花食むきみに

 

本編完結後。終章から一悶着後の旅立ちのこと。

憶えのない名があると思いますが、それが終章にて語られなかった勇者の名です。


 

 シュカに旅の仲間に誘われなかなか答えを出せずにいたリアリムだが、周りからの後押しもあり、ついに根負けする形で生まれ故郷を旅立つことになった。
 移動は基本的に馬を頼るのだが、馬の扱いに不慣れなリアリムは、シュカの愛馬である艶めく白毛の美しいシュナンカに同乗させてもらっている。ラディアは青毛のディッシュに、リューデルトは金色のたてがみに輝く栗毛を持つレイナラにそれぞれ乗った。
 大の男が二人乗っても平然とする彼女は実に頼もしい。動物が苦手なリアリムであるが、シュナンカはエンディラに滞在しているときから時々乗せてもらうことがあったので、彼女のことはそれほど恐ろしくは思わない。
 エンディラは平野に囲まれている土地のため、しばらくは勾配もない穏やかな大地が続く。隠れる場所が少ないため大型の獣や影好む魔獣の出現は少なく、比較的安全な旅路でもある。
 緑が豊かで、この土地特有である四季があるため、様々な植物が群生している。とくに冬が明けた芽吹きの春である今、華やかな色合いの花たちが咲きこぼれていた。
 エンディラ周囲の植物ならば花以外にも大抵知っているので、リアリムはシュカに指差されたものについて答えていく。
 リューデルトはもとより薬学に精通していて、一行の財布も握る彼は節約のためにと野生する食すことのできるものを探すことも多いらしく、薬草だけでなく雑草にまで詳しくなったのだという。どこか儚げに繊細そうなつくりの顔に似合わず、したたかで現実的だ。
 対するラディアははじめから覚える気はないようで、これまでの食事に関してリューデルトに丸投げだったようだ。何度も食べたことがあるというサルシアの実ですら見分けがつかないのだとリューデルトが嘆く。
 いつかは変なものに当たるぞ、とリアリムが言えば、他のやつらがわかっていればいいんだよ、と気楽に笑うのだ。実に他人任せな答えである。

「こんなんじゃリューデルトも大変だな」
「ええ、本当に。結局腹が減ったとかで許可もなくそこらに実っているものを食べて痛い目に何度遭ったことかさえ、覚える気がないようです」
「それは……迷惑な話だな」

 わざとらしく肩を竦めて溜め息をついたリューデルトに同調して苦笑すれば、ラディアはようやく不利の立場らしい居心地悪そうな表情になる。

「リアリム……おまえちょっと言うようになったな?」
「そりゃだって、もうお客さんじゃないだろう」

 これまでは花屋と旅人たち、売り手と買い手という関わり合いでしかなかった。しかしこれからは違う。
 リアリムとシュカ、ラディアとリューデルトの四人は、同じ旅路を行く仲間なのだ。まったくの他人以上の繋がりが生まれ、必要とあれば助け合い道を進んでいく。町にでも行かない限り四六時中傍にいるのだし、それなのに遠慮ばかりしては精神をすり減らすだけだ。
 リアリムだって悪ふざけをするし、冗談も言う。ときには己の意見を告げなければならない場面も出てくるだろう。自分を隠すつもりもないし、旅の仲間としての信頼を深めていくためには、本来の自分を見せたほうがいい。言いたいことを言い合える仲になれないのなら、共に旅などできるわけがない。
 これまでの客向けの愛想はもうおしまいだとはっきり言い切ると、異論はないらしく、生意気だと疎ましく思う気配もなく受け入れられた。
 内心でこっそりと胸を撫で下ろす。彼らの懐の広さを知った上での言葉とちょっとしたからかいの冗談だったが、まだそこまで三人のことを知っているわけでもないし、気分を害されるのではないかと実は少しだけ心配していたのだ。
 ラディアが以前起こした真夜中の腹痛騒動の話を聞いているところで、ふと落とした目線の先に紫色の花が咲いているのを見つけた。

「そういうときにはあの紫の花の、葉の方が効果的だよ。下痢止めの効果があるんだ。名前は――」
「ゲラドソウ、だろう」

 言葉を被せるように、背後のシュカが先に名を告げた。
 リアリムが振り返ると、シュカはさらに言葉をつけ足す。

「花弁もそのまま食べることができるんだろう」
「そうそう。でも味があるわけでないから、料理の彩りなんかに使われることがあるんだ」

 温かい地域に広く分布しているこの花は、葉で下痢止めの薬が作れることが昔から知られている。葉は薬に、花や茎は食べ物として分けて無駄なく食べるのだ。
 旅の道中では不測の事態などで食糧が尽きかけることもあるだろう。そうしたときにそこらにある食べられる植物のことを知っておくと、ひもじい思いはするが飢えることはない。
 薬草などもときとして必要になるため、旅慣れた者はその手の知識を蓄えていることが多いのだ。

