朝食には昨夜食べそびれた夕食を回すことにした。
ノノはベッドから動けそうになかったので、その原因となったシュロンに寝室に朝食を持ってくるよう命じた。しかし一瞬たりとも離れたがらず、力を使って植物に準備させて運ばせる。
スープは温め直し、もうパリパリではなくなってしまったチキンも食べやすいようにサラダと一緒にサンドイッチにしてくれたようだ。
朝食にしてはちょっと贅沢な気もするが、昨日の夜に何も食べていないことを考えればちょうどいいのかもしれない。
シュロンに後ろから抱え込まれながら食べさせてもらう。というよりもシュロンが世話を焼きたがってしかたがなく、したいようにさせてやった。
さっきまで散々大地の精から預かった力を使っていたというのに、ノノの身の周りのことだけは自らの手でやりたがる。
身体を拭かせるのも、髪を梳かさせるのもすべてシュロンがして、あまりに疲れ切っていたノノはされるがままだ。
腰が気怠く、あちこちが筋肉痛になったようでつらかった。しつこいくらい十分に慣らしてもらったから痛みこそないが、後ろは今もまだ彼のものが入っているかのような異物感が残っていて、灯された熱もまだくすぶっているかのように全身が甘ったるい。
シュロンの性格からして淡白な性交を想像していたのに、ましてや初めてなのだから失敗することもあり得るとさえ想定していたのに、予想外の激しさに愛され過ぎた身体が疲弊しきっている。
結局、一度では耐えに耐えていたシュロンの興奮は収まりきらなかった。すぐに二戦目、三戦目に突入して……最後のほうはもはやどうだったかあまり記憶にない。
素面では聞いていられないようなことを色々言われたような気がするし、普段は言えないようなことを口走った気もするが、気のせいだったと思いたい。
食事を終えたノノは、甲斐甲斐しくも口元まで拭かれたところで、完全に背後のシュロンに身体を預けてくたりと力を抜いた。
「……ねむい」
とろんと重たげに瞬くノノの顔を覗き込みながら、くすりとシュロンが笑う。
「つかれてるね」
「誰のせいだよ」
「ノノのせい」
「はあ?」
「だって、ノノが可愛すぎたから」
「っおまえの自制のなさのせいだろ! 人のせいにすんな。あと俺は別に可愛くない」
「ノノは可愛いよ」
「うっせ! おまえに言われて嫌味にしかならねえよ!」
昨夜も最中に耳に残るほど可愛い可愛いと言われたが、地下生活が長すぎて人に会わなかったせいなのか美的感覚がかなり鈍っているとしか思えない。年上の男を捕まえて可愛いなどと、つい最近までよっぽと天使のように可愛らしい顔をしていた相手には言われたくはなかった。
ましてや、我を忘れて乱れてしまった姿に対して言われたのならなおさらだ。
「ったく、あんなの体験させられて、普通のができなくなったらどうすんだよ……」
かつては宝を守護するためにあった力を存分に活用されてしまった。
シュロンが操る植物は手ではないが、彼の意志の通りに動く分身には違いない。
普通の性行為にあるはずがないもので、あんなふうにすべてを愛されてしまってはそれなしでは満足できなくなってしまうのではと心配になる。
思い出してしまった昨夜のことへの照れ隠しに小さく唇を尖らせたノノの背後で、それまで乏しいながらも珍しく上機嫌を滲ませていたシュロンは表情からすっと色をなくした。
「どうして? 普通のができなくても、ぼくとだけするんだから問題ないよ」
むしろシュロンとする限り力は使っていくし、普通にすることはないのだろう。
それを証明するように、またも伸びてきたつるがシュロンとノノを離さないようにと重なるふたりの手に巻きついていく。
「ま、それもそうか」
なんとも愛らしい嫉妬の表し方に苦笑しながら、繋いだシュロンの手をきゅっと握りしめる。
「でもねちっこいから次は少し手加減しろよな」
「……ねちっこい?」
「かなり」
背後で囁くような声音で「善処する」と返ってきて、ノノは笑いをかみ殺した。
しばらくその状態で戯れていたが、回復しきっていない身体はやはりまだ休息を求めているようだ。
ふわああ、と大きなあくびがノノの口から零れていく。
「もう少し眠る?」
「んー……」
触れ合う背中の体温が身体に馴染んで心地いい。
今にも瞼を閉じそうになりながら考えて、ふと窓の外に目が向いた。
「外がいい」
「また庭で昼寝するの?」
「ん。天気もいいし、そっちがいい」
シュロンは昨夜の情交の名残でひとりではろくに歩けないノノの身体を抱き上げた。
