六日目に、騎士はようやく結論を出しました。
 身支度を整える騎士に、勘づいたのか、巨人は寂しげな視線を向けてきました。
 剣を腰に携えて、お弁当代わりの果物を外套で包み、それを小脇に抱えます。
 準備が整い、騎士は巨人に振り返りました。

「――そんな寂しそうな顔をするな。それじゃあ、行くとするよ」

 巨人に小さな笑みを見せて、騎士は洞窟から出ました。
 空に昇る太陽が眩しく思えて、手を翳して目元に陰を作ります。それでも明るさを感じて目を眇めると、どしん、と地面が揺れました。
 騎士は腕を下ろして振り返りました。すると、巨人は足を止めました。

「ついてくるな」

 騎士は首を振りました。巨人はやはり寂しそうに耳を垂らします。
 仕方ないなあ、と騎士は小さくため息をついて、巨人に向かって手を伸ばしました。すると巨人も手を伸ばしてきました。大きな中指の先に騎士の掌が触れました。
 青い肌はかさかさしていますが、指先までしっかり暖かいです。

「おまえのことを皆に報告しなければならない。これは、おまえのためでもあるんだ。だからそんな顔をするな」
「ギュゥ……」
「ギィ。終わったら、また顔を出しにくるから」

 名前を呼ぶと、ようやく想いが伝わったのか、僅かにとがった耳の先端が持ち上がりました。
 巨人はのしのしと洞穴の奥に戻ると、そこにあぐらを掻いて、じいっと騎士を見つめました。
 騎士は巨人に手を振り、やはり送られる寂しそうなまなざしに後ろ髪を引かれながらも、背中を向けて歩き出しました。

 

 

 
 一番近くの町に向かった騎士は、あのひどい嵐で隊は一度国に引き返したことを知りました。ですから騎士もその後を追い国に戻り、巨人に遭遇した者として王さまに事情を説明しました。
 報告を聞き終えた王さまは、厳格な表情を崩さないまま、言いました。

「それがおまえの出した答えというのか」
「左様でございます。すべての巨人に対しての答えを出すには至りませんでしたが、あの森に住まう巨人だけでしたら危険はないかと。こちらから危害を加えない限り、人間に手出しはしません。彼は草食であるが故、人を食らうこともございません」
「では、巨人はあのままにしておけと」
「こちらがつついて怒らせれば、被害は免れません。しかし今のままであれば、あの山でひとり穏やかに過ごしてくれるでしょう。幸い、あの山はなにかの通り道になっているわけでもありません。我らからしても、放っておいて影響はないかと思われます」

 王さまは、いつものむっつりした顔のままでした。ですから騎士は言葉を重ねました。

「それに、巨人に対して牙を剥いた獣もおりましたが、噛まれても巨人は相手にしませんでした」

 それどこか、のんびり空を見上げたままでした。獣の牙が離れてようやく、かゆいなあ、とでも思ったのでしょうか。噛まれた場所を、大きな指先でぼりぼりと掻いていました。

「かなり寛容であるとも思われます」
「――ふむ。わかった。もうよい、下がれ」
「はっ」

 長いあごひげを一撫した王様は、顎先で扉の外を示しました。騎士は恭しく頭を下げて、命令通りに部屋から出ていきました。
 その後、騎士は王さまに、一時の静養を命じられました。山で十分に休んでいて、元気はいっぱいありましたが、王さまの温情を謹んでお受けすることにしました。
 一日目は、久しぶりのベッドでゆっくり寝ました。ずっと木の葉の上でしたので、清潔な敷布の上は安心ができました。けれども、大きな呼吸の音もないし、傍らの体温もないので暖かな空気にもならず、なんだかとっても孤独のような居心地の悪さを感じました。
 二日目は沢山本を読みました。仕事に追われ、じっくり読めずにいたので、とても楽しかったです。気がつけば心躍るような、冒険譚ばかり読んでいました。けれどもそこに出てくる巨人たちは皆が敵で、意地悪で、残虐で、騎士のよく知る巨人とは正反対で、少し悲しくなりました。けれども昔は騎士だって、巨人はこんなものだと思っていたのです。
 いったいどれだけの人々が、あののんびり屋の巨人を恐れることになるのでしょう。
 三日目は町に出ました。行き先などなかったのですが、家に閉じこもってばかりだと身体がなまってしまいそうだったからです。あくまで静養中の気分転換ですので、身体に良さそうな果物でも見ようと考えました。
 そこで騎士は、異変に気がつきました。
 人々が、ひそひそ噂しています。騎士はそうっと聞き耳を立てて、町をざわつかせていることについて調べました。
 そして、巨人狩りの話を聞いてしまいました。

