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 二日後、予定通り使者を乗せた馬車をヨルドを含めた護衛隊が囲み城門から出立した。
 机で資料を読み込むノアに、窓の縁に座り外を眺めていたチィが振り返る。

「ノアさま。ヨルドさま、行っちゃいましたよ」

 珍しくノアのもとに来ることなく熱心に外を見ていると思ったら、どうやら城門を確認していたらしい。
 遠ざかる一行を見送ったチィの声は悲しげだ。

「そんなことをより、追加で欲しい資料がある。書きとめるから持ってこい」

 ノアは手早くメモをとりチィの口元までそれを持っていく。
 一度は非難めいた眼差しを送ってきたが、すぐに諦め小さな口で紙を咥えた。
 窓から軽やかに飛び降りたチィは猫用の扉から部屋を出て行く。
 それからノアはただひたすらに仕事に集中した。余計なことは何も考えず、休憩することすらとることなく、遣いからチィが戻ってきても気づかなかった。
 だから、にわかに城内が騒がしくなり始めたことにも気づかず、本を両手に魔導具に必要な魔術の構成を練っていく。

「――……ノアさま!」

 視線の先の本の上にばっと身体を伸ばしたチィに、ふっと集中が切れた。

「何をする。仕事の邪魔をするなら追い出すぞ」

 身体を起こして座り直した使い魔を睨みつけると、チィは慌てて「そうじゃにゃいです!」と声を張り上げた。

「にゃんだかお城の中が騒がしいんです。さっきから、ここにも人がたくさん出入りしているみたいで」
「なんだと?」

 関係者以外よほどのことがない限り誰も立ち寄ろうとはしない魔術師の巣窟に、頻繁に人が出入りすることがあるのは通常ありえない。
 目を閉じ耳を澄ますと確かに、普段はないざわめきのような人の話し声が聞こえた。
 感情的になっているのか、その声は塔の高い場所にあるノアの部屋にまで響いているが、その内容までは聞きとれそうにない。
 チィいわく塔の周囲でも侍女や兵士問わず駆け回っているらしく、明らかに何事かが起こっているようだ。
 降りていくべきかノアが悩んでいるところに、階段を駆け上る荒々しい足音が聞こえた。

「ノアどの!」

 扉を叩くこともなく突然部屋に男が飛び込んでくる。その姿を見て、あっとチィが声を上げた。

「ヨルドさまの下僕!」
「馬鹿、部下だよ!」

 何やら面識があるようだ。騎士団の男は咄嗟に反論していたが、すぐにそんな場合ではないと思ったのかノアに振り返る。

「突然申し訳ありません。騎士団長があなたをお呼びです。ご同行いただけますか」

 ノアは魔術師団長の指揮下で行動をするため、騎士団長といえども管轄の違う幹部の命令に即座に従う必要はない。しかし余裕ない騎士の様子に捻くれている場合でないと判断し、本を閉じ立ち上がる。

「チィ」
「はいっ」

 ノアの呼びかけに、チィは右肩に飛び乗った。
 先に歩き出したノアを追いかけてきた騎士は、すぐに先頭に位置を変える。
 階段を下りていく途中、騎士と話をする魔術師団長と目が合った。彼はただ頷き、ノアは前を行く男についていく。

「向かいながら話を聞かせろ。悠長にしていられないのだろう」
「実は――ライル殿下が消えてしまったのです」

 それはルーンの息子の名前で、国王にとってはひ孫にあたるまだ幼い王子の名前だ。
 王子は侍女たちに連れられて、城の敷地内で日光浴の散歩をすることが日課だった。
 今日もよく晴れていて嬉しそうに出て行った王子を見送った侍女長だが、いつまで経っても部屋に戻ってこないことを不審に思い探しに出たところ、王子とともに出ていた者たちが殺されていたのが発見された。
 侍女も近衛兵も関係なく殺害されており、その死体の中に王子の姿はなかった。
 くまなく城内を探し回ったところ、城から大きな壺を運び出す一行を見たとの証言があり、そこに王子が隠されていたのではないかと推測された。
 なぜ荷物が検められたなかったか。その理由は巧妙で、事前に壺が運び出されることが決まっていたからだ。
 壺は実際に城で飾られていたもので、昨日ライルが遊んでいたはずみで上部を割ってしまって処分することになっていたためだ。しかし今となっては王子が実際に割ったのかも怪しい。自分から証言できない幼さを利用された可能性は高かった。
 王子が消えると同時に、三人の衛兵が姿を消している。そのうちの一人は非番だが昨日の壺が割れた時に傍にいた者で、二人は今日まさに王子の護衛の中にいたはずだが、殺された者の中にその姿はなかった。
 また門番の証言から、壺を運び出した三人組の人相を照らし合わせたところ、消えた三人と特徴が酷似しているという。
 それらの情報から導き出される答えはひとつ。ライル王子は誘拐されたということだ。
 命を奪う目的なら城に捨て置いても使命は果たされる。しかし連れ出したとなれば、わざわざ死体を運ぶ可能性は低く、まだ生きていると考えられた。
 三人の身元は今調べられているというが、恐らく偽称まみれだろう。答えが出るまで待っている間、王子が無事とは限らない。
 直系の王族であり王位継承権も持つ幼い王子が誘拐されたとあっては一大事どころの話ではない。恐らく犯人は年単位で潜伏し、機を狙っていたのだろう。
 あらかた事情を聞いたところで、城門前に騎士を揃えていた騎士団長のもとに辿り着いた。
 その頃にはノアは、日頃の運動不足も祟ってすっかり肩で息をする。
 額から噴き出る汗を拭いながら、ノアはどうにか息が整うまで待ってくれるつもりでいるらしい騎士団長に問いかけた。