軽々と横抱きにしながら庭に向かうが、しっかりと植物に抱えるのを補助させている。背ばかりひょろりと高いが、まだ筋力はついていないので、ひとりでノノを抱えることができないからだ。
無理をされるより安定して運んでもらえるのであえて指摘はせず、安心して力を抜いて身を任せる。
ノノたちの家は町の端にあり、左隣の少し離れた場所にシュロンが覗きをしていた夫婦が住んでいる。他の民家とは距離があり、用が無い限りは町の外れまでくる町人はそういないし、隣の家からは家屋を挟んで右側に庭があるので、シュロンに運ばれる姿を見られることはない。
年下相手に大いに甘えている自覚があって少々気恥ずかしさはあるが、人目を気にすることもないので外に出ても大人しく運んでもらうことにした。
家を出てすぐ右側、敷地を囲う柵内に小さな庭がある。
新しい生活に馴染むために自分たちのことで精一杯だったのでろくに手入れができておらず、手つかずの状態の自然が溢れていた。つまりは雑草も何も生え放題だ。
生活にゆとりができてきたしそろそろどうにかしなきゃと思いつつも、残された自然がそのまま茂る雑多な庭をノノはわりと気に入っている。
天気がいい日には昼寝だと外で寝そべっては、風邪をひくと心配したシュロンが毛布を持ってきてくれることがよくあった。
いつもノノが横になる場所にそっと身を横たえさせて、その隣にシュロンも寝そべった。
爽やかに晴れた青空の下、まろやかに温かな陽射しとほどよく吹き抜ける穏やかな風がとても心地いい。まるで小さな草原にいるような庭の中に埋もれると、青い草と土の香りに包まれて癒されるのを感じる。
こんな開けた場所で眠るなんて、一年前まで考えられなかった。
いつどこで寝首をかかれるかもわからない殺伐とした日々。呑気に昼寝なんてしようものならいつ寝込みを襲われるか、何を奪われるかわからなかった。
でも今はちがう。
ころりと寝返りを打って横に身体を向けると、同じくこちらを向いていたシュロンと目が合う。
芽吹いたばかりの若い緑を思わせる艶やかな瞳がノノを映して、微かな笑みが浮かぶ。
「――あ、毛布忘れた」
自分では取りに行かずに力を使おうとしたシュロンに手を伸ばし、そっと身を寄せた。
「いらねえよ。そんな寒くないし、おまえがいれば十分」
すりと胸に額を押しつけ、シュロンの腕の中で居心地のよい場所を探す。
もぞもぞと動いてちょうどいい収まりに落ち着き、顔を上げる。
「ほら、くっついてれば寒くないだろ」
「……やっぱりノノは可愛いよ」
「あ? またそれかよ」
飽きないなと笑うと何故だか額に唇を押し当てられた。
本当に寒くないのだけれど、それでも身体を冷やさないかと心配したのか、柔らかなつるが伸びてきてふたりの腹の辺りをくるくると覆うように巻きつく。
「ったく、おまえは面倒見がいいっていうか、心配症なんだな。まあ気の済むようにしろよ」
ぽんやりしている様子からは想像できないくらいに、シュロンには頑固な部分がある。どうせやめろと言っても聞かないのだからとノノは笑って受け入れた。
毛布代わりなのできつく巻かれることはなく、多少ならシュロンと距離を置くこともできたが、抱きついたままでいた。もう腹を冷やす心配もないのだけれど、やっぱり人の体温の心地よさには敵わない。
目を閉じてしばらく時折そよぐ風とそれに笑うような葉の擦れる音を感じていたが、身体は疲れて瞼も重たいと思うのになかなか眠れそうにない。
微睡の縁で船を漕いでいるようにふわふわとしながらも、起きている気配を感じるシュロンに問いかけた。
「……な、おまえはどうして、俺のこと好きなったんだ?」
何気ない質問だけれど、ずっと心の中で引っかかっていたところでもあった。
ノノだってどうしてと言われてみれば、いつの間にかとしか言えないのだけれど、執着という言葉がちらつくほどシュロンに好いてもらえている理由がわからない。
確かにシュロンを救おうと懸命に動いたけれど、そもそもノノはただふらっと地下を訪れては適当に話をして過ごして、時には勝手に寝るだけ寝て去って行ったようなやつだった。
性格だってシュロン同様頑固なところがあるし、これからも意見の対立があれば決して譲りはしないだろう。自分の考えを通すためなら実力行使だって厭わない。
口は悪いし素行も褒められたものではないし、好意を抱かれるようなところがあったとは思えなかった。
それなのにいったいどこがどうなれば抱きたいと、そこら辺にいるただ普通の男を可愛い可愛いと言えるようになるのかまったくわからない。
