12

 

 大地の精の力によって地下の崩壊から守られたノノたちは、すぐに国を脱した。
 いざという時の逃避先にと選んでいた隣国の隅にある田舎町まで逃げ延びたノノたちは、それから一年、街の端の空家を借り入れてどうにか無事に過ごしている。
 目を瞠るような美少年を連れているものだから始めは注目を浴びていたが、幸いにもそれ以上の噂にはならずに気のいい町人たちにも受け入れられた。今ではノノもこの町の一員として働きに出ている。
 シュロンはというと、あれから寝込むことが多く、まだ健康とは言い切れない。最近はようやくベッドから抜け出して気軽に散歩もしているようだったが、それでもまだ不安があるのでなるべく家にいるよう言い聞かせていた。

「ただいま」

 仕事を終えて帰宅したノノは、明かりのついた家の中に向かって挨拶すると、のんびりとした足音が奥から聞こえてきた。

「おかえり、ノノ。ご飯できてるよ」

 わざわざ玄関に来て出迎えしてくれたシュロンが、上着を預かろうと手を伸ばす。
 その姿をじとりと見つめて、ノノはぽそりと呟いた。

「……詐欺だ」
「なにが?」
「別に。こんな成長するとか、聞いてねえなって」
「ぼくも知らなかった」

 あれから随分と表情が柔らかくなったシュロンは、ノノのぼやきにくすりと笑う。その顔は天使のような愛らしさをわずかに残し、精悍な若者への変化を終えつつあった。
 神殿から出てすぐの頃は目線は下のほうだったシュロンだが、たった一年で凄まじい成長を見せ、今ではノノよりも大きい。
 寝込んでいたのに複雑な事情など何もなく、単純に急激な成長に身体が追いつかず、時にはまともに動けないほどのひどい成長痛に悩まされていたからだった。
 出会った当時は十代前半くらいの年齢に見えたシュロンだったが、実は大樹に収まっていられるように、また大人になれば始末しようとしてくる司教たちの目を欺くために大樹がの力を使って幼い姿に留めていたらしい。
 大樹の中でも少しずつ成長はしていたが、枷がなくなった今となって堰き止められた時間が一気に流れだし、本来のあるべき姿になろうとしている。
 シュロンの年齢はノノと五つしか変わらない。出会った当初、本当は十八歳ですでに成人していて、あれから一年経った今は十九歳となった。
 たった一年で本来の年齢分の成長を進めているのだから、冗談でなく日ごと姿が変わっていくのには驚かされた。あっという間に声変わりも果たし、可憐な少年は精悍な青年へと見事成長を果たしてみせた。
 それでもまだ背が伸び続けているのだから、本当に成長が止まるのかこの頃ちょっと不安を覚えている。大樹のようににょきにょきと伸び続け、家の屋根を突き破るほどになったらどうしようと思ってしまうことがあるほどだ。

「今日はそんなつらくないのか」
「うん。最近は落ち着いてきた。夜もゆっくり寝られる」
「最初の頃はびーびー泣くくらい痛がってたのにな」
「泣いてない」

 むっとした様子はないが、即座に返されるものだから思わず笑いそうになった。
 夜中にノノを呼び出しては、足が痛いと瞳を潤ませていたのは本当のことだ。
 騒ぎはしなかったが、実際にこれだけ急に成長すれば痛みは相当なものだったはずだ。ノノが足を擦ってやるくらいでは何も変えてやることはできなかった。
 日中もつらそうにしていることがあったくらいなのだから、寝られるようになったのならそれでいい。

「もう、ぼくもそろそろ働きに出ようと思うんだけれど」
「あー……まだ早いだろ。金には困ってないし、もう少し身体に慣れるまで我慢しろ」
「でも、ノノばっかりに働かせてる」
「気にするなって。俺のは趣味みたいなもんだし」

