繋いだ手

出版記念の小話
物語完結後の、風邪をこじらせたシャオを看病する話



 部屋の外に出ると、不安げな表情で待ち構えていたミミルがキヴィルナズに詰め寄った。

「ねえ、シャオは大丈夫なの?」
「風邪ね。落ち着けたから、これまでの疲れが出たんでしょう。熱は高いけれど、ちゃんと休めば大事にはならないわ」

 キヴィルナズの肩からミミルの顔の傍まで降りたったリューナは、強張る表情を宥めるように小さく笑みを見せる。

「本当?」
「ええ。大丈夫よね、キィ」

 振り返ったリューナに、キヴィルナズは浅く頷く。
 二人からの“シャオは大丈夫”を受け取れたミミルは、ようやく安堵できたのだろう。胸に溜まった息を吐き出した。
 一悶着があったものの、キヴィルナズたちは旅の末に今の村に腰を据えることになった。
 村人や精霊たちの力を借りながら、村のとなりにある森に小屋を一軒建てて、荷の整理なども終えてようやく一息がつけるといったところで、シャオは熱を出して倒れてしまったのだ。
 キヴィルナズたちに迷惑がかかるとでも思ったのだろう。己の不調をひた隠しながら昼食の準備を進めていたシャオだったが、ついには限界を迎えて倒れてしまった。それを初めに発見したのがミミルだ。
 意識を失くしたシャオは、呼びかけても荒い息を繰り返すばかりで目を覚まさなかったのだから、さぞミミルは恐ろしかっただろう。己らを呼ぶミミルの叫び声にリューナが気づき、二人のもとに辿り着いた頃には、ミミルはシャオに縋りつき涙していた。
 身辺を整えるために、キヴィルナズも忙しくしていたのがいけなかった。ともに寝ていたが、シャオよりも遅くに寝ては早くに置き、日中も呪術師としての仕事と新たなる新居に気を取られ、かけがえのない存在を蔑ろにしてしまっていた。決して遠くにいたわけではないのに、いつもより弱々しい笑顔、気だるげな様子に熱い肌に、気がつけなかったのだ。
 高熱が出ていて、意識も朦朧としているようではあるが、しっかりと身を落ち着けて休養すれば決して危険になるほどの病ではない。キヴィルナズも呪術師の仕事の一環として、シャオと同じく大きく風邪をこじらせた者への薬の処方もしているし、治る確信はある。
 しかしこれまでに誰もそのように体調を崩す者がいなかったからか、まだ幼いミミルの動揺は大きかった。
 ひどい熱があるとわかった時点で、ミミルにはシャオに近づかないようにきつく注意をしていた。風邪がうつっては大変だし、シャオ自身も気に病んでしまうことが目に見えているからだ。ミミルも幼いといえども理解ある子供であるし、ちゃんと事情を説明してやれば納得していたが、それでも顔が見られないことが不安ではあるのだろう。
 キヴィルナズがシャオを寝台に運んでいる最中にも、少し離れたところから心配する瞳は常について回った。
 今も決してすべての不安が消えたわけではないのだろう。本当であればシャオの看病をしたいのだろうが、キヴィルナズたちの注意もあり、ぐっとこらえている。
 彼のためにも、苦しんでいるシャオのためにも、はやく治してやらなくてはならないとキヴィルナズはやや俯いたミミルの頭を撫でてやる。
 リューナに目を配らせ、彼女だけに伝えられる言葉を送る。

「ミィ、キィがちゃんと看病してくれるそうよ。シャオが元気になるまで、家のことはよろしくだって」
「うん……キィ、よろしくね。ぼく、ちゃんとやるから、なんでも言ってね」

 浅く頷けば、ようやく小さな笑みが返ってきた。

 

 


 水の桶を持ったキヴィルナズが寝室へと戻れば、その物音にか、偶然か、シャオは薄らと瞼を持ち上げる。けれども焦点はおぼろげで、熱の影響か瞳は潤んでいた。
 桶を脇に置き、水にたゆたう布を取り絞り上げ、まだ高熱を感じる額に置いてやる。
 シャオはぼうっとその様を眺めて、二度ほど咳き込んだ。かさかさに乾いた唇をつらそうに開く。

