13

 
 
『おい、どこにいくんだ?』
『こっちにあるんだ。もうすぐつく』
 
 どうやらもともと回廊から抜け出る予定だったらしく、振り返らないまま答えたコウェロは先に進む。
 思わず足を止めていた直人の背を、再びセオリが導くように軽く押した。
 
『ナオトさま、あちらですよ。……随分と汗を掻かれているようですが、大丈夫ですか?』
 
 ふと顔を覗き込んだセオリの表情が陰ったのを見て、慌てて直人は歩き出す。ただ心配しただけのものであっても、後ろめたい気持ちがある今の直人にとっては画策に気がつかれていてるのではないかと不安になった。
 しかしセオリは何も言わない。まだ知れてはいないはずだと自分に言い聞かせ、次の機会を待つことにした。
 
『おい、いくらなんでも離れすぎじゃないか。ここから広場が見えるとは思えないが』
『文句はついてからにしてくれ』
『まだ歩くのかよ』
『運動になっていいじゃないですか』
 
 同じ仕事をしていても、あまりタギとコウェロの相性はよくないのだろう。三度互いに詰め寄りそうな不穏な雰囲気にセオリの声が割り入ってどうにか宥める。その間にも逃げ出す瞬間を探したが、建物と高い塀との間を縫うように進んでいてタギを回避して走り抜けるほどの空間がない。
 直人の焦りを逆なでるように建物の影に入り、辺りが薄暗くなる。先程まで感じていた暖かな日差しが消えて、すっと冷え込んだ空気に包まれた。
 もう随分と門から離れてしまっている。セオリたちも口数が減り、一行は黙々と歩いていた。
 一体どこに行こうというのだろうか。楽観視をしてしまっただけで、再びあの石牢に戻されるのかもしれない。セオリが楽しげな様子であったのもあくまで直人がそう思っただけで、実は無理矢理笑っていたのではないか。
 長く続く緊張と不安から悪いほうにばかり考えが傾いていく。なんとか気を持ちなおそうと自分を奮い立たせていた直人だったが、突然腕が掴まれ、心臓が飛び出しそうなほど驚いた。
 掴む手の力に骨が軋むほどの痛みを覚えて、悲鳴を上げるよりも先に顔をしかめた。
 いつの間にか距離を詰めていたのか、先を歩いていたはずのコウェロが直人を捕え、包帯の巻かれた手をじっと見つめる。
 乱暴な扱いを抗議することも忘れ、直人の顔からは血の気が引いていった。
 これまで侮蔑した視線を受けることはあっても、決して手を上げられることはなかった。それを捻り上げるように腕を掴まれたので、逃げ出す算段がバレたのではないか。なるべく冷静に努めていたし、まだ実際に逃げ出してすらいなかったが、落ち着きのない様子は見破られていたのだろうか。
 
『何故、おまえみたいなやつが素質持ちなんだ……』
『おい、何やってんだ!』
『コウェロさん、離してくださいっ』
 
 予想外の動きだったのか、タギたちが止めにはいる。
 しかし周囲の騒音など聞こえていないかのように、再び呟いた。
 
『資格を失っておきながら、残された役目も果たさない罪人が……』
 
 タギがその腕を掴み引き剥がそうとした手を伸ばしたとき、視界で影が動いた。
 
『何者だっ!』
 
 いち早く気配に気がついたタギが直人たちの前に立ち剣を抜いた。
 切っ先が向けられた先には、どこから現れたのか男が一人、短剣をすでに構えて立っている。
 目深くフードを被りその全容は見えないが、口元に湛えた笑みがひどく歪つなもので、まるで無理矢理貼り付けているような不自然さがある。ひひ、と引きつったような耳障りな笑い声にざわりと背筋が粟立った。
 セオリも警戒して闖入者の目から直人を守るように立ちふさがる。しかし日頃浮かべているふわりとした笑顔が似合う小柄な身体で戦えるとも思えない。殴られただけでも倒れてしまいそうな儚さを想像しただけで無意識に身体が動いた。
 むしろ直人が守ってやらなくてはと自分の背後に引き戻そうとした時、触れようとした身体が傾く。
 
「え……?」
『コウェロ、二人を連れて逃げろ! 侵入者が、ッ……!』
 
 振り返らず叫んだタギの言葉が途中で途切れ、大柄な身体がどさりと音を立てて崩れる。その傍らではセオリも地面に転がり、続けざまに人が倒れた様子を見た直人はしばし言葉を失っていた。
 
