時刻はすでに日落ちした時よりも夜明けが近くなっている頃。
 レードゥが寝台に身体を横たえ眠りにつていると、ふと、静寂に包まれた部屋の扉が開かれた。随分と前から立てつけが悪く、開ける時に多少軋んだ音を鳴らすそこ。
 その音にレードゥが薄らと瞼を開けたと同時に、横になるその腰のあたりに、重みが加わった。身体を起こし、胡坐を掻いて座り直して、レードゥは己の身体にしがみつく人物に手を伸ばす。
 触れたのは少し硬質な髪だ。それをゆっくり撫でてやった。

「どうしたんだよ、ヴィル」

 真夜中、誰もが寝静まっているこの時間に突然訪れたヴィルハートに怒りはせず、ただ穏やかな声音で問いかける。
 しかし、彼は口を結び沈黙したままだ。
 だからレードゥも、それ以上言葉をかけることはなかった。ただ、触れた彼の冷えた身体が熱を取り戻すよう、何度も髪を撫でつける。
 どれほど時が経っただろうか。不意にヴィルハートが動いた。
 直接床に座り込み、上半身を預けていた寝台の淵からのそりと起き上がると、そのまま寝台に上がり込む。
 窓から差し込む僅かな光と気配から、どうにかヴィルハートの存在を暗闇からおぼろに掴んでいるレードゥは、彼の行動を目で追う。
 ヴィルハートはレードゥに手を伸ばしてきたかと思うと、そのまま後ろへ押し倒した。
 押し倒す、といっても、ヴィルハートは軽く両肩を押しただけ。多少後ろに身体が揺れるそれだけの力でレードゥが倒されるわけがない。それがヴィルハートなりの確認であることを知っているからこそ、承諾の意を込め、自ら身体を寝台に沈ませたのだ。
 首筋に、ヴィルハートの唇が押し付けられる。
 ひどくかさついていて、皮も捲れる荒れた唇。スルゥで飛び去った後、散々な無理をしたことがそれだけで伝わった。

「――――……れる」

 唇を押し付けたまま、ヴィルハートは呟いた。耳元の傍であっても聞き取ることのできない小さなものに、けれどレードゥは聞き返すことはない。
 しばらくしてもう一度口を開いたヴィルハートは、今度はレードゥに聞かせるために、やはり小さかったが震える声音で、自身の内に渦巻くその絶望を伝えてきた。

「このままでは世界が生まれるはずのない災厄により、滅ぼされるであろう。なんとしても阻止せねばならぬ」

 疲れ切ってはいるが、強い意志の宿るその言葉に、レードゥはヴィルハートの身体を緩く抱きしめ、目を伏せた。
 ようやく開いた口から出たその言葉の真意を汲み取ることはできない。だが、ヴィルハートの中で今確かに存在している感情はしっかりとレードゥに伝わる。
 それ以上、ヴィルハートが何かを伝えようとすることはなかった。
 ただひたすらにレードゥの熱を感じるように身を寄せ、狭い一人用の寝台の中、大の男が二人して並び身を転がす。
 もうひとつ普段は使われていないベッドが傍らにあるが、それでも二人が離れることはない。
 さらなる温もりを求めるように、ヴィルハートの手が薄い寝着の下の肌に直接触れてきた。背中を撫でられ、服が捲れ腹が出る。それでも好きにさせてやると、次第に手の動きは止まり、静かな寝息がレードゥの耳に届く。
 それにようやく一安心し、レードゥもヴィルハートに身を寄せ、ゆっくりと眠りについた。

 

 

 

