出会いと別れ

ツイッターで10RTされたら一番リプの多かったCPで短編小説、という企画で以前皆さまにRTしていただき、こちらのお話を書かせていただいた作品です。
物語完結後の未来の話


 

 いつものように神樹の虚で待っていると、日が沈む頃に山の神は姿を現した。
 真ん中に座っていた身体を避けて、場所を空ける。

「おかえりなさい、山神さま。今日も異常はありませんでしたか?」
「ああ。影もおらず、獣どももよく落ち着いていた」

 のっそりと身を屈めながら中に入った山の神は開けられた場所に腰を下ろし、寝そべるよりも先にぺろりとおれの口の端を舐めた。

「もう飯は食べたのだな」
「は、はい……」

 口元に果実の汁でも残っていたのだろうか。舐められたそこを腕で拭っているうちに、朝からなかなか直らずにいた髪の乱れを舌で撫でつけられる。
 いつも起きて早々に毛づくろいされるのだが、今日のそれは頑固で、結局夕方になった今でも、もう一度押さえつけられてもぴょこんと跳ねてしまった。
 それを複雑げに眺める視線に気が付くも、山の神ももう諦めたらしい。

「いい加減に櫛でも用意するか……」
「え?」
「いや、なんでもない」

 何かをぽそりと呟かれるものの、うまく聞き取れなかった。一体何を言ったか気になるものの、今追求したところで山の神が答えてくれないことは知っているからおれもそれ以上は尋ねない。
 ようやく山の神が寝そべり、おれはその腹に身を沈める。ふわふわと温かくて、長い毛先が肌をくすぐり少しだけくすぐったい。おれが何よりも安心できる場所だ。
 頭を押し付けるようすり寄れば、背中に長く太い尾が毛布のように掛けられる。
 しばらく言葉もないまま山の神を堪能してから頭を起こした。
 顔に張り付いたり口に入ったりした毛を数本摘み取ってから今日の出来事を伝えた。

「山神さま、今日ウルワシの子が生まれました。とても可愛らしかったですよ」
「ああそうか。もうじきとは聞いていたが今日だったのだな」

 ウルワシは、鹿のウツクシの子孫にあたる牡鹿だ。ウツクシの血統が成せる業なのか、彼女の子はみんな毛並み美しい鹿たちばかりだ。
 今日生まれたばかりの子は雌らしく、彼女もまた立派でウツクシのように見目麗しい子になるのだろうと、震える足で立つ姿を見て確信した。

「ならば明日顔を見せに行くとしよう」
「おれもついて行ってもよろしいですか?」

 もう顔は見ているし、祝福の言葉はなにより出産に立ち会ったのだからその時に伝えている。それでも山の神ともう一度改めて正式に挨拶したかったし、何よりおれが一緒に行きたいと思ったからだ。
 山の見回りにはあまり連れて行ってくれない山の神だが、今回のことで危険はないからかあっさり鼻先を縦に振る。

「ああ、ついてこい。恐らく今回はおまえが名づけ親となるだろうな」
「え……おれが、ですか?」

 思わぬ言葉につい目を瞬かせる。それに笑うよう、山の神の蒼い瞳が細くなった。

「でもおれ、名前つけるの苦手です……」
「それはおれもだ」

 山の神の言葉に、耐えねばと思ってもついくすりと笑ってしまった。
 それもそうだろう。何せカシコイだのイタズラだの、果てにはミギにヒダリ。そんな名前の付け方なのだから。かといっておれが山の神を笑える程の才があるわけでもないのを理解している。
 何もウルワシの娘の名付け親になると決まったわけじゃない。だが、山の神が言った通りにならないとも限らない。覚悟だけはしておいた方がいいだろう。
 名を与える、という行為に、つい最近の記憶を呼び覚ます。再び白に頭を預けた。

「――カシコイの子孫に続いて、ウツクシの子孫にも名づける日が来るなんて、なんだか不思議ですね」

 名付け親になったことはこれまでに幾度かあった。初めて名付けたのは猪のカシコイの子だ。直に彼から願われたが、最初はおれでは務まらないと首を振った。けれど山の神に、それも番たる者の役割だと言われてしまえば断り続けることなんてできない。
 あのときだって丸一日悩んだし、なんだかんだで山の神に相談して決めたし、ああいうことは自分に不向きだと痛感したものだ。
 今度こそ断ろう。そう決めても結局お願いされればずるずるとそのままになってしまって、先日に生まれたカシコイの子孫にも名を与えたのだった。

「ミノル」

 低い耳馴染のいい声音に名を呼ばれ、そっと目を閉じる。
 もうここへ供物としてきた頃の、人間であった頃のおれを知る者はほとんどいない。
 皆寿命を迎え、その命を山に返した。当時はまだ幼い小鳥だったミギが、山の神の眷属として残るのみとなっている。
 親しかった彼らとの別れの度に泣いた。思い出すだけで今でも涙がにじみ出る。彼らとの思い出はどれも温かくて、やさしくて、それなのに振り返れば笑顔だけではいられないんだ。幾度経験したところで、その悲しみに慣れることも、癒えることもない。
 みんながおれの周りから消えていくのも、仕方ないことなんだ。
 人間であったおれは山の神の番となり逃れた定めであっても、ただ神に智を与えられただけの彼らは、賢く理性的になっただけで、自然の摂理から外れるわけじゃない。山の神の眷属となることを誓えば死は残るものの長寿を得ることも可能だが、それを選ぶ者はそういなかった。
 皆自ら命を全うすることを選び、家族とともにこの地に骨を埋めたのだ。
 それをただただ見送った。いくつもの命を、数多の出会いの数と同じほどの別れを惜しんだ。おれ一人ではない。山の神とともに。
 山の神はおれを番とするまで眷属もとらなかったから、たった一人で、何百年――何千年と親しくしてきた者を見送ってきた。それは想像でしかないけれど、きっと孤独だったろう。
 誰よりも心優しい山の神。ならばこそ、平然とする顔の下では多くの悲しみを抱えている。今でも、かつておれの先祖に裏切られた傷だって癒えきっていない。だがおれは、そんな彼の傍にいる権利を与えられた。孤独に寄り添うことを許された。
 これまでともに別れに悲しみ、新たな命の芽吹きを喜んできた。思い出を掘り起し語り合うことだって毎夜のようにしてきた。
 これから先も多くの出会いがあり、そして別れがあるのだろう。そしてそれをおれは山の神とともに触れていくのだろう。
 そうっと目を開け、寄りかかったまま山の神を見上げる。するとどうやら見守ってくれていたらしい瞳と視線が重なった。

「山神さま」
「なんだ」
「――おれは、山神さまが在る限り、ここに、あなたのお傍におります。ずっと、この身体が山神さまとともに消えゆくまで。ずっと」

 顔に寄せられた鼻先が、頬にかかった髪を払う。そこに毛でおおわれた山の神の頬が押し付けられた。

「当然だ。おまえはおれの伴侶。ここが、おれの隣こそがおまえの居場所なのだから。たとえ肉体が消えゆこうとも、結んだ魂はもう離れられぬぞ」

 それなら未来永劫ともにいられる。
 嬉しい、と笑い首に伸ばした腕を絡めると、次第に山の神の形が変わっていく。
 やがて、大きな手が腰に回された。

 おしまい

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多分ここからさらに十数年後にようやく子作り始めるんだと思います。
現時点で物語完結時より90年近くが経っております。

2015/03/22