傍にいて

 
 町に移住して少し経った頃から、現在までの話


 ふと昼寝から目覚めたノノは、自分の身体に眠る前にはなかったはずの毛布がかかっていることに気がついた。
 どうやらまたシュロンが風邪をひかないようにとそっとかけてくれたようだ。
 すっと隣に視線を移すと、ノノの傍らで丸くなって眠るシュロンがいた。毛布を持ってきて、そのまま一緒に眠っていたらしい。
 この町に移ってからというもの、シュロンは本来の年齢であるべき姿を取り戻すよう、急な成長を始めた。しかし身体が追いつかずに悲鳴を上げているらしく、とくに夜に痛むという。
 そのせいであまり寝付けていないようで、長い睫毛が影を落としたその下に、まだ幼い顔に似合わない濃い隈がくっきりとついていた。
 だからなおさら呑気に居眠りをしていたノノにつられてしまったのだろう。ぐっすり眠る姿に安心したが、しかし空の端は色を変え始めている。
 空気もひやりとした暗がりを感じさせるものになり、時は夜になりつつあった。

「シュロン、家の中に行くぞ」
「ん……」

 揺するために触れたシュロンの肌はひやりとした。

「おまえ、身体冷えてるじゃねえか」

 毛布はノノにしかかかっていなかったことを思い出す。大樹に抱かれていた時は半裸であっても風邪をひかなかったらしく、シュロンは今でもその頃の感覚が抜けない時があった。
 この前も食事をすることを忘れて、腹が減って動けなくなる手前まで何も摂らずにいたことを思い出しながら、ノノは眠たくてぐずっているシュロンに手を伸ばす。

「ほら、家ん中いくぞ」

 どうにか寝転がる身体を抱え上げる。
 シュロンはぎゅっとノノの首に腕を回すと、耳元で小さく呟いた。

「からだ、いたい……」
「こんなところで寝るからだろ。いや、冷えたのか……中に行ったら擦ってやるから、ちゃんと掴まってろ」
「うん……」

 素直にくてんと身体を預けてきたシュロンを抱きながら、ノノは家の中に向かう。

「おまえ、また重くなったな。そろそろ抱き上げんのもきついわ。腰をもってかれそう」
「もっと大きくなるよ。そうしたら、ぼくがノノを抱っこしてあげる」
「はは、それは頼もしい限りだな」
「信じてない」
「そりゃ未来のことはわからねえからな。ま、期待して待ってるよ」

 頬は膨れていないし声も不服そうには聞こえなかったが、ノノが笑っていると抗議するように首に回された腕の力が強まった。






 ――そんなやりとりがあったのが、昨日のことだ。
 ベッドの中で大人しくしているシュロンの額から手を退けて、ノノはふうと息を吐いた。

「熱が高いな。つらいだろ」

 シュロンは緩く首を振る。だが普段は血の気の薄い頬を赤くして瞳が潤んでいる様子は明らかにつらそうだ。

「悪いな。俺が気を付けてやらなきゃならなかったのに、世話を焼かせた挙句に風邪ひかせるなんて」

 シュロンがまだ自分に無頓着なところがあるのを理解していたというのに。
 昨日は家に戻ってから温かい飲み物を与えて冷えた身体に熱を戻そうとしたが、どうやら間に合わなかったらしい。

「大丈夫。ノノは悪くない」
「大丈夫じゃねえだろ。さっき薬を飲んだから少しは楽になると思うから、ひとまず今は寝てろ。また様子見にくるから」

 自分がいては気が散って休めないだろうと思い部屋を出て行こうとしたが、不意に腕を引かれて振り返る。
 見ると、シュロンはベッドから動いていなかったが、その代わりにつるが巻きつきノノを引き止めていた。

「ノノ」

 か細い声に呼び寄せられたノノは、ベッドに入るシュロンを覗き込むように身を屈めた。

「どうした? 喉乾いたか?」
「ノノ、傍にいて……」

 また一本、つるが腕を這うように絡みついてくる。
 引き止めたいという気持ちの他に、離れたくないという思いも伝わってくるようだった。

「風邪をひいて心細くなってんな」

 それでいてすぐに振りほどけそうな弱い拘束に思わず笑ってしまう。ノノが「甘ったれんな」とでも言えばすぐにでも解放されるのだろう。
 しかしそんな素気無くするつもりはない。かわりに宥めるよう、本人の代わりに寂しさを訴える植物を指先で撫でてやった。

「ちがう」
「ん?」
「ちがう。ずっと、思ってる」

 それが先程のノノの発言に対する訂正なのだと気が付き、やはり笑ってしまった。

「――いいぜ。四六時中は無理でも、少なくとも今は傍にいてやるから。だから安心して寝ちまえ」
「……うん」

 近くの椅子を引き寄せ、つるが巻き付いた手をシュロンが見えるよう枕元に置いてやる。
 寝返りを打ったシュロンは、自分が操る植物とそれに絡められたノノの手を熱に浮かされた瞳でぼんやりと見つめていたが、しばらくするとそろそろと瞼を閉じた。
 やがてすうすうと寝息を立て始め、それを聞いたノノはそっと安堵した。