 

 

 騎士は家に戻り、装備もそこそこに愛馬に跨がりました。
 馬を走らせている間、たくさんの事を考えました。そして、自分の訴えを王さまが聞き入れてくれたわけではなかったことに、今更ながらに気づかされました。
 王さまは、わかった、と言ったのです。けれども巨人を見逃そう、などとは一言も言っていませんでした。ずっとこわい顔のままでした。
 巨人は無事でしょうか。あれから三日が経っています。どれだけの兵が投入されたのでしょうか。はたして間に合うのでしょうか。

(ギィ……ギィっ!)

 心の中で巨人の名を叫びながら、ひたすらに馬を走らせました。後少しだ、がんばってくれ、と愛馬をなだめながら、それでも止めてやることはできませんでした。
 ついに森に着きました。そしてその景色を見て、騎士は愕然としました。
 森が燃えているのです。どうやら巨人を追いつめるために、火を放ったようでした。
 燃えさかる森の前に王国の者たちがいました。騎士は彼らに近づきます。
 軽装の騎士が飛び込んできて、仲間の騎士たちは皆びっくりしたような顔をしました。そして一直線に入る騎士に道を開けるかのように、さあっと左右に避けました。ですから騎士は、すぐに先頭で火を眺める人の元まで辿りつくことができました。

「大将軍閣下!」
「やはりきてしまったか」

 騎士たちのまとめ役にして、王の剣であり、そして騎士の祖父でもある大将軍は、溜息混じりに言いました。
 巨人の報告をする際に、彼は王さまの隣におりました。ですから、騎士が巨人は敵でないと言っていたことを知っています。今の事態を最も望んでいなかったのも、理解しているのです。

「陛下は巨人を殺すおつもりなのですか」
「ああ、そうだ。いくらおおらかだといえども、本気を出されたのならばこちらはひとたまりもない。被害が出てからでは遅い。それに、これから仲間が増えたらどうする? そやつらまでおまえの言う善良な巨人と同じとは限らない。仲間に煽られ、あやつも我らに拳を降るかもしれない――おまえ自身、いかに浅はかな報告をしたか、わかっているのだろう」

 騎士は言葉を詰まらせ、唇をかみしめました。
 ええ、その通りです。本当はわかっていました。危険となる芽をつみ取るのも、また必要なことなのです。巨人が暴れなくても、人間は腕をちょっと振られただけでも吹き飛びます。一歩踏み出されただけで、地響きに尻餅を尽きそうになります。人間と巨人では、大きさが違いすぎるのです。
 彼がおだやかであると、ともに過ごすうちに知りました。だからこそ彼の行動ひとつがどれほど人間にとって威力があるものであるのかも理解しているのです。
 人間を守る立場にある王さまのお考えは正しいのです。

「ですが……っ、なにも森に火を放つ必要はなかったのではありませんか!?」
「多少の犠牲はやむをえん。確実に、そしてこちらの被害を最小限に留めるためだ」

 どうやら大将軍は、火が回り過ぎて大火事にはならないよう、燃やす範囲を定め、その周囲の木は伐採したようでした。
 つまり、今燃えている炎は巨人を捕らえるためだけの赤い檻というわけなのです。
 騎士は森に顔を向け、目をこらしました。
 そして熱に揺れる空気の中に、大きな背中を見つけました。
 騎士が踏み出そうとしたところで、その腕を大将軍が引き留めます。そして、高らかに言いました。

「矢を放て!」

 大将軍の命により、騎士たちが手にしていた弓を上空に構え、そして矢を放ちました。皆の矢が落ちる場所はばらばらです。ですか、なにせ的は大きいです。何本かが巨人の背に突き刺さるのを見ました。
 森の奥から、木々が焼ける音に紛れて巨人の呻き声が聞こえました。ですが、遠くに見える巨人の背中は一度震えただけで逃げようとはしません。

「次、構えよ!」

 騎士は強引に大将軍の腕を振り払って、巨人を目指して走りました。
 矢が降ろうとも構わないと思っていましたが、騎士が飛び出したのを見て、大将軍が二発目を放つの止めたようです。
 今しか機会はないと、騎士は走って、やっと巨人のもとに辿り着きました。
 まあるくなる背中には三本の矢が突き刺さり、そこから青い血が流れ出しておりました。巨人の身体には致命傷とはなりませんが、それでも痛々しいです。