「――だめ、きぃ……かぜ、うつる……」

 いつもよりもゆったりと、舌足らずなような口調に、キヴィルナズは苦笑した。つらい状況で、ろくに考えることもできていないはずなのに、それでも彼は自分自身よりもキヴィルナズを優先させてしまう。こんな状態だからこそ偽りのない心であるのがわかった。
 キヴィルナズは半分人間で半分が妖精であるために、病は遠い存在となっている。それは不老なる妖精の性が出ているためだ。しかし人間の部分もあるがため疲労もするし、怪我も治りは早いほうであるだけだ。
 だがそのおかげで風邪がうつってしまうということもなく、シャオが心配せずともキヴィルナズならば看病してやれる。どんなに長い時間一緒だったとしても、距離が近かったとしても、堂々と傍にいられるのだ。
 そのことを教えてやろうと、投げ出されていた手とり、掌を上に向けさせる。しかしその手の熱に、今シャオが文字を認識できる状況にないことを思い出した。
 キヴィルナズはただ、シャオの手に自分の掌を重ね、指を絡める。遠い感覚であれどもそれに気がついたシャオが視線を寄越したので、小さく頷き、大丈夫、という言葉を、声がないながらも唇を動かして表現した。
 シャオが理解したのかどうかはわからないが、繋がった場所にほんの少しだけ握る力が籠められる。
 それから間もなくシャオは、再び意識を失うように眠りについた。
 額の布を取り換えてやろうとしたが、繋いだ手を放すのは忍びなく、キヴィルナズ自身もそれを嫌だと思ってしまった。そのため、今回ばかりは水の精霊に協力を仰ぐことにした。
 ただ布を絞るためだけに精霊を使役した、ともなれば、彼らのことを研究している学者たちが昏倒するかもしれない。だがキヴィルナズも使われている精霊自身も然程気にしてはおらず、なによりシャオの回復を願うだけだった。
 汗を拭いてやったり、時々風の精に頼んで空気を入れ替えてもらったり、動けぬ自分に代わって精霊たちを使役しながら、キヴィルナズは病人によい環境を提供すべく尽力した。
 手が空いたときには、飽きることなくシャオの寝顔を眺める。これまで彼は様々な事情で寝込んでいたことが多かったし、キヴィルナズも毎度早くよくなれと祈るような気持ちで回復を待っていた。今回も同じく元気になることを望んではいるが、それでも今までとは少しだけ気の持ち方が違う。それはきっと、彼が何者かに傷つけられて起きられなくなっているわけではないからなのだろう。
 今の環境に慣れるべく努力して、そして疲れて熱を出してしまった。それに気がつけなかった自分に反省すべき点は多々あるし、遠慮から倒れるまで我慢していたシャオにも憤ることはないわけではないが、少しずつ、自分たちが変われていることが嬉しくも思える。
 もう、治った後にどうその心の傷を癒してやればよいのだろうかと、悩む必要はない。それどころか元気になったシャオをつれ、改めてリューナとミミルも加えてのんびり家族で過ごすのがいいだろうと考える。まだあまり周囲を散策できていないから、久しぶりに森歩きをするのもいいかもしれない。
 そのときに、もし少しでもシャオがつかれた様子を見せたのならば、問答無用で横抱きにしてしまおう。きっと彼は迷惑がかかるだとかで嫌がるかもしれないが、今回無理を押し通して風邪をひいたことを持ち出せば、きっと黙らせることはできるだろう。うまく丸め込めなくても、リューナもミミルもキヴィルナズの味方をすることはわかりきっている。
 ただシャオの寝顔を眺めているだけのキヴィルナズは、思い描いた未来を見つめるだけで堪らず相好を崩した。傍らでそれを眺めていた精霊たちも、キヴィルナズの心中を覗いたかのように一様に穏やかな顔つきをする。
 新たにこの場所で、一から始めた。今度はキヴィルナズとリューナだけではない。シャオも、ミミルもいる。受け入れてくれた村人たちがいる。まだ彼らからよそよそしさは抜けないし、遠巻きに見ている人間も多く、キヴィルナズを恐れている者がいないわけではないのを知っている。それでも徐々に心を開こうとしてくれているのが、信頼しようとしてくれているのも理解していた。
 シャオと出会う前には、夢に描くことすら諦めていた未来を今、キヴィルナズは生きている。行動に出なければなにひとつ状況は変わることはないのだ。
 ときにはいいほうに転がることもあれば、勿論悪いほうになることもある。今回のようにシャオが気を遣って黙っていなければ、倒れる前に静養させることもできただろう。しかし彼は黙っていたがために寝込んでしまった。そんな風に、分岐点はいくらでもあるのだ。
 ときには未来を進むことが怖くて、足を止めてしまうこともあるだろう。キヴィルナズがそうだった。動こうとした瞬間に石を投げられ、その恐れからずっと動けずにいたのだと思う。
 キヴィルナズは今、シャオに手を引かれ、ようやくあの雨の森から抜け出せたような気がした。リューナとともに身を寄せ合い、震えていた真っ暗闇。そこに現れた小さな光、それに次いで見えた穏やかな温もり。
 一度は、手を振り払った。それでもシャオはキヴィルナズをもう一度引き上げてくれたのだ。
 自分を求め傷つき、真っ向から他人と対峙して、そして涙を見せていたあの夜を、キヴィルナズはが忘れることはない。どれほどの恐怖がそこにあったのだろうか。抱え上げた身体はもう離さないと言いたげに、必死にしがみついてきていた。
 胸元は涙で、背中は掌の血で、ぬるく湿っていった。それはきっと、さらにキヴィルナズの肌に染み込み心まで届いたのだと思う。
 そしてシャオを初めて抱いた、あの夜の湖。そこでキヴィルナズは、己の心の中で誓ったのだ。
 すべてが終えた後に見上げた満月を思い起こしていると、不意にシャオが咳き込んだ。苦しげで、咳が渇いたように聞こえる。
水を飲ませてやろうと、キヴィルナズは軽くシャオを揺すった。けれども起きる気配はない。
 逡巡したキヴィルナズは、寝台の脇に置いていた水差しで杯に水を注ぐ。自らそれを口に含んで、眠るシャオと唇を重ねた。
 力が入っていないからか、顎に添えた指を軽く下げただけで口は開く。シャオの舌を己の舌で押さえ込み、むせないように少しずつ水を流し込んでやった。