 まだ髪が湿っているうちに寝てしまった岳里の頭は、朝になると今までにないくらい、爆発したように寝癖にまみれていた。
 起きた時、どんな顔しよう、だなんて考えていたおれはその姿を指さしながら大爆笑。岳里が恥ずかしがることも、悔しそうにすることもなくいつもの無表情だから、なおさら笑いは止まらなくて。
 少し、安堵もそこには入ったと思う。何事もなかったように、こうして笑えてることに。
 岳里の頭がもし今みたいな凄まじい状態になってなかったら、たぶん……まだ、ベッドの中で案を練っていたところだろう。
 岳里が指先で大きく跳ねた自分の毛先をつまんでいるところを息も絶え絶えに見ていると、ふいに扉が叩かれた。
 朝飯の時間にはまだ少し早いよな、と岳里に目を配らせながらも、おれは返事をする。
 失礼します、と一声あってそこから顔を出したのはユユさんだった。

「ヴィルハート隊長がお戻りになりました。真司さまと岳里さまに、大切なお話があるそうです」
「ヴィルが……」
「お食事を召し上がってからいらすようお言葉をいただきました。少し早いのですが、朝食をお運びしてもよろしいでしょうか?」
「あ……はい、大丈夫です。お願いします」

 おれが頷いたのを確認してから、ユユさんは部屋を去っていった。
 思わずおれが俯くと、そっと岳里の手が髪を撫でつけてくれる。

「何がこの先待ち受けていたとしても、守り抜く」
「……うん。あんがと、岳里」

 膝を立て、それを抱えておれは岳里に寄りかかった。
 ――そしておれは次に顔を上げた時、まだ爆発している岳里の頭を見て、ふき出すことになる。

 

 

 

 おれと岳里が呼びだされたのは、十四会議室だった。初めてこの世界に来て以来、ずっと訪れなかった場所。
 そこへの扉を開けるには特別な仕掛けがあるから、ネルが案内役として迎えに来てくれた。
 ネルはもう、いつものネルに戻っていた。明るくて、飄々とした、そんなネルに。
 昨日、執務室に帰った時にいなくなっていたことに、おれは触れようとは思えなかった。ネル自身も、あえて昨日のあの時のことだけは一切口にしない。だたどれほどおれのことを心配していたか、帰ってきてくれて喜んでいることだとか、そんなのを笑顔で話してくれる。
 そうして話しているうちに会議室に着いて、おれたちはネルを先頭に中に入った。
 部屋の中には、王さま、アロゥがいて。ヴィルハートが指定されている十三番隊隊長の席に腰かけて座っているだけで、あとは誰の姿も見えなかった。
 王さまはおれと岳里の方へ向くと、やあ、と手を上げて笑顔を見せる。

「朝早くに済まない。だが、なるべく早く君たちの耳に届けたく、こうして来てもらった」

 王さまから適当なところでいいから腰を下ろすよう言われ、おれたちはちょうど王さまとヴィルが座る場所の中間に位置する場所に座った。とは言っても岳里はそれを拒み、おれの斜め後ろに立ったままだ。

「さて。早速、本題に入ろう。――ヴィルハート。きみは、わたしたちに何を語ろうというのか」

 その言葉に、王さまも、アロゥもネルも。ここにいる誰一人として、まだヴィルがこれから語る内容について知らないことがわかった。
 “禍”と、口にしてスルゥに乗りどこかへ行ってしまっていたヴィル。
 無意識に、おれは息を飲んだ。
 ゆっくりと、ヴィルの口が開く。

「――わしは、選択の時を迎えるにあたり、“神”より役割を与えられた者の一人。“真実へ導く者”だ」
「みちびく、もの……?」

 おれが繰り返すと、ヴィルはしっかりと頷いた。
 そしてまずおれの名を呼び、“選択を下し者”と口にする。
 次に岳里に目をやり、“光降らす者”、と。
 王へ視線を移すと、“時を見守る者”、と。
 そして、最後に深く目を閉じ、“闇齎らす者”。“歴史を継ぎし者”と、そう言った。
 それがすべて選択の時に関わる、役割を持つ人のそれぞれの使命を示した呼び名だということはわかった。そこに初めて聞く、“真実へ導く者”と“歴史を継ぎし者”のふたつがあったが、それさえも何か関わりがあることは、頭を働かせずとも理解する。

