ドランと王さま 嫉妬の話


 本日は天気も良いので、気分転換がてら外でお茶としましょう――そう宰相が言ったので、王さまは仕事の休息に中庭へとやって参りました。
 いつものようにドランと向かいあって用意された机についたのですが、今王さまの目の前の席には誰もいません。その代わりに王さまの背後では宰相がにこやかにほほえみ、近くに控える兵士たちは王さまの視線にどうしたものかと困り顔をしておりました。
 王さまは前にある席のその先の、広い中庭にて転げ回っている者たちに目を向けています。その視線はじっとりとして、それが宰相の微笑の理由で、兵士たちの困った顔の理由でした。
 楽しそうなドランの声が聞こえます。時折わふ、わふ、と、吠えるまでにはいかないまでも、興奮した犬の声もありました。
 王さまの視線の先では、ドランと、王さまの愛犬であるアレキドラが戯れていたのです。
 アレキドラはドランが大のお気に入りで、ドランを見つけるなりいつも飛びついてくるのです。ドランも動物たちが好きなので、うれしそうに相手をしてやるのでした。
 アレキドラは宰相の言うことはよく聞くのですが、どうしてか飼い主である王さまがお手と言っても寝そべった身体を起こそうともしないような、それどころか欠伸をする、そんな犬でした。
 躾けますかと調犬師に言われましたが、のびのびと生きてほしいことからそうはしませんでした。もとより大人しい犬でしたので、なんの心配もなかったのです。ですが今となっては、少しばかりは躾るべきであったと思うこともあります。
 悪さをする子ではありませんし、躾けなどしなくともとても賢くはあるのですが、飼い主である王さまへの態度があまりよろしくはありません。ただの飼い犬とは違うのですから、犬相手に横着な態度をとられてしまうと、王さまの威厳に関わるのです。
 とはいえども、アレキドラは本当に賢い犬なのでした。王さまの前やドラン、宰相やお付きの兵士たちの前では自由に振る舞ってはおりますが、来賓の前ではきちんとした王様の犬を演じるので、質が悪いと王さまは思っております。ここぞというときには王さまを立てているので、躍起になってまで躾けし直してやろうという気にはなれないのです。
 ですが、決して王さまとアレキドラは仲が悪い訳ではありませんでした。言うことは聞いてはくれませんが、顔を見せればとりあえずは尾を振ってくれますし、時々は近くにきてくれます。気が向いたときにしか撫でさせてはくれませんが、王さまも同じで、気が向いたときにしか撫でないのでそれはおあいこです。
 そんな調子のいい愛犬は、はじめの頃はドランの風貌におののいて尻尾を巻いていたというのに、今ではドランの顔を見るなり飛びつきます。濃淡の違う肌をべろべろと舐めて、尻尾などちぎれてしまいそうなほどぶんぶんです。王さまには一度も見せたことのない姿です。
 今も、二本足で立ち上がれば成人女性の肩ほどもある身体で、押し倒されたように横になってくれたドランの上に乗って、顔中をなめ回しております。
 アレキドラを受け入れるドランは嬉しそうに笑っていて、先ほどからじゃれてくるアレキドラに構い通しでした。
 せっかく給仕係が用意してくれたお茶も冷めてしまいましたし、菓子は一度も手を伸ばされてはおりません。
 王さまは、ドランと一緒に食べようと思っていたのです。アレキドラが現れたときにも、少しだけなら、と思い待っておりました。
 ですが、いつまで経ってもドランはアレキドラのもとです。
 そろそろ王さまのひとときの休息の終わりこようとしたとき、宰相がドランに声をかけました。

「ドラン、その辺にしておきなさい。そのまま休憩が終わってしまう前に、しっかりと休みなさい」
「わかった」

 迫るアレキドラの顔を押さえて、ドランはにこにこしながら戻ってきました。
 一般的な大きさの椅子に巨体を窮屈そうに腰掛けます。
 顔はアレキドラのよだれでべたべたしておりましたが、ドランは気にした風もありません。濡れた肌に、倒れたときにくっついたのか芝生の葉がくっついておりました。
 仕方がない、と王さまはとってやろうと思いましたが、彼の足下に陣取り横になったアレキドラを見てやめました。
 ようやく傍に戻ってきたドランに、王さまは目を閉じ、冷めた紅茶を一口含んで言いました。