「……せ、セオリ!」
 
 慌ててしゃがみこもうにもコウェロに掴まれたままの腕がそれを阻む。
 
「な、なんでだよ。あ、あんた、味方じゃないのかよ!?」
 
 セオリとタギの首にそれぞれ一撃当てて倒してしまった男を睨みつけるが、ぞっと底冷えするような眼差しだけが返される。これまでも彼からの憎悪を感じていたが、ここまで暗く抉れるように突き刺さる視線は感じたことがない。
 気圧され口を噤まされた直人だったが、足元で、う、とタギの声がして我に返る。
 まだ意識があるのかもしれない。しかし様子を見ようと近づこうとする前に無残にもコウェロに強く頭を足蹴りされて、再び沈黙してしまった。
 
「何してんだよ! 殺すつもりか!?」
『黙れ』
 
 短い一言ともに頬に衝撃が走る。ぐわりと視界が揺れて、かっと肌が熱くなる。
 
『黙れ』
 
 同じ言葉を繰り返したコウェロの掌が、再び直人の頬を張った。視界を揺らしている直人の胸ぐらを掴み、強引に目を合わせた。
 
『いいか、この出来損ない。ようやくその身を陛下のお役に立てる立場にしてやるんだ。我々に感謝して大人しくついてこい』
 
 怒鳴るでもなく、あくまで冷静さを失うことなく淡々と言葉にする姿は、かえって直人の恐怖を煽る。怒っていれば衝動的とわかるが、この男は理性的なまま仲間に手を出したのだ。
 それが何を意味するのかわからないまま、直人は近づいてきていた闖入者の男に手足を縄で縛り上げられた。荒縄が肌に食い込み痛みに呻いた口には猿轡を噛ませられる。もう一人隠れていたらしく、その男が直人の頭に袋を被せた。
 視界が覆われる寸前、地面に倒れた二人の姿が目に入る。
 身を投げ出した姿のままぴくりとも動かない。伏していて顔も見えず、気絶しているだけなのか判断がつかなかった。
 それとももう、死んでしまったか。
 
(セオリ……!)
 
 いつも直人に笑いかけてくれて、心配をしてくれて、懸命に心を砕いてくれていた。閉じ込められた日々が然程味気なくならなかったのは、間違いなくセオリがいてくれたからだ。言葉が通じなくても、ここに来てからの日々で心のよりどころであったのに間違いはない。
 
「んんっ、んーっ!」
 
 名前を叫んだつもりだが、猿轡に阻まれてまともに言葉にならなかった。袋を外そうと頭を振ると、右の腿に強い痛みが走った。
 
「んぐ……ぅっ」
『おい、無暗に傷を作るんじゃない』
『はぁ、すんませんね。暴れるもんでつい』
 
 呻く直人を心配する声などどこにもなく、足に突き立てられた短剣が抜かれただけだった。それほどまでに深くはないが、裂かれた肌から血が溢れ出して温かに濡れていく。
 
『いいから、あの方のもとに早く連れて行くぞ』
 
 頭を覆う袋を固定するためか、喉元を紐で括られる。きゅっと喉まで締まり息苦しい。
 誰かに荷物のように肩に抱えられ、歩きはじめたのがわかった。
 じくじくと感じ続ける足の痛みと恐怖に支配されながら、必死に何が起きているのか考える。
 セオリとタギが関与していないのは明らかだ。それならばガルディアスの指示でない可能性も高い。ならばこれはコウェロの暴挙だというのか。
 だが、なんのために? なんのために直人を攫う必要などある。ガルディアスと敵対しているとでもいのだろうか。だがコウェロはガルディアスに対して憧憬の眼差しを向けていたように思えていたはずなのに。だから、ガルディアスに気にかけて貰っている直人を疎んでいるのではないかと思っていた。わからない。何故こんなにも彼に恨まれなければならないのか、なにひとつわからない。
 この状況から逃げ出せるかと考えても、まともな答えがでない。手足は拘束されているし、たとえそれがどうなったとしても刺された足の痛みでまともに走れる状態でない。相手は三人もいて、逃げ出せる隙があるのかさえもわからなかった。
 
『あー、重ぇな。交代してくれよ』
 
 男は突然立ち止まると、荷物を放るように担いていた直人を投げ捨てた。
 受け身も取れずに地面に肩から落ちて、打ちつけた痛みに身を捩ると、それすら煩わしいというように誰かの足に踏みつけられて動きを制される。
 
『あーあ、小さくなって、可哀想だなあ。オレたち、あんたをいいところにつれてってやろうって親切してるんだけどなあ』
『女抱いてりゃいいだけの人生なんて、代われるもんなら代わりたいもんだぜ』
『なあおい、おまえこんなびびってて女なんて抱けんのかあ?』
「い……っ」
 