「私を呼び出したということは、このノアの力が必要ということでしょうか」
「はい。一刻を争う事態となってしまった。あなたの力をお借りしたい。我々が全力で支援します」
「わかりました」

 話を聞いていた騎士たちに動揺が走った。騎士団を動かすよりも先に一介の魔術師に頼るどころか、それの援護をするというのだから驚きもするだろう。
 集められた騎士たちを見ると、若い顔ぶれが並んでいた。中にはノアのことを知らない者もいるようだが、今は懇切丁寧に事情を説明している暇はない。
 振り返ったノアは、塔を出てから後をついてきていた黒犬の前にしゃがみ込む。

「おまえは王子の遊び相手も務めていたな。匂いは覚えているか?」
「おうともさ! 堂々と正門から出て行ってる。推測はきっと正しいぞ」

 この黒犬は魔術師団長の使い魔だ。魔術師団長の魔力で嗅覚を強化されているので、通常よりも嗅ぎ分ける能力が数段高まっており、王子の匂いもよく知っているので確信を持って答えた。

「鷹のやつもついて来ている。すぐにでも出られるぞ」

 頭上を見上げれば、ノアたちの上を旋回する影が見えた。彼もまた魔術師団長の使い魔で、ふたりは主の指示のもとノアに手を貸してくれる手はずは済んでいるようだ。
 ならば話は早いと、騎士団長に目配せすれば、彼は「頼みます」と短く告げるとノアのために道を開けた。
 歩き出したノアに、追跡の準備をしていた騎士の一人が手を止め困惑気味に声を上げる。

「ノアどのが行ったところでどうするのです?」
「一刻も早く我々が出たほうがよいのではないでしょうか?」
「そうです、早く出立しましょう! こうしている時間も惜しいっ」
「その犬の使い魔だけでも借りられれば十分です!」

 一人が声を上げれば次々に発言していく。自分たちこそが動くべきだと一様に口を揃えた。
 騒ぎ始めた若い騎士たちに、青筋を浮かべた騎士団長が制する前に、誰よりも大きな声でノアが一喝した。

「うるさい! 貴様らの馬より私が動いたほうが早いんだ! 目印はつけておくから、さっさと準備を終えて黙ってついて来い!」

 ノアの勢いに押されて口は閉ざしたものの、騎士たちの疑念は深まっていく。どう見てもノアが馬どころか、ここにいる騎士の誰よりも早いとは思えないからだ。ましてや肩で息をして到着したのを目撃したばかりである。魔術師の特権である使い魔は子猫で、それを使って追いつけるようにも到底見えない。
 そうしている間にも、ノアに遅れてやってきた魔術師たちがぞろぞろと合流をした。
 何の説明も受けないまま黙々と追跡の準備に取り掛かると、それを見たベテランの騎士たちが彼らに指示を仰ぎ従っていく。
 まだ入団して数年の騎士たちの困惑はいよいよ頂点に達した。

「の、ノアどのが先陣切って誘拐犯どもを追いかけるんですか? それは色々と無謀では……」
「ああ、おまえたちはまだ入って日が浅いから知らなかったんだな」
「まあ見てろ、ほら」

 ノアと同世代の騎士たちが示した先にいるのは、枝のように貧相な魔術師で、その足元に従えているのは頼りない子猫が一匹だけ。
 不安を覚えていた騎士たちだったが、主従の姿を見つめる瞳をみるみる大きく見開かせていく。
 やがて誰かが情けなくも「ひえっ」と小さく悲鳴を漏らした。

 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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