「――つまり、ヴィルハート。おまえも役割を持つ人間だと、そういうのか」
「そうです。わしは導く者。役割を持つ者らの道標となり、道を踏み外すことないよう真実を見出すための存在。そうして、これまで歴代の、役割を持つ者らをそれぞれ導いてきました。言うなれば、すべてを知っております」
「ちょっちょっと待てよう! それって、どういう意味でえ? おまえが役割持ってんのはまだわかるけどよう、歴代のって……」

 ネルのその言葉はまさに、おれの――おれたちみんなが思った言葉だった。
 歴代の、ということは、初めから今まで、すべてをということになる。

「言葉通りだ、ネル。わしはこれまで“五度”起きた選択の時、すべてに立ち会っておる」
「五度……五度も、選択の時は訪れていたのか」

 王さまの呟きは、静かに、おれの耳まで届いた。
 おれも何回選択の時が訪れたのか知らなかったけど、それは王さまたちも同じみたいだ。選択者のことが伝わっていなかったこともあるのを考えると、もしかしたらおれの知識と王さまの知識は大差がないのかもしれない。

「その目で、見てきたというのかね?」
「いや……この目、というわけではない。だがわし自身が見てきたのに間違いはないぞ」
「もったいぶっていうなあ、はっきり言いやがれよう」

 穏やかに尋ねたアロゥさんとは対象に、ネルはどこか苛立っているようだった。いつもより少し早口気味にヴィルに詰め寄る。
 その姿に、ヴィルは苦笑するように目を細めた。

「確かにわしは見てきた。この世界の選択の時を。だがしかし、それはその時によって、身体が異なるのだよ。わかりやすく言えば、転生を繰り返し歴史を見てきておる。今の、ヴィルハートとしてのこの身は、六度目の人生だ」
「転生……生まれ変わっているって、ことなのか?」
「そうだ。そうしてわしはこれまでの歴史を見てきたのだ」

 少し詳しく話してくれたヴィルによると、選択の時に合わせ、ヴィルはその度に生まれ変わってその舞台に登場するそうだ。
 そうして導く者として、その役割を全うしそして生を終える。またこの世界に選択が迫った時、再び生まれるらしい。
 誰もが何も言えずにいると、おれの後ろに立つ男はその動揺なんて気にせず、これまで閉ざしていた口を開いた。

「やはりおまえはすべてを知っていたんだな。初めから、真司が選択者であることも」

 後ろに立つ岳里の表情は見えない。けれどその声音に表情が宿り、岳里が少しだけ、怒っているような気がした。おれとは向かいの位置にいるヴィルには岳里が見えているからなのか、曖昧に笑う。

「何故、これまで黙していたのだ? ヴィルハート、おまえはすべてを知っているのだろう。それならばわたしたちに――」
「おまえが早くに話を切り出していれば、こいつが疑われることもなかった。“悲劇”が繰り返される可能性があったんだぞ」

 王さまの言葉を遮って、岳里がそうヴィルにきつい声を出した。
 岳里の言う、悲劇がなんなのか、おれにはわからない。まだそれは聞いてないものだ。けれどそれがおれに関わることなんだと、岳里の声を聞いていればすぐにわかる。
 岳里がこうして感情を表すことがあるとすれば、おれになにかしら通じているものがあることぐらいだからだ。

「――そう、責めてくれるな。今回はいつもと状況が違ったのでな。少し様子を見守っていたのだ」
「状況?」
「うむ。――選択の時を定めるのは神だ。わしが生きている間に選択の時が来るとして、それはいつか、わからん。時には舞台を整えておく必要がある故に、選択者と闇の者がこの世界に召喚される時、必ずわしに神よりお告げがくるのだ。だが、今回はそれがなかった。まずその点から、わしは怪しんだのだ。これまでに一度もそのようなことはなかったからな」

 ヴィルハートは、静かに、これまでのことについて話してくれた。

 

