緩く服を握りしめると、耳元で笑う気配がした。だが不思議と怒りは沸かない。嘲笑ではないと思えたからだ。
「おれはね、すごく気持ちがいいよ」
先程の問いに関する、自分なりの答えをヨルドは告げた。
それがまるで満ち足りた幸福が溢れ出たように心地よさげで、甘やかに耳に吹き込むものだから、ぞくりの背筋が震える。
「きみの少し冷えている身体も気持ちいいけれど、少しずつおれに馴染んでいくのが嬉しい。熱を分けあって、ひとつになれたみたいだ」
それはノアも同じように感じていたことだった。
初めは熱のかたまりのように触れると熱いと思えたヨルドの身体だったが、ノアと体温を混ぜたように同じものになっていく。
一度この身を預けて眠りたくなったときもそうだった。
傍らの熱とともに溶けていくような、ひとつになるような感覚が心地よくて、だから寝不足もあったけど目を閉じかけてしまった。包まれていると安心できたから。
だが今回は少しちがう。
義務の抱擁ではないからだろうか。もしくは、寝不足ではないからか。
理由はわからないが、ノアの鼓動は高まっていく。穏やかな体温はなく、触れ合うヨルドの身体ごと熱を上げるのだ。
「こんなこと、誰にもできるわけじゃない。きみだから――」
ヨルドの吐息を感じるたびに耳が熱くなり、それに呼応するよう全身もまた熱を溜めていく。
囁かれる言葉に、わけもわからず胸がいっぱいになった。
何を言ってるのかもはや頭には入らず、それよりも呼吸が乱れていき、苦しくて口を小さく開いた。
はぁっ、と熱を含んだ息に、ついヨルドが異変に気がついた。
「――ノア?」
ヨルドに名を呼ばれた瞬間、びくりと大袈裟なほどノアの身体が震えた。
そのとき無意識に身体を寄せてしまい、そしてノアも知らずにいた変化にヨルドが先に気がつく。
自分がおかしなことをようやく感じたノアが離れようとしたが、腰をしっかりと抱かれてそれは叶わなかった。
「は、放せっ。もういい!」
何がいいのかわからないまま、とにかく逃げ出そうとしたが、ヨルドのほうが力は強い。
逃げ出そうとするノアを軽々と抱き上げ、簡単にベッドに引き上げられてしまう。
仰向けに倒された身体の上にのし掛かられて、肩を押し返そうとしてぴたりと動きを止める。
「このままじゃ苦しいだろう。楽にしてあげるから、大人しくしてて」
「なっ……!」
思わず飛び出しそうになった声は、「何をするんだ」と、怒りたかったのだろうか。それとも、「なんで」と自分の身体の変化に驚きたかったのか。
ヨルドの手は、服を押し上げ張りつめたノアのものに触れていた。
いつ反応してしまったのか、何故そうなってしまったのか、わけがわからず混乱するノアを宥めながら、ヨルドは寄せていた手の甲を上下に動かす。
「あっ……う、動かすな……っ」
柔らかい刺激に驚き、咄嗟にヨルドの腕を掴んだ。
「大丈夫。痛いことも怖いこともない。ただ気持ちよくするだけだから」
ノアに腕を掴まれてもヨルドの手は止まらず、ローブの上から擦り上げられる。
「っ、やめ……」
「うん、気持ちいいね」
そんなこと言ってない! そう言ってやりたいのに、耳元で囁かれてしまうと、ヨルドの動きを止めようとする腕の力が抜けていく。
「ノアは耳が弱いんだ?」
笑みを含んだ言葉とともに、ヨルドの舌が耳郭をなぞった。
「ひっ、ゃ……」
耳の穴にまで舌が伸び、くちゅりとした水音が鼓膜に直接響いた。
ぞくぞくと甘い痺れが背筋を駆けていく。胸を押し返そうと動かしたはずの腕は再び力が抜けて、すがるようにヨルドの服を掴んでいた。
止めろと言いたいのに、口を開けばとんでもない声が漏れてしまいそうで、何も言えずきつく歯を食い縛る。
「ん……んっ……ふ……っ」
耳はねぶられ、下半身に触れる手は大胆に動き始める。
いつの間にかローブは大きく捲れ上がり、服の下にヨルドの手が滑り込んだ。
「ん……あっ! や、ばか……っ」
下着の中にまで入り込んだ男の手が、直接ノアのものを握り込む。
咄嗟に出た罵声は、けれども勢いがなく、自分でも恥ずかしいほどにとろけた声になっていた。
ノアのものを擦るヨルドの指先がぬるりと滑るのを感じる。
先走りが溢れるほどに感じ入っていることを知らしめられるようで、あまりの情けなさに堪らず涙が出そうになった。
「く……ん……っ」
もともと性には淡白なほうではあるが、それでも正常に反応はするので、これまで定期的に抜いて発散はしていた。だがヨルドと同室になってからというものタイミングを見失い、ずっと処理を疎かにしてしまっていたのだ。
そのせいで、こんな最悪な瞬間に生理現象が勝手に起きてしまったに違いない。
決してヨルドと抱き合ってせいではなく偶然なのだと、誰に言うでもなく言い訳を考えるが、すぐに淫らな動きをする手に翻弄されて思考は掻き消消されていく。
「や、やっ……はな、せ……っ」
耳裏に音を立ててキスをされる。それを聞くだけで先端からはじわりと蜜が溢れた。
「……すごいね、ノア。ぐちゅぐちゅだ」
「うる、さ……っ」