「シュカは食べられる草花に詳しいよな。ラディアと違ってちゃんと勉強しているんだな」
「ああ……あのときは必死に探したな」
「そんな大変なときがあったのか?」

 振り返ると、シュカは曖昧に笑うだけだった。
 リアリムを見る空色の瞳には、日差しの気持ちいい日によく干した毛布のように暖かく、優しい色が滲んでいた。それと同時に、子供の頃に誰にも見つからないようにと隠したものを大人になってから見つけたような、懐かしいものに触れたような表情をする。
 それはシュカだけでなく、リューデルトとラディアもで、時々三人は同じときに今のような顔をするのだ。ときに息苦しそうに、けれども、その想いを大切にするように。
 彼らだけで長く旅をしてきているというし、新顔の自分にわからない彼ら共通の思いがあるのは当然だ。しかしそんな三人の様子を見ていると、不思議とリアリムも似たような思いに捕らわれる。
 胸がきゅうっと締め付けられるような、小さな痛みも伴う切ない感情。気を抜けばほろりと目尻から涙の雫が零れ落ちそうで。
 心のずっとずっと深くに沈み込んでいるなにかが浮き上がってこようとする。もうすぐそれの正体がわかりそうになるところで、いつも誰かが違う話題を出すので意識は逸らされてしまうのだ。

「あそこで少し、休憩しましょうか」

 今もさりげなくリューデルトが近くに見えた小川を指し、しめっぽくなりかけた雰囲気をがらりと変える。
 いつのまにか自分の手元に落ちていた顔を上げると、細く流れる川の両脇に美しい景色を見つけた。
 多種の野生の花が群生しているようで、さながら花の絨毯のように絵本のような景色が広がっていた。花の持つ芳香が、まだ少し距離のあるここまで届いてくる。けれども爽やかな香りで、四人は蜜を求める蜂のように吸い込まれるよう、その場所に向かった。
 シュナンカを降りたリアリムは、シュカたちが愛馬の面倒を見ているうちに一人花畑の中央に向かい、ころんとそこに寝転がった。
 慣れない乗馬に身体が強張っていたので、思いきり背伸びをする。手綱はシュカが握っていて、リアリムはただ荷物同然に乗っているだけだが、まだ不要な力が入ってしまうのが止められない。明日には早速筋肉痛になっていることだろう。
 ふう、と全身から力を抜いて大地に身を預ける。
 頬をくすぐる葉がかゆいが、優しい花の香りは優しく、青い空が心地いい。
 ――リアーナが見たら喜ぶだろうな。
 故郷にいる妹同然の少女の存在を思い出す。彼女ならばきっと、嬉々として花冠でも編み出すのだろう。できたものはいつも真っ先にリアリムに渡すので、弟は少し離れているところで今のリアリムのように寝そべりながらふくれっ面をしているのだ。
 以前にも似た花畑に立ち寄ったときの弟たちの様子を思い出し気持ちが穏やかになるのと同じく、彼らと会うのが次にいつになるのかを考えたら少しだけ寂しくなった。
 まだ旅立ったばかりだというのに、エンディラとそれほど距離を取っていないのにもう郷愁に捕らわれるとは、先が思いやられると自らに呆れてしまう。
 早く慣れなくてはと思いながらはてなき空を見つめていると、不意に視界に小振りな薄青の花が飛び込んだ。
 頭をずらして目線をより上へと向けると、そこにはしゃがみ込み花を差し出すシュカがいた。
 シュカの手に当たらぬようにと身体を起こす。
 シュナンカたちは放してもらったようで、思い思いの場所で過ごしている。賢い子たちだから、決して飼い主の見えない場所に行くことはない。
 ラディアとリューデルトは小川の縁に座り込み、肩を並べていた。
 シュカは胡坐を掻いたリアリムに、もう一度花を見せた。

「食べるか?」
「うん」

 受け取った花は一度水につけたのか、水滴が花芯に溜まっている。これも食用と知られているものだった。
 花は好きではあるが、あまり食べたいと思ったことはない。今も腹は空いていないし、いらないと言ってもよかったが、それを見ているうちになんとなく口に入れたくなった。
 案の定、唇で挟んで千切った花弁は、咀嚼したところでたいした触感もないし、ただほんのり草の味と花の香りが広がるだけで決しておいしくはない。むしろ率先して食べたいとは思わないのに、それでもリアリムはぷちん、ぷちん、と花弁をのみ込んでいく。

「それは、おれが初めて覚えた食べられる花だった」

 花弁が半分くらい減ったところで、隣でそれを眺めていたシュカが言った。 

「薬草や山菜なんかを覚える人は多いけれど、腹の足しになるようなものでもないから、食用の花を知っている人は少ないんだよな。シュカはよく食べているのか?」
「知っているだけで、食べたことはない」

 シュカへ振り向くと、今度は彼が顔を前に向けて、目線の先にある花びらを撫でた。

「おまえはなにが好きなんだ?」
「え?」
「食べ物」

 脈絡のない問いにすぐに理解ができなかったが、簡潔に足された言葉に考え込む。
 基本的になんでもよく食べるので、好む料理はあっても、特別名前を上げるものがなかなか出てこない。
 しばし思案して、ひとつだけ浮かんだものに再び郷愁を感じる。