 ノノは夜は酒場で昼は食堂として開いている店に雇ってもらっている。
 シュロンのことがあるので昼間に限定して働いており、もう盗賊家業から足は洗っていた。盗みは一切やっておらず、シュロンとふたりで真っ当な暮らしをしている。
 そもそも請負の盗人であったのでこんな田舎町では稼ぎどころがなく廃業せざるをえなかったという事情もある。もとよりシュロンを引き取ったのなら危険が伴う盗みは止めようと思っていたのでなんの問題もなかった。
 それにあの地下の崩落の隙に、大樹が持ち出した財宝の一部を分け与えてくれた。もとは司教の資産であるが、どうせ埋まってしまうし、大樹からしてみれば我が子のようなシュロンにひもじい思いをさせないためのものだ。
 結構な額を頂いたので、ノノの財産も含めれば本当に金には困っていない。大樹から預かった分は今はまだノノが管理をしているが、いずれはシュロンに返すつもりだし、それはしっかりと伝えてある。
 それでも働きに出ているのは周囲に無職ふたりが悠々自適に暮らしているなどと不審がられないためと、あとは元いた国の情報をそれとなく集めているためだ。
 あの崩落により、司教たちは命を落としたらしい。誰も遺体を確認したわけではないが、司教とおつきの護衛ふたり、腰巾着の司祭がふたり同時に行方を晦ましたままというならそういうことなのだろう。
 シュロンを追う者はいないはずだが、他にも誰かあの地下迷宮にいる大樹とその力を得るために与えられた生贄の存在を知っている者がいないとも限らない。
 マイルと連携して国内の動向を探ってもらっていてもそれらしい情報はないというし、シュロンもあの儚げな美少年から、まだあどけなさは残るもののここまで立派な青年へと姿を変えていれば、もし知った人間がいたとしてもすぐにはわからないだろう。
 いつかは戻るつもりの場所ではあるが、安全が確保できてからの話だ。その時のため、食堂で働きながら、それとなく客から様々な情報を収集していた。

「ほら、話は後にしてまずは飯にしようぜ。腹減った」
「今準備する」
「ああ。いつも悪いな」

 キッチンに向かったシュロンを追いかける。
 少し前までは食事はノノが作っていたが、ようやく成長が落ち着いてきた頃からシュロンが担当するようになっていた。
 今夜もノノの帰宅に合わせて作ってくれていたらしい夕飯の匂いが奥から漂っていて、実はずっとそわそわしていた。

「これくらいはやらせて。まだ簡単なものしかできないけれど」
「十分だよ。今日はなんだ?」
「煮込み野菜のスープと焼いただけの鶏肉。それだけだけど、一応皮はパリパリにできたよ」
「お、いいな。うまそうだ」

 これまで大樹から栄養を分け与えられていたシュロンに食事の必要はなかったが、人の身に戻った今はきちんと食べなければならない。
 初めてノノと食事をした時なんて、簡単なサンドイッチしか用意しなかったのにぱあっと瞳を輝かしていた。相変わらず感情は希薄でも、無心で頬に詰め込んでいく様は小動物のように可愛らしかった。
 どうやらそれから食に興味が湧いたらしく、まだ作るようになってそれほど時間が経っていないというのに、今ではノノよりも手際よくかつ美味しく調理できるようになっていた。本人いわくもっと早くに料理をしてみたかったらしいが身体がつらくてそれどころではなく、ようやくできるようになって嬉しいそうだ。
 まだ簡単な料理しかできないが、このままいけばあっという間に腕前を上げていくだろう。
 働きに出たいというのなら、ノノも行っている食堂の厨房がいいかもしれない。あそこならノノの目が届くし、店の人たちも気のいい者たちばかりで、病気がちという設定にしたシュロンを気にかけてくれているしちょうどいいだろう。
 本人が望むのなら社会勉強も兼ねて働きに出してやりたいとは思う。それでもどうしても頷けない理由があった。

「もう温まってるから、すぐに食べ、れ……っ」
「シュロン!」

 かまどの鍋からよそったスープを二皿を両手それぞれに持ったシュロンが食卓に運ぼうとした際、なにもないところでかくんと膝が折れて倒れそうになる。
 慌てて受けとめようとして手を伸ばしたノノだが、それよりもはやく四方から伸びてきたつたがその身体を支えた。
 倒れかけた前傾姿勢のまま、勢いをゆるゆると落とした状態でシュロンを受けとめるべく開いていたノノの腕の中にゆっくりと収まっていく。
 どうやらスープの皿は植物に預けたらしく、空いた両腕でしっかり抱きつかれた。