 ――レードゥから不思議な身なりの男二人が現れた時、もしやと思った。神からのお告げなどなかったため、それはあり得ないとは思いもしたが、実際確認に赴き、おぬしらを見て確信したよ。役割を持つ二人だと。
 だから真司の気持ちが落ち着いたのを見計らい、選択の時について役割を得た者に話をするつもりだった。
 だが、わしは勘違いしていたのだ。始め岳里が闇の者だと思っていた。選択者とともにこの世界に召喚されるのは闇の者が常であったからな。だが、岳里の行動を見ているうちにわかったよ。おぬしは真司と契約――いや、盟約を交わした者、光の者だということに。
 まあそんなことも時としてあるだろうと、そのことについて深くは考えなかった。しかし、ならば本来選択者とともに同じ時、同じ場所に召喚されるはずの闇の者はどこにおるというのか? 
 その疑問が解決されぬうちは、闇の者が見つからぬまでは、沈黙を続け様子を見ることを決めたのだ。
 ――その途中で知ることになったが、代々ルカ国の王が受け継いているはずのサラヴィラージュさまの手記の一部情報が欠落しているとは思ってもみなかった。何故か選択者のことだけが掻き消されていた。そのことにわしは……いくら待てども届かぬ神の声に、さらに慎重にならざるを得なかったのだ。無論、真司にもし何かあればその時は止めるつもりであったさ。わしは――“悲劇”をよう知っておるからな。岳里の思いは重々承知の上。その点は理解してくれ。
 さて、本題に戻るが。真司の兄が現れたと聞いた時、わしはすぐに彼が闇の者であることがわかった。闇の者は、選択者と同じ世界に生まれた、親しい者が選ばれるからな。だが、兄が真司を連れ去ったと続けて聞いた時は、やはり嫌な予感がしたものだ。
 岳里が真司を探しに飛び立った後、わしもわしなりに過去の資料に目を通し、今回何が起きているというのか、見当をつけようとした。だが何もわからなかった。
 ――岳里、おまえが帰ってきて、今は失われたものである“呪”をその身に刻んでくるまでは。そして真司の口から“禍”が出てきた時、それは確信に近いものに変わったよ。
 だからわしはその確信に近いものをさらに確かにするために、スルゥに乗り、“神の山”を目指したのだ。
 ……そうだ、アロゥ殿のおっしゃる通り。神の山とは、眠りにつく神に己の声を届ける場所だ。とは言っても、普通の人間の声は届きはせぬがな。わしは神との契約により、その山の頂に赴けば、あやつが目覚め、話すことが可能になっておる。だが有事にしか使わぬ約束をしているため、これまでにも一度した向かったことはない。
 ――その山で、わしは神を呼んだ。しかしあやつは現われはせんかった。
 ああ、心配なさらず、王よ。恐らく神には何事も、起きてはいないでしょう。今まで通り、ただ眠りについているだけ。
 きっと、わしの声が届かなくなっている。誰かがそう小細工を仕掛けたようだ。だがそれで、わしの予想は確かなものとなったのだ。

 

 失われた魔術である呪。神と通じるはずの、封じられたヴィルの声。そして――闇の者であると知った上で、兄ちゃんを操っている人物。禍と呼ばれた、存在。
 ヴィルは自分が導き出した結論を、口にした。

「今回の選択の時はまだ訪れてはおらん」
「でも、ならなんでおれは――」
「つまり、選択を神は仕掛けておらぬということ。誰か別の者が神に成りすまし、おぬしらをこの世界に召喚し、そして選択の時を起こさせようとしている」

 おれが続けようとした言葉を悟ったヴィルは、はっきりと断言した。
 本来神さまが定めた時期の選択の時という舞台に、役割を持った人物たちは現れる。そのなかでおれの役割である選択者、兄ちゃんの役割である闇の者は異世界から召喚されるわけだけど。
 でも、今回その舞台を用意したのは、神さまじゃないのか? なら、おれは一体誰に呼ばれてこの世界に来たんだ。
 誰が、兄ちゃんを――
 不意に、肩に岳里の手が乗せられた。それと同時にヴィルが、おれの求める答えを告げる。

