Desire 学校生活

※モブ視点

 

 学校の中で、明らかに異質な男が一人いた。
 同級生だけでなく、上級生にも、教師にさえも一目置かれているようなやつで、彼に気軽に声をかけるものはいなかった。
 類まれなる美形で、かつ頭脳明晰、スポーツ万能でさらには高身長。恵まれた才能と容姿を鼻にかけることもなく、高校生にしてはやけに落ち着いていて、寡黙で、彼と目が合うだけで感じる威圧のようなものに誰もが息をのむ。
 時々女子がなんとか己を奮い立たせて想いを打ち明けることもあったが、誰一人として彼をものにできたものはいなかった。どんなに男子に人気であっても、年上の色気があろうが、庇護欲掻きたてられる愛らしさがあろうが、彼の答えは決まっていた。
 好きな人がいる――口にするとともにその想いを噛みしめるように、懐かしむように彼は言うのだ。
 その想い人とは誰だろう、と誰もが考え、模索するも、その人が見つかることはなかった。そして彼自身もその相手にアピールするつもりはないのか、いつでも一人だった。もし彼に迫られれば、余程のことがない限り相手の女性は落ちてしまうだろう。その隣に誰もおらず、気配すら感じさせないということはつまり彼は手を出していないということになる。
 そんな、これまで一匹狼のようだった、孤高の存在であった岳里岳人が、ある日から突然一人の男を構うようになった。同じクラスのごくごく一般的な高校生である、野崎真司だ。
 真司は普通にクラスに馴染んでいるし、気軽に話せるし、際立つ才能はない平凡な男だ。中心に立つようなタイプではなくて、周囲の一人として笑っていることの多いようなやつだ。
 岳里と真司が話しているところすら見かけたことがなかった。それなのに週明けに学校に来ると、岳里のほうから真司のもとに行くようになっていた。しかも自分から話しかけている。
 それまではクラスメイトが話しかけてようやく応えるくらいで、自分から近寄ろうとは一切せずに、いつもどこか遠くを見ているような男だった。そんな謎多き男が唐突に平凡な真司に懐いたのだから、本人たちには隠していたが陰では皆大騒ぎしていた。
 会話の内容に耳をそばだてるが、昨日何食べたとか、勉強教えてくれよとか、テレビの内容だとか、そんな特別な会話はない。みなが知りたがったなれ初めもわからずじまいだ。
 共通の知り合いがいるらしく、どうやら外国人らしいその人たちの名を口にすることが多かった。とくに真司はその人たちを懐かしんでいるようで、しきりにみんなどうしているかなとか、会いたいなとか呟いている。なかでも〝りゅう〟という名は頻繁に出てきて、その人物が会話にあがる度に二人揃ってとても優しげな、けれども寂しそうな顔をしていた。
 そんな二人の雰囲気は落ち着いていて、とても自然だった。まるで長年連れ添っている間柄のようだった。穏やかであるのに、だが不思議とあいだに入り込むことがはばかられるような気がして、誰も二人の関係に突っ込むことができずにいた。
 真司に話しかければこれまで通りの対応だし、接しにくくなったということはない。岳里も相変わらずの薄い反応だ。
 だが、二人がつるむようになりそれぞれが少しずつ変わっていた。
 真司は以前よりも落ち着いて、懐が広くなったような気がするし、岳里は時々、本当に微かだが笑みを見せるようになった。ただし真司の前だけの限定ではあるが。
 皆、急に距離が近くなった二人が気になっている。けれども聞けずに、悶々する。
 それを知らずに、真司は岳里の前で嬉しそうに笑っていた。相変わらず岳里は無表情で笑っていないが、彼を笑わせることができるのも、彼の前で心から笑っていられるのも真司だけだった。

 

 

 

 授業がすべて終わり、帰る準備をする真司を、すでに荷物をまとめ終えた岳里が傍で待っていた。

「今日は買い物に行くんだろう」
「ああ。前に教えたコーヒーがおひとりさま一点限りっていうから頼むな。兄ちゃんあれ好きなんだよ。毎日飲むからあっという間になくなっちゃって」
「わかった」

 真司の家庭の事情は皆知っているから、帰り道にスーパーに寄ることはわかるが、家の買い物に仲がいいだけの友人をつれていくだろうか。
 岳里がスーパーでカートを押している姿を想像しようとするが、何故だがうまく頭に描けない。自分が行ったことのあるスーパーの風景よりも、行ったことのないどこかの高級ホテルのレストランで優雅に食事をする岳里の方がすんなり浮かんだ。

