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「……感じられませんでした」
「感じられない? そんだけでかいってことか?」
「いいえ、そうではありません。それでしたら途方もない大きな力を漠然とでも感じ取ったはずです。けれどもそれもない」

 人間には大なり小なり、魔力というものが存在している。その中でも一際大きな魔力を持つ者が魔術師となり、魔力を消費することで人智の及ばぬ現象を起こして見せるのだ。魔術に使用される魔力は著しく、そのため一般人に魔術を扱うことはできないのだとされている。
 魔術師であるリューデルトは、魔力値の高い人間である。そして剣士をしているラディアは一般的な値なのだろう。そして勇者は魔術師と並んだとしても桁外れの魔力の持ち主であるとされ、恐らくリューデルトを凌ぐ魔力を有していると想定された。
 単純に考えたとするならば、リアリムは際立った魔力など持っていないはずだ。この三人でいえば、ラディアが属する大抵の人間と同じ括りとなるのだろう。
 魔術師にさえなれるほどの力を持つ者は、幼少時に無意識のうちになんらかの魔術をひとつ習得するという。それを判断材料とし、魔術師の才ありと認められれば王国などに召し抱えられ、教養を授かることになる。
 勇者に言われ、リューデルトはリアリムの中の魔力値を計ったのだろう。だが彼の顔色は曇り、その要因となるリアリムは困惑し、心がざわついた。
 リアリムは魔術を発動させたことがない。そのためラディアのいう大きな魔力などないはずだ。実際リューデルトも首を振っている。しかし言い淀む姿は、なにかあるのだということを教えていた。そしてなかなか言い出さない様子を見ればますます焦りのような不安を覚える。

「はっきり言えよ」

 焦れたラディアに急かされ、リューデルトは未だ躊躇いを残しながら口を開いた。

「ありません」
「なにが」
「リアムに魔力は、ありません」

 はあ? とラディアは片眉を上げる。リアリムも言葉を受け入れきれずに拳を握る。リューデルトは硬い表情を崩さないままだった。

「一切、感じないのです。これまで聞いたことがありませんが、リアムは魔力を持たない人間なのでしょう」
「そんなのがいるってのか」
「言ったでしょう、わたしも聞いたことがないと。しかし世界全土の人間の魔力値を調査したことがない以上、あり得ないことだと否定はできません。それに、リアムが魔力を持たない人間であれば、勇者さまに触れられることにも説明がつきます」

 ラディアは押し黙った。

「その……普通の人が勇者さまに触れてはいけない理由っていうのは、なんだんだ? 魔力と関係があるのか?」

 きっと眉は垂れ、不安が露わな情けない顔をしているのだろう。そう自覚していても、リアリムにはどうにもできないまま、少しでもそれを取り除けるよう自ら切り込んだ。そうでもしないと、沈黙が再来しそうで恐ろしかったのだ。
 今話題に上がっているのは自分と、そして勇者のことだ。けれどもその話になにひとつついていけていない。他の三人が共有している情報をリアリムが知らないからだ。
 彼らは勇者一行であり、彼らの輪だけで交わす言葉もあるだろう。しかし今はリアリムの名が出て、そして関わっている以上、知る権利はあるはずだ。
 リューデルトたちもひどく困惑しているようだった。だからこそリアリムへの説明も疎かになっていたのであろうことを、はっと目の覚めたように顔を上げたリューデルトの姿に悟った。

「申し訳ありません。あなたを必要以上に怯えさせないよう、伏せていたことがあります。それが勇者さまの魔力についてでした」

 勇者は、誰もが知る通り莫大な魔力を有しているという。それも勇者たる者が持つ、他とはやや異なる特殊なものを。だからこそ魔族に対抗でき、その王座に君臨する魔王とも対峙できるという。しかしそれは、あまりにも強大すぎた。
 勇者は強すぎる魔力を持つが故に、触れあった相手の内なる魔力を暴走させてしまうのだ。
 魔力とは、血に宿っているとされている。そのため暴走した魔力は熱を持つが、同時に血を沸騰させ、それが全身を蝕み、やがてすべてを蒸発させてしまう。魔力が狂わされた人間がいた場所には、髪の毛の一本も残らないという。
 勇者と素肌で触れあってしまった者は、魔力の制御を知る魔術師でもない限り、苦しみに悶えた果てに蒸発して消えてしまうのだ。
 だから勇者には触れてはならないと、リアリムはきつく忠告を受けたのだ。しかし真実を話してしまえばリアリムは勇者を恐れ、必要以上に距離を取ってしまうだろうと考え、真相が語られることはなかった。
 勇者自身も深く用心していた。誤って素肌に触れてしまわぬよう、触れられぬよう、そのために顔以外すべての肌を覆っていたのだ。恐らく、掠っただけでも魔力は暴走を始めてしまうのだろうから。
 すべてを聞き終えたリアリムは、恐怖に肌を粟立たせた。先程勇者と触れあった場所が冷えていく。心臓が嫌に高鳴り、わずかに開いた隙間から口の中が乾いていった。
 動揺していることは、明らかだっただろう。リューデルトたちもその反応を見越して、話しをしなかったのだから、なにもリアリムの態度は決して大げさなものではないはずだ。
 ただ肌を触れ合わせただけで、相手を狂い死なせる。恐れぬほうが異常だ。しかし――
 リアリムは一度深呼吸をし、ぎゅっと拳を握って、沈黙するリューデルトたちを見据えた。