「エイリアス。神とともに在った者。神に限りなく近い者。神に、切り捨てられた者――それが、今回の黒幕であろう」
「エイリ、アス……」

 その名を口にすると、なんだが胸がざわついた。

「わしと岳里が“禍”と呼ぶ存在。それがエイリアスだ。やつがおぬしらをこの世界に喚び、そして今は真司の兄の身体を奪って行動している者でもある」
「何故、そんなことをする必要がある? 選択の時を、神を騙り起こして何になるというのだ」

 王さまの言葉に、ヴィルはゆっくりとそこへ目を流した。それから、この場にいるそれぞれの顔をしっかりと見つめ、目を閉じた。
 開かれた口から、ようやく問いかけの答えが出る。

「この世に生きる、すべての人間を滅ぼすため」
「なんだと!?」
「そっ、そんな……っ」

 声を荒げる王さまに、静かに目を伏せるアロゥ。動揺するネルに、声を失うおれに――それぞれの反応を見せたおれたちに、ヴィルは紫の瞳を開いた。

「エイリアスは、深く人間を恨んでいる。以前――神が眠りにつくまえの話だ。その時にもやつは人間を抹消しようと動き、そして神と対峙した上で、封印された。――真司はともかく、王たちならばご存じでしょう。エイリアスとは、サラヴィラージュさまの手記に登場した、“あのお方”と呼ばれた者。神が眠りについた原因でもあります」

 おれにはなんのことだかわからないけど、王さまはそのことを告げられ、深く息をついた。

「ヴィルハート。エイリアスとは何者なんだ。詳しく、話しはくれないか?」
「御意。エイリアスについてはわしも話を聞いただけですので、曖昧なことも多いですが。それでもよろしければ」

 王さまが頷き、ヴィルハートはエイリアスについておれたちに話してくれた。神と、エイリアスの間で起こった争いについて。
 エイリアスはもともと神さまの一部だったそうだ。だけどある日突然、神さまはエイリアスであるその一部分を自分の身体から切り離すと、それを深い深い世界の亀裂に捨ててしまった。
 本来はそのまま闇の中で溶けて、消滅するはずだったんだ。けれどそれは自らの意思を持ち、やがて成長しエイリアスの名を持ち神の前に立ちはだかった。その時にはすでに人間に深い恨みを抱いていて、エイリアスは容赦なく神が守護する人間たちに攻撃をした。風は吹き荒れ、大地は枯れ、海や川には穢れが混じり、恵みの雨さえ死をもたらす病の雨と化し、世界は大混乱に陥ったそうだ。
 人間を滅ぼすために攻めるエイリアスと、その人間を守る神との争いは、一年ちょうどで終結した。軍配は神にあがり、エイリアスはあの捨てられた世界の亀裂に、今度は封じられたんだ。
 しかし、エイリアスとの戦いで神も無事では済まず、傷ついた身体を癒すために、そのまま深い眠りについたそう。
 ――それが、神が今でも眠り続けている理由だ。

「何故エイリアスは人間を恨んでいる?」
「そこまでは、聞き及んではおりませぬ」
「なら何故神はそこまで世界を脅かした存在であるエイリアスを封印するだけにとどまったのだ?」
「それも、わしには」

 王の言葉にヴィルは首を振るばかりだった。

「――わしがこの世界にきたのは、第一の選択の時。禍と神の争いはそれ以前のこと故、詳細は存じませぬ。しかし、封印される間際、エイリアスはこう言い残したそう。『わたしが再びこの地に降り立ったその時、今度こそ人間どもを根絶やしにしてくれよう』、と」

 それほど彼は深い恨みを抱いているのだ、選択の時を利用し何か目論んでいるのだろうと、ヴィルは言った。けれど、それでどうしようというのか、そこまではやはり想像がつかないそうだ。

「……その、エイリアスは……兄ちゃんの身体を使って、今何をしてるんだ?」
「わからぬ。だがまだ神が眠りについているのだ、封印されていたエイリアスの力はまだ世界をどうこうできるほどもないだろう。いつ封印を解いたかはわからぬが、今のところ世界のどこでも異変は起きておらぬ。完全復活には時間がかかるとみてよいだろう。恐らく、それまでは今器としている真司の兄の身も保障されることだ」