「少しは大人しくしていろ」

 ちょっぴり険の混じる声になってしまいましたが、それでもいいと王さまは思いました。けれどもすぐ後悔します。

「ごめんなさい」
「いや……」

 しゅんと、肩だけでなく長い耳も下げたドランに、王さまは居心地悪く思えて、歯切れの悪い返事をしました。
 注意をすれば、ドランが素直に謝ってくるだろうと王さまはわかっていたはずでした。それなのにいざごめんなさいと言われると、なんとも後味の悪さを感じます。
 その理由はわかっております。さきほどの注意には黒い混じりけがあるからです。八つ当たりのようなものであったから、余計に罪悪感に背中をちくちく刺されたのです。

「あれきどら、へーかのなのに、ドランばっかりあそんだ。ごめんなさい」
「いや、それは別に……」

 反応の悪い陛下にますます耳を垂らすドランは、見当違いなことを思ったようです。
 体勢を直しお座りをしたアレキドラが、まっすぐ王さまを見上げてきました。心なしかその眼差しが責めているように思えて、王さまはますます次の言葉の行き先をなくしていきます。
 ぽんと、アレキドラの頭に宰相が手を置きました。

「いいのだよ、ドラン」
「さいしょーさま」

 アレキドラと一緒に、ドランは宰相に目を向けました。王さまも視線を向けます。
 彼は始めから浮かべている穏やかな笑みをそのままに言いました。

「陛下はドランにはでなく、アレキドラに嫉妬なさっているのだから」
「なっ」
「しっと?」

 王さまとドランの声は重なりあいました。
 少しばかり王さまの声量のほうが大きかったのですが、有能な宰相はしっかりとどちらも聞き取っていたようです。

「それはね」

 柔らかな笑み。けれども王さまにはちょっぴり意地悪く見える弧を描く口元を動かそうとしたので、王さまは咳払いをひとつしました。

「余計なことは教えなくていい」
「余計なことですか。承知いたしました」

 てっきりまだ一言二言あって、結局王さまは言い負かされてしまうのではないかと危惧しましたが、あっさりと宰相は引き下がりました。
 よくわかっていないドランは、首を傾げて二人を見ます。ですが王さまはこれ以上面倒な話をするつもりはありませんでした。
 ドランはものを知りません。ですから、言葉の意味を教えなければわからないままです。そして忘れっぽくもあるので、すぐに嫉妬などという言葉は忘れていくでしょう。
 それに、もし聞いたとしても、きっとドランにはわからないでしょう。彼は見かけによらぬ純真の塊です。その代わり、彼の闇はすべて王さまが背負っているのです。ですから知らなくていいのです。
 きっと、それがいいのでしょう。
 これでひとまずは安心かと、小さく息をついてもう一口お茶を含もうとした、そのときでした。

「ドラン。陛下はドランに、自分だけを見ていてほしいんだよ」
「ぶっ」

 王さまは思わずお茶を吹き出しました。慌てた様子で控えていた者たちが寄ってきて、王さまの口元を拭いました。
 幸いなことに服には落ちておらず、染みにはならなかったようです。

「大切なことと思いましたので、言わせていただきました」

 宰相を睨みましたが、彼は涼しい顔のままです。ドランや皆の前でくだらない言い争いをするわけにもいかず、しぶしぶ王さまが引き下がりました。
 騒がせてしまったことを申し訳なく思いながら、皆を下がらせると、ふと視線を感じて顔を上げます。
 そこにはふにゃんとしたゆるゆるの笑みで王さまを見つめるドランがおりました。いびつに並ぶ歯を見せるそれは一見とてもおぞましいもののようにも思えますが、彼の本性を知っていれば、なんとも間抜けに見えるものです。
 その証拠に、そう仕組んだ宰相は口元を隠して笑い、その後ろに控える従者たちも思わずつられてゆるみそうになる頬を賢明に引き結んでおります。

「ドラン、へーか、みてる。ずっとみてる。へーかみてる、すき」

 王さまの心に陰る闇色は、いつだってドランが明るく照らします。
 けれども、時折それが強すぎることもあります。そんなとき王さまの頬は朱色に色づいてしまうのです。
 ドランは純粋な瞳で熱心に、王様が顔を真っ赤にして根を上げてもなお、王さまだけを見つめるのでした。

 おしまい

 

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お題ありがとうございました!


2016/11/13