 身体を踏みつけていた足が離れたかと思ったら、股間を踏みつけられ痛みに呻く。猿靴を噛みしめるとうまく飲み込めなかった涎が口の端から垂れていった。
 足はすぐに退いたが、しばらく痛みは残る。げらげらと響く下品な笑いが自分に向けられているのは理解できて、あまりの屈辱に握った拳が震えた。
 
『何をしている。無駄口叩いてないで早く運べ』
『なあ、こいつ王さまのお気に入りなんだろ? やっちまってもいいか?』
『お、そりゃいいねぇ。おれも参加させろよ』
『何を言っている、駄目に決まっているだろうが。そいつは素質持ちだぞ。代身を産むために種馬になるんだ、穢すんじゃない』
 
 コウェロの語尾がやや荒くなっていく。口論が始まりそうな気配を感じたが、コウェロの溜息が自らの苛立ちをいなした。
 
『……もういい、おれが運ぶからさっさと行くぞ』
『うるせえなあ。ちょっとくらいいいだろうが』
『なあ、どうせならおまえも楽しもうぜ。だぁい好きな王さまと穴兄弟ってのも悪かねえだろ』
『ま、そんときゃオレたちとも兄弟か』
 
 再び上がった男たちの笑い声を、ひやりとしたコウェロの声が裂いた。
 
『おまえたちいい加減にしろ。それ以上陛下を侮辱するのであればこの場で叩き切ってくれる』
『へえ? オレたちを?』
 
 ひゅんと風を切る音とともに、直人の身体にびしゃりと生暖かい液体が身体にかった。雫は顔にまで飛び散り、ぱたぱたと顔を覆う袋越しに音を感じる。それから遅れて匂った錆びた鉄の臭い。
 地面に重たい何かが倒れ、直人の足の上に誰かの手が投げ出される。
 
「ひっ……」
 
 思わず漏れた直人の声に気がつかなかったのか、それとも興味がなかったのか、男たちは平然とした様子で会話を続ける。
 
『わざわざ宣言すんなよな。そういうお堅いところが駄目だね、国仕えってのは。自ら後手に回ってどうすんだ』
『あーあ、どうすんだよ兵士殺しちまって。ちゃんと報酬もらえんのかあ?』
『こいつ連れていけば問題ないだろ。なあ、それよりも、うるせぇやつがいなくなったんだからちょっと休憩して行こうぜ』
『休憩、ね。いいぜ大賛成!』
 
 喉ごと締めていた紐が解かれ、頭に被さっていた袋が抜き取られる。
 目深く被っていたフードを取り払った男たちは、まじまじと直人の顔を覗き込んだ。
 
『まあそれなりには整ってるが、地味だねえ。それになんだか幼ないしなあ。まあ穴がありゃガキでも男でもなんだっていいけどよ』
『お? 涎なんて垂らしちまって、案外すきものか』
 
 顔に伸ばされた指先が、赤く濡れていた。よく見れば片方の男は服もべっとりと濡らしていて、濃厚な血の臭いを纏っている。
 直人の濡れた口の端を撫でると、あの張り付けたような不自然な笑みを見せた。
 
『おまえ、王さまのお気に入りなんだろ?』
『権力者を虜にした手管を俺たちにも披露してもらおうか』
 
 何を言われているのかわからない。だが、本能が二人を危険だと訴え警鐘を激しく打ち鳴らす。思わず身体が逃げようとした時、足が何かを蹴った。
 
「ひっ」
 
 無意識に足ともに向けた視界に映ったものに、直人の喉が鋭く鳴った。
 そこには喉を掻き切られ事切れたコウェロが仰向けに倒れていた。おびただしい血を流し、今も身体の下の血だまりが薄く伸びていく。
 よく見ると自分の服にも赤い点がいくつも染みついている。胸元で縮こまっていた手にも飛び散った血がついていた。
 
「あ、あぁ……っ」
 
 いつも鋭く睨んでいた目が、光を失い直人を見つめている。意識ない今も監視し、存在そのものを責めたてるように。
 自分が声を上げていることにも気がつかず言葉を失う直人の腹の上に、濃緑の髪の男が圧し掛かる。視界からコウェロが消えるが、彼を躊躇いもなく害したはずの危険な男たちが今度は直人を見つめた。
 血の付いた短剣に服を裂かれる。晒された肌を、赤く濡れた指先が撫でていく。
 