「んー……チェイの実のパイかな。うちの母さん料理はからきしなんだけれど、それだけは上手でさ。小さい頃はよくせがんで作ってもらったんだ」

 チェイの実はバターの染み込んだパイによく合った。かぶりついた瞬間にきゅんと頬が痺れて、その後に広がる香りと蕩ける甘みに夢中になるくらい、あの甘酸っぱさが大好きだった。偏食で少食な弟も、これだけはリアリムと奪い合った記憶まである。

「シュカは?」
「なんでも食べる」
「あはは、おれも結局それ。ちゃんと気持ちが入っていれば、この花だっておいしいよ」

 味も確かに大事だが、きっと自分が食べていて気持ちがいいかどうか、それなのだろう。
 自分からは決して手を伸ばさない薄青の花だって、シュカが採って洗ってまでもってきてくれた。小さな手間とはいえ、わざわざリアリムに届けるためにやってくれたことだ。  それだけで十分に、草の味だって優しく感じる。
 笑いながらまた一枚花びらを食むと、シュカも小さく口の端を綻ばせた。
 それを横目で盗み見ていたリアリムに気がつくと、視線から逃げるように後ろに倒れていった。
 食べかけの花を握り締めたまま、シュカを追いかけてリアリムも横になり、今度は堂々と正面から彼の横顔を眺めた。

「シュカ」
「なんだ」
「ありがとう、連れだしてくれて」

 自然と溢れた気持ちを口にする。

「散々渋ったし、こうして旅だってみて、もう寂しい気持ちになっているけれど、でもこれから先に待っている沢山のものにもわくわくするんだ。きっと一人じゃ行こうとも思えなかった場所でも、シュカたちとなら、どこへだって行けると思う。改めてこれからよろしくな」

 首だけを向けたシュカは、そろりと手を伸ばし、リアリムの頬に触れる。それを嫌とは思わない。
 そして、ぽろりと眦に流れた彼の涙を見ても驚きはしなかった。

「シュカは泣き虫だな」
「――それはおまえもだろう」

 指摘されてようやく、自分も泣いていることに気がついた。目尻から流れていった涙は、大地に吸い取られていく。
 人前で泣いているというのに、不思議と恥ずかしさはなかった。
 これまでも何度かシュカに涙を見せたことがあったからだろうか。それとも、彼も同じく泣いているからだろうか。
 花の持つ手を伸ばし、彼が流す透明な雫に触れる。とても熱くて、彼の心に触れているような気持ちになる。
 同じように涙の跡をシュカは辿った。その指先の優しさに、悲しくもないのにまた言葉に表せない思いが溢れでる。

「なんだろう……ずっと、ずっとこうしたかった気がする」

 それがなんなのか。なぜこんなにも胸が熱く苦しくなるのか。切なくなるのか。どうして涙が止まらないのか。
 なにひとつわからない。自分の涙腺が、感情が、心の底に仕舞われるなにかに操られているのに、だがそれを恐ろしいとは思えない。
 目の前の男は、ただ、泣きながら笑った。すべての幸福はここにあるとでもいうように、ただそれだけを感じているように。
 しかしリアリムは同じように笑うことはできなかった。静かな涙は終わり、嗚咽に背を丸めると、シュカが宥めるように背中を撫でてくれる。それが優しくて、悲しくて、ますますこみ上げる沢山の感情が激しくなり、救いを求めるように無意識にシュカに抱きついていた。
 背中に回された腕に抱きしめられると、まるでもともとひとつであったかのようにしっくりと馴染んだ。またなにかが浮かび上がりそうになったが、リアリムは考えるのを止めて、自分よりも少し広い胸に顔を埋めて気持ちを落ち着けていく。
 ――きっとこれからも、こんな風に泣くことがまたあるのだろう。そんな気がする。
 いつかこの想いの答えが出るのだろうか。そしてシュカのように、泣きながらでも笑えるようになれたら。
 そうなれたなら、きっと、本当の意味で彼の隣に立てるのだろう。

「リアリム、今度こそ――」

 なにかを言いかけたシュカは、けれども口を閉ざして抱き締める腕により力を籠める。
 いつかその先の言葉も聞くことができたらいいと願いながら、今この瞬間を噛みしめた。
 旅はまだまだこれからだ。長い日々の中にはこの願いが叶う日もあるだろう。
 彼らといれば、きっと。
 涙を止めたリアリムは顔を起こし、すぐ傍にいるシュカに微笑んだ。
 

 おしまい

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というわけで、来世のリアリムと勇者(シュカ)でした。来世であっても、みんな名前は変わっていません。

来世編はいつか同人誌化するときにでも載せよう、と思っていましたが、それがいつになるかわかりませんし、なによりムーンライトノベルズさまに掲載するためにさらっと読み返したとき、もうちょっと幸せな二人を書きたい思いが我慢できずに書いちゃいました。

その代わり、詳細についてはあまり記載しておりません。(リアリムの家族構成や、旅に出ようと口説かれている最中など)
なので詳細は置いといて、前世とのちょっとした違いなどを楽しんでいただけたら幸いです。