生することだろう。
 いつかまたどこかで、どこかの世界で、きっと巡り会えるはず。
 なにせ二人は、世界が定める最良の相棒であるのだから。 
 だが今生で会うことはもう二度とないだろう。それでも二人が口にしたのは再会の言葉。
 希望に溢れているはずなのに、悲しくはないのに、でもやはり少しだけ寂しい。
 鼻の奥がつんとなる。鼻を啜って、涙はかろうじて堪えた。
 ――彼に、会いに行こう。残してしまうことが唯一心残りな、あの男のもとに。
 なにを告げたいのか、それはまだわからない。だがきっと彼の顔を見れば思い浮かぶだろう。
 そう信じて。
 獣人でなく、国の者でなく、アロゥの相棒としてでもなく、ただ自由なジィグンとして、残された最期の時を一秒一秒踏みしめていった。

 おしまい

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ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
ハヤテ×ジィグンの物語を少しでも楽しんでいただけたのであれば幸いです。

その後の二人ですが、ハヤテは以前よりはきちんと執務に取り組むようになり、ジィグンはこれまでとあまり変わらない日々を送ります。
ただ以前よりも、ジィグンを抱くハヤテが優しくなりました。心境の変化もありますが、ジィグンを愛撫すると自分も気持ちよくなると学んだからです(笑)
そういった知識はヤマトやヴィルから教わります。

ちなみに、ハヤテとジィグンは心血の契約を交わしたと思い込んでおりますが、実際は心血の盟約(岳里と真司と同じもの。契約より絆が強くなる)でした。
(盟約となる条件は獣人が契約者の体液をとりこんだ直後に、新しい名を得ること。偶然にもハヤテはジィグンという、本来とは別の名を与えたことになったのです)

そして盟約を交わしていたことにより、後に獣人同士で初めての子作りにチャレンジすることに。(子供をほしがる王とネルのための実験台)
そして無事に子を成し、なんと二人が子持ちになります。


今回出てきていませんが、ハヤテと盟約を交わしたことで、ハヤテの主であるフロゥとも絆を繋げ、契約をしたことになっています。
なので実質ジィグンの主はハヤテとフロゥの二人です。

子作り編もいつか書きたいなーとは思いますが、いつになることやら……この話すら書き出すのにここまで間が空いてしまったので、期待せず待っていてくださると嬉しいです(笑)

さて、こんなところまでお付き合いくださり本当にありがとうございました。
個人的に自カプのなかでも好きな二人を書けて楽しかったですし、満足しました。

もしよろしければ、読み終わった、という一言だけでも感想いただけるととても嬉しいです。
次の作品の活力にさせていただきます!

これからもまた何か書いていくので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 2016/10/09