つんつんと頬を軽く突かれて、それから逃げるようにノノは身を捩じった。
「――ぅ、ん……あと、も、ちょい……」
その言葉は聞き入れてはもらえないらしく、四方から伸びてきた植物が毛布を剥ぎ、ノノの腕に絡みついて身体を引き起こした。
ぼうっとしている間に器用な緑の指先に服を脱がされ、寝癖が跳ねる髪を梳かされていく。あくびの最中でも関係なしに濡らしたタオルで顔を拭かれて、終わるといつの間にか衣装棚から取り出した服を着させられた。
自分からはいっさい動いていなくても、身体を持ち上げるところまですべて植物たちがしてくれるのでなんともお気軽な目覚めだ。
まともに起き出さないうちに朝の着替えを終わらせてしまい、仕方なくつるに手を引かれるようにシュロンの寝室から出て行った。
本当は着替えても気にせずまだベッドにもぐりこみたかったが、そんなことをしようものなら植物によって移動まで強制的に行われてしまう。
さすがにそこまでは甘えるわけにもいかない。それになにより、美味しそうな朝食の匂いに釣られてしまったというのもある。
部屋を移動すると、シュロンが奥のキッチンから朝食のパンや焼いたエッグベーコンなどを食卓に運んでいるところだった。
あくびを噛みしめながら定位置に腰を下ろすと、それまで手を引いてくれていたつるがお別れを言うように顎をするりと撫でて離れていく。
「まだ眠い?」
「ん……」
ノノの目覚めはそれほど悪いものではない。むしろ、起きてすぐからでも問題なく身体を動かすことができるはずだった。
それなのに今朝は眠気が晴れないのは、昨夜シュロンにベッドへ引きずり込まれたからだ。単純な寝不足と疲弊した身体が精根とともに回復しきっていないせいだ。
「今日はお寝坊さんだね」
受け身ではなかったにしろシュロンもそれほど条件は変わらないというのに、いつも通りに起きて朝食の準備をしつつも、ノノの起床の手伝いまでしてくれているのだから元気なものだ。
「……誰のせいだよ」
「ふたりのせいだね」
「おまえががっついたからだろ!」
もうだめだと訴えるノノの言葉など無視して、いつものように能力を行使したねちっこい行為に及んだのはシュロンだ。
身体を重ねるということがどういうことか、知っていたはずのノノにその真髄を指の先までシュロンに教え込まれた。確かにこれまでの経験は性処理したいただの獣に盛られていただけだというのも頷けるほどに。
その結果いつも二人で濃密に過ごした夜の翌朝は疲れ切ってしまう。シュロンよりも体力はあるはずなのに、彼の意のままに操れるいくつもの手の前ではなすすべもなく翻弄されて、無様なまでに乱されてしまうのだ。
そのせいで掠れた声とともに一睨みしてやるも、お茶を用意しているシュロンは涼しい顔で受け流す。
「うん。ちょっとやりすぎたなって反省している。でも、ノノだって流されたでしょう」
「はあ? 俺はもう止めろって言っただろ」
「ちがう。とろけた可愛い顔で、おかしくなるからもうだめって言ったんだ」
「そっ……それはどうだっていいじゃねえか! 一緒だろうが!」
「全然ちがう。そんな色っぽく言われても煽られるだけだし、それにノノが本当に嫌だったら流されずにちゃんと止めたでしょう」
「ぐ……」
確かに、本当に止めてほしいのであればたとえシュロンのお綺麗な顔相手であっても殴ってでも引っ掻いてでも止めさせただろう。でも昨夜それをしなかったのは、心の底ではまあいいかと思う自分がいたことに他ならない。
シュロンはそれをわかっていて「かわいい、もっとだめって言って」と言いながら責める手を止めなかったらしい。
出会った当初はろくに会話も弾まず、ぽつりぽつりと話してばかりだったシュロンだが、最近ではすっかり弁が立つようになってきてしまった。
このままでは分が悪いと悟ったノノは、差し出されたお茶の入ったコップを奪うようにして受け取りながら唇を小さく尖らせた。
「ったく、あんなに世話焼きやがって、俺が自分じゃなんもしない駄目人間になったらどうしてくれるんだよ」