「ギィ! わたしだっ」

 騎士が声をかけると、巨人はのっそり振り返りました。声でわかったのでしょう、その顔は以前にも見ていた笑顔と同じでした。

「どうして逃げない、ここは危険なんだぞ!?」

 騎士は巨人に詰め寄ります。しかし巨人は答える言葉は持っていません。その代わりに、自分のあぐらを掻いた足に目を向けました。
 巨人の視線の先を辿ると、そこには怯えて縮こまっている動物たちがおりました。巨人は炎から彼らを守っていたのです。
 火が周りを囲んでも、矢を放たれても、それでも逃げ出さず、守るためにそこにいたのです。巨人を呼んだ騎士に、こんな仕打ちをした人間の仲間なのに、それでも笑いかけたのです。
 その姿を見て、騎士の心は震え上がりました。周りの熱気にも負けないくらい、熱く、熱く、わき上がる感情のまま、言葉を吐き出しました。

「だめだ、やはりギィは殺してはならない! こんなにも無垢な者に手をかけるなど――っ」

 とても、眩しいくらいに優しく純粋な、きれいな心です。見た目は醜くても、その心は生まれたての赤子のように美しいのです。
 それをどうして、汚してしまうことができるでしょうか。その心に触れた者でさえよいものに浄化してしまえるのに、そんなにも尊いものであるのに、この世界から消してしまってよいのでしょうか。
 いいえ、だめです。少なくとも騎士は、この巨人は殺すよりも生かさなければならないと思いました。

「ギィ、か。その巨人に名を与えてしまったのだな」

 騎士の後を追い、大将軍がやってきました。しかし部下は、声を張らなければ届かない距離で待機しています。
 大将軍の意図を察して、騎士はありのままの自分に戻りました。

「お祖父さま……わたしは、やはりギィを殺すことなどできません。見て見ぬふりも、もうできません」
「こやつは、火を放ってからすぐに逃げればよかったものを、逃げ遅れた動物たちを守るために残った。――孫よ、命を賭けて他を守れるこの巨人を尊く思うおまえの気持ちも分かる。確かにこやつ、見てくれは悪いが賢く、そして心優しくあるのだろう。しかしわたしは陛下のお考えが間違っているとは思わない。我らに害なす可能性がなくならない限りはその巨人は我らの敵でしかない。ひっそりとここに生かしてやるには、あまりに大きすぎるのだ」

 彼がまだ、どこかに隠れることができたのなら、まだ王さまも見逃してくれていたかもしれません。あるいは騎士数人で取り押さえられるくらいなら、あるいはもっと弱い者であれば。
 しかし巨人はどこにも隠れられません。また人間に見つかり、騒ぎとなるでしょう。だからこそ、他国の戦争もなく、戦力を投じるゆとりのある今しかないのです。なにより巨人は各国からも恐れられる存在です。この国の誰かが巨人殺しの異名を勝ち取れば、それだけの力があると知れば、各国も迂闊に手を出してはこられなくなるでしょう。
 国の安寧の為、名誉の為、各国への牽制の為、いろいろな思惑があって、巨人は命を狙われております。
 それでも騎士は、騎士としての判断が下せません。

「わたしは……っ」

 答えの出せない騎士の悲痛な声に、巨人の耳がぴくんと動きました。
 これまで岩のようにじっとしておりましたが、不意に大きな手を動かします。
 大将軍の後ろに控えていた部下たちが皆、顔をこわばらせました。
 巨人は伸ばした手をぐわりと広げると、騎士の身体を掴みました。
 巨人が動いただけでは顔色を変えなかった大将軍も、さすがにそれには剣を抜きました。

「その者を離せ、巨人め!」

 孫のため、大将軍は叫びます。しかし巨人はぷいと顔を背けると、騎士をつぶさぬよう気をつけながら自分の影に入れました。そして、怯える動物たちのなかに騎士をそうっと加えました。