『なまっちろい身体してんなあ』
『こんなんが王さまの趣味ってか』
 
 人を殺しておきながら、けらけらと笑う男たち。彼らが何をしようとしているのか、この状況だからこそ理解できなかったが、舌なめずりをして肌を撫でられていけば嫌でも察する。
 濃厚な血の匂いが包むなか、自分たちが殺した相手がすぐそこに転がされている狂気じみたこの状況で――彼らは、直人を犯そうとしている。
 短剣は下のほうにまで伸びていき、下着もろとも裂いていく。直人の下半身まで晒すと、男たちは何か揶揄しているのか再び笑いあった。
 
『こりゃ使いこんでねえよな』
『抱かれるほうが得意だってのに、これから女なんて抱けんのかよ』
『もし不能で捨てられちまったら、おれたちが拾ってやればいいんじゃねえか』
 
 剥き出しになった性器が無遠慮に握られ、無意識に身体が逃げ出そうと身を捩ったその瞬間、どすりと耳の横で音が立つ。
 顔は動かさず目線だけで音のしたほうを見ると、短剣が突き立てられていた。
 それまで軽薄な笑みを浮かべていた男たちが、すっと表情を失くして直人を見下ろす。
 
『動くな。逃げるな。黙ってろ』
『殺されたかねえだろ。大人しくしてりゃ、それなりにおまえだって楽しませてやるからよ』
 
 地面を突いた短剣に耳が切られたのか、ぴりっとした痛みがあったが直人がそれに気づくことはなかった。
 ねっとりと首筋に散っていた血を舐めとられても、肌が粟立ち拒絶するのに、抵抗するために身体が動かない。
 ただただ恐怖と混乱に支配され、思考を奪われる。痛みも恐怖も拒絶する気持ちもすべてが真っ白に塗りたくられて、断続的に浅く続く自分の呼吸ばかりに意識が向いた。
 ふと、片方の男の手が止まる。
 
『……なあ、こいつの身体に呪いがしみついてるってことはねえだろな』
『あの赤月の王が抱いている身体だったな……』
 
 もう一人の手も鈍り、肌を這っていた舌が離れていく。
 上半身を起こした男は片手で顔を覆って苦々しげに唸った。
 
『ていうか、こんなことしている場合か……? まだ城から離れてないってのに、追っ手がきたら……』
『オレたち、何やってんだ……?』
 
 男たちの様子が変わり、異変を感じ取った直人の意識が僅かに戻る。
 もう一人も頭を抱えだし、まるで苦悩しているような姿だが、ふと男たちの頭上に赤黒い靄が広がった。それはだんだんと範囲を広げて、彼らの頭をすっぽりと覆ってしまう。
 すぐに靄は霧散していき晴れていくと、男たちの目つきが再び変わっていた。
 まるで心地よい夢を見ているかのようにとろんとして、口元にはあの歪な笑みが浮かぶ。
 
『まあ、いいか。なんだって』
『さっさとやっちまおうぜ』
 
 再び伸ばされた手が、狂気の終わりはまだ来ないとあざ笑う。
 腿が刺されている足を掬われ、その痛みに顔が歪んだ。それすらも男たちにとっては興奮の材料となるのか、あえて強く太腿を握って直人が痛がる様子を楽しんだ。
 
『おい、これ持ってろよ』
『なんだおまえが先かよ』
『ここまでずっと運んでやったろ。先くらい譲れよ』
『けっ、仕方ねえな』
 
 直人の足をもう一人が持ち、大きく広げる。無意識に抵抗して閉じようと身体が動いたが、あまりの無力さに男たちは制することもせず直人のつぼまった奥に腰を押しつけた。
 
 ――嫌だ。
 
『おい、慣らさなくていいのかよ』
『切れちまえば血が出て濡れんだろ。穴も緩くなるし、それで十分だ』
 
 どうせ咥え込んじまえば馴染むさ、とどちらかが高笑いをするがきつく目を閉じた直人に判断はつかない。
 
 ――嫌だ。嫌だ。
 
 首を振った。やめてほしいというせめてもの意思表示だったが、男たちは直人の顔など見ていない。これから自分たちが凌辱するその場所が、どのように傷つけられるかしか興味を持っていないようだった。
 それでも直人は首を振った。それがなんの意味もないと、彼らを止めることはできないと頭の隅でわかっていてもそれでも。
 男の欲望をぐっと押し込まれる。身を裂かれるような壮絶な痛みに悲鳴が上がり、それを男たちはあざ笑う。
 
(嫌だ嫌だ、や、やだ、いやだ――嫌だ!)
 
 ふつりと自分の中で切れる音がして、目の前が真っ赤に染まった。
 
 
  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