「今日の夕飯はなににするんだ」
「最近ちょっと肌寒くなってきたから、久しぶりに鍋でもやろうと思って。あ、おまえんち今日はどっちも遅いって言ってたからどうせ食ってくんだろうと思ってたけど、もしかして予定あった?」
「ない。食う」
「肉はちゃんと三等分な。この前みたいにおれの分まで食うなよ」
「分かっている。また食事に誘ってもらえなくなるのは堪えるからな」

 真司が唇を尖らせると、岳里が小さく笑う。
 まだ教室に残っていた同級生たちがひっそりざわつくが、二人は気付いていないようだ。
 鞄を閉めた真司が立ち上がろうとしたところで、無意識に口が開いていた。

「なあ、岳里と真司って、そんな仲がよかったっけ」
「えっ」

 これまで自分の手元と目の前で待つ岳里ばかりを往復していた真司の目が、驚いたように振り返る。
 単なる興味からの質問だったが、何故か真司の顔がさっと赤くなった。

「えっと……その、最近になって、岳里が小さい頃よく遊んだやつだって気づいたんだ。すげえ仲良くしててさ、すっかり忘れてたんだけど、懐かしくて。だから今、これまで気づけなかった分を取り戻そうと思って」

 最初はやや早口だったが、話していくうちに落ち着いていった真司は、切なげに、けれども今の幸福を噛みしめるように柔らかい表情になる。
 岳里とともにいるようになってから、時折真司がとても大人びて見えることがあった。これまではただの友人で、みんなと同じになってときに馬鹿騒ぎするだけだったのに、たまに見せるなにか深いものを感じさせる表情に、ぞくりとするものを感じた。
 ふと今になって、岳里のお決まりの台詞を思い出す。
 好きな人がいる――それは、もしかして。

「真司」
「ん?」

 岳里の声とともに意識が逸れる。

「何味だ?」
「ああ、鍋か? 今日は定番の醤油ベースにしようと思ってたんだけど、希望があるなら聞くぞ」
「それがいい」

 岳里は机に置きっぱなしになっていた真司の荷物を掴み、自分のものと一緒に肩にかけて先に歩き出した。

「ちょ、おれの荷物!」

 慌てて立ち上がり、真司はすでに教室から出て行った岳里の後を追いかける。
 廊下に出ようとしたところで、思い出したように振り返った。

「じゃあ、帰るわ。また明日な!」
「おー」

 軽く振られた手にこちらも同じく返すと、それを見ないまま真司は岳里を追いかけていく。
 見る人がいないままの手を下して、去り際に一瞬垣間見た岳里の顔を思い出して身震いする。
 余計なことは言うな、と釘を打つような鋭い視線。あんな表情を、彼もするのか。笑いもしなければ怒ることも、周囲の視線を煩わしそうにすることさえもなかったというのに。
 これまで滅多なことでは、というよりも一切表情を変えなかった男の本音を垣間見た気がする。それと同時に、先程浮かんだ考えが事実であると肯定された。

(まさかあの岳里が、真司をね。――ま、今の岳里のほうがなんだか好感持てるし、細かいことはどうでもいいか)

 完璧すぎて近寄りがたかった同級生だが、今の彼はちゃんと血の通った人間に思える。笑って、怒って、真司が傍にいれば、いつかもっと他の岳里の顔が見られるような気がした。
 それにしても先程の視線は恐ろしかったと思いつつ、我が家も今夜は鍋にしてくれないかなあ、とぼんやり思った。

 

 

 それまで順調に進められていた足がふと止まる。
 一歩先に進んだところでおれも立ち止り、振り返った。
 声をかけるよりも先に、真司がぽつりと呟く。

「少し距離を置いたほうがいいかな」
「何故だ」
「何故って……ほら、岳里はいつだって注目されているし、今まで接点なかったおれが突然一緒にいるようになればそりゃみんな驚くよなって」