「ギィ……?」

 騎士が声をかけると、巨人はにっこり笑いました。だから騎士もわかりました。

「そうか、わたしも守ってくれるのだな……」

 巨人に人間の言葉は通じません。だからこそきっと、騎士の情けない声を聞いて、大将軍にいじめられていると思ったのでしょうか。それとも、周りで燃えさかる炎を遠ざけてくれたのでしょうか。
 わかることはただひとつ。
 巨人は、騎士を助けてくれたのです。
 騎士の仲間に森に火を放たれても。背中に矢を突き立てられても。それでも、数日ともに過ごしただけの騎士を守ろうとしているのです。
 いくら巨人といえども火に敵うわけがありません。大やけどを負い、そのまま命を落としてしまうことでしょう。
 いよいよむせかえるような熱気から逃げようがなくなってきて、さすがの巨人もつらそうな表情になってきました。

「ギィ」

 たまらず騎士は、巨人の膝の上によじ登り、彼を呼びました。すると巨人は騎士を掌に乗せて、顔の位置まで持ち上げました。
 騎士を目の前につれてきて、そっと瞼を閉じます。あのときのように、また無防備な姿を晒します。
 騎士であるのなら、ここで剣を突き立てなければなりません。軽装であっても相棒はしっかりと腰に携えてあります。あのときできなかったことを、今度こそやってのけるのです。しかし騎士は剣に手をかけることすらできませんでした。

「もういい。もういいだろう、ギィ」

 剣をとらない代わりに、騎士は瞼に触れました。青い肌に額を当てて、巨人に言いました。

「逃げよう」

 騎士が身体を起こすと、大きな目玉が開きました。すぐ傍で、じいっと騎士を見つめます。騎士も自分の両手を広げたほどもある巨人の目を見返します。

「逃げて、もっと穏やかに過ごせる場所を見つけよう。争いごとに興味のないおまえにここは似合わない。おまえはのんびり屋で、頼りないところもあるから、わたしが――おれがついていこう」

 巨人が喉の奥で鳴きました。けれど、彼がなんと言っているのか、騎士にはわかりません。そもそも巨人に言葉があるかさえ知らないのです。
 でも、騎士は決めたのです。

「ギィ、おれと一緒に、おまえの優しさを受け入れてくれる場所を探そう。頼むから、こんな場所で最期を迎えないでくれ――ギィ、ギィ……どうか、頼むから」

 切実な騎士の願いに、巨人はやはりへらりと笑いました。そして目を閉じ騎士の頭にぐりぐり目玉を押しつけ、楽しそうにしました。
 なにを言っているのかなんてわからないでしょう。けれども、騎士が巨人を呼んでいることだけはわかるのです。
 ついに巨人の顔の位置にまでやってきた煙に、騎士はせき込みました。すると巨人は、ぐわりと立ち上がりました。
 様子を見守っていた騎士たちが慌てて剣を構えます。しかし巨人は気にする様子もなく肩に騎士を置くと、しゃがみ込み、足元で震える動物たちに掌を差し出しました。震えていた動物たちですが、救いを求めるように自ら巨人の掌や身体の上に移動し始めました。
 ついに、ここから離れることになるのでしょう。
 巨人の耳たぶを掴んで落ちないように気をつける騎士に、大将軍が地上から声をかけました。

「国を捨てるか」

 静かな問いかけでしたが、胸が切りつけられたかのような思いでした。しかし騎士は叫びたい気持ちを押しとどめ巨人の肩から答えました。

「いいえ、国を捨てるわけではありません。私は祖国を愛しております。今後、より豊かに発展することを、皆の笑顔が絶え間なく続く国であることを心より願います。そのためにわたしができることをしたいと思います。しかし、この巨人を見捨てることもできないのです」

 静かな言葉ですが、ありったけの想いを込めます。

「国には、わたしのかわりとなる者がいるでしょう。しかしこの巨人を信じてやれる人間がわたしだけであるなら。皆が彼を誤解してしまうのであれば、わたしは彼と人間との架け橋となりたい」
「そうか――ならば、ゆくがいい」

 大将軍の言葉に、これまで沈黙を貫いていた部下のうちのひとりから声があがりました。

「な、なにをおっしゃいます大将軍閣下! あのお方を失うとは、我らにとってどれだけの損失となるかーーっ」 
「仕方あるまい。昔からあやつは正義感が強い男であったが、それゆえにかたくなでな。融通が利かず、なによりも真っ直ぐなものを愛していた。決めてしまったものを誰かにとやかく言われて変えるような信念ではない。まったく、誰に似たんだかな」

