Desire なんだかんだで甘い話


「ったく、あいつまたほっぽり歩きやがって。いつも巻き込まれるこっちの身にもなれってんだ……」

 むっすりとした表情で独りごちりながら、ジィグンは廊下を突き進む。
 八番隊の副隊長に泣きつかれたのはつい先ほどのこと。隊長の印がなければ提出できない書類があるというのに、肝心の隊長がいつまで経っても見あたらないというのだ。
 そこで、少なからずハヤテとは縁の濃い部類に入るジィグンが引き出されたというわけだ。隊長であり、かつ老体のアロゥにお願いできることではなく、ましてや足の悪いハヤテの主であるフロゥに頼むわけにもいかない。その他に親しくしている者もおらず、自動的にジィグンが残るというわけだ。
 自身の主の弟子の獣人という、身内にも近しい者のせいで泣いている部下を放っておくわけにもいかず、己が所属する部隊の隊長のヤマトに許可を得て、しぶしぶながらにハヤテを探しに歩いていた。
 とはいえ、もはや日常のことであるハヤテの逃亡にすっかりなれてしまっている。彼が隠れて休んでいるところはいくつか検討はつけていて、そこをあたれば大抵見つけることができた。
 そして、城の角にある樹木が生い茂っているハヤテが一番気に入っている樹のもとにたどり着くと、やはりその根本に彼はいた。

「ったく、やっぱりここか」

 仕事を抜け出しているというのに、堂々と両腕を頭の後ろに回して身体を寝かせている。
 ジィグンが声を出しても起きる気配はない。
 傍らにしゃがみ、無防備な寝顔をのぞき込んだ。
 いつだってそこにある眉間の深い皺だが、さすがに眠っている今は跡形もなく消えている。鋭い眼光も瞼の下に隠されているせいか、ハヤテの表情はとても穏やかに、そしてどこか幼く見えた。

「さすがのおまえも、寝顔はかわいいもんだな」

 思わずこぼれる自分の笑みに気がつかないまま、ジィグンは指先でちょんちょんとハヤテの頬をつついた。
 普段では決してできないし、やらせてくれないが、寝ているほうが悪いのだ。

「ほら、とっとと起きろ。おまえの部下がないてんぞ」

 ゆっくりとハヤテの意識が浮上していくのを教えるかのように、眉間の皺が徐々に姿を現していく。
 うっすら開いた瞼の下から、ようやくジィグンの姿を捕らえたようだ。しかし寝起きのせいか、しばらく眩しそうに幾度か瞬き、ジィグンの手を払いのけて背を向けた。

「うるせー」
「仕事中だろうが! さっさといくぞ!」

 このまま眠り続けようとするハヤテに、やはりかわいげはないとジィグンは声を荒げながら腕をとる。
 強引にでも引き上げようとするが、腕を引かれてしまいすぐに手を離してしまった。慌てて指先は追いかけるが、それがハヤテの腕を再びつかむことはなく、代わりに向きを変えたハヤテにジィグン自身が腕を引かれる。
 しゃがんでいた体勢が崩れて、ハヤテの胸に飛び込む形で倒れ込む。そのまま背中に手を回されて、がっちりと抱き込まれてしまった。

「おまえな――」
「うるせー……黙ってろ」

 小言をくれてやろうと口を開くも、眠たげな声音につい毒気を抜かれてしまう。
 大人しくしていると、次第に拘束がゆるみ、安らかな寝息が聞こえてくる。
 慎重に身体を離していこうとすると、途中でハヤテが小さく声をあげた。

「う……」

 思わず動きを止めて、顔を見上げる。そのまま目をつぶったままのハヤテの様子を見ていると、ゆっくりと眉間の皺が解けていき、再びあの無垢な寝顔とまみえた。

「――ったくしゃあねえな」

 あとちょっとだけだぞ、とぽそりとつぶやく。
 八番隊の副隊長には申し訳ないが、今だけ大目に見てやろうという気になってしまうのも、仕方がないだろう。これだけ穏やかな寝顔を見せられてしまえばどうにもきつい言葉を投げかける気にもなれない。
 それに、少しだけ甘くしてやりたくなる気持ちが出るのも仕方がない。珍しくハヤテが、朝早くから午前いっぱいまで執務室にこもっていたというのだから。
 仕事をするのは当然だが、彼にしてみれば随分と健闘したほうだろう。ジィグンを捕えるしなやかながらも筋肉質な身体からわかる通り、もとより戦うことだけを得意とする男だ。苦手というよりも苦痛でしかない作業を耐えたのだから、精神的に疲れてしまったのだろう。
 ――だから、あと少しだけ、労ってやってもいいだろう。
 どうせ今抜け出そうとしたところで、動くな、とでも言われて再び拘束されかねない。
 そうなれば鼠になって逃げだしてしまえばいいのだが、逃げ出せたところでハヤテを連れていけなければ意味がない。
 色々な言い訳を付け足して、ジィグンはハヤテの腕の中で大人しくする。鼠の習性からか、少し窮屈だが、しっくりはまると思えるこの場所が、思いのほか落ち着く。
 時折、目覚めさせようとするジィグンが煩わしいのか、寝ぼけたハヤテがこうして抱きしめ黙らせることが稀にあった。今となってはこのおかしな状況であっても、ハヤテの腕のなかが妙に居心地の良さを感じてしまう。初めは何故だ、それでもいいのかと悶々したが、色々吹っ切らなければハヤテの世話などやっていられない。
 薄く開いた口から、今にも涎が垂れてしまいそうだ、と見つめているうちにいつの間にかジィグンも、心地よい木漏れ日のなかで瞼を閉じていた――

 

 

 その後、ようやく目覚めたジィグンが慌てたところでハヤテはなかなか起き出さなかったし、このことを耳にしたアロゥに二人そろって穏やかに嫌味を聞かされることになるのだが、今はまだ、体温を馴染ませ合う彼らは知る由もない。

 


 八番隊の隊員だけでなく、ハヤテの要請も受け、行方を晦ませた二人を探しにくることになったアロゥに起こされ、二人並んで穏やかな嫌味を聞くことになる未来を、夢の世界へ行ってしまった彼らはまだ知らない。

 おしまい

 

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お題ありがとうございました!


2016/06/11