いたれりつくせりで何をしなくても全部済まされてしまう。それはあまりに楽で、もし慣れてしまえばずっと甘え続けてすべてをシュロンにやらせたくなってしまうかもしれない。
「そうしたらぼくがノノの面倒をみるだけだから問題ないよ」
「いや大ありだろうが。問題しかねえわ」
もしおまえがいなくなったら、と言いかけてやめた。
一度はノノを道連れに大樹に入ろうという考えを頭に過ぎらせたことがあるような男だ。自分が滅びるならいっそノノもとも考えるかもしれないし、「何があっても最後までぼくが面倒をみるからやっぱり問題はないよ」とでも真顔で答えそうだ。
触らぬ神になんとやら。下手に話題にするのは避けることにして口を噤む。
「それに練習でもあるんだ」
「……練習? なんの?」
「いつか孤児院を開いた時、子供たちの面倒を見られるように」
以前はノノの夢であり、今では二人の目標でもある孤児院の設立。
計画は順調に進んでいるものの、まだ先の話だ。それでもシュロンは子供の面倒をみることを想定して、さっそく力の使い方を考えているらしい。
「俺は手間のかかる子供かっての」
確かに子供相手なら手を貸してやらなければならない場面もあるだろうが、ノノは成人して久しい立派な大人でしかない。
顔まで拭いてくれる過保護ぶりに苦笑をすると、いたって真面目な顔でシュロンは言った。
「ノノが手間をかけさせるのはぼくにだけでしょう」
「まあな」
その通りだ。ノノは面倒くさいからといって人の手を借りることはないし、世話を焼いてもらうことも好きではない。貸しを作りたくはないからだ。
それなのにシュロンの手だけは受け入れるのは、ノノなりに恋人に甘えているからだった。
「――それに、子供扱いしているわけじゃないよ」
不意に隣に立ったシュロンが身を屈めた。
顔を寄せると、唇にちゅっと軽く音を立ててキスをする。
「おはよう、ノノ」
「――……はよ」
そういえば起き出してまだ挨拶をしていなかった。
朝日よりも眩しい美形の微笑を間近で浴びながら、やや目を泳がせながら返事をする。
確かに、この甘ったるい顔は子供相手に向けるものではないだろうと妙に納得させられてしまう。
「でもな、基本的には自分のことは自分でできるようにすることが目標だから、あんまり甘やかしすぎるなよ」
「わかった。それならノノだけ特別だね」
「……子供たちの前で、指導する立場の人間がそんな甘ったれた姿晒してたらなんの手本にもならねえだろうが」
「そうだね。それなら、二人きりの時だけ」
返事の代わりに沈黙で答えた。主張がはっきりとしているノノが言い返さないということはすなわち、「まあ、それなら」と同義であることをシュロンはちゃんとわかっている。
「子供たちがいるなら、朝からゆっくりはできないね」
「そうだな」
「それなら、今しかできないことをしておこうかな」
「なんだよ。手始めに飯でも食わしてくれんのか?」
目覚めの次は朝食の手伝いかとノノは笑う。そこまでいくともはや恋人を甘やかすと言うより介護だろう。
冗談で言ったつもりが、あっさり頷かれた。
「うん。その後はまだ朝だけれど、寝室に戻ってふたりきりで過ごすの」
「ふうん?」
確かにそれは子供たちを預かる身になればできないことだろう。
にやりとノノが笑うと、こんな時ばかりシュロンは年下らしく甘えた表情を見せた。
「ノノだってまだ眠いんでしょう。だめ?」
そんなことを言って、どうせ寝かせるわけではないくせに。
お綺麗な顔をしていたところでシュロンだって男なわけだし、ノノだって同じなのだから、そのお願いに隠された下心くらいわかっている。
けれども、久しぶりにふたり揃って一日中ゆっくりとできる休日に浮かれているのは彼だけではない。
「まずは腹を満たして、それからだな。ほら、おまえも席に座れ」
大人しく従ったシュロンが前の席に腰を下す。
さっそくノノに食べさせようと動き出した植物を制止しながら、シュロンが作ってくれた朝食を前に手を合わせた。
「いただきます」
おしまい
2022.6.26
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