 大将軍のぼやきまでは、騎士には届きませんでした。巨人が立ち上がったからです。
 騎士は、祖父である大将軍に深く一礼をしました。そして頭を上げます。それを見計らっていたように巨人は歩き出しました。
 炎の少ない場所を選びながら、あち、あちと言いたげにひょこひょこ歩きます。
 振り落とされないようにぎゅうっと巨人の耳たぶにしがみつきながら、騎士はぽつりとささやきました。

「おまえにとっておれは特別必要な存在ではなく、守らねばならない森の動物等と同じであるのだろう。しかし、おれはおまえのともに歩もう。おまえが平和に日に当たる日々を送れる場所を見つけるまで」

 騎士は無垢な心を深く愛しました。けれどもやはり、祖国のことも愛しているのです。
 ですから旅が終わったら、いつか国に戻るつもりでした。あの祖父のことですから、きっと陛下にそう計らってくれるのでしょう。そうでなかったとしても、一から信頼を取り戻す覚悟はすでにありました。

「だから、それまでよろしく頼むぞ。ギィ」

 名を呼ばれたのが嬉しかったのか、巨人の耳が喜びを表すときのようにぴょこぴょこ縦に動きました。耳を支えにしていた騎士は、危うく叩き落とされそうになります。

「わっ、馬鹿! 耳を動かすなっ」

 鼓膜に直接怒鳴りこむと、途端に耳はしょんぼり下がりました。叱られたことがわかったのか、それとも騎士を叩き落としそうになったことに気がついたのか。
 どちらであるかはわかりませんが、しょげた耳は掴まりやすいので、そのままにさせておくことにしました。
 心の中で巨人に謝っていると、ふと燃えた森を抜け、煙のない青空が見えました。
 騎士は、その空のようにとても晴れやかな気持ちで笑いました。

 

 それから、騎士と巨人はとても長い長い旅をすることになります。
 その間にさらに絆を強くし、種族が違いながらも、言葉が通じないながらも二人は仲を深めていきました。
 そしていつか、騎士は知ることになります。
 巨人族には彼らなりの求愛の行動というものがあります。それが、巨人族の命の次に大切とされる、たったひとつの目玉を相手に差し出すということです。それだけ相手を信頼し、すべてを晒してでも傍にいられるという意志表示であります。そして、その差し出された閉じた目に触れるという行為は、求愛を承諾するということ――つまりは、人間でいう婚姻を交わしたことと同意になるのです。
ということで、巨人と騎士ははじめのうちから結婚していたのでした。実は巨人は、きれいな騎士に一目惚れしていたのです。
 しかも騎士は知らなかった巨人族にまつわるもうひとつの事柄がありまして、それは言葉です。
 巨人族にも、彼らだけの言葉があります。人間には鳴き声にしか聞こえないギィギィという鳴き声です。巨人族はとっても耳がいいので、半音の差だったり、長さだったり、ギィ、という鳴き声ひとつでもちょっとした違いで多くの言葉になることがあります。
 そしてギィ、という声から騎士が付けた巨人の名前。実は騎士が発音するそれですが、巨人族の言葉で、愛しています、と舌っ足らずに言っているように聞こえるのです。
 知らず知らずのうちに巨人のお嫁さんになっていた騎士は、名を呼んでいるとばかり思っていたのが、いつもいつでも、愛している、と言っていたのです。そんなお嫁さんがかわいくて仕方のない巨人は、だからいつもギィと呼ばれた後にへらりと笑っていたのでした。どうやらおこりんぼうで、でもいつも自分のことを案じてくれているようで、素直に愛していると言ってくれたり瞼に触れるという愛情表現したりしてくれて、ですから巨人は騎士のことが大好きなのです。
 将来、騎士は巨人への恋心を自覚するときがくるのですが、そんなことは旅を始めたばかりの騎士が知る由もありません。
 実は結婚していたことも、名を呼ぶ度に愛していると伝えていることも、自分の好きと巨人の好きはきっと違うのだと思い悩むことになるとも知らず。そしてすべてを知って赤面する羽目になるのも、ようやく想い実って夫婦としての甘い日々を送ることになることも知らず。
 今はまだ、騎士は己の真っ直ぐな心の赴くまま、巨人と歩きます。
 その旅路では多くの人々を救い、人間と魔族をもつなぐ奇跡を起こすことだって、まだ知りません。
 そう。これから先、何百年、何千年と語り継がれる騎士と巨人の物語はまだまだ始まったばかりなのです。

 おしまい

 

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2017.7.1