終章

 

 ばたばたと足音を鳴らして、数人の生徒が誠士郎の隣を駆け抜けた。

「先生さよーならー」
「おー、気ぃつけて帰れ。あと廊下走んな!」
「はあい」

 返事だけは立派に返しつつ、大笑いをして廊下の角に消えていった。
 親しくしてくれるのは嬉しいことだが、どうも威厳に欠けているのか、生徒はなかなか注意を聞かない。むしろ、わざと気を引こうとしている面もあるので手を焼いていた。
 職員室へ戻る道すがら、時々ふとした瞬間に、教師である自分を不思議に思うことがある。
 一か月間行方知れずとなり、散々な憶測や噂を呼び、神隠しとまでいわれた誠士郎がひょっこり戻ってきた後は、なかなか騒々しい日々を送った。ましてや誠士郎が心を入れ替えたように勉学に励んだので、友人からは宇宙人に攫われ改造されたのまで騒がれたが、一か月間のことはとにかく覚えてないで押し通したのは懐かしくも苛立たしい思い出だ。
 一年浪人を経験してしまったが、無事目当ての大学に受かった。そして夢としていた英語教師になってこの中学校に配属されてから、もうじき一年が経とうとしている。
 新人ながらに一年生のクラスを任され、初めはかなり手間取ったものだが、多くの苦労がすべてなくなったわけではないが、どうにか生徒たちに慕われるようになったのはうれしい。
 十七の誕生日を迎える前の自分であればきっと、今の自分を見たら驚くことだろう。まさか縁遠く、考えたこともなかった教師になっているなど。誠士郎自身未だに驚くことがあるのだから、十七の自分はひっくり返るかもしれない。それくらいありえないことだったのだ。
 勉学にのめりこむうちに悪くなってしまった視力を補うためかけている眼鏡を押し上げて、外を見る。夕暮れに染まる空の端は、少しずつ闇の色に染まりつつあった。
 今日も帰るのは日が完全に沈みこんでからになりそうだと、少しだけ歩幅を大きくして道を急いた。

 

 

 

 夜空の下を歩くことが好きだった。星座はなにひとつわからないし、ただぼうっと歩きながら見上げるだけなのだが、それだけでも心が満たされる。
 生憎、今宵の空は雲がかかってしまい、折角の満月も、星も、なにひとつ見えなかった。疲れて帰る日はとくに癒されるのだが、雨が降っていないだけまだましなのか。
 いつもは上を見て歩く道も、今日は俯きがちに肩を落とす。
 手に持つ鞄はずっしり重たく、家に帰ったとしても、仕事が待ち受けていると思うと少し憂鬱だ。それでも明日は休みなので、今日中にやっつけてぐーたらとする予定である。
 道路に落ちる目線の端、鞄を持つ腕には、スーツには不釣り合いな金の腕輪が光の薄い闇夜にきらりと光っていた。それを見て少しだけ気持ちを持ち上げる。学校にいるあいだはつけられないが、それ以外では必ず身に着けているものだ。誠士郎にとっての大事なお守りである。
 顔を上げ、明日のぐーたらは変更して、久しぶりに母の家に顔を出すかな、と考えていると、ふと背後からシャランと涼やかな音が鳴る。
 誠士郎は、思わず足を止めた。

「――セイ」

 背後から声がかけられる。ゆっくり振り返ると、雲に隠れてしまっている夜空を思わせるような細やかな金の飾りを身に纏う男が一人たたずんでいた。
 誠士郎と目を合わせると、新緑色の瞳が細められ、その口元には微笑が浮かぶ。

「お待たせ、セイ。会いに来たよ」

 記憶にある姿よりも伸びた金の髪。より増えた衣装の飾りに、少しやせた頬。
 でも変わらない、優しく誠士郎を呼ぶ声。
 差し伸ばされた両手に、鞄を放り出して飛び込んだ。

「っ遅かったじゃねえか! 待ちくたびれた」
「ええ? いくらでも待ってくれるって言ったじゃないか」

 胸に顔を押しつけてくる誠士郎に、ルフィシアンは困ったように言った。誠士郎は答えず、震えるその背に気がついた大きな手が優しく抱きしめ返す。

「――セイ。ごめんね。少し時間がかかったけれど、ちゃんと頑張ったよ。セイに会いたくて」

 誠士郎が気軽に口にしたほど、きっと簡単でなかったであろうことが、誠士郎が知るよりも少し細くなった身体が教える。
 ぎゅうぎゅう抱きしめていると、強引に引き剥がされ、隠していた顔を無理矢理見られてしまった。
 眼鏡はずれて、涙でぐちゃぐちゃになった誠士郎のひどい顔をルフィシアンは笑う。