 よかった、とは素直に言えない状況に、おれは兄ちゃんを思い浮かべる。
 見たこともないような、嘲笑するような、人を見下すような暗いあの笑み。兄ちゃんにとりついたエイリアスが生んだものだが、そうわかっていても、悲しくなる。

「――それまでに、なんとしてもエイリアスを止めなければならないということか」
「今後、わしもやつについて探りましょう。どれほどの力を持っているか、それによって我らに与えられる猶予は変わりますゆえ」

 王に返されたヴィルの言葉に、おれは視線を落とした。
 もし、エイリアスが力をつけていたら。その時、この世界はどうなるんだろう。身体を奪われている兄ちゃんは、無事でいれるんだろうか。
 あまりにも、大きすぎるその話に、正直おれはまだ理解が追いついていない。だからこそ、今エイリアスのもとにいる兄ちゃんが心配でたまらなかった。

「――ひとまず、これで今わしが話せることは大方話し終えました。そこで、王と、この場にいる者に約束をしていただきたことがありまする」
「なんだ」
「まずひとつ、この禍のこと、エイリアスのことはまだ、隊長どもも含め皆に伏せておいていただきたい。無駄な混乱は避けるべきであり、いつやつの野望が阻止されるかはわかりませぬ。事態が解決したか、あるいは更なる悪化を見せた時。その時に、皆には知らせてほしいのです」
「わかった、今この場にいる者以外、エイリアスについてのことは決して外に漏らすな」

 王がおれたちの顔にそれぞれ目を配ったから、深く頷いてみせる。

「さて、まずひとつ、ということは他にも何かあるのだろう? それはなんだ?」
「――わしが、役割を持つ者であるということは、この場にいる者以外に、他言せぬようお願いいたします。選択の時の表舞台に立つのはあくまで選択者、光の者闇の者、そして王の持つ役割である見守る者だけになります。わしの導く者としての役目は影の存在故」
「わかった。肝に銘じておこう」
「ありがとうございます」

 新たにエイリアスについての情報を得たらまた十四会議室に集まってもらい、報告をするとヴィルは最後に約束をした。ネルもできる限り自分の十二番隊を動かしそれを補助することを申し出て、そこで、話し合いは終わる。
 部屋から出る時、入る時と違って出る特別な仕掛けはない。だから王さまとネルとアロゥが部屋を出て行っても、その後にヴィルが行ってしまっても、おれは椅子に座り、唇を結んでいた。

「――……兄ちゃんを、助けなきゃ。おれにできることなんて、なんもないかもしれない。でも、やれることはやろうと思う」

 ようやく、言葉を発したおれに、岳里は驚くわけでもなく、諭すわけでもなく、ただ、応えてくれた。

「ああ、おれも力を貸す」

 背後に立つ岳里に振り返ると、いつもと変わらない無表情と目が合う。
 それになんだか落ち着かなかった気分がすとんと地に足を付けた。無意識に、笑顔を返す。

「あんがと。岳里が味方なら、もう何も怖くないな」

 おれの言葉に岳里も口元を綻ばす。
 小さな、笑顔。その姿がふと、あの時に見たあの人のものと重なる。

「――十五さんも。十五さんも、必ず。助け出そう。おれ、言わなくちゃいけないことがあるんだ」
「あいつに?」
「ああ。だって、岳里と向き合うことができたのも、今の形に落ち着けたのも、十五さんのおかげなんだ。だから、会ってお礼を言わないと」

 それに兄ちゃんのことをなんだか守ってくれているようだったし、と伝えれば、岳里は後ろからおれを抱きしめた。
 首のあたりで交差する岳里の腕に、おれは手を重ね、そこに顔を埋める。

「二人を、取り戻そう」
「ああ、必ず。諦めはしない」

 新たな決意を胸にして。
 おれたちはしばらく、お互いの存在を確かめ合った。

 

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