「……おいこら、自分で支えられたんなら俺のところにくる必要はないだろ」
「うん。でも、ノノが受けとめようとしてくれてたから」

 自分よりも大きい身体は圧し掛かられているようでずしりと重みを感じる。
 好きなようにさせてやりながら、ノノははあと大きなため息をひとつついて身体から力を抜いた。
 シュロンをまだ働きに出せない理由はこれだ。
 大樹に長らく埋まっていたシュロンの身体だったが、大樹がいつかシュロンが自分のもとを離れる時のことも想定して、適度に動かしてくれていたおかげでそれほど筋力は衰えてはいなかった。それでも久しぶりの歩行に最初の頃こそふらつくこともあったが、今では走ることも問題ない。
 それでも時折、力の入れ具合やまだ成長に追いついていない間に合っていない身体が反応しきれず、先程のように膝から力が抜けて倒れそうになることがよくあった。
 本人自身も大きくなった身体に慣れ切っていないせいでよく物や柱にぶつかったりして、この前は額をぶつけて切ってしまい大出血したばかりだ。帰ってくるなり血まみれのシュロンに出迎えられた時には気が動転するほど驚かされた。

「ったく。どうにかできるとしても注意しろよ。外に出たら力に頼れないんだからな」
「うん。気をつける」

 身体のこともあるが、シュロンを積極的に外に出せないのはそれが一番の理由だ。
 どうやら大樹――大地の精霊と長らくともにあり力も貸し与えられていたシュロンは、大樹から離れてしまってもその力の一部が移ったままでいるようだ。
 さすがに地下迷宮を支える程の根を伸ばすことはできないが、今住んでいる一軒家程度の範囲なら十分対応可能で、シュロンがいつでも植物を操れるように室内にはつるが張り巡らされていた。
 主にまだうまく動くことができないでいるシュロンの補助に使われている。のほほんとしている本人より余程素早く動くし、人の手指のように細かく操ることができるので、家事の際にも大活躍しているようだ。
 当然、人前ではおいそれと使えない力なので、外では決してやらないようにときつく注意はしている。けれども長年の習慣か、今でも自分の手を動かすよりも先に植物に頼ってしまうところがあった。
 家の中にある植物でなくても、外に緑さえあればどうにでも操る力も健在のため、咄嗟に力を使ってしまう可能性は十分にある。
 植物を自在に操る力などそうあるわけではなく、見つかれば一騒動起きるどころではない。町にいられなくなるどころか、シュロンの力の有用性を認めたあの司教のような輩が現れるとも限らない。
 身体が落ち着いてきたので、そろそろ本格的に大樹の力の抑制を学ばせる頃合いだろう。
 そう考えながら、へばりついている身体がいい加減鬱陶しくなって、軽く肩を叩く。

「こら、いつまで抱きついてんだ。とっとと放せよ」
「うん」

 そう言いながらシュロンは離れようとはしない。それどころが背中に回された腕に力が籠もる。

「……どうした? 足でも捻ったか」
「違う」

 ようやくシュロンは身体を起こしてノノの顔を覗き込む。けれど腕は回したまま、それでも離れようとはしなかった。
 鼻先が触れそうなほど間近でシュロンと顔を合わせる。
 子供の姿はどこにもなく、ふっくらとしていた頬を描いていた輪郭は線がしっかりとして、目鼻がよりはっきりとなった。町では誰もが冗談なしに振り返る文句なしの美形がそこにいる。一緒に暮らしてしばらく経つが、今でも時折ふとした時にシュロンの顔に魅入られてしまう時があるくらいだ。
 けれどもどんなに成長して大人びても、澄んだその瞳だけは幼い頃と変わりない。
 相変わらず宝玉のように美しい瞳を見つめると、そこに自分の姿が映っていることに気がついた。

「ノノ。ずっと聞きたかったことがあるんだ」
「なんだよ」
「どうして、ぼくをあそこから連れ出してくれたの? どうして一緒にいてくれるの?」
「……なんで、今更そんなこと聞くんだよ」

 シュロンとともに崩れた地下迷宮から抜け出して、もう一年だ。
 国を出て隣国のこの町に来てからも常にふたりは一緒に過ごしてきたのだ。今更聞かれるとは思わなかった。