「ノノは……ぼくの隣で、眠ってくれたから」
「……え、そんなことで?」
実は自分でも気づかない良さがあってそこに惚れられたのかと少し期待したのに、シュロンの答えに目を瞬かせる。
「そんなことでも、ぼくにとっては大事なことだったんだよ。ノノが初めてぼくの傍で丸くなって寝た時のこと、今でも覚えてる」
大樹と少し距離を置いてきゅっと丸くなって眠りについた。そんなつもりはなかったけれど、あの時は仮眠をとらないと倒れてしまいそうなほど疲れ切っていた。
「始めはぎゅって眉間にしわが寄っていて、怒っている感じだった。警戒してたんだろうね。でも、眠りが深くなるにつれて少しずつ皺がなくなっていって、ぴりぴりしている雰囲気がなくなって、よかったなって思った」
「あん時は少し目を閉じて回復させるつもりだったのに、おまえが本物の木みたいに気配がないからついがっつり寝入っちまったんだよな」
「うん。多分、その頃からノノのことが気になってた」
「……それで?」
先程口にした疑問と同じような言葉がまた零れてしまう。
「化物みたいなぼくが傍にいるのに、でもそんなぼくの隣でなら、いろんなものに気を立ててつらそうにしていたノノが安心して眠れるんだなって思ったら、すごく嬉しくて。胸が、ぽかぽか暖かくなって……」
次はいつ来るのだろう。今度はどんな話を聞かせてくれるだろう。
また疲れ果てていないだろうか。眠るのなら何かかけるものを用意してあげないと風邪をひいてしまう。かたい地面では身体が休まらないだろうから、もし休むというのなら、草のベッドと葉の毛布を用意しよう。少しでも彼の疲れが取れるようにしてやりたい。
今この時も、何か無理はしていないだろうか。怪我はしていないだろうか。
また、会いに来てくれるだろうか。
「あまりにもずっとノノのことばかり考えるから、大樹も笑ってた」
「そ、んな……おまえ、会っても別に嬉しそうにするわけじゃなかったし、話だってそこまで興味がありそうな感じじゃなかっただろ?」
「長いこと大樹や動物たちとしか話していなかったから、表情の造り方を忘れてたんだよ」
動物たちは人間のように表情豊かではないし、彼らと話す時は大樹の力を使うので声を出すわけではない。思念で語りかけるようなかたちとなるため発声は必要なかっただけで、人形のような希薄な表情の下ではノノが思っていたよりもうんと多くのことを考えていたらしい。
地下を離れてからシュロンは随分と話すようになったが、それは役目から解放された自由な気持ちと、話好きな町人と触れ合ってのことだと思っていた。もちろんそれらも必要なものだったが、何より本来の自分の表し方をシュロンが思い出していたからでもあったのだ。
「――守りたいって、思ったんだ」
「守りたい?」
「隣で寝るノノの寝顔を、ずっと穏やかな休息ができるようにぼくが守ってあげたいって思ったんだ」
誰にも邪魔されることなく、脅かされることもなく、自然と目覚めるのを見守りたかった。
「ぼくはずっとあの人の財宝を守ってきた。いろんな人が奪いにきて、全部追い返して守り続けてきた。でもそれがぼくの仕事だったからしていただけのことで、守るものは何でもよかったし、もしも奪われてしまってもそれでも仕方ないと思ってたんだ。それなのに初めて、自分の意思で守りたいと思えたんだ」
それで好きになっていたことに気づいたとシュロンは語った
「――なら、ちゃんとやってくれてるってことだな。こんな陽だまりで眠れるなんて、おまえがいなきゃできなかったよ。おまえがいれば守ってくれるってわかってるから怖くない。今ならいびきだって掻くくらい熟睡できそうだぜ」
「この前、ここで昼寝しながらいびき掻いてた」
「まじか……」
冗談のつもりで言ったはずなのに、いったいいつそんな姿を晒していたのだろう。
思わず記憶を探るノノを見てシュロンは笑う。
その穏やかで満ち足りた笑みは、ずっとノノが見たいと願っていたもの。
あれから一年が経ち、シュロンは小さいながらも毎日笑みを浮かべている。
それがノノは嬉しかった。ずっとそうであってほしいと願うほどに、とても。
「……おまえが俺を守ってくれるように、俺もおまえを守ってやるよ」
「ぼくを?」
「そりゃ、おまえの力があれば俺の手助けはいらないだろうけどさ。でも守るって、そういうことばっかじゃなねえってことだ。おまえが自分らしくいられる場所を俺は守ってやるよ。理不尽を強いられたり、したくもないことをさせられて心を殺したりするようなことは、もう俺がさせない」