「はは、会わなかった間に、随分涙もろくなっちゃったんだね?」
「うる、せぇっ……そういうおまえだって!」

 誠士郎と同じく、ルフィシアンもぽろぽろ泣いていた。そうはいっても、なにせ多少やつれたくらいではルフィシアンの造形に影響は出ず、顔のいい男は泣いても絵になっている。

「セイにつられたんだよ……」
「うそつけ。あんたが先だよ」

 大の男が泣き合う姿は傍から見れば滑稽に映るかもしれない。だが、今の二人には互いしか見えていない。
 待ちわびた再会に、ただ相手がいることだけを確かめ実感したかったのだ。
 顔に手を添えたルフィシアンが、潤んだ瞳で見詰めてくる。

「ずっと……ずっと会いたかった。一日たりともきみを忘れた日なんてない。また会える日を、どんなに焦がれていたか」
「……おれもあんたに会いたかったよ。しんどいときも、逃げ出したいときもいっぱいあって、もういいやって放り投げたくて……でもあんたに会うために、おれだって頑張ったんだって言ってやりたくて」

 瞬きでぽろりと瞳から零れた涙が、頬に添えられたルフィシアンの指に流れていく。
 ルフィシアンは眼鏡を外して、誠士郎の目元にキスをした。それを受け止めながら、誠士郎はすんと鼻を啜る。

「……もう、我慢しなくていいんだよな? あんたにいつでも会えるんだよな」
「ああ、そうだよ。世界は結ばれた。セイと一緒に居られるようになったんだよ」

 そっとルフィシアンの顔が寄せられて、誠士郎は瞼を閉じる。
 涙に濡れた唇が重なり、ぶわりと心の奥底が歓喜にわいた。この日のために努力してきた今がようやく実を結んだ。ずっと求めていたものが、この手に戻ってきたのだ。

「セイ」

 ずっと聞きたかった。誠士郎を呼ぶその穏やかで優しい声を。
 ずっと抱き締めてもらいたかった。この身が軋むほど強く、その存在を実感できるように。

「ルフィシアン――」

 愛おしい者の名を呼ぶ。きっと声に出せば恋しくなってしまうからと、ずっと耐えてきたが、ようやく口にすることができた。
 またこみ上げてくる涙に、誠士郎はルフィシアンの胸に顔をすり寄せる。
 気楽に笑って、久しぶりと挨拶する自分を何度も想像していたはずなのに。こんなみっともなく感情に揺さぶられ、大泣きするなんて思わなかった。
 でもいい。ルフィシアンの前でなら。こんな姿を見せるのは彼にだけだから。
 ――明日はたくさん話そう。もしくは、二人で母に会いに行くのもいいかもしれない。この世界でルフィシアンを知るもう一人だ。ずっと会いたがっていたし、外国人俳優が好きな彼女はこの顔にきっと鼻息荒くして興奮することだろう。
 それに誠士郎だってルフィシアンの世界に行って、ファルドラとスィチにも会いたい。子狼だったスィチの成長は目覚ましいものであるに違いない。ガヴィのつがいの竜だって見てみたい。
 旅行の計画も立てなければ。誠士郎も初めて行くし、きっと案内はできずぐだぐだになってしまうだろうが、慣れるまで何度だって行けばいい。
 ルフィシアンとの未来を想像する誠士郎は、その感動に涙し、その温かさに笑いながら、両手にある幸福を強く抱きしめた。


 おしまい

 

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これにて『結びの魔法使い』完結となります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

当初の予定ではヘタレわんこ攻だったはずのルフィシアンと、不良とまではいかないまでもツンツンしている受だったはずの誠士郎、なんかそれぞれ初めから違うのでは……? と思いつつ、こうして無事に完結した二人で少しでも楽しんでいただけたのであれば幸いに思います。

今後は気まぐれに番外編や、本編では削った説明(なぜルフィシアンやガヴィは魔法使いなのに筋肉隆々なのかとか、ファルドラの魔法についてとか、誠士郎が気を失った後のガヴィとルフィシアンのやりとり)など、ちょこちょこ書いていけたらと思っております。
ちなみに脇CPは、アルディガノス×ガヴィ、スィチ×ファルドラでした。ガヴィ編はふわっとプロットが思い浮かんでいるので、こちらもいつか書けたらなと思います。彼の魔法はエロ展開にしやすくてありがたいです。

(余談ですが、誠士郎とルフィシアンが初めてでもうまくいったのはガヴィの魔法のおかげであり、再会後の二人はめちゃくちゃ苦戦します。なかなか全部入りません)

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。もしご感想などいただけましたら嬉しく思います。

またどこかで作品をお読みいただける機会がございましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

2018/5/6