「わかる? 先からどんどん溢れてくるよ」
「ひっ……」
指先で先端を抉るように動かされて、思わず腰が跳ねる。
耐えきれず声を漏らと、その様子を見下ろしていた男の喉がごくりと鳴った。
「ノア。ノア……」
高められ限界を向かえそうになったそのとき、不意にヨルドの手が止まり、覆い被さっていた身体が起き上がり離れていく。
まさかこんな中途半端な状態で終わるのか、と止まった安堵よりも恨みが先に出てくる。
いっそここまでやったのなら最後まで責任を取れと言ってしまいたいが、そんなことはノアのプライドが許すはずもない。
とにかく今のうち逃げ出そうと身をよじろうとしたノアだが、見下ろすヨルドの瞳に気がつき動けなくなった。
爽やかなあの瞳が、今では情欲に濡れ熱っぽくノアを見つめていたからだ。
「ノア。おれも、一緒に」
そう言ったヨルドが手を伸ばした先は己の下半身。そこはすでに服を押し上げ、窮屈さを訴えている。
ヨルドはそれを解放させるべく帯革を緩めていく。
彼の手によって取り出されたものをはっきり見てしまい、ノアは大いに狼狽えた。
「ひっ、な、なんだおまえっ! そ、れ……っ」
ヨルドとはそれほど身長が変わらず、彼のほうがやや背が高いくらいだ。それでも下半身についたものはノアよりもずしりとしていて、長大な存在感があった。
明らかに自分のつけているものとは違う迫力に、思わず腰が逃げたが、すぐに捕らえられてしまった。
引きずり寄せられ、二人のものが重ねられる。ヨルドの手にまとめられて一緒に擦り上げられた。
手とは違うかたさにと熱に押し潰されて、互いの先から溢れるぬめりで擦れ合う。
すでに高められていたノアは、すぐに限界を向かえた。
「やっ……ぁ、あっ……も、でるっ……」
ノアの訴えに無言で扱く手が速度を増した。
強くヨルドのものも押しつけられて、揉みくちゃにされながらノアは足を強ばらせた。
「あ、あぁ……っ!」
「く……っ」
堪える間もなくノアは達してしまった。ヨルドも相当堪えていたのか、ノアの放埒に少し遅れて吐精する。
二人分の精液が薄い腹の上に溜まっているのを感じた。それをどうすることできず、喘ぐように胸で息をする。
「はっ、はぁっ……」
すぐには動けずにいるノアの代わりに、ヨルドが自分の服でさっと腹を拭いて、服を整えていった。
「……ノア」
あっという間に互いの身を整えたヨルドが再び覆い被さり、そっと顔を寄せてきたところで、ノアはなけなしの腹筋で勢いよく身体を起こした。
ごちん、と鈍い音が鳴って、ノアは額を、ヨルドは顎をそれぞれ強打する。
ノアはぶつけた額を押さえて痛みのあまり悶絶した。
「っノア、大丈夫か?」
さすがというべきか、すぐに衝撃を流したヨルドが赤くなった自身の顎を擦りながらも、ノアがぶつけた場所を確認しようとする。
伸びてきた手を払い退け、未だじんじんと痛みを訴える頭をそのまましてヨルドに掴みかかった。
「い、いいか! 今のことは忘れろ!」
「でも」
「わ、す、れ、ろ!」
それでも何か言いたげなヨルドに、なお詰め寄って真正面から睨みつけた。
「おまえの話はもうわかったから。だから可能性の話はもういい! ちゃんと私なりに考えるから、それでいいんだろうっ」
何故あんなことになってしまったか今考えてもよくわからないが、要は決めつけることなくまずは経験をしていけと、その上で判断しろとヨルドは言いたいのだろう。
だからといっていくらなんでもあんなことまで経験させられなくてもよかったはずなのに、気づけば流されていた自分の迂闊さが恨めしい。
色々言いくるめられてしまって、ろくに拒否もできないままあの手で達してしまうなんて。――気持ちいいと、思ってしまうなんて。
でももうあんなこと二度とない。そういう仲でないのにするのは間違えているし、あんな情けない声も姿も他人に見せるなどあってはならないものだ。
「……もし溜まったら声をかけてよ。吐き出してすっきりしたほうが頭もまとまるだろう?」
「誰が!」
「言っておくけど、話をしようってことだからね」
「っ、わかっている!」
「もちろん、ノアからそういうお誘いしてもらうのも歓迎だけれど」
くすくすと笑うヨルドは完全にノアをからかっている。過剰な反応を見て楽しんでいるのだ。わかっていても気持ちを落ち着かせることができない。
全身の熱も引き切ることができずに、まだ耳元にはヨルドの声が残っているようだ。
強く腰を引き寄せる腕の強さも、絡みつく視線も、快感を与えるため淫らに動いた手も、生々しく感覚が残っている。
そのすべてから逃げたくて、ノアはヨルドを押し退け毛布を頭から被り込んだ。
胸がざわつく。考えなければいけないことがあるのに、すぐに耳にかかる彼の吐息の熱さを思い出してしまう。
「ねえ、ノア。手を洗いに行きたいんだけど、ついて来てくれないかな」
「知るか!」
たとえそれが二人分の精液に濡れた手であっても、ノアに責任は何ひとつない。
毛布の中でくぐもった声を上げて、それ以降ヨルドが何かを話しかけても耳を塞いで聞かないようにした。