 やや俯いたまま、目も合わないまま吐き出される言葉には力がない。
 こうしてともにいられるようになる以前は、真司もまた遠くからおれを眺める者の一人だった。おれ自身はそうは思っていなくても、特別にしていたとしても、態度に出したこともないのだから当然だ。だからこそより客観的なおれへの評価を知ってしまっている。
 自分が周囲からどのような目を向けられているか知らないわけではない。好意も、羨望も、嫉妬も、興味も、気づかぬ振りをするにはすべてが熱心でいくらか鬱陶しく思えるほどだったのから。
 ディザイアから帰還して、堂々と真司とともにいられるようになった。だが経緯を知らぬ者たちからすれば、おれたちは突然親しくなった友人にしか見えない。おれが誰とも群れようとはしなかったからこそ、よりいっそう注目されてしまっている。だがこれまでは真司はおればかりを見ていて、その視線に気づいてはいなかった。
 そのうち周囲の興味も落ち着くだろうと思っていたが、それよりも前にクラスメイトの余計なひと言で真司は気にしてしまったようだ。
 真司は自分が注目されるのが嫌というよりも、おれの評価が変わってしまうことを恐れているようだ。周りの目線など自分が望んだものではないが、それでも真司からすれば自分の存在で低く見られてしまうのがいやなのだろう。
 あまり自身に自信のない真司は、たまにそんな遠慮をする。それがどれだけ無意味なことかも知らずに。
 おれ自身が選んだ相手だ。文句など言わせるつもりなど毛頭ないし、周囲の人間が真司の内に潜む魅力に気がつけばくだらない視線を送られることはなくなるのかもしれない。だが、それを知るのはおれだけでいいと思ってしまう。よからぬことを考える阿呆が増えては困る。
 真司はおれのつがいだ。生涯でただ一人、おれのすべてをかけて愛し守り抜くと誓った相手。
 俯く真司の腕を取り、人気のない脇道に逸れる。
 誰もいないことを探ってから、戸惑う真司を抱きしめた。

「ようやくおまえと一緒にいられることになったのに、離れろというのか。これまでずっと、気づかれぬよう眺めているだけだった。こうして触れることなどあり得ないのだと諦めていた。だが今は堂々とおまえに触れることが許される。つがいの権利を、つがいであるおまえが奪うのか」

 ――本当はおれのほうこそが真司に相応しくないのだろう。
 泣いてばかりで、泣かせてばかりでいたが、それでもおれを受け入れてくれた。どんな困難にぶち当たっても、くじけそうになっても、諦めずに前に進み続けるしなやかな強さを持っている、強く、そして美しいやつだとおれは思う。いつだっておまえがおれの心を駆りたてるのだ。
 おまえに名を呼ばれるだけで、おれがどんなに幸福になるか。与えられるものの多さに対し返せるものが少なくて、それがもどかしく、いかに自分が無力であるかを突きつけられる。そんなことができるのは真司だけだ。
 自分のすべてと断言できるつがいを、今更手離せるはずがない。
 おれの想いが届いたのか、真司のほうからそろりと伸ばされた手が服の裾を掴んだ。

「その言い方、ずるい」

 腕の中で、真司ははあ、と溜息をついた。

「わかったよ、もうあんなこと言わない。悪かったよ。――あー、女子の恨みとかかいたくないな……」
「なにかされたらすぐに言え」
「女子相手に怯えなくちゃならないのがなんとも情けない気がするけど、まあもしもんときはよろしく。ないに越したことはないけどさ……そんときは穏便にな?」

 あえて返事はしないまま腰に回していた手を身体の輪郭を辿りながらするする上げていく。項を撫でると、真司がぴくりと震えた。

「……岳里、ここ、外……っ」
「わかっている。なにもしないから、あと少しだけ」

 指先で襟足の髪を撫でつけ、頭の先に唇を押し付ける。そのまま呼吸をすると、真司の匂いがよりいっそう濃く感じられた。
 あと少しと言いつつも、限界だ、と突っぱねられるまで、もう少し色々なところに手を這わせて真司を堪能することに決める。

「――ちょ、岳里……っぁ」

 胸を押し返そうとささやかな抵抗をする腕の力が弱まる。服の中に潜り込ませた手で背中を撫でる。
 鍋は食べさせてもらえるものの、肉は一切れももらえず落ち込む未来が待っているとも知らずに、腕の中で震える真司を存分に可愛がった。

 おしまい

 

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2016/09/25

岳里がまるで神格化されているところは笑うところです
やつの中身はただのむっつりで、真司馬鹿なだけで、真面目な話のふりしたギャグです!

お題ありがとうございました!