 

 


 ふと目覚め、シャオは寝台に寝かされていることにすぐに気がついた。
 確か自分は、昼食の準備をしていたはずだと記憶を辿り、そこでようやく倒れてしまったのだと思い当った。
 迷惑をかけてしまわないようにと思い黙っていたが、自身の身体は限界を迎えていたようだ。
 やってしまったと内心で頭を抱える。
 どれほど眠っていたのだろうか。気を失う前は立っていてもふわふわとしていて、頭がぼうっとしていた。多分頭痛もしていたのだが、すべての感覚が鈍くなっていたからかよく覚えていない。倒れる直前にミミルとなにか会話をしていた気もするが、それも思い出せずにいる。
 しかし今は、まだ微かに頭の痛みは残っているものの、意識は大分すっきりしている。気だるさは残っているが動けないほどではない。
 早く皆に会って謝らなくては。そう思いシャオが身体を起こしたところで、ふと右手の重みに気がついた。
 目を向けてみれば、寝台の端から寄りかかるようにキヴィルナズが眠っていた。そしてシャオの手は、彼の手としっかり絡みあっていたのだ。
 その隣には水の入った桶があり、中身が少し減っている水差しも見えた。
 ずっと、シャオのことを看病してくれていたことがわかる。しかしシャオが疲れで熱を出したように、キヴィルナズとて今まで働き詰めだったのだから疲れてしまったのだろう。シャオが起き出したのにも関わらず眠ったままなのがその証拠だ。

「――ありがとう、キィ」

 身体を倒して、寝台に白髪を散らす頭にそっと口づけを落とす。
 一緒に並んで眠ろうと、キヴィルナズの肩を軽く揺すった。
 片腕を枕にうつぶせて寝ていたキヴィルナズの赤い瞳が薄らと開き、頭を持ち上げシャオを見つけると、柔らかく微笑んだ。
 
 おしまい

 

戻る main お土産

 

2015/09/29