 ――なんてことがあったのが一年近く前のこと。
 ふと庭のいつもの定位置で昼寝から目覚めたノノは、シュロンに抱え込まれている自分に気がつき苦笑した。過去に実際あった出来事を夢に見ていたらしいが、だからこそ彼の成長ぶりを久しぶりに実感したからだ。
 ノノよりすっかり大きくなった身体に包まれているのはもちろんのこと、風邪をひかないように、互いの身体を覆うようにしっかりと毛布をかけているのも失敗から学んだ成長の証だろう。
 ノノが起き出したことに気がついてはいないらしく、シュロンは眠り続けたままだ。
 もしノノがこっそり抜け出しても気がつけるようにか、腕にはしっかり植物が絡みついている。
 もしかしたらこれのせいで、シュロンが風邪をひいた時の夢など見たのかもしれない。
 離れたくないと訴えるような植物をそっと指先で撫でる。シュロンの寝息を感じ、温かな陽射しを浴びていると、不思議なほど心が満たされていくのを感じた。

『――ノノは……ぼくの隣で、眠ってくれたから』

 ふと、いつの日かシュロンが言った言葉が頭を過ぎった。
 どうして自分を好きになったのか、そう尋ねてその答えを聞いた時、ノノは「そんなことで?」と思ったし、実際にそう口にしてしまった。あまりに単純で簡単なことで、本当に驚いたからだ。
 確かに大樹に抱かれていた時のシュロンは人間らしくなく化物じみていたし、そんな彼の傍でぐうすか眠る者はいなかっただろう。ノノだって一休みするつもりが疲れ切ってしまっていて気絶するように眠ってしまったという出来事さえなければ、きっとずっと大樹の傍で安心して目を閉じることはなかった。
 でもやはりシュロンから聞いた時は「そんなこと」と思ったし、それで人を好きになるなんて理解できなかった。
 でも、今ならわかる気がする。
 自分は誰かの傍で眠ることはできなかった。それは知り合いでも、身内同然のマイルの前でさえできなかったことだ。シュロンとともに過ごすようになり、自分が案外昼寝好きだったと知ったくらいで。
 そしてそんなノノの傍で、誰も安心して眠ることはなかった。
 マイルの酒場を時々手伝っていると、泥酔した客が眠ってしまうこともあったが、そんな時くらいだ。それは決してノノの傍なら、傍だから眠れるだとかではなかった。
 ノノが誰の傍でも警戒していたいように、誰だってノノの傍では油断しなかった。
 でもシュロンは自らノノの隣で寝ている。
 大樹に抱かれている時もよく目を閉じることはあったが、あれは眠っているわけではない。当時のシュロンは睡眠をとる必要はなかった。
 だから今は本当に、おだやかに惰眠をむさぼっている。夜だってわざわざ自室にいるノノを運んでまで自分のベッドに引きずりこむほどだ。
 そういうお誘いという時もあれば、単純にただ抱き合って眠る夜もある。
 化物であったシュロンの傍がノノにとって深く眠れる場所であったように、盗人だったノノの傍であってもシュロンにとっては無防備でいられる場所らしい。
 ――そんな場所を作りたかったのだと、今更ながらに思い出した。
 子供たちを守る場所を作るため、金を集めてはどんどん荒んでいく自分に気がついていた。
 別にそれでいいと思っていたのだ。早く孤児院を設立して泣く子をひとりでも多く減らしたいと、そのためなら手段は選ばないと重荷を背負う道を自ら選んだのだから。
 だがいざ孤児院を始めた時に必要な、様々な理由で家族を失い傷ついた子供たちを癒すための心をノノは持ってはいなかった。
 シュロンに偉そうに言ったわりに、ちゃんとわかってはいなかったのは自分だった。
 傷つくのは身体だけじゃない。守るということは、見えない心にもしてやらないといけないことだ。
 心だけを殺すことだってできる。たとえ肉体が生きていたとしても、それは間違いなくその人の死となる。
 安全で、安心できる場所。ノノが作りたい陽だまりの家はそんな場所だったはずなのに、目標になりふり構わずいるうちにすっかりわからなくなってしまっていた。
 でもきっと、シュロンと一緒にいれば、そんな大切なことも覚えていける気がする。

「――傍にいてもらわなきゃなんねえのは、俺のほうだな」

 植物が絡みついた自分の腕を、ぎゅっと抱き寄せる。
 長いまつ毛が震えて、新緑の瞳が現れるその時まで。
 ノノは長らくシュロンの顔を見つめ、彼の目覚めを待っていた。


 おしまい


 2022.6.25

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