「――おれに、魔力がないから、だから勇者さまに触れても問題なかった、って言いたいのか」
「ええ。暴走する魔力そのものがないために、勇者さまの力に影響されることもなかったのでしょう。それは先程、あなたも経験なさったはずです」
「勿論おれらはおまえを騙そうとなんてしてない。勇者の暑苦しい装備を見ていればわかるだろうし、リュドウは魔術師だから自分の魔力を制御することもできるが、実際魔力の低いおれが触ったらまず蒸発しちまうな」

 なんなら試してみるか、とラディアが袖をまくって片腕を上げる。

「魔術師が隣でおれの魔力の制御をしてくれるんなら、まあ何事も起きないだろう。一瞬でもその様子を見せられればおまえも信じられるだろ?」
「そっ――そんなことしなくても、信じているよ。こんな嘘をついて、得する人はいないだろうし」
「それなら助かる」

 蒸発するほどの苦しみを一時でも味わおうとするラディアを見れば反対に疑いたくもなるが、発言した彼の隣に立つリューデルトの表情の変化を見れば、そんな気もなくなる。
 ラディアが試しにするにはあまりにも苦痛を伴うことをしようとしているから、だからリューデルトはあんなにも驚いた顔を、そして受けた衝撃のあまりに力強く首を振ることもできず、ゆるゆると動かしたのだろう。

「まああれだ、おまえに魔力がないからって別にこれからの生活に影響があるわけでもないし、万が一勇者に触っても問題がないならこっちも助かる。勇者も気兼ねなくおまえに触れられるようになったからな、なんかあったら負ぶって走ることだって問題ない訳だ」

 ラディアの言葉に、ふと思い出す。それは初めて勇者と出会ったときのこと。
 勇者は、腰を抜かして立てずにいたリアリムに、決して手を貸すことなかった。ただ立てと、言葉だけで、あとのきリューデルトが来なければ延々と声だけが寄越されていただろう。
 真実を知った今ならばわかる。勇者は手を貸さなかったのではない。手を貸せなかったのだ。手を重ねるほどに近づき、万が一にでも素肌が触れあうことがあれば、一般人であるリアリムの魔力の暴走は免れない。制御する術を知らぬのだから、蒸発するまで悶えるより他ない。
 席があってもただ一人立って壁に寄りかかるのも、他人との距離を守るためであったのならば。
 表情の変化に乏しく、言葉数も少ない勇者。貴き方であるからこそより腹が知れず、得体の知れぬ人間だと思っていた。決してリアリムに近づかないのも、嫌われているからだと。
 しかしずらした蓋の中身を覗き込んでみた今、それが単なる思い込みであったのではないだろうか、と気がつかされた。
 言葉を失ったリアリムは、向け続けられる勇者の背を見つめた。首元まで覆う旅装束、本来であれば指先まで黒に覆われているが、いつも纏う手袋は今、地に散っている。闇に浮かび上がる白い手はきつく握りしめられていた。

「とりあえず今はまだ夜更けだ。明日っつーか今日っつーか、まだ続きがあるんだから、身体を休めることが先決だろ。な、リュドウ」
「――ええ、そうですね。今は寝ましょう。ライア、引き続き寝ずの番をお願いします」
「おう。腹の調子も戻ったことだしな」

 まるでいつものように応えたラディアに、それまで顔を強張らせていたリューデルトはふっと気の抜けた笑みを見せた。

「しょうがない人ですね。一応、薬を出しておきましょうか」
「いや、もう大丈夫だ」
「必要になったら言ってください。悲惨な目に遭う前に」

 ラディアは少し前からそうしていたように、明かりの前に胡坐を掻き、話の間に小さくなっていた火に薪を足す。リューデルトはリアリムを導くために寄ってきたが、それと同じくして勇者が近づいていったのに気がつき、先に身を引いた。
 顔を伏せる勇者と対面して、リアリムは緊張した。いくら彼の狂わしの力が自分には効かないことが判明したとしても、やはり信じきれない思いがあったからだ。魔力のない人間など、本当に存在するのだろうか。
 やや俯き前髪に瞳を隠していた勇者は、ぱちり、と木の爆ぜる音がした後に、そろりと静かな声を出す。

「もう一度だけ。触れても、いいか」
「――はい」

 拒否することはできなかった。それは彼が勇者であるからでもあるのだろうが、なにより溢れ出しそうな感情を抑えようとするその声音を聞けば、首を振るなどできるはずもない。
 空色の瞳が、リアリムを捉えた。
 持ち上がった勇者の指先が、そっと右の頬に触れる。ひどく脆い壊れ物を扱うかのように、その手は崩壊を恐れていた。
 リアリムが目を閉じると、指先だけでなく、掌が頬の輪郭に合わせて添えられる。
 緊張からか、彼の掌は汗に湿っていた。しかしそれを不快と思わなかったのは、あまりにも指先が冷えていたからだろう。
 目を閉じた先の勇者が、どんな表情をしているのか。リアリムが知ることはなかった。

 

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