シュロンが枝葉を伸ばして雨風から守ってくれるというのなら、それならノノは彼がのびのびと過ごせるように場所を整えよう。
何気ない会話でも笑いが零れるように、自分の意志を、願いを語れるように。そんな場所を彼に与えてやりたいと思う。
「――なあ、シュロン。実は俺さ、孤児院を作ろうと思ってるんだ」
これまで誰にも語ることのなく自分の中だけで抱えていた夢を、シュロン相手にぽつりと漏らした。
「親のいない子は大勢いる。そんなやつらは誰かが親代わりになって保護してやらなきゃならねえだろ。だから俺は、そんな子供たちが誰にも脅かされることなく健やかに過ごせる家を作ってやりたいって思ってんだ」
まだ構想の段階でしかないが、そのために計画を立て、必要な資金を計算し、こつこつと人脈を作り下地を作っている最中だ。
シュロンとの一件で中断しているが、まだ諦めたわけではない。いずれは国に戻り孤児院設立を目指すつもりで、そのために今は国の情勢を見極めるための情報を集めてじっと様子を見ているところだった。
「ノノがお金を集めていたのはそのため?」
「まあ、そういうことだな。てっとり早く稼ぐのにな」
自分の夢のために誰かを踏み台にするそれは、決して許される行為でないことはわかっている。しかし理想を語るだけでは金は集まらないし、実現するまで何十年かかるかわからない。そうしている間にもあの司教のようなやつに食いつぶされて孤独に泣き続けている子供がどこかにいるのだろう。
過酷な人生を背負った全員を救うことはできないが、ひとりでも多く保護して再び送り出せる日が来るまで守り導くことが、ノノが生涯をかけた計画だ。それは贖罪であり、そしていつかに誓った悲願だった。
「なあ、シュロン。おまえも一緒にやらないか……? まだ計画段階でいつ実現するかなんてわかんねえけどさ。もしできたら、きっと俺の宝物になる。難攻不落だった守護者のおまえが一緒に守ってくれるってんならすげえ心強いんだけど、どうだ?」
シュロンを見上げると、答えが返って来るより先にぶわりとふたりの周りの植物が伸びた。
まるでノノたちを隠すように生い茂り、その中に隠れるようにひっそりと顔を寄せてシュロンは言った。
「――守るよ。ノノが作りたい安心できる場所も、ノノが守りたい子供たちも、ノノ自身も、全部ぼくが守っていく。ノノが大切にするものはぼくにだって大切なものだ」
「なら大事なもん抜かすな。おまえのことだって守ってやるって言っただろ。あと、おまえと俺で守ってくんだよ」
「……うん」
身体を起こしたシュロンが覆い被さり、そっと唇を落としてきた。
誓いのようなキスに応えると、背中に回した指先にしゅるしゅるとつるが巻きついてくる。
離れないようにと、放さないようにと絡みあい、緑に囲まれた密やかな場所で身を寄せたノノとシュロンは今感じる幸福に微笑み、そして未来に待つ希望を願い合う。
「孤児院、子供たちが走り回れる庭が欲しいって思ってたんだけどさ、中庭も作らないとな」
「庭があるなら、中庭まではいらないんじゃないの」
「おまえのその力で遊んでやったら、子供たちにきっと大人気だぞ」
そのためには周囲に見えないような遊び場が必要となってくる。そのための中庭だ。
さっそくシュロンを折り込んだ計画目標に変えるべく考え込んでいると、ふとじっと緑の瞳に見つめられていることに気がついた。
「どうした?」
「うん。それなら、この庭みたいな場所もほしいなと思って」
言葉の意図に気がついたノノは小さく吹き出した。
「ははっ、ならおまえが子供たちに追いかけられてる間、俺はそこで昼寝でもさせてもらうか」
「草のベッドはいくらでも広げられるから、みんなでだね。でも、ノノの隣はぼくだから」
「空いてればな」
まだ空想の未来。でもふたりでならきっと実現できるだろう。
陽だまりの下で寝そべりながら、いつしかノノが眠りにつくまで、ともに掲げた夢を語り合う。
そんなふたりの傍らではまだ背丈の低い若い木がそよそよと心地よさげに風に揺れる。
それはシュロンとノノが瓦礫から拾い上げ庭に植えた、未来への希望のひとつだった。
おしまい
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これにて『守護者の至宝は陽だまりに眠る』完結です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
2022.6.17